東北・仙台・盛岡・郡山・アドラー心理学講座 勇気づけ 不登校 子育て 自分を好きになる講座

学校の教師の方へ

学校の教師の方へ

アドラー心理学の教育目標

教育とは「介入」ではなく自立に向けた「援助」である。
岸見一郎著「幸せになる勇気」より
幸せになる勇気

アドラー心理学には行動面・心理面での明確な目標があります。

行動面
「自立すること」「社会と調和して暮らせること」
心理面
「私には能力があるという意識」「人々はわたしの仲間であるという意識」

アドラー心理学の何が教師に役立つのか?

昨今教育界でも注目を集めているアドラー心理学は、いったい教育現場で何の役に立つのでしょうか?

アドラー心理学の理論の中で特に教師に活かせるものとしては3つが挙げられるでしょう。

ひとつは「子どもの不適切な行動の四つの目標」、二つ目は勇気づけ、三つ目は「共同体感覚」です。

「子どもの不適切な行動の四つの目標」はドライカースによって提唱されました。

人間にとって最も重要な欲求は「集団の中で居場所を確保し、大切な存在であると認められたい」という所属欲求であるという考えが基本にあります。

子どもにとって所属感を得ることは実に重要であるので、そのために様々な行動を通してその欲求を満たそうとするのです。

子供を勇気づける教師になるために

現代ほど学校の先生方が生徒や保護者の対応に悩んでいる時代はないといっていいと思います。
様々な価値観が存在する中で、何を軸にどう対応していけばいいのか、その中で日々奮闘しておられる先生方へ、アドラー東北はアドラー心理学の学びをご提供させていただいております。

画像の説明

子どもを育てる側の大人が勇気を失っている現代、子どもたちの未来のために教師は何ができるのか、今できることは何か、アドラー心理学をベースに考えていきます。

自殺者3万人の現実・勇気を持てない&勇気をくじかれた大人がたくさんいる現実・子供を育てる親も教師もその例外ではありません。

勇気づけの心理学といわれるアドラー心理学の考え方・やり方をベースに子供との関わり方を変えていくことでその閉塞感は打破されていくことでしょう。

押さえておきたいポイントについて簡単ですが、ここでご紹介していきます。

今までの子供の問題行動への現場対応について

今あなたのクラスではどんな問題がありどんな子供がどんな問題行動をしていますか?

「わざと教室の中を歩き回る」
「大きな声を出して授業の妨害をする」
「話しかけても返事をしない」
「無気力である」
「不登校」
「いじめ」

など様々なケースで頭を痛めておられるかもしれません。

アドラー心理学では、こういった子供の行動は「クラスの中で自分の居場所を見つけるためにわざとやっている。」と考えます。

しかしながらおわかりのようにこれらの方法は間違った論理に基づいています。
ところがこの目的や間違い気が付いている教師の方は多くはありません。

そこで困り果てるか、怒鳴り散らすかの方法しかできないのです。

これらの行動をどう変えていくことができるのか、その方法についてこれから述べていきます。

現場の混乱はますますひどくなっており、教師の心をむしばむことさえ多くなっています。

どうしたらいいのか、明確な指針がないままその日その日の対応をせざるを得ない状況にきっと追い込まれておられる方もおられることでしょう。

自由放任であることでは、子どもは確かに自分の要求を出せるかもしれませんが、もしもその方法で子供が学ぶことがあるとするならば、勝手気ままと無政府主義であり、それは決して民主主義ではありません。

「自分の事だけをしよう」「自分にとって何か役に立つときだけ勉強(仕事)をしよう」と言うことを学んでしまうのです。

他人の感情を尊重しなかったり関心を払わないで平気になります。子供が「したいことをする権利がある」と公然と断言するのはこういうことが背景になっています。

画像の説明

厳格で独裁的な教室はどうでしょう?

