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アドラー子育て

アドラー子育て

「民主的理念に基づいた新しい育児法」

溢れる子育て教育の情報ーどれを選んだらいいのか?

子どもに関する問題は増え続けその内容も年々深刻化しています。家庭や学校のみならず地域でも私たち大人たちは常に頭を痛めています。
私たちは今までのやり方では通用しないことを感じているのですが、だからといって他にどんな方法があるのかわからないのです。

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近年アドラー心理学が子育てや教育で注目を得ているのは、こうした混沌とした時代でも通用する子どもに対する明確な指針があり、子育てや教育の拠り所となって効果が認められるからに他なりません。

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アドラー心理学の子供対応は一貫性があり、合理的であり、かつ有効性が認められるのです。それはアドラー東北に足を運ばれアドラー心理学の子育て法を学ばれた方たちの多くが、子育てや教育現場での悩みから解放されていることからも明らかです。

アドラー東北で開催しているアドラー心理学をベースにした子育てセミナーSMILEには、お子さんの様々な問題行動、不適切な行動に悩んで来られる方、不登校や引きこもり、反抗、思春期の悩みなど様々な問題を抱えた親や教師の方が受講しにいらっしゃいますが、いずれもSMILEを学ばれ実践されることでその悩みから解放されています。

根拠があり一貫性があり合理的な子育てでありながらその根底には親や教師が子どもにしてやれる最大限の愛情を持ち合わせているのがアドラー心理学の子育て法です。
ぜひ多くの親御さん、教師の皆様にこのアドラー子育て方法を知っていただきお子さんをめぐる悩みから解放されることを願っています。

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「どういうお子さんに育ってほしいのか明確になっていますか?」

目標のない子育ては目的地のない航海であり、だからこそ風任せ波任せになりがちであるとアドラー東北では考えます。

あなたがどういうお子さんになってほしいのか明確に目標を持っておられ、その子育ての目標に添って日々の子供対応をしておられるのかどうかは大事なポイントです。

「優しい子に育ってほしい」といいながら毎日ガミガミと子どもを叱っているのでは到底優しい子供には育ちようがありません。
「コツコツとまじめに努力する子どもになってほしい」といいながら親が日々を適当に過ごしているのであれば、そういう子供にはなりようがないのです。
もちろん反面教師という事もあるかもしれませんが、ほとんどの場合に子どもは身近な大人をモデルにして他者対応を身に付けて行きます。
あなたの毎日の行動があなたの目指す子どもの在り方にとって有効なのかどうなのかといった検証は常になされなければなりません。

「親の悩み・子どもはわがままなもの?」

私たちは時々子どもたちに手を焼いてしまいほとほと嫌になってしまうことがあります。いつもどんな時も子供たちの目に余る行動や不愉快な態度は当たり前に目にします。

家族そろって楽しく過ごそうとして来た場所で、家族全員が心から楽しそうにしていることはほとんどありません。疲れを知らない子供たちに振り回され疲れ切った親たちは不機嫌になり、いつまでも終わることのない子供の要求に最後には根負けしてしまいます。

予定より多くのお金を費やしたり、人前であることもかまわず大声で叱ったりします。

すねたり物をねだったり大きな声でわめいたりする子ども、そしてそんな子供たちを相手にする親たちのうんざりしたような声や、怒りの声、イライラをあらわにした声が大勢の人の集まる場所では必ず聞こえてきます。

家の中ではさらに子どもたちは協調性を欠き、家の手伝いはせず騒々しく騒ぎ立て自分勝手で乱暴な言動をとったりします。親や年上の家族を平気で馬鹿にしたり親に対して口汚い言葉を吐き、私たちもそれに反応してしまうのです。

そんな子供たちをどうしたらいいのか、私たちは迷うばかりです。大人たちはなんとか説得を試みたり罰を与えたり、なだめすかしたり、あるいはご褒美を与えることで何とかして子どもを正しい方向へ導こうとします。
こういう事の繰り返しを経て私たちは「子どもとはそういうものだ」という当たり前のことという感覚を持ってしまっているのです。

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「子どもの問題について解決策が何ら提示されないこと」

学校においても多くの子供たちの問題が起きています。学習に対する責任を放棄してしまっていたりし、教師は親に対して子どもが宿題をきちんとしてくるようにと要求します。けれどもどうしたら子どもたちが素直に宿題をやるのかについては伝えてくれません。

新聞や雑誌、インターネットでは様々な問題を起こした子どもたちの記事があふれるばかりです。最近では特に子供の問題行動の低年齢化が叫ばれています。親は子どもをきちんと監督すべきだという声はありますが、どうしたら禁止できるのかといった具体的な方法は何も提示されません。

いずれにしても子どもの問題に対しての解決策は何ひとつ示されてはいないのです。

親たちはますます途方にくれ困り果てるばかりです。彼らは自分の子供をあくまでも子どもらしく従順で幸せに育てたいと思っているのですが、出来上がった現実はのべつ幕なしに不平不満にあふれ退屈で不幸で親を親とも思わない反抗心の塊のような子どもたちばかりであり、重度の不安におびえている子供たちの数も増える傾向にあるそうです。

親たちも教師もこういった現状を打開しようと必死に勉強会等に参加したりするのですが、情報があふれるばかりで成果が見られず涙ぐましい努力はなんら報われていません。

一体今私たちに何が起こっているのでしょう?

