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プロフィール

プロフィール

アドラー東北代表ご挨拶

どんな時もどんな自分も「好き」と言えたなら、大概の事は乗り越えられる!!

「自分が好きと言える幸せをあなたにも持っていただきたい」

「自分が好きになれない、他者とうまくいかず、自分がますます嫌になるという経験を積み重ねているあなたへ。」

「それは、かつての私です。」

同じように今
「人間関係に悩んで困っている、人とうまくやれないと感じている、人間関係で疲れ切っている、自信を無くしてしまっている、そんな自分が好きになれないというあなたがいつでも足を運ぶことができ、自信を取り戻せ、自分は自分でいいと思える場所を東北に作りたい」

かつての自分のように人間関係で悩んだり、苦しんだり、疲れたりして、自分を嫌いになっているあなたのお役にたちたい!

アドラー心理学を学ぶ中で自らセミナーを始めたきっかけは、そういう思いでした。

はじめまして。アドラー東北の高橋直子です。HPをご覧いただきありがとうございます。

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「先生はなぜアドラー心理学を学ぼうと思われたのですか?」というご質問をよくいただきます。

わたしの答えはいつも決まっています。

「自分が好きになりたかったからです。」と。

他者とのトラブルは若いころから結構ありました。
自分は自分でいいと強がっていても、これでいいのか?と自分に問うもう一人の自分がいつも私の中にいました。

そして、冷静になって考えてみるといつも「私は自分の事が好きではないんだな」ということにいつもたどり着いていました。

「自分が好きになる」ことは長い間自分の課題として自分の中にありました。
いつかこの課題を克服したい、自分が好きと胸をはって言える日が来ればいいと思っていました。

そんな中、40才後半を過ぎて今までにないほどの大きな人間関係のトラブルに巻き込まれてしまいます。

今この課題をクリアしておかなければ・・と思いました。
必死に情報を探しました。

そしてようやくアドラー心理学にたどり着いたのです。

私は自分の頭の後ろに「セルフモニタリングシステム」がついているとよく言われていました。
自分のことを第三者として冷静に見ている自分がおり、自分の行動や気持ちがよく見えています。

それは他者についても同じです。

アドラー心理学を学ぶ前には自分の嫌なところばかり見えていました。
当然ですが、他者の嫌なところもたくさん見えていました。

人は自分が「嫌い」と思っていると「嫌いなところばかり」が目につき、「好き」と思っていると「好き」なところにばかり目が行く。

これは自分についても他者についても同じです。

人の良い側面に着目し良い側面を伸ばすアドラー心理学の考え方は、この私の「自分が好きと言いたい」という問題にジャストフィットしました。

良いところには目が行かず、嫌なところばかり見えているものですから
他者ともうまくいきませんし、自分の事もなかなか好きになれません。

とにかく他者の事は置いておいてもまず自分を好きにならなきゃ始まらないなと思っていました。

子どものころから「叱られる」ことばかりだった私は、駄目な自分にばかり目を向けてきたのです。これでは自分を好きになれるわけがありません。

「自分には欠点もあるがそれでもそういうところもひっくるめてありのままの自分が好き」

アドラー心理学ではこれを自己受容と言います。
自分には欠点もあるけれど、そういうところは直していく気持ちを持ったうえで、それでも自分が好きと言えることです。

「私は自分が好きではないのだ。」という自覚は30代後半ぐらいからぼんやりとですが自分の中にあったような気がします。

なんとなく他者とうまくやれないことには気づいていましたが、何が問題でどうすればいいのかがわかりませんでした。

「距離をとられている」と感じたり、「嫌いと思った人と決裂・断絶してしまったり」

自分の思考や行動について考えた時に、最終的に突き詰めていくと
「ああ、自分は自分を好きではないのだ」というところにたどり着くことは確かだなと気が付いたのです。

ですので「自分を好きになる方法」をずっと探していました。
そして40歳を過ぎてアドラー心理学に巡り合ったのです。

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30代からはかなり体調を崩して入退院を繰り返したのですが、考えてみると体調を崩したきっかけもすべて「人間関係のトラブル」が原因でした。

自分が負けるのが嫌だったのです。「負けることは自分の価値がなくなること」だと思っていました。

相手に勝とうとする時点でもう他者関係は「競争」に入っていますので、人と仲良くできるわけがないとアドラー心理学を学んだ今はよくわかります。

また「人生を他者との競争に捉えている」のですから、疲れるわけですよね。

人生は他者との勝ち負けではなく、共に生きることであるということもアドラー心理学に出会ったからこそ学べたことです。

自分が好きになれなかった長く苦しい40年にわたる私の人生は、アドラー心理学との出会いをもたらしてくれるためにあったといえるかもしれません。

「人生に無駄はない」、そして「勇気を失うことなく人生の課題にチャレンジし続けていられる」そんな自分をますます好きと言える。

今はそういう勇気づけのサイクルの中で皆さんにアドラー心理学をお伝えすることをさせていただいています。

あなたの人生はきっとあなたをより輝かせるためにあるのです。
どんな状況の中にある方にもそれは確信を持って私は言わせていただきたいと思います。

そしてあなたの人生を輝かせるのはあなた自身です。
アドラー心理学の学びを通して、自分が好きだと心から思え、自分を輝かせる方が増えていきますように、と願っています。

アドラー東北・高橋直子
1960年 岩手県奥州市生まれ 
岩手県立水沢高等学校卒・宮城学院女子大学英米文学科卒業 

「所持資格」
メンタルケア学術学会認定・メンタルケア心理士
メンタルケア学術学会認定・メンタルケアカウンセラー
ヒューマン・ギルド認定・SMILEリーダー
ヒューマン・ギルド認定・ELMリーダー&トレーナー
日本支援助言士協会認定・アドラー心理学カウンセラー・支援助言士・コミュニティカウンセラー

2007年よりヒューマン・ギルド岩井俊憲先生に師事

メンタルケア心理士・メンタルケアカウンセラー認定試験合格
日本ブリーフセラーピー協会「ブリーフセラピーベーシック」・基礎フェーズⅠ・Ⅱ・Ⅲ受講終了

ヒューマン・ギルドープレミアム会員
メンタルケア学術学会会員
日本ブリーフセラピー協会会員

腰痛患者さん支援ボランティア団体・グリーンライトネットワーク代表

*****影響を受けた人物・好きな本など*****

新田次郎氏・吉村昭氏・藤沢周平氏・山本周五郎氏ー歴史もの・山岳小説が好きです。

好きなことー1人でぼんやりしている時間・森林浴

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アドラー心理学で私が何を得・どう変わったのか?

「自分が好きになりたい」と思っていた私は、今思うと自分自身をよく理解できていませんでした。

「なんとなく距離をとられているな」とか「嫌われているようだな」とか「人との関係が続かないな」とか感じておりはしましたし、また相手に対して「自分が正しいと感じたことをストレートに伝えることは良い事、仕方がない事。」であると思ってもいました。

他者とうまくいきませんので、いつの間にか孤立、または理解を得られるのにとても時間がかかったりしていることは気が付いていましたが、そういうものであると思っていました。

まずアドラー心理学を学び始めて最初に体験し、びっくりしたのは「勇気づけ」られることでした。

何とも言えず不思議で自分の内側からじわじわとエネルギーが湧いてくるような心地よさ、気分の良さを感じました。
ワークを通して自分がほとんど勇気づけられた経験がないことも知りました。すなわち「勇気をくじかれ続けて今の自分があること。勇気を持てないまま今の自分がいることに気が付きました。」

「自分を勇気づけた人たち」というワークをセミナーで受けた時、皆さんがスラスラと勇気づけられた記憶を思い出しているのに私は一人も思いつきませんでした。

今でも過去を振り返るとその状況はかわりませんが、今は自分がアドラー東北の活動を通して他者や自分を勇気づける場を作っていますので、多くの仲間と勇気づけあいながら自分の人生を歩むことができています。

次にアドラー心理学で知ることができたのは「人と人とは人間として同じ価値があり、横の関係を築くことが大事である」ということでした。

教職にいた私はどうしても「教える」という習性に走る傾向があり、そのため言葉の伝え方も態度も上から目線であったのだなと思います。

そのため「課題の分離」もできておらず、「わからないなら教えなきゃ」とずかずかと他者の課題に踏み込んで、相手にとっては「指導」「命令」「指示」に取られても仕方がないような伝え方をしていたことにも気が付きました。

自分の課題と他者の課題をきっちり分けられるようになり、むやみに他者への介入をしなくなり、自分の抱え込みがグンと減りましたので、気持ちがとても楽になりました。

また「自分が正しい」ということや「厳格である」「完璧である」ことにこだわる傾向が強く、自分の価値観を大事にするあまり、人間関係をよりよい方向にすることを後回しにしていたことにも気が付きました。