こういう中にいる子供は、「力 評判 利益」こそが最高の価値と学びます。

やがてこの子供たちが青年に達すると 多くのものはこの価値を拒絶して反抗します。

私たちは何万年も前から独裁的な社会で暮らしてきました。ところが私たちは民主主義について何の準備も訓練もないまま民主主義社会で生きるようになりました。

現代社会の混乱の基本的な問題がこの民主主義の急速な成長にあることがわかると私たちは子供の理解にようやく近づくことができたと言えるでしょう。

「民主的な方法を知らない・学んでいない・教わっていない」

このことが最大のポイントであり学校における混乱状態を引き起こす要因なのです。

子育てもいつも母親の踏襲・伝統に基づいて行われています。

もしも私たちが平和に共存する世界で生きていたいのであれば、民主主義に基づいた世界で生きていたいのであれば、親や教師は新しい伝統を作らなければなりません。

民主的なリーダーシップを学んでいない教師のいるクラスでは、生徒と生徒、生徒と教師が戦っています。

つまり誰もが相手より優越であることによってのみ自分の居場所を見つけられるという間違った信念の中で生きているのです

独裁的な社会から生まれた子育てや教育の古い伝統は、民主的な状況下ではもやは効果がありません。

私たちの人間関係が変わったのでお互いに交流し合う新しい形を学ばねばなりません。

過去の親子関係は支配と服従の関係でしたが、今日教育的訓練を効果的に行い今まで以上の成果を上げ得る唯一の基盤は「平等」ということです。

画像の説明

学校や家庭での子供が敵意を持ったとしても、私たち大人が意思決定の過程で子供を対等なものとして参加させ、その権利を分かち合う時にのみおさめることができます。

その際の平等とは、尊敬を持ってお互いに対応すること、自分の母親に対してと同じ尊敬を持って2年生の子供に対応すること、校長への尊敬と同じに美容師に対応すること、これがあなたのクラスに平和な共存を実現し世界全体をより住みやすい場所にする平等ということの本質です。

アルフレッド・アドラーは、私たちの行動の基本的な指針を系統だてました。

「社会生活の破ることのできない理論」というアドラーの概念には、根底に人間の平等という認識が含まれています。

「平等」なくして私たちは自分の抱えているクラスの問題を解決することもできなければ調和に満ちた人間関係を築くこともできないでしょう。

指針としてのアドラーの五つの基本原則

1.人間は社会的な存在であって、主な願望は所属すること(居場所がある)ことである。これは大人にも子供にも同様に真実である。

2.すべての行動は目的的である。人間の行動はそれがどの目標に向けられているのか判らない限り理解することができない。そしてその行動は常にその人の居場所を見つけることに向けられている。もしある人あるいは子供が好ましくない言動をすれば、それは自分が重要であろうとするうえで間違った考えを持っていることを示している。

3.人間は意志決定をする生物である。人間はしばしば自分が気が付かないうちに本当にしたいことを決めている。人間は環境や遺伝といった人間を取り巻く力の犠牲者ではない。

4.人間はいくつかの部分的な特性によっては理解できない全体的な存在である。全体は部分のそうわよりも大きいものである。

5.人間は現実をそのまま見ているのではなく、ただその人が解釈するように見ているだけである。したがってその人の知覚は主観的なものであるからほとんど間違っているか、偏りがある。

教師はグループリーダーです。教師はクラスの雰囲気を作ります。あらゆる子供の異なった個性を融合して問題解決の民主的な過程を奨励します。

教室におけるクラスの討議は直接参加の民主主義に向けて子供たちを訓練します。

本当の民主主義に参加している親、教師、子どもの協調は、家庭と学校に究極的には社会に平和と調和をもたらすことができます。

とりわけ教える専門家である教師は破壊的な敵意を未然に防ぐために、学校において民主的な原則を使い教えることができるのです。

画像の説明

独裁的指導法と自由放任的指導

言われるままに行動する子どもにしたり、行動しない時はひどく叱りつけたり、学ぶことを強いたり、好ましくない言動は罰したり、創造的な自由は何であっても承認しないーこれが独裁的指導です。

こういった「協働」を要求する圧力・罰などは伝統的なやり方です。

このような指導は封建時代のなごりのようなもので、生徒はこのような専制君主を受け入れないでしょう。

子どもたちは現在の民主的な雰囲気を感じており、自分は責任に応えることができる人間であり、何をすべきかを自分で決めることができることのできる人間として扱われるべきと思っています

彼らはさげすまれて扱われることに憤慨し、この支配的なボスの裏をかくために敵意と仕返しを持って反抗します。

そしてこの独裁的指導による相互尊敬の欠如から子供は第一に裏と表の使い分けを、第二にどんなものであれ力が最も重要なものだとすぐに学ぶのです。

画像の説明

もう一つの極論は自由放任主義です。

この場合には教師はどんな子供にもいけないとはみなしません。子供がいつの日か社会の良き一員となるという考えから子供が行うすべてのことを大目に見ています。

この指導をしている教師は、生徒が自分で選んだ教室の中でその子に非常にたくさんの学習体験をさせていると信じているのです。

騒がしい教室は子供が互いに伝えたり学んだりしている証拠だと思い込もうとしているのです。

この方法は実際のところ無政府主義と言えるでしょう。

民主的なリーダーになる勧め

もしも独裁者であったり自由放任主義者でなければ、唯一の代替案は民主的リーダーになることでしょう。

リーダーは親切ですが毅然としていて、生徒が学ばねばならないことを学ぶように動機づけ、生徒が間違いをしたときには勇気づけ、生徒それぞれを意思決定に参加させることによって秩序と日課を維持していきます。

独裁的リーダーと民主的リーダーの違いは下記のようになります。

<独裁的リーダー>      <民主的リーダー>
声が鋭い            声に親しみがある
命令              勧誘
力               信望
圧力              鼓舞
協働を要求           協働に引き付ける
あなたがどうすべきかを告げる  私がどうすべきかを告げる
考えを押し付ける        考えを売り込む
支配              案内・指導
批判              勇気づけ
間違い探し           達成を認める
罰する             援助する
私があなたに告げる       討議する
私が決めてあなたが従う     私は示唆して決めるのを助ける
ボスの単独の責任        チームに責任を分ける

