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劣等感

劣等感

「自分って駄目な奴だ・・。」
こうありたいという自分に対して今の自分が足りないと感じること
それが劣等感です。

それは他者と比較してそう思うこともありますし、あくまで自分だけの問題としてそう考えることもあります。

アドラー心理学を確立したアルフレッド・アドラーは「劣等感のアドラー」と言われます。
アドラー自身が体の弱い自分に強い劣等感を感じてきたからです。

アドラー心理学では「劣等感」をどう使うかが大事にされています。

アドラーは自分の劣等感をバネにして自分の弱さを克服し、アドラー心理学を確立するまでになりました。

「体の弱い事」-「劣等感」を言い訳にして人生に背を向けることもできますし、「劣等感」をバネにしてさらに大きく飛躍することもできます。

人は劣等感があるからこそ進歩し、前に進むことができるのです。
劣等感」をどう使うかについてアドラー心理学の考え方を理解していきます。

アドラー心理学では「劣等性」「劣等感」「劣等コンプレックス」という三つの概念の区別を押さえておきましょう。

「劣等性」
「劣等性とは生活上不利に機能する客観的な属性」

たとえばある人が目が見えないとしたらこの事実はこの人の生活上不利に機能する属性なので劣等性です。
一般に生活に支障をきたすような身体的な欠陥や障害や疾患を「器官劣等性」と言います。

子供時代の器官劣等性はライフスタイル形成に大きな影響を与えます。
(盲・弱視・聾・難聴・肢体不自由・知恵おくれなどの先天的ないし早期後天的な障害や、喘息・アレルギー性皮膚炎・小児腎炎・先天性心臓疾患などの子供時代の重症ないし慢性疾患など)

社会劣等性は社会的な差別によって個人のある属性が劣等性となるものです。たとえば人種差別のある地域では、被差別人種であることは生活上不利に機能するので劣等性になります。
ナチス時代のドイツでユダヤ人であることは社会劣等性として機能しました。
また女性の待遇に差別がある社会では女性であることは劣等性として機能します。
また人間は本質的に他の動物(ライオンのように強くなく、キリンのように速く走れない)に比べて劣等な動物です。
こういう人間存在に必然的に付きまとう劣等性を実存的劣等性といいます。

「劣等感」
「劣等感とは主観的に自分の何からの属性を劣等であると感じること」

劣等感はきわめて主観的な感覚で事実には全く関係がないのかもしれません。客観的には劣等性がまったくないことについて深い劣等感を持つ人もいます。

たとえばとても美人なのに「私は醜い」と思い込んでいる人もいます。逆に劣等性があるのにそのことについて全く劣等感を持たない人もいます。

つまり劣等感と劣等性の間には必然的なつながりはありません。ただ劣等性があれば劣等感を持ちやすいことは確かです。

劣等感は自分と他者とを比較して自分は劣等であると感じるということではなく、理想の自分(自己理想)と現実の自分(自己概念)とを比較して現実の自分は劣等であると感じることです。

人間は理想の自分(自己理想=人生目標)に向かって生きていきます。したがって目標追求をしている限り人間には劣等感があるといえます。
生きている限り目標達成をやめることはありませんので人間であることはすなわち劣等感を持つということです。

「劣等コンプレックス」
劣等コンプレックスとは、ライフタスクへの対処を避ける口実として劣等感を使うこと。

自分の劣等感を誇張して実際以上に弱く、欠陥がひどいかのように振る舞い、ライフタスクへの建設的な取り組みを避けようとする人がいます。
このような人は下記のような状態に陥っています。

・自己不全感・自分の能力についての評価(自己概念)が非常に低い
・要求水準(自己理想)が法外に高い
・そのあいだの不一致(劣等感)が大きすぎる。
・挫折・現実の状態から理想の状態に向かう建設的な目標追求の方法が思いつかず勇気を失っている。
・罪悪感・建設的にふるまえない自分を恥じてもいる。
・人生の嘘・劣等性を周囲の人に見せびらかして自分のみじめな状態は自分の責任ではないと主張する。
・自己欺瞞・自分でも自分のみじめな状態は劣等性のせいであるとして自分のせいではないと思い込む。
・依存性・しばしば自分のライフタスクを周囲の人に解決させようとする
・攻撃的依存性・周囲の人が援助してくれないと「不人情だ」と攻撃することも多い

誰でもときどきは劣等コンプレックスを使うものですが、問題は絶えず劣等コンプレックスを人生の目標追求の主たる手段にしている人です。

アドラー心理学ではこういう人を「神経症者」と言います。
すなわち「神経症」とは常習化した劣等コンプレックスです。

劣等コンプレックスの一種に優越コンプレックスがあります。
深い劣等感を自分からも他者からも覆い隠すためにあたかも自分が優越であるかのようにふるまうことです。

優越コンプレックスは優越の証拠ではなくて劣等感の証拠です。ほんとうにあることに優越感を持っている人はそのことを人に誇示する必要がありません。

「劣等感の補償」

人は劣等感を感じると辛いのでなんとか劣等感を感じないようにします劣等感は現実に存在するかどうかはともかく、主観的には認知されているのです。そこでその主観的劣等感をなんとかすることを迫られることになります。

ある人はそれをなくすように努力するでしょう。
ある人はそれをなくせないと感じると他の事で優越感を感じて補おうとすることでしょう。

いずれの場合にも劣等感は補償としての行動を人間に迫ります。これを「劣等感の補償」といいます。

アドラー心理学は一般的には劣等感とその補償についての心理学だと信じられています。
しかしそれだけではなく、アドラーは人生を、環境によりよく適応するために無限に努力を続けなければならない運動であると考えていました。

目標達成のほうが先にあって劣等感はその副産物だと考えるようになり、現代アドラー心理学では劣等感やその他の概念は、目標追求性の概念に吸収されてしまいあまり扱われることはありません。

「劣等感を克服する」

劣等感を克服することは「自分への信頼を回復すること」です。

第一段階ー自分の偏見に気が付く
私たちが事実だと思っていることは自分は「偏見」にすぎないのだということを悟りましょう。
私たちの偏見の多くは子供時代の考え方を大人になってからも続けていることに由来します。
それはたとえば次のようなことです。

子どもは弱いー「今の自分は不十分だ」と考える傾向が強く、この感じ方が癖になり大人になってもなかなか抜けない。自己評価が低い

自分ができることは当然だと思うーできないことやうまくいかないことだけを重要視する癖がある。自分の長所を正当に評価できない。

子どもは家庭ではおりこうさんになるよう、学校ではしっかり勉強するようにたえずあおられるー他者の期待に応えないと大人の保護を失うのではないかとたえず不安がつきまとう。大人になってからも他者の期待を裏切ることに不安が癖になっている。

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