「正しい事」「厳格であること」「完璧であること」は、人を寄せ付けない鎧を私に身につけさせており、そのため他者関係を「遠ざける」作用を及ぼしていたようです。

自分の価値観を後回しにして、他者との関係をよりよい方向に優先するようになってからだいぶ他者関係の改善がみられるようになりました。

その際「行為と行為者を分けて考えること」が大事であることも知りました。

それまでの私はある人の嫌な部分を見るとその人全部を否定していました。ですから付き合える人がほとんどいなかったのです。

それをやめることを決めて、その人の嫌な部分はその人全体のわずかな一部分であることを認めるようになりだいぶ他者への許容範囲が広がりました

次に自分が感情を使いがちであることも他者との関係を悪くしていたことに気が付きました。

特に怒りの感情を使って他者を自分の思い通りにしようとしていることは、アドラー心理学を学び始めて初めて知りました。

その際にもやはり「自分が正しい」や「自分に間違いがあってはならない」などの価値観や私的論理が働いていることに気が付きました。

それで「怒り」を他者に向けず、その目的を考えるようになり、他の方法を使って伝えることを学びましたので、現在はほとんど怒りの感情を使う必要を感じなくなっています。

最後にライフスタイル分析から自分の「世界観」を知ることになりました。自分を取り巻く人たちについて、私は「他者を敵であり他者は自分を攻撃する存在である」と思っていることを知りました。

ちょうどライフスタイルが形成される時期に私はひどいいじめにあっていましたし、家族の雰囲気も子供のころからピリピリとしていましたので、学校でも家庭でも居場所のない時期を過ごしました。

もともとあまり積極的な子どもではありませんでしたから、殻に閉じこもることを自分の安全としてしまったことは、この世界観に気が付くまでまったく気が付きませんでした。

他者を敵であると思っていればすでに自分を守る壁があるわけですから、うまくいくはずもありません。

これも意識的に「他者は自分を攻撃しない、それどころか自分を支えてくれる仲間である」というように自分にとっての他者の存在価値をシフトしていくようにしました。

これらは一度に気が付いたわけではありません。
様々な人との触れ合いの中で共にアドラー心理学の学びを通して気が付き自覚的に修正していったのです。

時間はかかりましたが、誰に強制されることもなく、勇気づけられながらの自己改革でしたのでほとんど痛みも伴わず緩やかに自分を変えることが出来ました。

アドラー心理学に出会って、自分の人間関係はよりよく激変しました。抱え込みが減り、気持ちが軽くなり、穏やかな心で日々を過ごせるようになりました。
またどんなときも自分は自分でいいと思えるようになりました。笑顔の日が増えました。

アドラー心理学の学びはシンプルですが、実践には見守る仲間と仲間の勇気づけ、そして自分の人生を自分らしく生きるという決意と勇気が必要です。

そしてアドラー心理学は私たちのような一般の人たちの心の健康に役立つ心理学であることも知っていただき、自分の気持ちを楽にしていただいたり、他者と疲れない関係を築いていただいたりできることを知っていただきたいと思っています。

生きている限り人との関わりは避けることができませんので、人との関係に悩んだり苦しんだりすることもあるでしょう。

それでも、アドラー心理学実践の取り組み学んでいることでかなりそれを和らげることはできますし、知って使えることで自分らしく人生を送ることは可能であると思います。

アドラー心理学を学ぶことで自分を変えようとしているあなたを、仲間で見守り支える笑顔あふれる場を作りたい。

「自分も幸せになりたい」と思っていただける真剣で素敵な笑顔に囲まれて毎月・盛岡・仙台・郡山で勉強会やセミナーを開催しています。

自分の抱えていた問題

自分がアドラー心理学を学ぶきっかけになったことがらアドラー心理学を学んだことで解決できたことを書いておきます。

(1)自分が嫌いだということ
(2)他者との関係がうまく築けずどうしても相手に距離を置かれて親しくなれずにいたこと
(3)親との関係で親に認められていないと感じ、親を憎んでいた自分がいたこと

(1)自分が嫌いだということ
自分で自分が嫌いだということはうすうす気が付いていました。人とうまくいかないとき、トラブルに陥ったとき、自分は自分だといいながらも「やっぱり自分は駄目なんだな。根っこのところで自分が嫌いなんだな。」とどこかで感じていました。
今考えると勇気づけられた経験がほとんどなく、嫌いになる方法で対他者との関係を築こうとしていましたので、好きになれるはずがなかったことはよくわかります。
アドラー心理学に出会って、初めて勇気づけられることを知り、他者との関係も勇気づける方法に変えていきましたので、今はどんな自分でも欠点もあるけれど、自分が好きということができます。
これは、アドラー心理学を学んで自分が得た何よりの宝物だと思っています。

(2)他者との関係がうまくいかずどうしても相手に距離を置かれて親しくなれずにいたこと
これはアドラー心理学でいうところのライフスタイル(性格)を検証してわかったことなのですが、私は自分を取り巻く世界や人々を敵である、危険であるとみなしていたようです。
ですので相手を敵として対応し、危険だとして身構えていたわけですからうまくいかないわけです。
勇気づけを身に着けながら、自分を取り巻く世界は安全で、人々は友であり仲間であるという風に認識を徐々にシフトしていくことで解消できました。

(3)親との関係
不思議なことに私が親に認めてもらっていない、嫌われていると感じているのに親はまったくそのことにピンとこなかったようです。

それよりもむしろ子供を持てたことを幸せだと感じているようでした。
自分の意識と親の意識のギャップに気が付いて、親が自分を認めていないとか嫌っているとか、だから自分も親を嫌いだから憎んでやるとか感じていることが全くの勘違いであることに気が付きました。

それ以来親との関係も徐々にですが改善されていきました。

「親との関係が変わったきっかけはアドラー心理学」

「母は私という子供を持てて幸せだった。。」という驚愕の事実(私にとっては・・)を知ったのは40を過ぎたばかりのころでした。

そのころ私は岩手の沿岸大船渡に住んでいて、まだアドラー心理学にも出会っていなくて、主人の転勤について結婚後県内を転々とする生活をしていました。

子どものころから「母は幸せじゃない」というか「子どもを持ったことを幸せと感じている」とはどうしても思えなかったのです。

また父との関係も上下関係に思えて、夫婦なのに幸せなんだろうか?といつも疑問を覚えていました。

私は3人兄弟の一番上だったこともあり、家事や下の妹や弟の世話を含めて家庭内での私の役割はとても大きかったです。

中学に上がると、仕事や自分の好きなことのために家を空ける母の代わりに家事全般をやることが当たり前になっていました。

特に夏休みなどは一か月東京へ出かけていなかったりもしたので、その間自分の事だけでなく、家の事も全部私がやっていました。

勉強や部活や習い事のほかにです。

で、家にいる時の母はいつもため息をついていました。

そのため息は、忙しくて大変ということや、子供の世話にうんざりとも聞こえましたし、自分の思うとおりにならないことへのため息ともとれました。

私は私なりに一生懸命できることはやっていたつもりでしたが、できていないこと、できないことばかり突かれるので、ついつい反抗してしまい、大ゲンカになることもしょっちゅうありました。

小さい子どものころから甘えることも「気持ちが悪い」とはねのけられましたし、寒くて母の布団にもぐり込んで嫌な顔をされたりもありました。

何かを悩んだり困ったりしても「面倒は持ち込まないでほしい。そうでなくても忙しいのだから。」という顔をされました。

また父の機嫌を損ねることを大変嫌がり、それは父がとても強権的で感情的&暴力的なひとであったということで怖れていたので、なぜ機嫌を損ねた私たちの気持ちを推し量るとか察するとか、かばうとかいうよりも、「父の機嫌を損ねた」そのことで叱られたり、嫌な顔をされました。

こういう記憶しかないので、母が子供を持っていることに幸せを感じているなど夢にも思えなかったのです。

結婚後子供を積極的に持つ気持ちになれなかったのはこういう母との関係が大きく私の中にあったからでした。

もしも自分の子供を持ったとしても、母と自分の関係のようになるのも嫌でした。

また自分自身がどうしても子供を好きになれなかったこともありました。

離れて暮らしている快適な生活を続ける中で、母とも距離をとることができ、自分のやりたいことをやれるようになり、主人との生活を楽しんでいたそんな時にたまたまその出来事が起こりました。