二つの特徴的な違いは、独裁的リーダーは外側からの圧力を示し、民主的リーダーは内側からの刺激を示しています
この基本的な差で「民主度指標」の評価ができることと思います。

民主的なリーダーである教師は、グループダイナミクスを用います。責任を与えることで責任を教えます。そして学問を精神的に健康に学ぶ雰囲気を提供し、すべてのクラスの生徒に情緒的な成長、社会的な成長を提供します

あなたもこの民主的な教師への道を歩んで生きませんか?

画像の説明

民主的な方法を教える―褒めることの代わりに

「民主的な雰囲気には、協働への基礎として特定の関係が必要」

教師が学び身に着けなければならないのは、いかにして生徒とあなたが対等のものになるかであり、いかにして生徒に自分自身の道を気づかせるかです。

教室内でうまく子供を指導する技量には民主主義が生活の仕方であるという信念が基礎にあります。

民主主義の自由は気ままなものではありません。それは教える必要のある共有された「責任」なのです。

民主主義においては、自由が享受される一方で生活の責任を引き受けなければなりません。

学校での教育と訓練は自由を享受し選択するための成長の種なのです。

本当に自由な人は幅広い学問的技能、芸術的技能、運動的技能、社会的技能を学んでいます。これらのほとんどは学校で学ばれます。

協働、学ぶ意欲、そして適切な意思決定を訓練する機会があれば人はどのような状況でも選択の自由を用いる能力を発達させます。

もしもこれらのことを学ばなければ選択の自由は狭まってしまいます。

学んで得た技能・勇気・責任感がなければ、働いたり遊んだり豊かになったりする真の選択の自由がないのです。

技能がなく責任の取り方も知らない人の見せかけの自由は、真に自由な人への依存という形をとることになるでしょう。

真に自由ということは経済的にも情緒的にも独立していて自己決定力を用いることです

あなたがもしも民主的な教師であろうとするならば、責任あるガイドとしての役割をすることによってあなたの自由の哲学を生徒に広めるべきです。

そうすればあなたの生徒は熱心に技能を学び、貢献感を楽しむことで社会的な気づきを発達させることでしょう。

教師自身の自由が、どのようにして自由になるかを生徒が学ぶ助けになります
画像の説明

教師のあなたは勇気が持てていますか?自己肯定感を高める

勇気づけを生徒さんにしたくても自分自身が勇気をくじかれている、そんな教員の方は多いように感じます。

現場経験のある人間として言えることは、とにかく行事や会議、書類等の作成、そして授業と教員が忙しすぎるということ、すなわち心の余裕が全く持てないということがあると思います。

特に中学・高校になると土日も部活動で休日すらままならない方がたくさんおられるように思います。

そして何かがあればすぐに学校・教員の責任が問われる今の世の中です。

日々の授業や行事や、問題を起こした生徒の対応に追われ、自分をすり減らし自己勇気づけどころか、勇気くじきの日々。

どこかでこの悪循環を断ち切らねばならないと私は考えます。
最初にできること、、それはあなた自身が勇気づけを始めることです。
ささやかでも、ほかの誰が協力しなくてもまずは自分から始める。
改革はそこから始まると思います。

自分を勇気づける方法をぜひ学びましょう。ご一緒に仲間と進んで生きませんか?

もしも身近に勇気づけてくれる先生が一人でもいたら

私は親が教師だったこともあり、教える仕事って楽しいと感じておりましたので、教育という世界へずっと携わることを選択してきました。

でも自分自身の学校での経験は決して幸せな思い出は多くありません。
それよりも、今考えると「なぜ?どうして?」と首をかしげざるを得ない多くの教師の対応を思い出します。

身近にもしもアドラー心理学を学んで勇気づけてくれる先生が一人でもいたら、、、。そう思うことは今でも多いです。

人格を認めてくれて、話を聴いてくれて、何よりなんでも話せる、相談できる、そんな先生は残念ながら一人もいませんでした。

私と同じ思いで今学校にいる生徒さんはきっといると思います。
その子の声に耳を傾けてくださる方が一人でも多くアドラー心理学に出会い&勇気づけの実践をしてくださることを願っています。

私自身の経験から

アドラー心理学のベーシックコースを受講するとワークの中に「今まで自分を誰がどのように勇気づけてくれたのか」を書く作業があります。

最初は全く、誰も思いつかなかったので書けませんでした。
多分自分を好きになったら何か思い出すかもしれないと思っていましたが、実はいまだに思い出せません。
特にアドラー心理学に出会う前については、皆無なのです。

そんなことはないだろう?と思われる方もおられるかもしれませんが、本当に「勇気をくじかれたと感じる記憶」はあっても「勇気づけられた」「うれしい言葉をかけられた」は、ありません

