子供の理解

「今こそ子育て・教育の分野でアドラー心理学を活かすとき !」

「仙台・盛岡」アドラー東北で「子ども理解」と「アドラー心理学の子供対応」を学んでみませんか?

子どもを取り巻く現状とアドラー心理学の効用

日本において子どもを養育し教育していく中でかつてなかったような様々な問題が噴出して久しいです。暴力や非行、登校拒否、引きこもり、無気力、無関心傾向、そして自殺など、解決の兆しが見えるどころか問題は深刻さを増しています。

大人、親の側が有効な解決策を持たないからだと思われます。

非行とか登校拒否などの行動に現れないまでも「親の思い通りに子どもが動いてくれない(育ってくれない)」と悩んでいる親は圧倒的に多いでしょう。日本は民主主義の国になって半世紀になろうとしているのに、大人・親と子供の関係は、旧来の「上下関係(子どもは大人や親の言うことに従うべきだ)」が常識として定着していて民主的な親子の付き合い方を知らないからだと思われます。

このような状況の中でここ何年か日本に置いても「民主的な親子関係」を学び実践しようとの機運が現れてきました。その教材のひとつがアドラー東北でご提供しているSMILEであり、アドラー心理学をベースにしています。
ドライカースの「やる気を引き出す教師の技量」や「勇気づけて躾ける」等の著作はSMILEの原型と言っていいのです。
ドライカースがアドラーの業績を引き継ぎまだ十分に整備されていなかったアドラー心理学の基礎理論を体系的にまとめあげ多くの治療法や実践的なプログラムを開発した人物その人です。

アドラー心理学は欧米では個人心理学と言われていますが、人名を冠するならば「アドラー・ドライカース心理学」と言うべきだという人が少なくありません。

「アドラーとドライカース」

アルフレッド・アドラーは、1870年オーストリアのウィーンに6人兄弟の第2子として生まれました。ウィーン大学の医学部を卒業後内科医・小児科医として開業しました。このころアドラーはマルクス主義に関心を持っていましたが政治運動には参加していません。マルクスの言う人間の「疎外」や「物化」という概念に共感しすべての人々の平等と、人と環境の相互作用に関心を持っていたようです。

1902年頃から精神分析の創始者であるジークムントフロイトの考えに興味を覚えフロイトの勉強会に参加するようになりました。やがてフロイトの信任を得て国際精神分析協会の会長を務めたり機関紙の編集長になったりします。しかし1911年、フロイトの言う「人間の根本的な本能は性欲であり、性が人間行動を支配する」という仮説に反対の立場をとりました。(アドラーは人間行動の理由を所属欲求だと考えました。)ため、フロイトと袂を分かち仲間たちと自由精神分析学会を設立、翌年には「個人心理学会」と改称してアドラー自身の心理学を展開・発展させていきました。ちなみにフロイトはアドラーを裏切った弟子と語っていたとされていますが、アドラー自身はフロイトの弟子とは思っておらず対等の研究者として考えていたようです。

1914年から4年間アドラーは第一次世界大戦に軍医として従軍しそこで戦争神経症について知見を深めました。オーストリアは敗戦国となって終戦を迎えましたが日本の終戦時と同じように急速な民主化が進み様々な問題が起こっていました。復員してからのアドラーは精力的に活動を始めましたがその主な関心は子供たちの問題解決でした。

1922年アドラーは政府に働きかけてウィーンに世界で初めての児童相談所を設けて問題児の治療に当たりました。やがて相談所網を広げて問題児の治療や後進の指導に奔走しました。また彼の学説による実験的な学校の監督をしたり、教師や親や教育的立場の人に働きかけていきました。こうした実践の中でアドラーの心理学は洗練され実用的な心理学が形作られていきました。

1926年以降アドラーはしばしばアメリカへ旅行しましたが、やがてナチスによる脅威が予想されるようになるとユダヤ人の彼は身の危険を感じ1935年にアメリカに移民しました。1937年講演旅行中のスコットランドにて急死しました。享年67歳でした。

アドラーが主に子どもの教育に関心を示した理由は戦争を体験した彼が「平和」を追求したかったからと考えられます。アドラーは青年時代マルクスの原理に共鳴しましたが、ロシア革命を見て政治による解決に絶望します。結局は暴力によって政権を奪収したことがその理由のひとつです。第二に革命後も人々は「物化」されたままで「疎外」から解放されることはありませんでした。そこでアドラーは社会の基本単位である家庭において、問題を力(権力・暴力)で解決するのではなく、夫婦・親子・兄弟が、対等・平等な関係で対立することなく民主的に解決する方法を見出し定義すれば世界平和が実現すると考えたらしい。