40になってある雪の深々と降る日のこと、たまたま沿岸から実家のある内陸に用事で帰ることになり

駅前のバス停で母と待ち合わせました。

大雪のためバスが予定よりも2時間近く遅れて、母を寒い中でバス停で待たせていることに気が気でなかったのですが、顔を合わせた時母は、笑顔でした。

「なんだかうれしそうだね。」と聞くと

「あのね、お姉ちゃんを待っている間隣に立っている人にこういわれたの。奥さんなんだかとっても幸せそうだね、って。」

「へえ~。」

「だからこれから大船渡から娘が帰ってくるんですよ。それを待っているんですよ。って答えたの。」

「それじゃ幸せなはずですね。」と言われたんだそうです。

私はとても不思議な気持ちになりました。

「私に会えることが幸せ?子どもを持ってため息ばかりついていたのに、幸せ?」

その時のわたしにはどうしてもわかりませんでした。

そしてその何年後かにアドラー心理学に出会い「親の気持ち」と「子供の気持ち」のギャップを知ることになったのです。

子どもが時には憎しみという感情を持たざるを得ないほど親を求め愛を求めているのに、それを受け止めてくれなかった母。

でもそれでも母は私たちを持てて幸せだと感じていたという事実。。。

「親子の問題はこの気持ちのギャップ・擦れ違いにあること」

SMILEでこのことを学んだ時、私はわが意をようやく得たように思いました。

そのことをお伝えしたい気持ちもあってアドラー心理学を私は自分の仕事として選んだと言っていいと思います。

アドラー心理学を学び始めてわかったこと

私はアドラー心理学に出会ってからすでに8年になろうとしています。

アドラー心理学に出会わなければ今の幸せな自分はいなかったことでしょう。
学びを深めながら様々な気づきを得てきました。

一番大きかったのは、人生で初めて勇気づけられたことでしょうか。

今まで経験したことのない、内側からじわじわと力が湧いてきて、とても気分のいい感覚を味わいました。

その感覚が続きましたので、理由はよくわからないなりに学び続けて行きました。

その後自分のライフスタイルを知り、自分が周りの人々や世界を危険で敵視していることがわかり、徐々に修正をしていきました。

アドラー心理学ではライフスタイル(ほかの心理学でいうところの性格を指します。)は10歳ぐらいまでに形成され、それを使い続けると言われます。

家族の雰囲気

アドラー心理学でライフスタイルを診断する場合には、家族の雰囲気・出生順位・家族価値・早期回想という方法を使い診断します。

家族は子供が初めて経験する共同体です。

そこがどういう雰囲気であるかは、これから自分が関わっていくであろう共同体の雛形になります。

和気あいあいとした雰囲気の家庭で育てば、世界と自分を取り巻く人々は穏やかで安全なものになるでしょう。

また殺伐とした雰囲気の中で育てば、自分の周りは競争や戦いであると感じるかもしれません。

私の育った家庭は、常に親と祖父の間に闘争がありました。いがみ合い、時には大声を出して争っておりました。

子どものころの私は常に大人の間でじっと大人しくしている子供だったのです。それが一番の安全でした。

そしてありとあらゆることが父の決断で決められました。
自分の気に入らないことがあると大声で怒鳴り、厳しいバツが下されますので、母も父の機嫌を損ねることを極度に嫌いました。

そういう中で私の世界観は形作られていったのです。

出生順位

出生順位は共同体の中の人間関係をどう構築するかという方法の形成に関わる部分です。

私は三人兄弟の第一子です。
一番下の弟は、かなり離れて生まれましたので、年子の妹との関係が私の人間関係の結び方に深く関わっていると思います。

第一子は、常に第二子にその地位を脅かされていると感じていて、自分の地位を脅かそうとするものは、徹底的に打ち負かすという方法をとることを学んだようです。

家族の価値

その過程という共同体が大事にしている価値をさします。それがそのままその人の価値になっている場合もありますし、反面教師としてそうでない場合もありますが、おおむね親からの価値の刷り込みがそのままその人の価値になっていることが多いです。

私の場合には父の口癖が「くだらない」という言葉でした。
要するに誰かにとって価値があるかないか、それは私の場合には父でしたけれど、父の基準でこれは価値があるかないか、、が大事なことのように思っていたようです。

特に知的な生活というか、知的なこと、知識が豊富なこと、頭がいいことなどが大事な要素だったように感じています。

早期回想

これは早期回想のページに書いてありますのでそちらをご参照ください。

アドラー心理学では、10歳ぐらいまでの記憶をお話しいただいて、それが今のライフスタイルを反映していると考えます。

私のライフスタイルは長上者にたいするかなりゆがんだ考え、捉え方を表していました。

ライフスタイルが出来上がるちょうど10歳ぐらいの時に私は一年間ひどいいじめにあっており、先生や同級生や親の誰にも助けてもらえないという経験をしました。

こういう様々な要素を踏まえて私のライフスタイルは出来上がっており「他者は自分を攻撃する」「他者は自分にとって危険である」等の世界観や、自分は同年代の友人とは自分の立場が上の時だけOKであるという自己概念、そして私は知的でなければならない、それも完璧にという自己理想が出来たようです。

そして攻撃されないためには自分を守らなければならないと感じて、そのために「人の上に立つ」という選択肢を選んできたということがわかりました。

こういう他者関係においてあまりにもゆがんだ考え方にで生活しておりましたので、他者とうまくいくはずがありません。

非常にゆっくりではありますが、「この世の中は危険ではなく安全である」とか「他者は自分の友であり仲間である」と言う風に場面場面で自分の考え方を修正して今に至っています。

長上者が皆、私にとって価値がないわけではなく、暖かく支援してくださり見守ってくださる方がいるという風にも思えるようになりました。

ついつい以前の考え方や行動に戻りそうになっても、自分を客観的に見られるようになっていきましたので、建設的方向(自分にとっても他者にとっても良い方向)へ軌道修正することができます。

アドラー心理学を通して自分のことを知ることができたからこそこれはできたことでもあります。

「なぜ私は人とうまくいかなかったのか?」

今までの人生の中で、人とぶつかる度に私が感じていたこと、それは「私は自分のことが好きじゃないんだな~。」ということでした。

どんなに自分を肯定しようとしても、その考えは翻ることがありませんでした。

そんな中で、40歳を過ぎて大きな転機が訪れました。
いわば四面楚歌の状況に置かれたのです。
まさに孤立と言った感じの事態で、私は自分の存在そのものが脅かされるような不安にさいなまれました。

その時に思ったのは、「ここで自分が好きになっておかないと自分がつぶれる」という危機感でした。

そんなときに出会ったのがアドラー心理学でした。「自分が好きになれます。」という一言がきっかけで、東京のヒューマン・ギルドでアドラー心理学を学び始めました。

心理学も初めてでしたし、大きな渦に巻き込まれてい行くようで「勇気づけ」というのもよくわからなかったというのが正直な感想ですが、なんとなくセミナー後は自分の心が軽くなったり、晴れやかな気持ちになったり、むくむくとエネルギーがわいて来るのを感じました。

それでカウンセラー養成講座まで進んで資格を取得するなど大まかなセミナーをすべて終了し、その後の100時間研修まで終了しました。

そこでわかったのは、私は自分を取り巻く世界を嫌っていて、他者を敵とみなしており、周りは危険で自分を守らなければならないと思っていたということです。

特に自分の周りの長上者(立場が上とか年齢が上)の人に対しては自分を思うとおりにしようとしているというメガネで見ていることがわかりました。

また早期回想から、同年代の人ともうまくいかないという考えを持っていることがわかりました。

ほとんどの人に対して「敵」という認識を持っているというのですからうまくいくはずがありません。

その思い込みを少しずつ修正することができてようやく私は人との関係を良好に結ぶことができるようになっていったのです。

もちろんほかにも完璧主義であったり、特別な存在であることで自分をより良く見せようとしたりと様々な問題点がありました。

そういった自分の傾向を時間をかけて直していきました。その過程にはもちろんうまくいかないこともたくさんあったのですが、その時に私を救ってくれ、やり直そうと思えたのは、同じギルドで学ぶ仲間の勇気づけでした。

「どのように自分を変えていったのか?」

-アドラー心理学に出会って自分のライフスタイルを知った私ですが、特に自分の世界観を変えることができたのはとても大きかったように感じています。

ことで、特に年上の(立場が上も含む)人に対する大きな認知のゆがみを少しずつ修正することができたことはとても大きかったように思います。

もしも私のように自分の傾向を知って、よりよい人間関係を築く方法を知ることができれば気持ちが楽になる人はきっといるはずだと考えています。

アドラー心理学では、自分らしさを大切にしながら、他者と不具合を起こしている対立の行動パターンを、他者と協力していくパターンへと変えていくことで人間関係を良好に保つことができるようになっていきます。

アドラー東北では、他者を否定せず、「あなたがあなたらしさを大事にすることができる場であること」を最も大切に考えています。

アドラー心理学のセミナーを通してあなたがあなたらしく幸せに人生を送ることができる道のりをサポートさせていただきます。

アドラー東北のHPをご覧になり、自分の悩みを打ち明けてみようと思われた方、自分の人生と向き合う勇気を持ってくださった方・勇気を持ちたいと思われた方・自分の人生を生き生きと贈りたいと思われた方、幸せになりたいとお感じになった方に、心を込めてセミナーをご提供させていただきます。

私は、アドラー心理学を学んだことで人間関係を良好に築くことができ、自信が持てて救われました。。

アドラー心理学の枠にとらわれず、人間の幸福をトータルな視点からとらえた発信を心がけています。

現代は心の健康を予防する時代

アドラー心理学を通して体感・つながるうれしさを!