スポーツや勉強で結果を出して「評価」として「褒められた」ことはあります。でもそれもほとんど思い出せないのです。

ヒューマン・ギルドの研修室で周りの人たちがサラサラとペンを走らせている中、一人でさびしい思いをしたのはつい最近のことであったのです。

小学校の二年生のときの記憶とダブりました。
週末になると先生が「今週頑張って発言した人」を立たせてみんなで拍手するのです。自分の周りが全部次々に名前を呼ばれる中で一人でポツンと座っている悲しさ。

その先生には嫌な思い出しかなく、掛け算九九をクラスで一番早くクリアした時も、褒められもせずにボタンの取れかかった服装を注意されました。
冬休みにみんなに負けないように一生懸命覚えて目立たない、とりえのない私には初めての誇らしい花の舞台だったというのに。。

そんな私でもアドラー心理学を学ぶうちに自分が大好きと思えるようになりました。

アドラー心理学の素晴らしさを伝えたいのは、私のように勇気づけられた経験のない人がたくさんおられることを知っているからです。

そういう方たちと出会うたびに以前の私を思い出し胸が痛む思いをしているからです

勇気づけられて自分が好きになれると生き生きといつからでも自分らしい人生を送れることを知っているからです

そして多くの生徒さんが「勇気づける先生」と出会うことを願っているからでもあります

先生は何もしてくれないーいじめの経験から

私がちょうど小学校5年生の時でした。クラス内にとても言動が乱暴な男子が2~3人がおり、数名の女子をターゲットにいじめをしていました。

そういう子供たちは教師の信頼を得ることに長けています。先生はいじめられている子供たちのことに気が付いていないようでした。

クラスの役割を使って、いじめ対象の子をつるし上げたり罰したりするのです。
係りという大義名分がありますので、自分が気に入らなければたいした理由もなく、罰を与えるべきだと声を上げます。

なすすべもなくそういった横暴に耐えている子の中に私もいました。

せめて先生が「話を聴いてくれる」があったとしたら、「どうしたの?」と声をかけてくれたら話せたかもしれません。

みんなの前でそのことについて話をする勇気は持てませんでした。
私たちは1年間我慢しました。

「先生は何もしてくれない」「大人は助けてくれない」
「大人はあてにならない」

この時期はライフスタイルの形成時期です。このことがきっかけで子供の中に「大人への不信」という信念が植えつけられることもあるのです。

少しでも変だと思ったら「声をかける」。
それがもし解決につながらなくても、孤立し、助けてくれる人もなくいじめに耐えている子にどれだけの救いになるか。

まずは何でも生徒と話せる関係を築くことーそれがすべてのスタートではないでしょうか?

大きな矛盾を抱えた今の教育

私たちは教育の過程で「民主主義」の世の中であるということ、民主主義とは何かについて学びます。

民主主義の定義は以下の通りです。

「民主主義(みんしゅしゅぎ、デモクラシー、英語: democracy)とは、国家や集団の権力者が構成員の全員であり、その意思決定は構成員の合意により行う体制・政体を指す。日本語では特に政体を指す場合は民主政(みんしゅせい)とも訳される。日本語の広義の「民主主義(みんしゅしゅぎ)」は上記の体制・政体をも指すが、狭義ではこの民主制・民主政を他の制度より重んじる主義(思想・運動)を言う「=民主制主義」。
歴史的に多くの意味で使用されており、各意味に応じて対比語は寡頭制、君主制、貴族制、独裁、専制、権威主義などである。」

ところが実際のところ私たちは民主主義について知っているけれども、どういう人間関係が民主的なのかについては教えられていません。
人間関係についてはいまだに対比語に挙げたように君主制だったり独裁・権威・専制を用いていたりします。その方法しか知りませんし、自分の親や先輩教師たちが用いていた方法を踏襲してやっているというのが実情かと思います。習っていないのです。

アドラー心理学をベースにした教育方法というのは、まさに民主主義の対人関係法です。

アドラー心理学を学ぶことで「国家や集団の権力者が構成員の全員であり、その意思決定は構成員の合意により行う体制・政体」を実際の教育現場で国家のベースとなる対人関係について実践していただくことが出来ますし、真の民主主義の実現となる人材を育成していくことができると思います。

従来のやり方は限界がある

日々教育現場で様々な子どもの問題行動で悩まれておられる学校の先生方は多いことと存じます。

私もかつて教員でありましたので、今の現場のご苦労はどれほどかと思います。

しかしながら、教員時代にひとつだけわかったことがあります。

上からの押し付けや強権的な指導はいつか限界が来るということです。
そしてその反動は思いもよらないほど大きなものとなって自分に降りかかってきます。

言わなければならないこと、学校や親御さんとの板ばさみの中で、どうこの先進めばいいのかご自身が悩まれておられる方もいらっしゃるに違いありません。

ひとつの提案としてアドラー心理学の「勇気づけ」の指導をしてみることを考えてみていただけないでしょうか?