「民主主義の意識が対人関係にも影響を及ぼし始めた」

現代という流れの中で民主主義の意識が広まるにつれ、私たちは人として対人関係の上でも平等であるということを私たちは少しずつ認識するようになりました。つまり民主主義は単なる政治の理念ではなく一つのライフスタイルであるという考えが人々の間に浸透してきたのです。
時代は急速に変化を遂げているのですがほとんどの人はこの変化に気が付いていません。社会全体の空気を変え従来の育児法を効果のないものにしてしまったのは主にこの民主主義のなせる技と言っていいでしょう。

すべての人が平等な社会では人が人を支配することは許されないのです。平等とは一人一人が自分の力で物事を決定することを意味します。
一般社会では次第にこの変化を遂げてきましたが多くの人々はそのことを意識しながらその変化の意味を正しく理解してはいませんでした。

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「子どもと大人は対等である」

子どもが社会的には自分たち大人と対等であることに気が付くとたいていの大人はひどく戸惑います。「そんなことがあるものか」と思うのです。

知識や経験や能力が台頭であることと平等であることは違うのです。これは大人同士に関しても言えることであり「平等と画一」とはまったく別のものです。平等とは個性や能力の差に関わらず誰もが同じ人としての尊厳と誇りを持っていることです。私たち大人が子どもより優れているという思い込みは私たちの文化背景から生まれたものです。

つまり人は持って生まれた家柄、財産、性別、年齢、知識の有無などによって優劣をつけられる、という考え方です。個人や能力や特性によって他人より優位に立ったり支配的な立場に就くことは不可能と思われていたのです。

また大人が子どもより優れているという思い込みを支えている要素はもう一つあります。私たちは内心ひそかに自分自身の価値に対する疑いを抱いており自分は理想の人間像には程遠いのではないかという不安に駆られているのかもしれません。そうして絶望のあまりに子どもを比較の対象として自分の優越性を確かめようとするのです。
ところが実際子どもはしばしば私たちの思いもつかない素晴らしい可能性を秘めていることがありいとも簡単に大人を追い抜いてしまうことがあります。平等に対するこのような考え方は知らず知らずのうちに私たちの文化の中で培われてきたものですがまだ十分に理解されていません。

子どもは社会情勢に対して特に敏感です。彼らは自分たちも大人と同じ権利を持っているという考えにいち早く飛びつきました。彼らは自分たちが大人と対等であることに気づき、かつての独裁社会に存在していた支配者と非支配者という関係をもはや受け入れようとはしなくなりました。

親たちもまた子どもが自分と平等の存在であることに漠然と気づきはじめ「黙っていう事をききなさい」式の強制的な子育ての方法を緩めるようになってきました。そのいっぽうで大人たちは子どもを民主的な社会生活へと教え導いてくれる民主的理念に基づいた新しい育児法を探しあぐねています。こうして私たちは現在の悩みに直面することになったのです。

「自由と責任の理念」

支配者対非支配者という独裁的上下関係から平等な民主的関係へという社会背景の変化をいち早く察知したのは教育者でした。

彼らは民主的関係の実践を心から目指していました。しかしながら民主的理念の実践は世間一般の混乱を招くことになりました。その結果私たちは時として勝手気ままで無秩序なふるまいを民主主義と取り違えるようになったのです。民主主義とはなんでもかんでも自分のやりたいことを自由にできることだと思い込んでいる人が少なくありません。

そして子供たちは何でも好きなことをする権利があると思い込み制約を嫌うようになりました。しかしこれは好き勝手というものであり、真の自由ではありません。

家族の一人一人が自分のやりたいことを勝手気ままに主張することになれば家庭は暴君のたまり場になり、無秩序がはびこることになります。諍いが絶えず家族関係に亀裂が生じ、やがては深刻な家庭不和に陥ることになるでしょう。このような不和の状態が続くと激しい緊張関係から家族間には警戒心や怒り、いらだちや不調、社会生活にとっては望ましくないあらゆる要素がはびこるようになります。

自由は確かに民主主義の重要な一要素です。が、まず他人の自由を尊重しなければ自分の自由を得ることはできないということにほとんどの人が気づいていません。自由を享受するためにはまず隣人の自由を保証しなければならないのです。すべての人々が等しく自由を得るためには一定の秩序が必要です。そして秩序にはある程度の義務や制約がつきものなのです。

また自由には必ず責任が付きまといます。私たちは秩序を守ってこそはじめて自由になることができるのです。この秩序は専制君主が自分の利益を守るために人々に押しつけたものとは違いすべての人の利益を守るために私たち一人一人が築きあげたものです。

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