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子供の理解

今こそ子育て・教育の分野でアドラー心理学を活かすとき

子どもにどう対応したらいいのか、子育ての悩み、学校現場での生徒対応の悩みは尽きません。

アドラー東北のセミナー会場には仙台、盛岡、郡山の各会場にそういった悩みを抱えて訪れる方が後を絶ちません。

困った子どもの行動が注意しても止まない。
何度言ってもわからない。
1人の生徒にクラスがかき回されてどうしていいのかわからない。
子どもが何を考えているのかわからない。
子ども・生徒との関係が良くない・悪化している。

という日常生活でありがちなことから、「不登校」や「いじめ」、それに伴う「自殺」など深刻なものもあります。

どの悩みも関わる親や教師にとっては大変気になることです。
でもどうしたらいいのか、なぜなのかがわからないのです。

多くの子育てや生徒対応に対する情報がこれだけあふれているのに子供たちを取り巻く問題は増え続けています。
それはいったいなぜなのでしょう。

どの情報も確かにそれらしく感じます。でも問題が減らないどころか増えている現実を考えると今こそまったく別の視点から子どもに対する対応、子育ての方法をし直すときなのではないでしょうか?

アドラー東北では、アドラー心理学のご提供を通して、今までとは全く違った視点からの子育て、子供対応についてご提案しています。

仙台・盛岡・郡山とお近くの会場をご利用いただき、今困っておられるあなたのお役に立てることをお待ちしております。

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子どもに対する対応を変える

今のままではうまくいかないのであれば、方法を変えるしかありません。
同じ方法では同じ結果しか得られないのです。

ではどう変えればいいのでしょうか?

アドラー東北にいらしたご相談者の方には、まず行動を次のように変えることをやってみていただきます。

「ダメ出し」を止めること。そして「ありがとう」「助かる」「うれしい」という言葉を使ってみてくださいという事です。

子供の理解

「子どもの事は何でもわかっている?」

私たちは大人になった今でも自分の親に「おまえのことは親である自分が一番よくわかっている」と言われたり、そういう態度で決めつけられることがあります。

自宅から離れて親と暮らした年数よりももっと長く別の家族を構築した後でも、まるで所属物のように考えられていることは、親の傲慢だと私は思います。

1年に会う回数もほとんどないのに、めったに会わないのに、その間の出来事は何も知らないのに「わかっている」と言われることはとても不愉快に感じます。

そして子供の頃の自分と今の自分は何も変わらないと親が思っている限り親子の間に共通感覚・共通理解は望めないと感じています。

アドラー心理学を学び始めて親子関係に悩んでいる方のご相談を受けているとこのあたりの親と子の気持ちのずれは大きいなと感じることがあります。

親は子どもが無力であり力がない、いくつになっても子供だと思い、請われてもいないのに上から援助をしたり、助言をしたり。

この気持ちのずれはアドラー心理学を学べばどこから来ているのかが明確にわかるように思います。

あなたはきっと子供のことを一番自分が理解しており、一番の味方だと思っているのかもしれませんが、あなたの言動はそれを子どもに伝えるには適切とは言えないのかもしれないと考えてみたことはあるでしょうか?

良かれと思って・・が子供との関係を悪くしていると考えたことはおありでしょうか?

今子どもの事で悩んでいる親御さんの相談を受けていて、そう感じることが多く、何かのヒントになればと「子どもを理解する」ことについて書いてみたいと思っています。

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「子育てには愛情だけではない技術が必要」
あなたは子育ての方法を本当に知っていますか?

今子育て中の方はどのようにお子さんに対応しているか、たぶん自分が親からしてもらったこと、または同じような子育て中の方と同じように、と考えて子育てをしていることでしょう。

はたしてその方法は筋の通った根拠のある子育てでしょうか?
そしてそれは子どもの自立を促し、子どもを一人の人間として対応する方法なのでしょうか?

もちろん何をどうするかはある程度日常生活についてはできているようでしょうし、何とかなると思っているかもしれません。

しかしながらたとえば困ったとき「夜鳴きが止まない」とか「おもちゃが欲しいと駄々をこねる」とか、そういう時にどう対応したらいいのかはわからないというのが本当ではありませんか?

なだめたりすかしたりしてもその困った行動は止むどころかますますエスカレートする。困り果ててしまっていることはないでしょうか。

育児の本は書店に行けば山積みになっており、どれを読んでもそうであるような、そうでないような、そしてそれぞれが違うことが書いてあり、結局迷って決められないということが多いのではないでしょうか。

アドラー心理学をベースにした子育て法は、その点で実に合理的であり、筋が通っており、明確な指針を与えてくれます。
まずは子どもを理解しようという気持ちを持ってみませんか?

「別の人間であるからわからない」だから理解するために学ぶのです。
子どものなぜを理解しようとしなければ困った問題はいつまでも解決しません。

アドラー心理学を通して子どものなぜに向き合い、理解し、自分にできることをする。
それこそが子育てでぶれない、子どもに振り回されない、子育てをするための第一歩と言えると思います。

あなたはいつまでも行き当たりばったりの子育てをしますか?
それとも明確に目標を持ち親子共に幸せを感じながら暮らす子育てを選びますか?