教育現場経験者として行き先の見えない教育現場で悩まれている先生方とのご縁をお待ちしております。

教育関連・お勧めの本

「クラスはよみがえる」野田俊作著 学校関係者のバイブルと言われる必読書

クラスはよみがえる

「子どもを勇気づける教師になろう!」岩井俊憲・永藤かおる著
アドラー心理学教育関連最新本

子どもを勇気づける教師になろう!

「はじめちゃおう! クラス会議 クラスが変わり、子どもが変わる。」 単行本 森重 裕二 (著), 但馬 淑夫 (著), 諸富 祥彦 (監修)

画像の説明

体罰や叱ることからー勇気づけ

体罰や叱ることから子供は何を学ぶのか?

子供は、体罰をする人・叱る人とそうでない人を見分け、明らかに人を区別するようになります。怖いと感じる人の前では「面従腹背」することを覚えます。

臆病になり相手の顔色を見て行動するようになり、子供の行動範囲・器を小さくしてしまいます

体罰や叱ることはエスカレートしていきます。その後は際限がなくなります。

体罰や叱ることの中で育った子供は、問題解決の方法として暴力を使うようになります。

アドラー心理学の考え方をベースに子供の不適切な行動を紐解いていくと「さまざまな場面で勇気をくじかれた子供の姿」が浮かび上がってきます。

勇気をくじかれた子供の行動を叱ったりするとますます勇気をくじかれてしまい、その行動はエスカレートしていくのです。

問題のある子供こそ「勇気づけ」が必要です。

子供の不適切な行動には目的がある

授業を妨害する子供

アドラー心理学の目的論に基づいて考えるとその子供は「授業を妨害することで何らかのメリットを得ている」と思われます
目的達成の手段が授業の妨害なのです。

その目的は、注目を得ることかもしれませんし、復讐かもしれません。

教室の中で教師がその行動に注目することは、その目的を達成させてしまうことになります。

したがってそういう不適切な行動には淡々と対応し、それ以外の場面ーすなわち適切な行動をしたときに注目を与えて勇気づけをしていくことが大事になります。

アドラー心理学をベースにした勇気づける対応とは?

以下よく学校現場で見られる生徒の問題についてどう対応していくことが「勇気づけ」につながるのか書いていきます。
基本的に親と教師が同じ対応をして、子供を支援していくことが大事です。

いじめへのアプローチ

1. いじめの質を見極める

課題の分離をアドラー心理学では大事なポイントとして考えていますので、その生徒同士の関係が「二者間」の気持ちの行き違いであるのか、たまたま意見のぶつかり合いであったのか、それとも明らかに教師や親が介入していく命に係わる問題なのかの見極めが大事になります。

2. 教師&周りの大人たちが不安心理にかられた言動を取らない

いじめという言葉から現代は実に深刻な事態を連想させる世相です。
大変なことになる、という不安心理に駆られて周りの大人たちが焦りの対応をすると、その状況は加速し、表面レベルのものであったものが深刻なレベルへと進みかねません。もしかしたら、と思った時ほど「冷静」で「客観的」「具体的」な対応が求められると思います。

3. 明らかないじめ―れっきとした犯罪であり緊急に本人の安全を確保する
(いじめにあいそうな時間と場所、状態を把握し発生をピンポイントで防いでいく)

明らかに生徒の命を脅かすようないじめとして根拠を得た時には、できるだけ広範囲にかつ細やかに、その生徒を守る対応が望まれます。
大体の場合に、授業合間の休憩時間や、放課後、下校時など教師の目が生徒から離れる時間帯に発生の頻度が高いので、教師が手分けしてその子を見守るといった対応でその子の危険を回避し、守ることができます。

4. 一人一人に生きるための明確な目標を持たせて勇気づけをする

いじめについて、いじめている側は相手が追い詰められている等のそれほどの認識がなくやっていることが多く、そういうエネルギーをほかの方向へ向かわせることが必要です。
学校で自分がこれからの人生を生きるために何を得ようとしているのか、どう生きるのか、他者との関係の中で「生きる意味」と「目標」を明確に持たせてあげること。そしてその実現に向かって一人一人が進めるように「勇気づけ」て行くことが大事です。

不登校へのアプローチ

1. 保護者との連携―欠席の場合の電話連絡

できるだけ不登校の兆候が表れた早い段階で、教師と親が連絡を取り合い、欠席した場合の対応を決めておくことが望ましいのですが、そうもいかない場合もあるかもしれません。

教師にできることは、その子が学校へ行く気持ちになったときに困らないよう、休んだ時には必ず連絡事項を自宅へ連絡を入れておくことです。

明日必要なもの、行事等の事務連絡だけでもかまいません。

「いつでも君は学校へ来ていいんだよ。」というメッセージを伝え続けていくことが大事です。

2. 記録を残す

~~の対応をしたらどういう反応か返ってきたか、~~という言葉をかけたらどう反応したか、その子の様子等、もし可能でしたら親御さんの協力を得てできるだけ書き残し、対応方法についての気づきと模索の材料にしていくこと。