アドラーの名は一時期忘れ去られていたが、今日では社会精神医学、自我心理学、人間的心理学、認知療法、システム論、逆説療法などの先駆者として再評価されています。

アドラーの死後第二次世界大戦の影響でアドラー心理学は一時期途絶えてしまいました。ナチスによるユダヤ人迫害によって多くのアドラーの弟子たちが犠牲になったからです。大戦後アドラーの後継者たちは死に絶えたかと思われました。

しかしアドラーの後継者はアメリカにいました。ナチの迫害から逃れアメリカに亡命した弟子たちがいたのです。

ルドルフ・ドライカースはウイーンで生まれウイーン大学卒業の精神科医でユダヤ人です。アドラーの高弟の1人でした。
ドラ―カースはナチの迫害時にブラジルに逃げ、それからシカゴに移住し、そこでアドラー心理学を広めていきました。ドラ―カースの存在と活動がなければアドラー心理学の継承と発展はなかったのです。

ドライカースは当時まだ十分に整備されていなかったアドラー心理学を今日見るような形にまとめ上げさらに治療技法の開発を通してアドラー心理学の実践性を高めました。たとえば「論理的結末」という技法はドライカースが開発したものの一つです。彼はアドラー心理学を体系づけたもっとも大事な一人と言えます。

現在ドライカースの弟子や孫弟子たちがアメリカを中心に活動していますがその活動は精神医学、臨床心理学の分野にとどまらず、教育現場、少年非行の問題、親子夫婦の問題を扱い優れた成果を収めています。

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「子どもはあらさがしをされながら生きていると人を攻めることを覚える」
「子どもは敵意にさらされながら生きていると闘うことを覚える」
「子どもはあざけられながら生きていると恥ずかしがりを覚える」
「子どもはうぬぼれにさらされながら生きていると心配性になることを覚える」
「子どもは辱められながら生きていると罪悪感を覚える」
「子どもは寛容に扱われながら生きていると辛抱強さを覚える」
「子どもは勇気づけられながら生きていると自信を持つことを覚える」
「子どもは受け入れられて生きていると愛することを覚える」
「子どもは認められて生きていると、目標を持つことはいいことだと覚える」
「子どもは誠実に扱われて生きていると、真実とは何かを覚える」
「子どもは公正に扱われて生きていると、正義を覚える」
「子どもは安心して生きていると、自分自身や周りの人への信頼を覚える」
「子どもは優しくされて生きていると、世界が生き、愛し、愛されるための素敵な場所だということを覚える」

「やる気を引き出す教師の技量」ールドルフドライカース著

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子どもにどう対応したらいいのか、子育ての悩み、学校現場での生徒対応の悩みは尽きません。

アドラー東北のセミナー会場には仙台、盛岡の各会場にそういった悩みを抱えて訪れる方が後を絶ちません。

困った子どもの行動が注意しても止まない。
何度言ってもわからない。
1人の生徒にクラスがかき回されてどうしていいのかわからない。
子どもが何を考えているのかわからない。
子ども・生徒との関係が良くない・悪化している。

という日常生活でありがちなことから、「不登校」や「いじめ」、それに伴う「自殺」など深刻なものもあります。

どの悩みも関わる親や教師にとっては大変気になることです。
でもどうしたらいいのか、なぜなのかがわからないのです。

多くの子育てや生徒対応に対する情報がこれだけあふれているのに子供たちを取り巻く問題は増え続けています。
それはいったいなぜなのでしょう。

どの情報も確かにそれらしく感じます。でも問題が減らないどころか増えている現実を考えると今こそまったく別の視点から子どもに対する対応、子育ての方法をし直すときなのではないでしょうか?