画像の説明

足を運んでくださった方の心が少しでも軽くなりますように。

そんな気持ちを込めてアドラー東北はセミナーを企画しています。

アドラー心理学を通して目指すのは「共同体感覚を持てること」

「自分が好きと胸をはって言えるように」
「他者は自分の友であり仲間であると思えるように」
「自分は他者のために何ができるかと考えられるように」
「協力へ向かって他者と共に歩めるように」

アドラーは、こういっています。
「人生は自分自身の人生を描く画家である。」

私たちには自ら人生を変える力があるのです。

どんな環境にいても、どんな人に囲まれていようと、失意の底にあっても、自信がなくなっていても、苦手な人に振り回されそうになっていても、立ち上り前を向いて進んでいくことができます。

アドラー心理学は私たちが自分の人生を自らの力で切り開いていく大きな助けになります。

それはあなたとあなたの周りにいる多くの人たちを幸せにするための地図なのです。

私たちは一人一人が自分の人生の主人公です。

ぜひアドラー心理学の考え方と生かし方を身につけて人生を軽やかに豊かに生きていきましょう。

今あなたが抱えている問題は、氷山で言えば海面上に出ている部分と言えると思います。

海の底に沈んで隠れているあなたが幸せであること・幸せを感じながら生きていけることで、海面上の問題はいつの間にか問題にならなくなっていきます。

アドラー心理学に出会ったことであなたの人生はきっと幸せな選択の連続になっていきます。一緒に学んでいきたいです。

あなたに、アドラー心理学をお伝えすることで勇気づけを知っていただき、幸せになっていただくこと

徹底的に「一般の方に」「少人数」で「わかりやすく」「安心して参加できる場の提供」「ユーモアとウイットに富んだ楽しいセミナーを通して一般の方へ、アドラー心理学をお伝えし、お1人でも多くの方を勇気づけ勇気づけることの幸せを知っていただき、ご自分も幸せになっていただくことを使命とします。

「一般の方に」
よく「心理学の知識が全くないのですが、参加できますか?」というご質問をいただきます。
アドラー心理学は「日常生活に活かしてこそ意味のある心理学です。」
ですので一般の方に学んでいただけることこそがアドラー心理学の良さを生かせる方法なのです。どうぞご心配なくお気軽に勉強会やセミナーにご参加いただければうれしいです。

「少人数」
―どの行事も5~10名前後の規模です。2~3名でのグループでの話し合いがメインになりますので初めてでも緊張なく参加できます。

「わかりやすく」
ー教員時代、学習塾時代の経験を活かし、わかりやすさには自信があります。

「安心して参加できる場の提供」
ー話したくないことは話さなくていい、その場に座っているだけでもいい、自分の気持ちをオープンに話せる、どんなことでも否定されない、安心して参加できる場の提供をしています。

「ユーモアとウイットに富んだ楽しいセミナー」

アドラー心理学では、人と人とを結びつける感情である喜びにつながる笑いとユーモアを重視しています。

アドラーの通訳を務め、アドラーから「マイ・サン」と言われていたW.B.ウルフは、『どうすれば幸福になれるか』の下巻第7章「訓練―夢、ユーモア、哲学」の「ジョークの精神力動」の部分で、「笑えば世界は君とともに笑い、泣けば君は一人で泣くのだ」という古いことわざを紹介し、「ユーモアは、文明人が孤独から自分たちの身を守るための最も重要な考案物」だとし、次のように書いています。

笑いとユーモアのセンスを養うことは、よい人生のためのすばらしい訓練である。自分自身と仲間の人を結びつけるためには、なごやかでユーモラスなパーソナリティを養うのが一番である。かなりの安心感と達成感を持っている人だけが、笑うゆとりがある。
勇気とよいユーモアは、よい人生のためのビタミンである。

一人でも多くの勇気づける人を育てる!

アドラー心理学では「幸福であること」を次の三つができている満たされていることとしています。

自己受容」-自分が好きだというどんな自分も認めて受け入れていること

「相互信頼」-お互いにどんな状況でも相手を信頼することができるということ

「貢献感」-自分が誰かの役に立っているという感覚

この三つのうち、土台となるのが「自己受容」です。自分が好きであって初めて自分も信頼でき相手も信頼できる。人のお役に立ちたいと思い、人のお役に立つことで幸せを感じることができるのです。

今日本で大きな問題となっているのは、欝をわずらっている患者さんが多いこと、そしてその結果として自殺者が非常に多くなっていることが上げられます。毎年三万人を超える人が自殺で自らの命を絶っています。

欝に陥られる方は、とても真面目で一生懸命なのですが「自己受容」に欠けています。自分を認めてあげることができない、自分が好きと言えない方たちです。

どんなに頑張っても自分について認めてもらえず、さらに足りない部分を指摘され駄目出しされるのが日本の教育です。100点満点が最初にあり、そこから不足した分を求められる教育です。

どんなにがんばっても、がんばっても、がんばっても、認めてもらえない

本人にとってはそれはとても辛いことであり、そういう状況で「自分が好きと言えない人間になる」のは当然といえば当然ですよね。駄目出し、すなわち勇気をくじかれてきた、その結果が今の日本の状況なのだと私は思います。

自分が勇気づけによって好きと思えるまでに、とても時間がかかってしまったこともあるのですが、これから先一人でも多くの自分を、他者を勇気付ける人を世の中に輩出していければいいなと、そんな思いで、この仕事をさせていただきたいと思っています。

そして「自分が好き」と言える人が世の中にたくさん出てきてくださること、勇気を持って行動できる人が増えていくことがこれからの日本に必要なことだとも考えています。

30代~40代に体調を崩したことをきっかけに体についてのアプローチを学びました。数度にわたる手術を超えて自分のあり方について深く学びました。

40代後半にアドラー心理学に出会って心のアプローチを知りました。他者との軋轢を繰り返す人生を自分の意志と努力で終止符を打つ決意をしました。

そして50歳を過ぎて心と体のつながりについて(人間は分割できない全体としてとらえる・全体論)アドラー心理学で自分の体の学びと心の学びがつながりました。

今まで自分の人生で経験してきたことがすべてつながったことがとてもうれしく感じました。そして心の問題が体の問題に比べてあまり問題視されておらず、アドラー心理学の学びを通じて自分の気持ちを大事にすることは自分という人間を大事にすることということをお伝えすることで皆様のお役にたちたいと思ったのがこの仕事をはじめたきっかけです。

日常生活のリズムや運動・食事・休養は体のケアとして大切ですが、やはりそれだけでは現代のストレスフルな環境は乗り切っていけません。

よく言われるように今はストレス社会です。ストレスケア対策として良好な対人関係を保つ学び、自分を見つめる学び、心の余裕を持つ学びや時間などが必要と感じています。
個人の生活様式と考え方、物の味方の癖はあなたという個人全体の健康にも深く関わっていると思います。

「自然のあり方」「個々の心地よさ」からみて「無理な部分」「不自然な部分」があると、なかなか心と体のバランスが取れません。

アドラー東北は、心のケアのみならず体の健康も視野に入れて、心身両面からのサポートを心がけています。

これから少し自分のことを書いていきますので、事前に私がどういう人間かわかっていただき、安心な気持ちでセミナーや勉強会に足を運んでいただきたいと思います。

アドラー東北・代表の性格

子どものころはどこにいるのかわからないぐらい他者の中にいると黙って居る子供でした。本を読むことが好きでしたので、小学校の中学年にはとてもロジカルに物事を考えるようになっていました。