子供が一人一人違うように、不登校への対応も一人一人違いますが、文字にすることで頭の中が整理でき、自分と子供を客観的に見られるようになります。感情的な対応をしなくて済むためでもあります。

3. クラスの中で居場所を作る

不登校の子供が特に感じているクラスの中での居場所がないという感覚。
居場所があると感じられないのは「勇気をくじかれている」からとも言えます。
「安心」が得られないということもあるでしょう。

家に籠って学校へ行かないのは、困難な状況ー学校での勉強やスポーツ、友人関係に関わる勇気が持てないでいるからです。

その子に合った目標を達成するように見守り勇気づけていくことで少しずつ自信を回復していくと同時に、自分が安心してここにいていいのだという感覚をもてるクラスの雰囲気づくりが大事になってきます。

4. 友達の力を借りる

その子に近しい生徒に協力をしてもらうのは、とてもいい方法です。

特別なことをしてもらうのではなく、それとなく声をかけてもらうとか、見守ってもらう等の「押し付けにならない」程度の自然な協力が得られればいいのです。

学校への登校頻度が上がってきたら、積極的にクラス会議等で、クラスの仲間づくり、つながりを作っていくことも可能です。

5. プラスの言葉かけ(勇気づけ

先に書いたように「不登校」になっている子供はすでに「勇気をくじかれ」ています。
したがってこれ以上「勇気をくじくこと」は、対応として一番まずい方法になります。

どんなささやかなことでもいいので「勇気づける」言葉をかけていきましょう。
そのためには教師が出来て当たり前と見過ごしていることに気が付ける「ヨイ出し」「適切な行動に注目する」といった「勇気づけの目線」が必要になってきます。

最後に絶対にしてはならないこととして
「登校を無理強いしないこと」

生徒への対応は

「あせらず」「あわてず」「あきらめず」

挑発的な態度をとる子にはどう対応するか

一口に挑発的な態度といっても色々な行動が見受けられます。問題を起こしたことに対して「教室から出ていくこと」を指示したところ本当に帰ってしまったとか、わざとゆっくりと行動して皆に合わせなかったり、教師を無視したり、聞かないふりをするなども考えられるでしょう。

いずれにしてもこれらの行動には四つのケースが考えられます。
愛と勇気づけの親子関係セミナーSMILEでは、「不適切な行動」には四つの理由があるとしています。

「その方法が不適切であるということを知らない場合」
「不適切であることはわかっているがどうしたらいいのかわからない場合」
「不適切であることにより望む結果を得ているとき」
「不適切でない方法では望む結果が得られない」
と思っているときです。

「不適切」と言う言葉の部分に「挑発」と言う言葉を置き換えて読んでくださいね。

では、その子の目的はなんでしょうか?なんのメリットを得られるからしているのでしょうか?

皆さんはすでにお分かりですね。「皆の注目を得る」ことだと思われます。したがって対応は「挑発的な態度」ではなく、「注目を得る」ことをほかの方法で達成できるようにしていくことになります。

勇気づけに基づいた対応はまさに「挑発的な態度をとる子」に対して有効であるわけですが実際に三つの対応について記します。

すでに使っておられる方は応用してくださると実感が持てるかと思います。

1. Iメッセージ
Iメッセージとは、相手に何かを伝えるときに相手を尊重しながら自分の感情を話す方法で相手に対して押しつけがましい印象を与えないで済みます。

子どもたちがざわざわして落ち着きがない、話をちゃんと聞かないなどのときには「先生は皆さんにお話ししたいんですけどいいですか?」という言葉を使うことができます。

これはご家庭でもお母さま、お父様方がお子さんに対して使うことで自分を大事にしてくれているという感覚を子供が持つことができると思います。

教室で走り回っているとか掃除中に箒を振り回して遊んでいるとか、のときでも「教室で走り回ると危ないですね。私はあなたがけがをするのを見たくないのです。」と伝えます。

こういうIメッセージを使うことで挑発的な態度の子にも自分の気持ちを伝えることができるとともに、その行動が不適切であることを直接話すことができます。

「おしゃべりしないで私の話を聞いてくれるとうれしいな。」「教室(家)の中では本を読んだりして過ごすと楽しいよ。」といった適切な方法について諭すことも可能です。

2.子供の自己肯定感を上げる

挑発的な態度をとる子は、先生や友達の注目を得たいという欲求があります。家庭で愛情を持って育てられていなかったり、友達とうまく関われないことから自己肯定感が低くそのため負の注目(不適切な行動により相手の叱るなどの注目を得ること)を受けてでも自分の存在をアピールしたいということなのです。

