自分が嫌いな方へ

自分が嫌いな方へ

自分が嫌いなあなたへ!!

「実は・・私も自分が嫌いでした。。。好きになりたくてアドラーを学んだんです。」
アドラー東北・高橋

「そして今は、欠点もあるけれど、ありのままの自分が大好きになりました。」

「私のように自分が嫌いで、だけどどうしていいのかわからないでいる人がきっといるだろう・・・。そういう人のお役に立てるといいな」がアドラー東北の原点です。

アドラー東北には
「自分が嫌い、でももしできるなら好きになりたい」とお考えの方が多く集ってきます。

それは何よりも私自身が抱えていた問題だからです。そしてそのために私自身がアドラー心理学に出会い、学ぶことになり、そして今はお伝えする立場になり、皆さんとの出会いをお待ちしています。

40歳を過ぎて学び始めたアドラー心理学の素晴らしさは私の人生を変えてくれました。

自分のどこがどう変わったのかと言われると、それほど劇的に変化したわけではありません。

でもアドラー心理学を学ぶことを続けた結果、今はどんな自分も好きと胸を張って言えるようになりましたし、失敗しても自分を勇気づけて前に進むことができるようになりました

それはアドラー心理学が「ありのままで幸せになる方法」を伝えているからだと思います。

他者との関わりを通して自分自身を知り、自分を傷つける思考に気がつき、よりより他者との関係の在り方、自分の在り方を学ぶことで、私はそれを実現しました。

アドラー東北にご縁をいただいたあなたにこそ、私と同じように自分を好きになってもらいたい

アドラー東北を立ち上げた原点がまさにここにあります。
そういう思いを込めて、あなたとの出会いを心からお待ちしています

このページでは親との関わりから自分が嫌いであった自分を振り返っていきたいと思います。少しずつ更新していきますので、チェックしていてくださいね。

なぜ私は自分を嫌っていたのか?

画像の説明

アドラー心理学を学び始めて最初に向き合ったのは「自分の事」でした。他者関係がどうもうまくいかない、自分が好きではないと悩みながら、私は自分のことを冷静に振り返る機会をほとんど持っていませんでした。

アドラー心理学の講座はたくさんの人との関わりを通して学んでいきますので、見知らぬ他者との関わりを経て、自分に対する気づきがたくさんありました。また「他者と良好な関係を築く方法」を学ぶことができ、実践しながら少しずつ身に付けて行きました。

その中で「自分は正しい」という気持ちが強いこと。それを人間関係をよりよく保つことよりも優先させていたこと。自分の周りの他者は自分にとっては「敵」であり、この世は「争いながら暮らしていく世界」で、自分以外の人間は「適当なことを自分に都合よく言う人たち」「自分を都合よく使おうとする人たち」であふれているという世界観を持っていたこと。などがわかりました。

また自分は「自分は人より優れていなければならない」「すごい」「たいしたものだ」-そういう人間であるべきと思っていて、人生を通して私はずっと自分にそうであることを課してきたのです。