アドラー東北では、アドラー心理学のご提供を通して、今までとは全く違った視点からの子育て、子供対応についてご提案しています。

仙台・盛岡とお近くの会場をご利用いただき、今困っておられるあなたのお役に立てることをお待ちしております。

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「子どもの話に耳を傾ける」

生まれたばかりの赤ん坊や幼児は未成熟な状態ですから親の助けなしには生きていくことができません。そのため親に愛され認められようと必死の努力をします。
そのことをアドラーはこう言っています。
「子どもにとって世界は<世界そのもの>であり、親から愛されなければ生きていけない。そのための命がけの戦略がそのまま性格の形成につながるのだ。」

ある子供は聞き分けのいい子どもになって親に愛されようとしますし、別の子供はひ弱になって保護されることで親の関心を引きます。
さらに別の子供は問題行動を起こして親を自分のほうにむかせることもあるでしょう。このような戦略が子どもの性格形成につながっていきます。

アドラー心理学では「子育ては10歳ぐらいで卒業」という言い方をします。”赤ん坊や幼児でなければどんな選択や行動をしてもすべては子ども自身の課題であり最終的には子ども自身で責任をとらなければならないのです。
もし子供が親との距離をとりたがっているようなら無理に手を出したり詮索したりせず少し距離を置くことです。親は子どもを認め、あえて手出しをせず見守ることです”。

なぜなら親は子供が直面している問題を援助することはできても、子どもの代わりに生きることはできないからです。子ども自身の問題のすべてを親が責任をとることはすべきことではありません

そうかといって「関係ない」と突き放してしまうのも問題です。親は子どもに対して何をしてあげられるかを考えたり、時には話し合うことも一つの愛情表現でしょう。子どもの話を途中で批判せずに最後まで聴きましょう。
家族と円滑に意思の疎通を図ることはそう簡単にできることではありませんが関係を良くする努力をし続けることが大切です。

「子育ての最終目標は子供が自立すること」

子どもが言うことを聞かないと言って悩むことは多いでしょう。危ない遊びを母親であるあなたは何度も注意したり叱ったりし、同じことを繰り返しているかもしれません。

けれどもしも子どもの問題行動を止めさせたいなら問題行動に注目して叱るのではなくおとなしく静かにしている時に「静かにしていられるね」と言葉をかけて勇気づけすることのほうが効果的です。
問題行動に注目して叱っても逆効果です。わずかの時間でもソファに座っていられたことに注目しその行動を受け入れるのです。

叱ったり文句を言ってはいけません。なぜなら子どもはそれを罰と理解してしまうからです。アドラー心理学による教育の考え方は罰を与えることではなく結末を体験させて気づかせることと適切な行動に注目して勇気づけることです。この場合の適切な行動とはおとなしくしていられたことになります。

アドラーは教育による人類の救済を目指しました。その心理学の中心的位置づけは育児教育です。

たとえばけんかに負けて泣いて帰ってきた子どもに「男の子なんだから泣くんじゃない」と言ったり「みんなが塾に行っているのにおまえはなぜ行かない?!」「何度言っても手伝いをしない!」など、子どもに言いたいことは多いでしょう。けれどもそうして自分の正しさを主張して子どもと言い争いをしているうちはいつまでたっても親子関係は変わらずよい関係も作りにくいでしょう

「子どもの性格は子ども自身が決める」

アドラー心理学では「子育ての最終目標は子供が親から自立する」ことです。親が子どもを自立させることはできません。親の働きかけによる自立は本当の意味での自立ではなく親が先回りして援助することであり、勇気くじきにあたります。子どもの自立は時間もやり方も子ども自身が決めることです。親は子供が自力で解決するための援助をすればよいのです。

叱ってばかりいる親に育てられた子どもが必ずネガティブで暗い性格になったり反発して非行に走ったりするとは限りません。逆の親を反面教師にしてポジティブで明るい性格に育つこともあります。

いずれにしても親の影響がまったくないとは言えませんが、ポジティブであるネガティブであるなど自分の性格を作ったのは子ども自身です。その性格を変更することも子ども自身でできるのです。

アドラーは「世界は薔薇色であると言ったり、世界を悲観的な言葉で描写することを避け、子どもたちに楽観主義を教えることが大切」だと言っています。

生きていると不慮の事故や災害など理不尽な出来事に巻き込まれたり大失態をするかもしれません。その時子どもは辛い思いをするでしょう。

けれども何が起こっても「とりあえず起こったことには意味がある」と楽観的にとらえ、つらい経験にも意味があるのだとわかってくることがあります。そして大失態がかえってよかったと思えることもあるでしょう
ただしそれは自動的に思えるのではなく、そう思えるように子ども自身が努力することが欠かせません。親の役割はそのための援助をしてあげることなのです。

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子どもに対する対応を変える

今のままではうまくいかないのであれば、方法を変えるしかありません。
同じ方法では同じ結果しか得られないのです。

ではどう変えればいいのでしょうか?