感情を表に出すことを好みませんので、さっぱりしているとよく言われます。

普段からわりとのんびり屋で、コーヒーを飲みながら本を読んだり思索にふけったり、することが好きです。

文章を書くのもうまくはありませんが、好きですし、小学校の高学年から人前に立って話す機会が多くありましたので、緊張はしますが、その場になるとなんとかこなせます。

何か新しいことを企画したり、それを行動に移すことが好きです。

「必要を感じたら誰かがやってくれるのを待つよりも自分でやってしまおう」と思う方です。

感情を表に出すと叱られましたので、自分の感情を説明することが苦手でした。同様に、他者にぶつけられるのもとても苦手でした。

自分でそれらを使わないようにしていることにアドラー心理学を学び始めてから気が付き、丁寧に自分の感情に向き合うようになりました。

子どもの頃親に、「感情を表に出すことはよくないこと」と言われ続けていた(価値観の刷り込み)のが習慣になっていたようです。

アドラー心理学をお伝えするようになると、自分が感情について無知であったことは、他者理解に欠けるところがあったのだなと気が付きました。

他者の感情について丁寧にお話をうかがって理解しようと努めることで、感じたり、理解できるようになりました。

そのうちにアドラー心理学の長い学びを通して、''I am OK.You are OK.''という立場で、相手のどんな気持ちもOKであると受け止めることができる寛容さを身につけることができるようになったと思っています。

アドラー東北・代表の経歴

1960年岩手県奥州市に生まれました。
3人兄弟の長女で父も母も教員です。母方の祖父と同居していました。

岩手県立水沢高等学校卒業まで地元奥州市で過ごしました。
仙台の宮城学院女子大学英米文学科を卒業後、盛岡で中学教員として勤めた後地元に戻り受験業界に転身しました。

28歳で結婚後、盛岡で受験のための学習塾を主催していましたので15年間この業種で受験生を対象とした試験対策に携わっておりました。

この経験により、「わかりやすく」、「相手に合せて視点を変えて一つの事を伝える方法」を身につけることができたと感じています。

一方で学生時代はスポーツも何でもこなすぐらい健康だったのですが、社会人になってから、体の不調がどんどんひどくなり、結婚後生活環境が変わったことでさらに体調が悪くなっていきました。

30歳になってすぐのころから様々な症状が出始めました。
最初は寒い春先に肋間神経痛の発作が起き、転げまわるほどの痛みを体験しました。その後は初めて腰痛になり、痛みのために2週間寝たきりになりました。
また卵巣に腫瘍ができていて一か月の入院・手術等、病院へ行かない日はないほど症状が次々と私に降りかかってきました。
ようやく症状とその治療が一段落したのは34歳ぐらいのときだったと思います。

自分でも何かをしないではいられない気持ちで、たまたま地区に教室があったヨガを始め、その先生から中村天風氏のお話をうかがい、心の持ち方についての勉強と食についての学びを得ました。

今考えると加速度的に色々な症状が悪くなったのは、ご近所との対人関係のトラブルがきっかけだったのですが、そのときにはそのことは自分の中で結びつきませんでした。

軽い運動を心がけ、早寝早起きで日常生活のリズムを整え、サプリ等も併用して徐々にその後は体調が良くなっていきました。

その後何年かは症状とは無縁で体調も良く仕事もうまくいき、このままいければいいなと思っておりました。

ところがその5年後教員である主人の転勤で盛岡を離れなければならなくなり、仕事をやめることとなり、また新しい土地で一からの出直しとなりました。

転勤の前年に主人の地元に自宅を新築したばかりでしたので、貯金も使い果たしておりましたし、転勤先の家賃と家のローンで二重に生活費がかかり、しかも仕事を私はやめざるを得なかったのですから経済的にも大変な時期でした。

二重生活に伴う週末の移動も大変でした。岩手は東北線沿線から外れると本当に不便で、新居と普段の居住地は山越えの1時間半。

そんな生活が5年続き、また腰痛をはじめとする様々な症状がひどくなってきました。

若いころからぜんそくの兆候はあったのですが、ここにきて再発し、アレルギーもひどくなって夜眠れなくなりました。常に目と鼻の症状に悩まされ、盛岡まで4時間かけて専門医にかかったりと大変でした。

そんな中でもやはり新しい土地での人間関係のトラブルは多々あり、孤立無援に感じたこともありました。

自分は間違っていないのにどうして私が悪いことになるの?という気持ちでおりましたが、体の症状のほうに気持ちが行っておりましたので、その解決に乗り出すところまでは行きませんでした。

ようやく転勤の辞令が出て地元に戻ることができたのは6年後でした。様々な症状は相変わらず続いておりましたし、特に腰痛は相変わらずひどく下肢症状まで出るようになっていました。

何かに頼っていては根本的な解決にはならないと思っていたところ、
ある情報で「腰痛は心身症である。」ことを知りました。

すなわちストレス症状であるということです。これは私にとっては大きな気づきでした。

ストレスー対人関係トラブルとようやくここで自分と他者の関係性についての線がつながりました。

そういえば私は人に対して怒りを感じたり、それを我慢したり、最後にはぶつかったりしてきたな~と気が付きました。

そして他者との関係を顧みると、結局のところ自分が間違っていないと主張すればするほど他者との距離が離れていき、その結果として親密な他者との関係が築けずにいたこと。

根っこはどこかを探っていくというと「ああ、私は自分が嫌いなのだ。」ということにようやくたどり着いたのです。

私がアドラー心理学を知り、ヒューマン・ギルドへ通い始めたきっかけがこのときで、すでに47歳になっていました。

40歳後半になりアドラー心理学に出会い50歳にしてやっと「自分には欠点もあるけれどそれでもやっぱり自分が好き。」と心から思えるようになりました。そして自信を持って「自分は自分でいい」と思いながら他者を認め良好な関係を築くことができるようになったのです。

それにともない対他ストレスが激減しました。

もしもアドラー心理学に出会わなければ、いつまでも自己肯定できずに「自分は正しい」と思いながら他者との軋轢を繰り返していたに違いありません。

「私は穏やかに話すという方法で自分の気持ちをわかってもらう努力があることを知らずに、他者に理解してもらおうとすることをあきらめていた」ということは今はわかります。

アドラー心理学を学び始めたころ、私はかたくなに人との関わりを拒んでいました。

どうせ話しても、、、

「わかってもらえない」
「理解してもらえない」
「誰も味方になってくれない」
「わかりっこない、無駄なんだ。。。」

そんなことを感じていたのです。思い込んでいたと言っていいと思います。

そう感じていることが、他者に対して、威圧的にでたり、説得にでたり、怒ったりという破壊的な行動に走らせていた、と今は理解できます。

自分が上にいないと自分の存在価値はないと思い込んでいたのです。

話すことをあきらめるー子供は親との関係から他者との対応を学んでいきます。

いわゆるアドラー心理学でいう一番最初の社会という共同体は、家族です。

家族の中で、大人への対応を通して年長者にはどうあればいいのか?・兄弟への対応を通して同年代や年少者にはどう対応すればいいのか身につけていきます。

私の場合には年長者が支配的・威圧的であり、自分の意見や事情を聴いてもらう、受け止めてもらうなどが一切ありませんでした。
(家族の雰囲気)

同年代は年子の妹がいましたが、おとなしい子であり、話し合うという関係ではなく、同年代ともそういう関係を学べなかったと思います。

そういう中で、言っても無駄なので初めから考えないーすなわち私は「自分の気持ちに無頓着になることで自分の心を守ってきたと言えるかもしれません。」

自分の気持ちにも無頓着ですので、当然他者の気持ちにも無頓着です。

他者を傷つけるということは、自分を傷つけること。

アドラー心理学の学びを通して、年長者や同年の人たち、年少者に対する自分のゆがんだ考え方を修正することができました。私の場合には特に自分より上の人たちに対する見方がかなりゆがんでいたと思います。

年長者が皆、父や母や祖父のように力で自分を押さえようとはしないのであるということ。それどころかそうでない人の方が多いのであるということ。(他者は仲間であり友であるということ。)

一方で
自分の主張をしても他者を傷つけずに済む方法や失敗のパターンを乗り越えより良い行動パターンを身につけることで格段に生きることが楽しく、楽になりました。

学びを通じて「私と同じように自分が好きになれず、我慢して爆発したり苦しい思いをしたり、人生が生きにくく感じている人のお役に立ちたい。」と強く思うようになりました。

また「勇気づけ」を通して、自分の行動を変えるには「勇気」が必要であり、私にとってそれを与えてくれる場所がヒューマン・ギルドであったように、東北にもヒューマン・ギルドのような場所を作りたいと考えたのがアドラー東北です。

「自分を変えるのは大変じゃない?」「時間がかかるんじゃない?」「難しそう。」「私にできるのかしら?
とそんな風にお感じになる方もおられるかもしれませんね。

でもその変化の過程は全く辛いものではありませんでした。なぜなら他者に勇気づけられているうちに、また自分が他者を勇気づけているうちに自然に変わっていったからです。

またアドラー心理学でいうところの自分を変えるということの意味は、自分が以前から持っている特性を建設的に使用する方向へ変えていく・または他者に対して自分がしていた反応や行動を別のやり方に変えるということなので、外から別なものを新しく付け加えるとか、自分にないものを他から持ってくるということではありません。