今現在冷静に振り返ってアドラーを学ぶことを通して得た「自分が他者とうまくいかないポイント」をまとめると以下のとおりでした。

①「自分は正しい」=他者を裁いて生きること

②「他者は敵である」=身構えて他者に向き合う姿勢

③「適当に都合よく自分を使おうとする他者」=相手に対する不信感

④「自分は優れていなければならない」=他者を下に自分を上にしようと行動していた

⑤「年上の男女に対するゆがんだものの見方」=嫌いであるという前提で色眼鏡をかけて相手を見ていた

①「自分は正しい」という信念

これは父親の価値観を自分が採用したということになると思います。アドラー心理学の自己決定性をベースに考えると、父親と母親の価値観が違った場合子どもはどちらを採用するかを自分で決めます。どちらに添って人生を生きたほうが自分にとっていいのか?どちら側に付いたほうがいいのか?を自分で判断するのです。私の場合には父親が家庭内での絶対的権力者でしたので、自然に父親の価値観を採用していたようです。「自分は正しい」という価値観は言い換えると「自分がすべてのルールブックだ」ということでもあります。自分という存在のルールブックを使って「好ましいー好ましくない」「正しいー間違っている」という判断軸で他者を裁いていたのですから、他者関係がうまくいくはずはなかったのです。アドラー心理学では「建設的ー非建設的」という判断軸を用います。これは自分が所属するグループ内でそれは有益であるかどうかそれとも否か?という基準です。自分個人の正しさを主張することがグループにとってメリットがあるのであればいいが、もしそうでないならグループの利益(他者の利益)を優先することが求められるのです。またアドラー心理学の認知論で「他者はそれぞれ考えが違う」ということも学びましたので「自分の考えは世の中では絶対的なものではなく他者と違うことが前提であること」を知ったことも大きかったと思います。「自分の価値・正しさ」≠「他者の価値」であることは大きな気づきでした。

②「他者は敵である」=身構えて他者と向き合う姿勢

アドラー心理学には性格という意味でライフスタイルという言葉があります。ライフスタイルは「世界観」「自己概念」「自己理想」という三つの要素がありますが、自分の世界観を知った時、私は自分を取り巻く世界を「敵だ」と認識していることがわかりました。人生は争いであり身近な他者は倒すべき存在であると思っていることがわかったのです。これでは他者とうまくいくはずがないと心から納得しました。相手を敵だと思っているからこそ、他者と関わるときには「身構え」ていたのです。この世界観知ったおかげで「他者は自分を助けてくれ援助してくれる友であり仲間である」という世界観に変えることができました。アドラー東北では「どうもよくわからないけれども他者とうまくいかない」という方にライフスタイル診断をさせていただき、ご自分のライフスタイルの不具合を修正するお手伝いをさせていただいています。

③「適当に自分を都合よく使おうとする他者」-他者への不信感

アドラー心理学のライフスタイル診断をする際に早期回想という技法を使うことがあります。この早期回想は生まれてから10歳ぐらいまでの間で記憶に鮮明に残っているある日ある時の出来事を見る方法です。この早期回想には「他者は都合よく自分を利用し、自分勝手であり自分の気持ちはお構いなしである」という光景が出てきました。私はそういう思い込みを持って他者を見ていたという事になります。

④「自分は優れていなければならない」=他者を下に自分を上にしようと行動していた

アドラー心理学では人はそれぞれその人なりの人生の究極目標を持っていると考えます。「優越」であったり「安楽」であったり「保護」であったりです。私の人生目標は「優越」でした。そして問題はその目標を達成する手段として他者の上に立とうとし、他者を排斥するなどの非建設的行動をとってきたのです。手段を選ばないことも時にはありました。「ずるい」方法をつかっても自分の人生目標を達成するために使ってきたことが他者との不具合を起こしてきた原因のひとつでした。現在は自分自身の究極目標そのものは変わりませんが、他者を排斥したり手段を選ばないなどの不適切でありまた、非建設的な方法はとらなくなりました。アドラーの言う他者と自分の幸せにつながるような方法で人生目標を達成するように努力していけるようになっています。

⑤「年上の男女に対するゆがんだものの見方」=嫌いであるという前提で色眼鏡をかけて相手を見ていた

ライフスタイル診断をした時に弟に代表される「年下の男性」以外のあらゆる年代の男女について苦手意識を持っていることがわかりました。たとえば父に代表される年上の男性、母に代表される年上の女性、自分をいじめた同級生に代表される男女、そして妹に代表される年下の女性といったように自分を取り巻くほとんどの年代の他者についてゆがんだ見方をしていることがわかりました。特に年上の男性と女性に対する解釈の歪んだ見方は大きく、心がけて修正を試み今があります。

「他の不具合」

アドラー心理学の認知論に絡めて認知のゆがみ―人は多かれ少なかれ多少の自分なりのゆがみで物事や他者を見ています。その歪みが他者関係に不具合を起こす場合、自分にとって有益ではなく破壊的になる場合には修正が必要です。私の場合にはほとんどの当てはまりがありました。これはアドラー心理学ではベーシックミステイクスと言います。