アドラー東北にいらしたご相談者の方には、まず行動を次のように変えることをやってみていただきます。

「ダメ出し」を止めること。そして「ありがとう」「助かる」「うれしい」という言葉を使ってみてくださいという事です。

子供の理解

「子どもの事は何でもわかっている?」

私たちは大人になった今でも自分の親に「おまえのことは親である自分が一番よくわかっている」と言われたり、そういう態度で決めつけられることがあります。

自宅から離れて親と暮らした年数よりももっと長く別の家族を構築した後でも、まるで所属物のように考えられていることは、親の傲慢だと私は思います。

1年に会う回数もほとんどないのに、めったに会わないのに、その間の出来事は何も知らないのに「わかっている」と言われることはとても不愉快に感じます。

そして子供の頃の自分と今の自分は何も変わらないと親が思っている限り親子の間に共通感覚・共通理解は望めないと感じています。

アドラー心理学を学び始めて親子関係に悩んでいる方のご相談を受けているとこのあたりの親と子の気持ちのずれは大きいなと感じることがあります。

親は子どもが無力であり力がない、いくつになっても子供だと思い、請われてもいないのに上から援助をしたり、助言をしたり。

この気持ちのずれはアドラー心理学を学べばどこから来ているのかが明確にわかるように思います。

あなたはきっと子供のことを一番自分が理解しており、一番の味方だと思っているのかもしれませんが、あなたの言動はそれを子どもに伝えるには適切とは言えないのかもしれないと考えてみたことはあるでしょうか?

良かれと思って・・が子供との関係を悪くしていると考えたことはおありでしょうか?

今子どもの事で悩んでいる親御さんの相談を受けていて、そう感じることが多く、何かのヒントになればと「子どもを理解する」ことについて書いてみたいと思っています。

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「子育てには愛情だけではない技術が必要」
あなたは子育ての方法を本当に知っていますか?

今子育て中の方はどのようにお子さんに対応しているか、たぶん自分が親からしてもらったこと、または同じような子育て中の方と同じように、と考えて子育てをしていることでしょう。

はたしてその方法は筋の通った根拠のある子育てでしょうか?
そしてそれは子どもの自立を促し、子どもを一人の人間として対応する方法なのでしょうか?

もちろん何をどうするかはある程度日常生活についてはできているようでしょうし、何とかなると思っているかもしれません。

しかしながらたとえば困ったとき「夜鳴きが止まない」とか「おもちゃが欲しいと駄々をこねる」とか、そういう時にどう対応したらいいのかはわからないというのが本当ではありませんか?

なだめたりすかしたりしてもその困った行動は止むどころかますますエスカレートする。困り果ててしまっていることはないでしょうか。

育児の本は書店に行けば山積みになっており、どれを読んでもそうであるような、そうでないような、そしてそれぞれが違うことが書いてあり、結局迷って決められないということが多いのではないでしょうか。

アドラー心理学をベースにした子育て法は、その点で実に合理的であり、筋が通っており、明確な指針を与えてくれます。
まずは子どもを理解しようという気持ちを持ってみませんか?

「別の人間であるからわからない」だから理解するために学ぶのです。
子どものなぜを理解しようとしなければ困った問題はいつまでも解決しません。

アドラー心理学を通して子どものなぜに向き合い、理解し、自分にできることをする。
それこそが子育てでぶれない、子どもに振り回されない、子育てをするための第一歩と言えると思います。

あなたはいつまでも行き当たりばったりの子育てをしますか?
それとも明確に目標を持ち親子共に幸せを感じながら暮らす子育てを選びますか?