アドラー心理学の対人関係法を学ぶことでまさにありのままの自分でありながら格段に生きることが楽になるのです。

東北の方たちは「多くを語らず」「我慢強く」という傾向が特に強いように感じています。

「黙って従う」ことは自分に我慢を強います。
そのほうが楽であるかもしれません。
主張をするには「勇気」がいるからです。

相手を不愉快にせずにNOが言えたり、自分の意見が言えることができるようになると、もしかしたら嫌われるかも、仲間外れにされるかもといった不安は少しずつ杞憂に過ぎなくなっていきます。

「多くを語らない」のは一つの長所でありますが、その裏側に「我慢」があったり「自分の抱え込みが増えている」という状況があるとするならば、それは対応を変えていくことができます。

「我慢強い」も素晴らしい長所です。しかしながら自分がそうしたくてそうしているのではない場合も多く見受けられ、それは自分にとっては決してやさしいとは言えず、自分に優しい選択をする方法を考えるきっかけになります。

「多くを語らない」「我慢」をすること、自分の中にたくさんの口に出せない思いをため込むことで心身のバランスを崩してしまい辛い思いをなさっておられる方がアドラー東北のセミナーには多く足を運んでこられます。

かつての自分を見ているように感じるのです。

どこかに「言っても無駄だ。。」という強固な思い込みがあり、それはこれまでの経験から培った自分を守るすべでもあるのだと思います。
それがアドラー東北のセミナー会場ですべて崩れるのです。
私をはじめ、その場に集う人たちはみな黙ってあなたの話に耳を傾け、否定せず、寄り添ってくれます。

そして「辛さ」を我慢しなくても自分にできること・方法はあるのだということを学ぶことができます。

アドラー心理学の学びをお伝えしながら、そういう個人の実生活で気持ちが楽になる勇気づけをたくさん学べる場を提供させていただいております。

ユーモアとウイットに富んだセミナーが好評です。

セミナー会場はいつも笑いに包まれています。そして時にはお1人の話を真剣にみなで耳を傾け「この人のために何かできることがあるだろうか」と考える場になっています。

誰かに指摘され嫌な思いをすることなく、自分で自分の行動パターンに気が付き自分の意志で変わって行けるのは「アドラー心理学」が「勇気づけの心理学」だからです。

自分のライフスタイル形成に関わる出来事の振り返り

私がなぜアドラー心理学を学ぶことになったのかはおわかりになったと思います、そして勇気づけをお伝えしたいという気持ちも理解していただけたことでしょう。
私のライフスタイルの何が一体問題だったのか、中学ぐらいまでの振り返りで検証してみます。

小学校前半まで

小学校の中学年までは本当に目立たない大人しい子だったと思います。

教室でもほとんど発言をしないのでいるのかいないのかわからないほどでした。成績も特に良いわけでも悪いわけでもなく、取り立てて特徴のない子どもだったと記憶しています。

今思えば「自分の気持ちを伝える」ことをこのころにはほとんどしなくなっていて、だんまりのほうが自分が傷つかなくて済むから自分を守りたかったんだなとわかります。

発言を促す先生・発言しない子供はダメな子供・発言の活発な子をみんなの前でほめたたえる先生・私はダメな子供・そんな風に感じていました。

一度小学校2年生の冬休みに、三学期で習う掛け算九九を父に覚えてしまうように言われ、クラスでほかの誰よりも早く到達のグラフに記入できたときも、先生には認めてもらうことよりも、洋服の汚れを指摘され、うれしさはほとんど感じることなく、私はやっぱりダメな子なんだ、とその時も思いました。

クラスの活動的な子たちがキラキラまぶしく、自分の居所はここでいいんだろうかと感じていました。

褒められて伸びた小学校中学年

私の最初の転機は小学校4年生のときに担任の先生から褒められたことがきっかけでした。

ある日教室のゴミを何気なく拾ってゴミ箱に捨てたのですが、それを見ていた先生がすかさずみんなの前で私のことを褒めてくれました。みんなに拍手されてとても恥ずかしいと同時にうれしかったことを覚えています。

また読書感想文を書くことを勧めてくださったのもこの先生でした。その感想文がなんとコンクールで入賞してしまったのです。その学期の国語の通知表には人生で初めて「5」がついて、そして先生からの通信欄には次のように書かれていました。

「筋道を立てて物を話す能力は右に出るものがいないほど素晴らしい。」

そのころの経験をきっかけに少しずつですが、積極性が出始めて成績が良くなっていきました。それと同時に学級の役員や学校の役員などを担うことも多くなっていきます。

一方学級内での友人たちとの付き合いはどうかというと、私が相手の言葉に過敏に反応して泣いてしまったり、怒ってしまったり、どうも自分の気持ちをうまく伝えることができないのはそのままでしたので、口を聞かなくなってしまったことは多くあり、うまくいっていたとは言えないと記憶しています。

友人たちは付き合おうとおもってくれていたと感じているのですが、私自身が些細なことにムッとしてその場からいなくなってしまったのです。

「あんたなんか相手にしない!」
なんだかすぐにプンプン怒るので、キッと、同級生たちは、わけのわからない子、ときっと思っていたに違いありません。

田舎のことですので、幼稚園から高校まで一緒という人たちもいたので、一緒に遊んだり話したりはするのですが、あくまで幼馴染の延長で、特別親しく付き合いという友人もいなかったように記憶しています。

家のことについては後ほど書きますが、テレビ番組ひとつとっても自分で選ぶことができませんで、すべて親に管理されていましたので、級友たちと話題も合いませんし、話に加わることが出来ませんでした。

ライフスタイル形成に関わる出来事・小学校高学年

そんな学校生活の中でもうひとつの転機が訪れます。小学校の5年生のときに壮絶ないじめにあいました。

クラス替えがあり、大好きな先生とも離れてしまい、不安で一杯の5年生がスタートしました。その新しいクラスメートたちの中にとても乱暴な男の子たちが何人かいました。

言葉も態度も乱暴で、私を始めとして言い返さない女子何人かをターゲットにして徹底的にいじめるのです。難癖をつけて、反省会でつるし上げられたり、棒でたたかれたり、言葉のいじめもひどいものでした。

毎日学校で泣いて、それでも我慢しての日々が続きました。彼らは面白がっていたのです。何をしても大丈夫と思っていたのでしょう。

親に言うことなど考えもしませんでした。なぜかというと彼らと自分の父親が私の中では同じ人種に思えたからです。もし何か言っても、怒鳴られたりよけいたたかれるだけ。話なんか聞いてもらえない。自分はジッと堪えるしかない。

母はどうかといえば、そんな父の不機嫌をかうことを一番恐れている人でしたので、もちろん話せるわけがありませんでした。誰にも助けを求められないまま一人でほぼ一年間耐えました。今も教室に怖くて入れず、先生が来るのを階段で待っていた私の姿が目に浮かびます。

勉強どころではなく、どうやってその日の自分の身を守ろうかとそればかり考えていました。いろいろと体の不調を訴えてずる休みも何回かしました。

案の定その学年の成績はがた落ちで、特に二学期の成績はひどく、冬休みに入って学校へ行かなくて済むと思った私に今度は父の特訓が待っていたのです。父の怒りはすさまじいもので、朝から晩までつきっきりで勉強を強いられました。家にいても休まることはありませんでした。

「成績がなぜ落ちたのか?」よりも「成績が下がった。」ことのほうにのみ親は関心があったのです。理由も聞かれませんでしたし、もし聞かれたとしても言っても分かってもらえないと思っていた私には多分話せなかったと思います。勉強を見てもらいながら「なんでこんなことがわからない?!」と頭や顔をたたかれました。

本当に辛い一年でした。

人よりもさらに上へ!を目指した中学

6年になりそのままクラスは持ち上がったのですが、本当にいつの間にか自然にいじめはおさまっていきました。それでも私はどうしても彼らには苦手意識が取れず最後まで怖いという思いを拭い去ることができませんでした。

私が学級委員長になったり、英語を習い始めたり、ガールスカウトの活動に参加したり、私と他の子との違いを感じ始めた頃から彼らの態度は変っていったように思いました。またスポーツなどでここぞというときに私が活躍することが多かったので、そういう部分を認めてくれることもあったように思います。

彼らにとってようやくこの頃に私は「評価」の対象になったといえるのかもしれません。

私はこの経験で「どんな方法でも人よりもすぐれた結果を出すこと」「人と違った立場に立つこと」が自分の身を守る術だということを学んだように思います。

その思いと行動は中学に入ってからどんどんエスカレートしていきます。

中学に入り、私の行動範囲はますます拡大していきました。

学級での役員を始めとして生徒会の役員、学校内の放送局のアナウンサー、クラブ活動ももちろん、様々なコンクールの学校代表として選ばれることが多くなっていきます。

特にコンクールの出場は、人前で話すことのトレーニングとなり、どんな大勢の人の前でも話せることで大きな自信となりました。

常に人よりも上にいることが当たり前になり、回りも当然という目で見るようになって行きました。それを苦痛とも思わず、やれることはどんどん自分から引き受けてこなしていました。

常に走っていたといっていいと思います。学校でも教室でも家庭でも、誰かのために、なにかのために追われている感じの生活でした。

燃え尽き感に苛まれた中学後半

そんな生活が続いていた中学時代、中学2年の後半から中学3年の初めにかけて、ある出来事をきっかけに「なんで私が?」と思うことが多くなっていったのです。

学校を二分する生徒会選挙に巻き込まれて、自分が生徒会長に立候補することになってしまいました。

同学年にとても人気のある男子生徒がいて、来年の生徒会長に立候補することになり、私は彼がやるのは、適任だと思っていたし、自分が立候補するなんて思いもしなかったのです。

ところが生徒会の先輩が突然私のところに来てこう言いました。「彼じゃ駄目だ。おまえがやれ!」と。

私はできない旨伝えたのですが、その次の日に生徒会室に呼び出されました。生徒会の先輩たちがずらりと顔をそろえていて、口々に生徒会長への立候補を説得にかかります。「自分たちが全力を挙げて応援するから、立て。」というのです。

「彼に勝てるとは思えない」、私はそう思っていたのですが、結局先輩たちの気力に押されて「勝てるはずのない」立候補をすることにしました。「なぜ私が立たなければならないのか?」という疑問は付きまといました。裏で先生たちが糸を引いていたことを知ったのは後になってからでした。

自分の意思とは無関係に物事が進んでいく。どうその選挙期間を過ごしたのか、覚えていないのですが、どこか心の中が空虚で力が湧かず、同級生のその男子生徒を向こうに回してしまったことで、同学年からは孤立してしまったように感じていました。いくら先輩や先生たちが応援してくれていてもよりどころにはならなかったのです。

1000人いる生徒がまさに真っ二つになり、学校は混乱の中にありました。早く終ればいい、ここから逃げてしまいたい、こんな異様な雰囲気の中にいるのがいたたまれず、早く終ればいいとそればかり願っていました。

先生たちが裏で動いていたことを知ったのは、投票日でした。投票されたばかりの票を、選管が開票する前に職員室で先生たちが仕分けしているのを私は見てしまったのです。ショックでした。そういうことだったのか、彼らは同学年の男子生徒が気に入らずその対抗馬として私を立てたのだ。

12票の差で私は落選しました。でもホッとしたというのが正直な気持ちでした。そして二度と生徒会には関わらないと心に決めました。また3年になってからはコンクールなどの出場も自分から全部辞退しました。

あるコンクールで優勝して帰ってきたら「またトロフィーを持っていってまた帰ってきたのか?」という先生の一言もひどく私の心を傷つけました。何の苦労もなく優勝できると思っているんだな~。と思ったら悲しくてたまりませんでした。思いやりもなく、労りの心も感じない。

この時期を堺に私はどんどん投げやりになり、殻に閉じこもり、先生に反抗し、勉強も放棄するようになって行きました。

私のライフスタイル

ここまで読んでくださった方は、すでにお気づきかと思いますが、私はまさに「勇気をくじかれて」現実の課題から顔を背け、逃げるようになっていったのです。

やらなければならないことがあることは分かっていても、どうせやっても無駄だとか、誰にも認めてもらえないとか、そんな風に考えるようになっていました。

実際のところ、家でもし私自身を受け止めてくれる人が一人でもいたら違っていたのかもしれませんが、先に少し触れましたように父は有無を言わせず強権的な人でしたので、家族全員が父の機嫌を損ねないようピリピリとして暮らしており、家庭内でものびのびとすることは出来ませんでした。

「虐待を受けた方が抵抗する力をすべて奪い去られてしまう」そういう意味が私はよくわかります。自分の気持ちを伝えるとか、言い返すなど思いもよらないほど何かあれば徹底的に懲らしめるのが父でした。

唯一自分が安らげる場所は自分の部屋だけでしたので、時間さえあれば自分の部屋にこもるようになり、この部屋にいれば自分は一人で誰にも傷つけられることがなく安全に安心していることができる、と思っていました。

実はこの習慣はいまでも続いていて、一人の時間の確保は自分にとってとても大事なことのままです。この辺を主人が理解してくれているのでとてもありがたく思っています。

さてそれでは学校でも家庭でも安心して暮らせず、心のよりどころを見つけられなかった私がどういう行動パターン・ライフスタイルを形成するに至ったのかを次に書いて見ます。

私のライフスタイルは、こうして出来上がった

アドラー心理学では、その人特有の目的追及のクセがあり、それをライフスタイルと呼んでいます。大体10歳ごろまでにその形は出来上がり「人生の運動の法則」として身につくのです。私の場合には、この小学校4年生からの一連の出来事を通してライフスタイル形成の大枠ができたようです。

ライフスタイルには次の三つの要素があります

「自己概念」-「自分は~である」という概念

「世界像」-「自分を取り巻く世界は~である」という考え

「自己理想」-「自分は~になりたい」という考え

私の場合は、中学までの経験からおおよそ次の通りのライフスタイル傾向が出来たと思われます。

「人より上に立つ、また人と違うことをすると安全である。(どういう形であれ優越なポジションにいればよい。)」

「他者は自分を助けない。それどころか自分を攻撃し、時には利用しようとする敵である。」

「世界は危険な場所である・一人でいるときが一番安全である」

「自分は自分を守るために一人でいること、また他者の間では特別な存在でいることが望ましい」

他者とうまくいかなかった理由

こういうライフスタイルだと人とうまく行かないのは当然ですよね。40歳後半になってアドラー心理学に出会うまで私はこの自分の行動パターンで失敗してきたのです。そしてそれらの多くの失敗は私の自己肯定感(自分が好き)という気持ちを萎えさせてきました。

「どうしてまたこうやって人とトラブルのかしら~?」「私ってやっぱり人とはうまく行かないのね。駄目なのよね~。」とずっと信じ込んできました。

ストレス症状に悩まされる日々

常に人よりも優越であろうとすると、大変なストレスがかかります。40歳を越えた頃からストレスによるからだの症状がどんどん酷くなっていきました。

まずは、30歳ぐらいから発症していた「腰痛」が酷くなりました。そのほかに喘息だったり、頻尿だったりアレルギー症状だったりと、不調のオンパレードでした。

体の不調は「自分が好きになれない」という自分の気持ちをさらに加速させていきました。

そんなときストレス関連のサイトを見ていて「自分が好きになれます。」「いつからでも人は変わることができます。」の文字を見つけたのです。

それが、ヒューマン・ギルド、そしてアドラー心理学との出会いでした。

アドラー心理学との出会い

何度も人とぶつかるとあれこれ煩悶して考えて、悩んでそして最後に自分が行き着くところは結局のところ「自分は自分が好きではない!」だったのです。

「まずはここをクリアしないと自分の人生のあらゆる問題は解決しない。」と思いました。

自分でも気がついていた問題意識

私は子どもの頃からリーダーを担う立場に立つことが多く、様々な場面で活動してきました。それは自分にとって負担でもありましたが、居心地がよくもあったのです。

一方普通の友人関係を築くことがとても難しく感じていました。

誰でも学校の休み時間や帰り、そしてお休みの日に親しい友人たちと楽しい時間を共有した経験を皆さんお持ちのことと思います。

私は思い出してみてもそういう時間の楽しい思い出がほとんどありません。放課後や休日の習い事も多かったですし、学校内では生徒会その他の活動で教室にいないことも多かったです。

たまに教室にいても皆それぞれの仲良しとおしゃべりに夢中で、その中には途中から入っていけませんでした。とても居心地が悪く、また話も何を話せばいいのかわからずいたというのが現実でした。

寂しいけれどもどうしたらいいのかわからない。

どちらかというと何か用事があって教室にいないとか、学校代表で出かけて学校にいないという環境のほうが自分には居心地がよかったように思います。

面倒だから友達はいらないと思おうとした時期もありました。

大学卒業後社会人となり結婚してもその状況は何も変りませんでした。

「一目置かれる」ことがあっても「心の底から親しく付き合う」という関係にはなれない場合が多く、どこかで距離を取られている感じはいつもありました。

リーダー経験の多さから理にかなった主張をすることは得意でしたが、人に対してもそうで相手が理屈の合わないことを言ったりしたりするとそこをすかさず突く傾向はあったように思います。