大切なのは「これからどうするか」であり、それはあなた自身が自分で選択できるのです。

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「力づくの解決」

子どもは小さいですし、経験値が大人より少ないことで数多くの失敗をします。またどうしたらいいのかわからないことも多いです。

ですから大人から見れば不適切な行動がたくさんあることでしょう。

それに対して大部分の大人はそれをなだめたりすかしたり、時には力づくでそれを押さえようとします。

力で解決するのは子どもが小さいうちはうまくいくかもしれません。しかしその力関係はいつかは逆転します。

中学生や高校生になればもう親より体格がいい場合もありますし、そうなると力づくでは無理です。
それでも小さい時と同じように今度は言葉でもってして叱ることで何とかしようとする人もきっとおられるでしょう。

それは限りなく反抗を生むことは経験からご理解いただけている方もきっと多いと思います。
力を使う代わりにどうすればいいのかについては、アドラー心理学の子育て法に明確が答えがあります。
そうでなければいつまでも同じことが繰り返されるのです。

子どもが大きくなれば子どもはいずれ親に反撃するようになるでしょう。
親自身が子供を叱ることが必要であると考えている限り、この世の中から虐待はなくなりません。
叱ること、叩くこと、さらには虐待することも、質としては同じです。量が違うだけなのです。

子どもをどんな形でも力で押さえつけない方法を親が知っていればいいのです。
子どものことを理解し行動を理解すると同時に、力でもってして子供を押さえつけようとすることがどういうことなのかを理解してほしいと思います。

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「反抗期は反抗させる親がいるというだけのこと」

「反抗期だから仕方がない」そういう言い方をする場合があります。
「反抗期はいつか終わる」そう考えておられる方もいるでしょう。

何が根拠でしょうか。一定期間が過ぎれば反抗期は終わるのでしょうか?

反抗期がもしもそうであれば親はただ待っていればいいのですが、いつまでも反抗を続ける子供もいるのです。

子どもが親に反抗するのは、親が上から目線で子供を叱ったり命令したり思い通りにしようとするからです。

はじめは力がないと感じている子供も、やがて親の理不尽な対応に反抗するようになるのは当然と言えます。

もしも理不尽なことを親がしなければ、子どもは親に反抗する必要がありませんので反抗期はありません。
反抗期はあるものではなく、反抗させる親がいるだけです。
子どもが反抗するような態度を親がとらなければ子どもは反抗などしません。

もしも反抗期がなかったとして、子どもがそれをそのまま受け入れていたとすればそれはそれで問題です。
子どもには「親にしてほしくないことをきちんと言葉で伝えるということを学ぶ必要がある」のです。

残念ながら力で抑えようとする親に子どもが反抗しても仕方がないと言えると思います。

アドラー東北にもアドラー心理学を学ぶきっかけに「子どもの反抗期」問い方がおられますが、ほとんどはアドラー流子育てを実践すると子どもの犯行が気にならなくなり、反抗そのものが少なくなっていきます。

それは子供が反抗する必要のない態度・行動を親が取り始めるからです。

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「子ども理解の最初は行動の目的を知ること」

子どもの理解は行動の目的を知ることから始まります。
アドラー心理学では、不適切な行動は四つの段階で子供の目的を探っていきます。

これはアドラーの弟子であったルドルフ・ドライカースが体系化しました。
ドライカースはアドラーの教えを多くの著作で残しましたが、今現在私たちが学んでいるアドラー心理学の多くはドライカースの功績によるところが多いです。

子どもは適切な行動を認めてもらえないと感じると不適切な行動で認めてもらおうとします。

叱られるとわかっていても無視されるよりはましだと思うからです。

不適切な行動に入る前に子どもが最初にやることは「褒めてもらいたい」という目的での行動です。
褒めてもらいたくてやることは大体が良い事です。
ですが、目的が良くありません。

褒められることを目的にしていると褒められないとしないという事が起こってくるからです。
ですから不適切な行動に入る前の前段階として「褒められること」があります。

でも目的自体がよくありません。
誰に認められなくても褒められなくても自発的に自分が必要と感じたことを行動することこそ建設的な行動なのです。

自分や世の中にとって役に立つことーこれが適切な行動・建設的な行動と言えます。

褒められることの次には注目を得るという段階に入ります。
適切な行動をしても褒められないと感じた子供は不適切な行動で注目を得ようとします。

これがドライカースの言う第一段階になります。
不適切な行動をすることで自分のほうを向いて欲しいという事です。

それでも駄目な場合には第二段階の主導権争い、第三段階の復讐、そして第四段階の無気力と進んで行きます。

復讐や無気力の段階に進むと当事者同士での解決は難しくなります。

「褒められたい」「注目を得たい」「主導権をとりたい」という段階でなんとか子供との関係を修復したいものです。

勇気をくじかれて不適切な行動の段階が進むのですから、勇気づけられれば適切な行動が増えていきます。
勇気づけすることの重要性がここでご理解いただけると思います。

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