「思い込み」と「決めつけ」

物事の捉え方のゆがみがひどく自分自身を生き難くし、周囲との間でも摩擦を生じてしまうような考えを「ベーシックミステイクス」(基本的な誤り)と言います。困難な時ほどこのベーシックミステイクスに支配されがちになるのです。極端な考え方に走ることは私にとってアドラー心理学を学びながら修正していったところでした。

「決めつけ」可能性に過ぎないことを自分で勝手に決めつけてしまう事。

「誇張」物事を拡大して大げさにとらえてしまう事

「見落とし」ある部分だけを切り取って大事な側面を見落とすこと

「過度の一般化」何か一部うまくいかないことがあると別の事もうまくいかないと思い込むこと

「誤った価値観」自分が無価値で「自分には生きる価値がない」などと自滅的に捉えること

また多くの囚われ、拘りが強いことも他者関係を悪くしていました。

「嫌われている」という思い込み
「どうせ自分は人とはうまくやれない」と思っていました。だから「うまくいかないように行動していた」。「どうせ人には理解してもらえないのだ」だから「分ってもらえなくてもいい」と思っていました。
他者とうまくやる方法を自分で選択してこなかったし、その方法を考えたりしたりしようと思わず、「嫌いになるように」行動していたと思います。

親や兄弟を好きになれない自分は駄目な人間だという思い込み
親や兄弟を憎んでいました。そしてそんな自分は駄目な奴ではないかとずっと思っていました。

偏った考え方・誤った考え方
行為と行為者を分けて考えられず、相手の一部を見て全部を嫌いになっていました。
自分は相手の上に立たなければ価値がないのだと思い込んでいました。

自分の周りの人を信頼できないと感じていた世界観
人を信頼することができませんでした。周りの人は自分にとって敵だと思っていました。

「不適切な他者との関わり方」
自分の意見や主張をするのに適切な方法を知りませんでした。言わないでネガティブな感情を抱え込むか、爆発して怒りを使って相手との関係を悪くするようにしていました。

これから順に書いていきますのでゆっくり読んで行ってくださいね。

「受講生の声」

❤自分を好きになって毎日楽しく生きたいと思い受講しました。
自分では気づかない良いところを周りの仲間の方々に見つけていただき、自分はこんなところが素晴らしいんだと思えるようになった。また参加するたびに勇気づけられるので元気になっていくのが実感できた。自分はつまらない、くだらない存在だと思っていつ方はぜひ参加してみてください。とても楽しい時間を過ごすことができました。ありがとうございました。(宮城県 N・Mさん)
自己受容したくて受講しました。講座を受講する以前は必要以上にいろいろなことに責任を感じ自己嫌悪に陥ることが多々ありました。しかし講座で課題の分離を学び、誰の問題なのかを考えることでそこから抜け出せる道が見えてきました。貴重な講座をありがとうございます。(宮城県 A・Oさん)

❤私は自分のことが嫌いです。が、好きになること(自分を勇気づけること?)をしていかないと、誰と出会ってもうまくやっていけそうにないなと思いました。だから嫌うのは終わりにしようと思います。
今までうまくいかなかった人の顔が浮かんで来たり、苦手なタイプの生徒の顔が浮かんで来たりしました。この人たちをまず勇気づけないとと思ったし、もうできない人にはどうすればよかったかを考えて学ばせていただこうと思います。人とのやり取りを見直してこちらから言わなければならないことは伝えていこうと思いました。(岩手県・Kさん)

「嫌われている」という思い込み

アドラー心理学を学ぶ前の私は様々な思い込みに囚われていたように思います。

たとえば「自分の気持ちを伝えてはならない」とか「自分の感情を出してはならない」「失敗してはならない」などです。

自分の気持ちを伝えないことで他者との関係を自分から遠ざけていたのです。まさに勇気をくじかれていたと言っていいと思います。

子どもの頃に家庭の中で祖父と父の闘争が常にあり、その間に割って自分の不安な気持ちを言うと「子どもは口を出すな!黙って居ろ」と厳しく言われました。常に親の厳しい管理下で過ごしましたので、この親からの言いつけを守り、他者に自分の気持ちを言う事、他者に伝えることがほとんどできていなかったなと今は思います。