特に論理立てて話すことにかけては小学校のころから右に出るものがいないと学校の先生に褒められるほどでした。

私は正しい。私は間違っていない

私にはその気持ちとそれを他者に対して向ける傾向がとても強かったのです。

そのため多くの人と意見が違う場合に衝突を繰り返しました。そしてぶつかった相手は離れていきました。

そのたびにとても嫌な気持ちを味わいましたし「自分は自分だ」とか「自分は間違っていない」と思い自分を慰めながらも、すっきりとしない後味の悪い思いをぬぐいきれませんでした。

もちろん大人ですからなんとかこらえる場合がほとんどなのですが、それでもやはり言わずにはいられなくなり何年かに一度はそういう人とのトラブルはなくなりませんでした。

結局同じ結論に達していた

「相手が悪いんだ。私は間違っていない。」その繰り返しをしつつもどこかで自分を肯定しきれないむなしさを味わい続けていて、そして最後にたどり着く結論はいつも同じところなのでした。

そう!私はいつも同じ結論に行き着いていたのです。

私は自分のことが好きじゃないんだな。好きになれないんだなあ

どうしたら自分のことが好きになれるのか。何か方法があるのか。心理学の本を読み漁ってみたり、自己啓発の本を読み漁ってみたり自問自答の日々が続きました。

ヒューマン・ギルドへ

そんなときに出会ったのが日本のアドラー心理学拠点であるヒューマン・ギルドのHPでした。そこには「自分のことが好きになれます!」と書いてありました。

アドラー心理学?
心理学って難しいんじゃないの?
大学の教職教養の教育心理学もさっぱりわからなかったし。。
本当に自分が好きになれるのかな?
大丈夫かな?

そんなこんなで迷うこと数週間・「心理学の知識がなくてもどなたでも学べます。」の文字を信じてとりあえず行ってみる事にしました。47歳になっての新しい学びです。

岩手から東京のギルドのセミナーに行くのは本当に私にとっては大変なことでした。私のライフスタイルからすれば大勢の人の中に入って2日間だったり4日間だったりを過ごすのは、今になって考えると敵地に丸腰で入るのと同じだったに違いありません。とても疲れることでもありました。

今こそ問題を解決するとき

それでも「このままではいつまでも同じだ。」「今までと同じことをしていたら同じ結果しか得られない」という強い思いが私を駆り立てたのです。

そして基本の二つのコースをなんとか終了した頃には、どういうわけか自分がとても好きになっていました。不思議で不思議でたまりませんでした。

「私にいったい何が起こったというのだろう?」

その答えは、アドラー心理学の学びを深めていくうちに自然にわかってきました。それと同時に自分のライフスタイルがあまりに自分の人生を生きにくくしていたこともわかり、よりよい方向へ進むことにその自分の特性を使っていくことをトレーニングしました。

すべては勇気づけの結果だった

今になってわかったことは、自分を変えることができたり、そして自分が好きと胸を張って言えるようになったのは、すべてギルドでの学びを通して、徹底的に初めて出会った人たちから

勇気づけられたこと」による結果でした。

今まで褒められたことのほとんどなかった私は見知らぬ人たちに「よいところを認めてもらい」「素晴らしさを見つけてもらい」勇気づけられたのです。

自分の意思で自己変革へ

初めて自分が好きだと思えた私は、自分を信頼し、そして他者を信頼することを自分の意志で始めました。自分改革と言っても難しいことではありません。言動を変えただけです。素の自分はそのままです。

私のライフスタイルのあまり好ましくない部分が出そうになったときは押さえて、よい方向に行こうとしたときは積極的に自分のライフスタイルを活用することを始めたのです。

ライフスタイルは自分の意思でよくも悪くもできる

私のライフスタイルでもいいところは今は見つけることが出来ます。例えば「人より優越でありたい」は、自分が何か学びをしたいときには自分のモチベーションアップに使えます。他者との比較ではなく、現在の自分を出発点に向上していこうという力になります。

「孤独でいることは安心である」というのは、心が穏やかになりたいときに使えますし、一人で問題を解決する能力を育てるのに役立ってきたということもいえるかと思います。

要は「自分の周りの人たちは敵である」といったような他者との関係をよい方向へ導かない部分を「仲間である」とか「よき友である」にシフトできればいいわけです。

ただこれらもやはりすべては「どんな自分も好き」といえることが大前提になります。

50歳をすぎても変れた私が言えること

もし、今「自分を好きになりたい」とか「自分はこのままでは駄目だ」と思っている方がいらしたら、ぜひアドラー心理学を学ばれることを自信を持ってお勧めします。

50年も辛い思いをしてきた自分だからこそ言えること、手伝えることがたくさんあるように思っています。自分を変えたい、自分を好きになりたい方の最初の一歩を踏み出すお手伝いを喜んでさせていただきます。

一人でも多くの方に「自分が好きである」という確固たる自信を持ってもらいたい。

私が勇気づけることをお伝えすることで自分が好きと言える人たちが増えていくことが役割だと思っています。

あなたもきっと自分が好きになれる!

今このHPをご覧になっている方の中にもきっと様々な苦しい状況の中で「自分が好きになれない」「自分が嫌いだ」と思っておられる方がいらっしゃることでしょう。

でもきっと「勇気づけ」であなたも「自分が好きになれる」

自分が好きになれたときに、また新しいスタートを自分の意思で切ることができる!私はそう思っています。

結局50歳を過ぎてから私はようやく人との関係をどうにかこうにか結べるようになったのです。

「やろう!」と思ったときがあなたのベストタイミングです

いつでもどんなときでも私はそういう方たちをお迎えする準備を整えてお待ちしております。

*****趣味・好きなこと******

<登山・森林浴>

学生のころから山登りはしていたのですが、20代まではピークハンティングのような登り方をしていました。
30代になり、単独行が多くなったので、のんびり自分のペースで山歩きをするようになりました。
岩手周辺の山が多いですが、時には北アルプスへいったりもしました。
30代に体調を崩してから遠ざかっていますが、裾野歩きだけでも再開したいと思っています。

<奈良・仏像&寺院めぐり>

人のあまりいない冬に行くことが多いです。
早朝だとほとんど人がいないので、ゆっくり見て回ることができます。
特に法隆寺から中宮寺にかけての近辺が好きで、中宮寺の半跏思惟像は一番好きな仏像です。

<刺繍>
出来合いのキットを使って、頭がからっぽになる感じが好きです。
小学校から高校まで不器用で家庭科はいつも通信簿が3でしたが、大人になってゆっくり丁寧にやれば自分でも素敵な作品を作ることができるとわかってからはまりました。
慣れてくるときれいに仕上げることができるようになり不器用な自分でもやり遂げて作品ができたときは、とてもうれしいですね。

<プロ野球観戦>
年に1度ですが、仙台まで交流戦を見に行きます。広島カープのファンでファン歴は25年です。最初に盛岡で広島戦を見た時に、大野豊さんに一目ぼれし、それ以来カープ一筋です。
今は前田健太選手が好きで応援しています。

<食べ歩き・飲み歩き・カラオケ>
普段の気分転換は「料理」を作ること。
料理に合せて材料をそろえるのではなく、冷蔵庫にあるものをアレンジする方法がもっぱらです。
お料理番組を見るのも好きです。
食材を組み合わせて違う味や違った料理にするのが楽しい。

基本的に食べることは大好きで食べ歩きもよくします。アルコールはかなり強いほうですが、家では飲みません。

カラオケは友人たちと3人ぐらいで行くことが多い
ニューミュージックから演歌までジャンルを問わずなんでも歌います。よく歌うのは「アルフィーのメリーアン」とか「アンルイスのああ無情」「小柳ルミ子のお久しぶりね」「吉幾三の雪国」など。かなり低いアルトなので、堀内孝雄のような男性の歌手の歌のほうが無理なく歌えます。

<映画・テレビ>
映画は最近「かもめ食堂」にはまって、その辺のシリーズを見ています。
好きな俳優は、ケビン・スペイシー「ユージュアル・サスぺクツ」「LAコンフィデンシャル」「セブン」などは何度見ても飽きずに見られます。
テレビは海外ドラマが主で「BAU・FBI分析科」などの刑事ものか、医療ドラマ、あとは「プロジェクトランナウエィ」などの競争物を好んでみています。」

<犬のいる生活>
今はビーグル犬の女の子2匹と同居しています。ものごころついてからワンコとずっと一緒の生活をしてきました。
最初のワンコを突然なくした高校3年の時ペットロスを体験しました。
でもやはりわんこ達との生活は心の潤いがあり、結婚後はずっと2匹を飼いつづけています。

連絡先
〒023-1131 岩手県奥州市江刺区愛宕字三日町66の4 TEL&FAX 0197-35-0992
メールアドレス suzie@piano.ocn.ne.jp

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