大切なのは「これからどうするか」であり、それはあなた自身が自分で選択できるのです。

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「力づくの解決」

子どもは小さいですし、経験値が大人より少ないことで数多くの失敗をします。またどうしたらいいのかわからないことも多いです。

ですから大人から見れば不適切な行動がたくさんあることでしょう。

それに対して大部分の大人はそれをなだめたりすかしたり、時には力づくでそれを押さえようとします。

力で解決するのは子どもが小さいうちはうまくいくかもしれません。しかしその力関係はいつかは逆転します。

中学生や高校生になればもう親より体格がいい場合もありますし、そうなると力づくでは無理です。
それでも小さい時と同じように今度は言葉でもってして叱ることで何とかしようとする人もきっとおられるでしょう。

それは限りなく反抗を生むことは経験からご理解いただけている方もきっと多いと思います。
力を使う代わりにどうすればいいのかについては、アドラー心理学の子育て法に明確が答えがあります。
そうでなければいつまでも同じことが繰り返されるのです。

子どもが大きくなれば子どもはいずれ親に反撃するようになるでしょう。
親自身が子供を叱ることが必要であると考えている限り、この世の中から虐待はなくなりません。
叱ること、叩くこと、さらには虐待することも、質としては同じです。量が違うだけなのです。

子どもをどんな形でも力で押さえつけない方法を親が知っていればいいのです。
子どものことを理解し行動を理解すると同時に、力でもってして子供を押さえつけようとすることがどういうことなのかを理解してほしいと思います。

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「反抗期は反抗させる親がいるというだけのこと」

「反抗期だから仕方がない」そういう言い方をする場合があります。
「反抗期はいつか終わる」そう考えておられる方もいるでしょう。

何が根拠でしょうか。一定期間が過ぎれば反抗期は終わるのでしょうか?

反抗期がもしもそうであれば親はただ待っていればいいのですが、いつまでも反抗を続ける子供もいるのです。

子どもが親に反抗するのは、親が上から目線で子供を叱ったり命令したり思い通りにしようとするからです。

はじめは力がないと感じている子供も、やがて親の理不尽な対応に反抗するようになるのは当然と言えます。

もしも理不尽なことを親がしなければ、子どもは親に反抗する必要がありませんので反抗期はありません。
反抗期はあるものではなく、反抗させる親がいるだけです。
子どもが反抗するような態度を親がとらなければ子どもは反抗などしません。

もしも反抗期がなかったとして、子どもがそれをそのまま受け入れていたとすればそれはそれで問題です。
子どもには「親にしてほしくないことをきちんと言葉で伝えるということを学ぶ必要がある」のです。

残念ながら力で抑えようとする親に子どもが反抗しても仕方がないと言えると思います。

アドラー東北にもアドラー心理学を学ぶきっかけに「子どもの反抗期」問い方がおられますが、ほとんどはアドラー流子育てを実践すると子どもの犯行が気にならなくなり、反抗そのものが少なくなっていきます。

それは子供が反抗する必要のない態度・行動を親が取り始めるからです。

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「子ども理解の最初は行動の目的を知ること」

子どもの理解は行動の目的を知ることから始まります。
アドラー心理学では、不適切な行動は四つの段階で子供の目的を探っていきます。

これはアドラーの弟子であったルドルフ・ドライカースが体系化しました。
ドライカースはアドラーの教えを多くの著作で残しましたが、今現在私たちが学んでいるアドラー心理学の多くはドライカースの功績によるところが多いです。

子どもは適切な行動を認めてもらえないと感じると不適切な行動で認めてもらおうとします。

叱られるとわかっていても無視されるよりはましだと思うからです。

不適切な行動に入る前に子どもが最初にやることは「褒めてもらいたい」という目的での行動です。
褒めてもらいたくてやることは大体が良い事です。
ですが、目的が良くありません。

褒められることを目的にしていると褒められないとしないという事が起こってくるからです。
ですから不適切な行動に入る前の前段階として「褒められること」があります。

でも目的自体がよくありません。
誰に認められなくても褒められなくても自発的に自分が必要と感じたことを行動することこそ建設的な行動なのです。

自分や世の中にとって役に立つことーこれが適切な行動・建設的な行動と言えます。

褒められることの次には注目を得るという段階に入ります。
適切な行動をしても褒められないと感じた子供は不適切な行動で注目を得ようとします。

これがドライカースの言う第一段階になります。
不適切な行動をすることで自分のほうを向いて欲しいという事です。

それでも駄目な場合には第二段階の主導権争い、第三段階の復讐、そして第四段階の無気力と進んで行きます。

復讐や無気力の段階に進むと当事者同士での解決は難しくなります。

「褒められたい」「注目を得たい」「主導権をとりたい」という段階でなんとか子供との関係を修復したいものです。

勇気をくじかれて不適切な行動の段階が進むのですから、勇気づけられれば適切な行動が増えていきます。
勇気づけすることの重要性がここでご理解いただけると思います。