したがってその子の自己肯定感を高めることにより挑発的な態度の頻度を落としていくという方法が考えられます。

不適切な行動を叱るなどの方法では相手の目的をかなえてしまうので悪循環からは抜け出せないことが多いです。
 
まず自分自身が挑発的な態度を取られても感情的にならないということが大事であり
どうしてそのような行動をしてしまったんだろうね、と問いかけて一緒に考えてみること、その方法があまりいい方法ではないのでより適切な方法を提案してあげたり一緒に考えていくこと、それにより同じ状況で同じパターンを繰り返すことからの脱却を図っていきます。

また「成功体験が乏しい」ことも挑発的な態度の子には多く見受けられるので、成功体験の数を増やし、正の注目を得ること(認めてもらったり、ほめてもらったり)を増やし、自信をつけさせていくことも大事な積み重ねになっていくと思います。

「キーワード」は「気持ちが理解できるよ。」「君はそう思っているんだね。」「気持ちを話してくれるとうれしいな。」と言った「共感」に基づく態度を、挑発的な行動の際にもかかわる側ができることでしょう。

3.リーチアウト

「リーチアウト」とは「手を差し伸べる」ということです。挑発的な態度をしたときにのみ私たちは対応しがちですが、そうでないときこそどんどん声をかけたり、勇気づけをしていくことが大事になってきます。
 
「たくさん遊んでずいぶん汗をかいたね。」とか「髪の毛を切ったんだね。さっぱりしたね。」とかとにかく何でもいいのです。

ある程度の年齢になってからの子どもについては(小学校高学年以上)になっている場合には、Iメッセージ(私メッセージ)で、諭してその方法では望む結果は得られないことを伝えつつ、リーチアウトで挑発的にならなくても望む結果は得られるんだということを知らせていきます。

挑発的な態度の子に関わらず不適切な行動の予防に「勇気づけ」は、つながると考えていいと思います。

不登校への学校現場における臨床

「不登校」という言葉は学校へ行かなくなった子供や親にとってあまり良いイメージがあるとは言えないようです。

子どもの状況を説明する際にもあまり深刻な事態であると言わずに「登校しぶり」または「学校に行けなくなった(不登校という言葉を使わないなど)という表現からもわかります。

学校に行くことが当たり前の時代には「学校へ行かないこと」は、子どもや親にとってみんなと同じでない、同じようにできなくなってしまった、普通の道から外れてしまったなどの否定的な印象を強く持ってしまうのかもしれません。

そこにはなりたくてなったわけではない、または認めたくないという気持ちも働くことでしょう。

それはまた教師にとっても同様です。自分のクラスから不登校の生徒が出るとまるで「自分の教師としての力量がない」と取られたような気分なのかもしれません。

子どもが学校へ行かなくなると親も教師も必死にその原因探しをします。原因を取り除けば学校に行けるに違いないと思うのです。

そしてすぐにでも学校に行けるように手立てを考えたり、すぐに効く処方箋を出してもらいたくて専門家と言われる人に相談したりします。

学校に行きづらくなるきっかけは確かにあるのかもしれませんが、それがすべてでそれがなくなったからといって学校へすぐに行くかというとそういうわけにはいかないのが実情のようです。

原因を追究しているうちに学校に行かなくなる期間が長くなり、理由そのものが希薄な状態になってしまって本人もなぜ学校へ行かないのかがわからなくなったりします。

また親が焦れば焦るほど子どもが追い詰められるという事態にも発展してしまいます。

アドラー東北ではアドラー心理学をベースにいらした親御さん、または教師の方に「原因」ではなく「目的」を考えるようにまずお勧めします

アドラー心理学は行動の目的を考えますので、子どもが「不登校」という行動で何を得たいと思っているのかを考えることで子供への理解が深まり対処への手がかりになると考えます。

行動の目的は一つとは限りません。それぞれのケースで合った目的を考えることがコツとなります。

例えばもともと学校に対してあまり意欲のない子供が、なんらかのささいなきっかけで不登校になることはある得ることであり、家では普通にしているということもあるでしょう。

そんなケースで考えてみると何が学校で得られず家庭で得られているかと言えば所属感や貢献感といったものが考えられます。

こういうお子さんだと不登校の行動の目的は何かというと学校では自分の無力を示すしかなかったのかもしれないと考えられます。

アドラーの後継者であるドラ―カースは「落胆が起きるとパーソナリティは歪んだものになる。それはその人の自己評価に反映し自己尊重を減らし、傷つきやすくさせ、臆病で怖がりにさせる。落胆は人の力と勇気を消耗させる」と言っている。

家庭で適切に親に関わってもらえた経験が少ないと、落胆を感じる場面も多くなり、そのため無力を示すしかなく、勉強や運動などの多くの物事に意欲を書いていったのではないでしょうか。