人と話す習慣をできるだけ回避しておりましたので、いざ伝える時は多分むちゃくちゃだったんだと思いますし、上下関係しかありませんでしたから縦の関係で人間関係を捉えていて、やむを得ず話すときには上からの言い方になるか、下からの言い方になるかのどちらかしかなかったんだろうと思います。

自分の気持ちが上手く伝えられないことは他者関係で大いに自分の立場を悪くしてきたように思います。

友人関係でも「上に立つか下にいるか」のどちらかしかないので、自分が劣っていると感じれば黙ってしまい、「何を考えているのかわからない」と思われるか、嫌われないように相手の機嫌をとったり損ねないようにする方法をつかっていましたし、自分のほうが上だと思えば「相手を自分の思い通りにしようとする」、上からの物言いであったんだろうと思うのです。

アドラー心理学の学びの場でいきなりヨコの関係に放り込まれて、今まで味わったことのない居心地の良い感覚を覚えたのは確かです。

「伝えなければ伝わらないのだ」ということをアドラー心理学を学んでようやく知ることができ、「伝えること」、それもヨコの関係で「穏やかに伝える」ことを学ぶことができました。

「嫌われている」という思い込みはどういう思考から来ていたのか?

「完璧主義」

アドラー心理学を学んで自分がかなり強い完璧主義者であることを知りました。
「完全でなければならない=失敗してはならない」
「自分は常に正しくなければならない」もあったと思います。

これは他者へも当然向けられていました。

失敗することは自分の存在価値がなくなるほど、居場所がなくなると感じるほど「咎められ」「追い詰められ」て来たことで、自分にもそういう思考が身についていたのだと思います。

他者のほんの一部分が気に入らない=相手のすべてが気に入らないという思考になっていましたので、どんどん嫌いになる相手は増えても好きになる相手は現れません。

他者とうまくいかないことは自分の自信を失わせますから、悪循環にはまっていたことが今は良くわかります。

また「認められること」=「好かれている」もあったと思います。
これは、認められないことが自分の中で許せないという思考を生んでいました。
自分を批判する相手、もしくは自分と違った意見を言う相手を受け入れることができず「相手が自分を嫌っているからだ」という思い込みに凝り固まっていました。

自分と違う意見や生き方、スタンスをしている相手が好きだとか嫌いだとか、というレベルの発想をしていました。まったく他者を認めていなかったのだと思います。

他者関係では「好き嫌い」が問題なのではなく、「相手が自分と違うことが当たり前」であり、相手を認めることが他者関係のスタートであるという事を知らなかったのです。別の人間なのですから今となっては当然と言えば当然と思えるのですが、アドラーを学んだからこそそれも知ることができ、言えることでもあります。

画像の説明

「親との関係を通して」憎み続けた果てに。。

アドラー心理学を学んでもなかなか改善しなかった親との関係。
最後の最後まで親との確執・私は親を憎んでいるということは自分の中で残り続けました。

他者との関係がどんどんよくなっていく。周りとの関係が改善されて何の問題を感じなくなっても親とのことはしこりのように私の中に残っていました。

アドラー心理学を学んでもどうしても親を好きになれない自分がいました。今の自分を作ったのは親のせいだと思いましたし、こんなに自分が好きになるのに時間がかかったのも親のせいだと思いたかったんだと思います。

顔を見るのも嫌で一時期は遠ざかっていました。2~3年ほど実家に足を運ぶこともしませんでした。

親が嫌いだという人は多いと思います。そして親を嫌いである自分を駄目な人間だと思っていたり、自分を許せないと感じている人、その考えを認めてはいけないと考えている人も多いと思います。

それはしてはならないことであると皆が思っています。

でもそれはなくなりました。それはアドラーを学んだからそう思えたのだと思います。
嫌いなものを無理に好きにならなくてもいい。
自分の気持ちに正直になった結果として親の元へ足を運ばないという選択をしたのです。

私は自分のアドラー心理学の学びを通していつの日か親とのことも自然に受け入れられる日が来るかもしれないと、自然に任せる気持ちになりました。

今は一定の距離をとりながら争うという気持ちもなく、親を受け入れつつも自然に対応できるようになっています。

親を好きになれない自分は駄目な人間ではないのか?

アドラー東北にはそういう気持ちを持ってこられる方も多いのですが、そんなことはありません。好きになりたいから悩むのです。

「子どもはいつも親を好きになりたいと思っている。だから苦しむのだ。」という事を、アドラー心理学の子育てを皆さんにお伝えすることで、そういう悩みを大人になっても抱える人を減らしていきたいと考えています。
また親が実際に今やっている方法では子どもとの関係を悪くするばかりであるという事もお伝えしていきたいと思っています。

「好きになりたい」とおもってさえいればその実現はアドラー心理学の学びを通していつの日にか実現可能だと思っています。

「こじれた人間関係の見直しを通してわかったこと」

アドラー心理学を学び始めてある一定の期間が経過したころ、自分のこじれた人間関係を見直してみたことがあります。

ただ単になんとなくうまくいかないなというレベルではなく、こじれるまで(要するに次はない・もう付き合わない・会いたくないというレベル)人間関係が悪化したのはなぜだったのか?

ざっと数えただけでも4~5人はすぐに出てきました。すると驚くべき検証の結果が出てきました。他者とうまくいかない場合ひとそれぞれ大体の一定のパターンがあるとアドラー心理学では考えるのですが、まさにその通りだと思いました

大きかったのは下記の6点です

1「自分を取り巻く人々を敵だと見なしていたこと」
2「人間関係を競争で捉えており勝つか負けるかと考えていたこと」
3「年上の男女に対するかなり偏った認知」
4「怒りの感情」を使っていたこと
5「他者の課題に踏み込んでいたこと」
6「自分が正しい」という主張の仕方

1「自分を取り巻く人々を敵だと見なしていたこと」

アドラー心理学の性格分析には「子どもの頃の記憶から今の自分を知る」方法があるのですが、その方法で自分は自分を取り巻く世界を「敵」であり「危険」であると認知していたことがわかりました。

他者に対して構えていたり、距離をとったり、相手からもそうされていることは何となく気が付いていましたが、自分がそうすることで相手にもそうさせていたんだと気が付いたのです。

これは次にあげる人生や他者関係を競争と捉えていることに要因がありました。
人生が競争であると考えていれば、当然他者は敵であるという認識になります。この気づきは自分にとって大変大きいものとなりました。

アドラー心理学では他者は友であり仲間であると考えます。
敵であると認識していた場合と友と認識している場合とでは自然と他者に対する構えそのものが違ってくることはお分かりだと思います。

相手が敵であると捉えていれば、相手のことや言動を良く解釈したり協力したりという事はできませんが、仲間であると捉えればこれはまったく逆になるのです。
この意識を変えていくことが一番自分にとって大きな転機となりました。

2。人間関係を競争と捉えていたこと

子どもの頃に育った家庭の中では常に人間関係の争いがありました。特に家の中で主となる人物同士が争っていて、これは祖父と父親でしたが、常に言い争いをしており、どちらが勝つか負けるかという価値観が家庭の中に蔓延していました。
兄弟同士でも親が意識していたかどうかはわかりませんが競争をあおるような生活を強いられていたと思います。たとえば兄弟同士を比較したり、ということは常にありました。同じ習い事をさせればどちらが上手で下手かという評価は当然のことながら出てきます。
そういう中で先に上げた世界観ができあがり、また競争原理が自分の中に出来上がったのだと思うのです。
常にそういう殺伐とした雰囲気の中で育ちました。世の中は争うものだとか人間関係はそういうものだという認知で捉えていたと思います。だから今思うと他者と争うことは人間関係では自然にあるうることでしょうという言動になっていたと思います。
アドラー心理学では他者関係を競争ではなく協力として捉えます。相手の上に立つのではなく共に歩み協力していく関係として作っていくことを学んだことも大きかったです。

3「年上の男女に対するかなり偏った認知」

「歳ばかりとってもロクなもんじゃない」、筋の通らない親の言動や、自分が困っても知らん顔をする教師との体験を通して、私自身は年上の男女に対する偏見がかなり大きくありました。

「助けてもくれないし、役に立たない。それでいて自分に都合よく動かそうしたり気分で叱ったり」年上の男女はそういうものであり信用できない。

私はそう思っていました。これは父と母に代表されるし、また子どもの頃学校で私の担任になった教師が代表として反映されています。

自分の目の前にいる年上の男女は、自分の父でも母でもないし、自分の担任だった教師でもない。。別の人間であり父母と同じように自分を都合よく使ったり助けてくれないわけではない。
そういう風に自分の捉え方を変えていきました。

アドラー心理学を学んでそのかなりゆがんだ捉え方を変えていくことができました。今は大体年上でもそれなりにお付き合いできる人が増えています。

4「怒りの感情」を使っていたこと

子どもの頃自分の意見をどう言ったらいいのか、そのトレーニングのモデルとなるのは家庭の中の大人たちです。

大人たちが争っている家庭で育ったので、争うような言い方をすることが他者との関係でのコミュニケーションであると思って使っていたんだろうと思います。
特に怒りの感情を使って他者を操作することが多かったように思います。

アドラー心理学で穏やかに自分の気持ちを話す、要求を話す、断るという方法を知り実践することでその以前の方法はほとんど使う必要が無くなりました。

5「他者の課題に踏み込んでいたこと」

上に立ちたいという気持ちの強かった自分は「自分がやらなきゃ誰がやる」と言わんばかりに他者の問題にもずかずかと踏み込み、命令や指令を出していたと思います。
今はすっきり課題を分離して必要があれば協力を申し出るというスタンスでいますので、自分の抱え込みが少なくなっただけではなく、他者の問題に巻き込まれることもなく、程よい距離を保ちながら良好な他者関係を築くことができています。
これもアドラー心理学の課題の分離を学んだおかげです。

6「自分が正しい」という主張の仕方

これは怒りの感情を使う事とも関係してくるのですが、自分が正しいという気持ちが強いと相手を裁くことにつながります。
相手を裁くのですから「あなたはけしからん」ということです。

「相手を裁くのを止めること」アドラーを学んでこれも大きな収穫でした。
自分にはもちろん相手を裁く権利もないし、相手にも私に裁かれる権利はないのです。
人間関係を上下で捉えているとこういうことは起りがちですし、怒りの感情を使って相手を叱るという事にもつながります。

「私は~と思います。」や「私の考えでは~です。」という伝え方をすることで感情的になることもなく、相手を裁くこともなく自分の気持ちを伝えることで評価とは無縁の人間関係を築くことができています。これもアドラー心理学を学んで身に着いたことのひとつであり、自分にとっての宝物になりました。

いかに私は生き難かったか

こうして簡単ですが自分のことを振り返ってみて、自分がいかに生き辛かったのかが改めてわかります。

それでもそれは自分が自分で選択してきたことでもあるのです。すべては自分の責任です。

親がどうであろうと周りがどうであろうと、自分でそう生きると決めてそうしてきたのです。

でもその方法が上手くいかないこと、そしてなぜうまくいかないかがアドラー心理学を学んで良くわかりました。

だから私は自分が幸せになることを選択することに決めました。そしてその方法としてアドラー心理学で生きること、アドレリアンとして生きることを決めたのです。

自分の身近な人を幸せにすることで自分も幸せになる。

とてもシンプルな生き方です。

このページを読んだあなたが幸せを手にするためにアドラー心理学を学ばれることを願っています。

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