ドライカースによる子供の好ましくない行動の目的は
「注目・関心を得る」
「権力闘争をする」
「復讐する」
「無気力・無能力を示す」

の四つがあり、最初の「注目・関心を得る」がかなわないと次の「権力闘争」へ進み、それもかなわないと「復讐する」へ、そして「無気力・無能力を示す」へと段階的に進んでいくことを示しています。

このお子さんの場合「何もしない」「引きこもる」「不登校」といいう行動は落胆度が一番大きい四つめの目的「無気力・無能力」を示すと考えられます。

最初は楽しく学校へ通っていたのに、だんだん学校から辛くなって遠ざかる子供もよく見られます。

思春期になって自分と他者を比べ自分がうまくいかないことを過剰に意識してしまい劣等感を強く感じてしまうことが多いでしょう。

小学校ではそれほど顕著でなかった学力の差や能力の差が、自分がついていけなくなったことで学校へ行く気持ちが向かない。
または勉強そのものについていけなくなるとどうしても自分の力不足を実感せざるを得なくなりわからないままその場にいることが苦痛になり不登校になってしまうなどがあると思います。

こういったことの目的を考えてみると、不適切な行動の4つのほかに「優越すること」「気に入られること」なども想定に入るでしょう。

この場合は今まで頑張ってきたが疲れてしまい、劣等感を感じてこれ以上頑張っても無理などという気持ちが行動に現れているのかもしれません。

「親や教師にできること」

それではアドラー心理学の考えに基づいて親や教師にできることを考えてみましょう。

1.存在価値を認め勇気づけ

アドラー心理学では「人は自分の居場所を見つけるために行動する」と考えます。

居場所があると安心するからです。居場所(所属感)は、幸福になるための条件の一つとしてアドラー心理学では考えます。

子どもにとってはまず家庭内がそれに当たります。
しかし居場所がない、受け入れられていないとわかると何とかして手に入れるために様々な手段を講じることになるでしょう。

手段の良し悪しが問題にならなくなり何としても手に入れることが目標になります。

「不登校」という行動で無能力を示していると考えられる子どもについては、そのことによって「やりたくないことを避けることができる」「のんびりと安心して家にいることができる」

すなわち家庭という場所では自分の居場所を確保できていたのかもしれません。

この段階の対応としてはドライカース
「自分が価値があると感じられるようにやろうとしている時に褒める。劣等感を持ち続けないようにする。建設的な方法を用いる。援助者自身が落胆しない。」
などを示しています。

「不登校」という方法を選ぶということは子ども自身の自己評価はかなり低く、勇気がかなり消耗していると考えられ、関わるものとしてはその回復をあきらめることなくじっくり待つことが必要になります。

同時に存在を認めることや自分に自信が持てるようにうまくいっていることや頑張っているところを伝えるなど良い面を引き出していくこと

所属感の持てるところで(家庭)で、安心した生活を送ること、その生活の中で貢献感(家事の手伝いなど)を十分に体験させ、外へ向かって行ける力、自信や勇気を付けていくことが大事でしょう。

親や教師が連携して「目的」を把握し、学校へ行ってみようかと思えるような声掛けや登校した時にはその行動を喜ぶなどできるといいでしょう。

上手くいかないという感じや劣等感が強い場合には、自信と取り戻せるようは働きかけを目指して「勇気づけ」が中心の支援となります。

2.課題の分離を使う

生徒自身とは会えない場合が多いので、親とのかかわりが教師にとって中心となるのですが、その際には「課題の分離」を活用していきます。

課題の分離とは、今起こっている問題は誰の問題なのかということです。

他者の課題には介入しないこと、自分の課題の解決に他者をあてにしないことを子どもに考えてもらいます。

学校に行かない・不登校であるという問題は、相談に来ている親の問題ではないということをまず押さえなければなりません。

何とか学校に行かせようとすることは課題の分離の考え方に反することになります。家庭生活で本人が本人が自分の存在価値を見出し、困難を克服する活力を取り戻していくにはどうしたらいいのか、について親子で考えていくのです。

学校へ行っていなくても普段通りに子どもに接する。
親が焦って無理に行かせようとするとかえって回復を遅らせる可能性もある。
子ども自身が気持ちの整理をつけ、解決の糸口を見つけられるように信頼することが大事なことも多い。

学校にいくことについて親として力になりたいことがあれば「共同の課題」として子どもに提案する方法もある。この際提案を子どもが受け入れなければ親は潔く引き下がることが大事です。

学校に行くのは子どもですから、子どもが学校についてどう考えているのか、これからどうしていきたいのかを子どもとじっくり話をして、最終的には子ども自身が決定して行動していくこと(自己決定性)を援助していくことが親と教師にできることです。

3.仲間づくり・居場所つくり

子どもの行動の基本的な目的は「居場所」を求めての行動です。
自分がその場所に居てもいいのだと思えたり、自分が安心していられる場を求めていたりします。

学校でも家庭でも子どもがそのまま安心して受け入れてもらっている場所を作っていく工夫をしていくことが求められています。

powered by Quick Homepage Maker 4.91
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional