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対人支援

対人支援

対人支援に活かすアドラー心理学」

アドラー心理学の対人支援のコツは「この人(子)の問題行動をどうすればなくせるだろうか?」ではなく「この人(子)の長所をどうしたら伸ばせるだろうか」ということ

アドラー東北の仙台・盛岡・郡山会場では対人支援にアドラー心理学を生かそうという方に多くのご来場をいただいています。

教員をはじめとして教育関係者・教育に関わるお仕事をされている方たち・そして子供や親の支援をされている方たち、若者の就労支援に取り組む方たちなどその職種は様々です。

アドラー心理学は「どうしたら他者と協力的に暮らせるか」という健康的な暮らし方を身に着けることを目指します。

私たちはどうしても不適切な行動に目が行ってしまい、どうにかしようとしがちで欠点には黙っていても目が行きます。

しかし不利益でない、すなわち有益であることには問題がないので目に入ることがありません。
だからなかなか相手の適切な行動には目が行かないのです。
相手の長所や適切な行動に注目するには意識して探さなければなりません。

アドラー東北には「アドラー心理学の良さを様々な対人支援に活かしたい」と東北六県から多くの皆様が集ってきています。

画像の説明

☑アドラー心理学を生徒との関わりや指導に活かしたい教育関係の方
☑他者の悩み相談にアドラー心理学を活かして援助したいというカウンセラー、臨床に関わるお仕事の方
☑失意の患者さん、介護を受けられている方へアドラー心理学の勇気づけを活かしたいとお考えの医療関係の方

「こんな方がいらしています。」

教員・教育関係者・学習指導に関わるお仕事をされている方・子育て支援のお仕事をされている方・医療関係者・医師・看護師・臨床心理士・スクールカウンセラー
キャリアカウンセラー・産業カウンセラー・就業支援・介護支援・ソーシャルワーカー・サービス業の窓口業務

専門家の方たちがアドラー心理学を学ぶことで自分自身の抱え込みが楽になり、心の余裕ができ、そして支援する方たちへのアドラー心理学をベースにした基本的な対人関係法を生かすことで効果が望めたりと自分のお仕事のステップアップをかなえています。

アドラー東北では対人支援に関わる方のために、アドラー心理学の基本的な対人関係の軸が学べるSMILEというコース、勇気づけに特化したELMというコース、そしてアドラー心理学をベースにした対人支援の基本的な態度が身につくコミュニティカウンセラー養成のコースとご用意しております。

アドラー心理学は一般の方が生き難いと感じた時のための心理学ですが、様々な対人支援・臨床に於いてアドラーの良さを生かさない手はないと思います。

アドラー東北は今までの支援法に行き詰まり何かもう一歩踏み込んだ支援をしたいとお考えの専門家の方にも高い評価を得ています。

まずは支援する側がアドラー心理学を学んで勇気づける人になること
勇気づけのみをアドラー心理学的態度や生き方から切り離して使用してもうまくいきません。

受け取り手には都合よく自分を動かそうとしているようにしか感じられないからです。
まずは自分がアドラー心理学を実践して身に着けること。アドレリアンとして生きる決意をすることです。
アドラー心理学の勇気づけが生きるのは発信者が勇気づける人そのものでなければならないのです。

アドラーの治療は勇気づけそのものでした。
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勇気づけはアドラーの治療の鍵で、勇気づけを使わないで問題解決を図ることは皆無であった。彼の治療に公式があるとすれば、勇気づけと責任のバランスが公式だった。『大丈夫だから前に進みなさい』ではなく『困難だとしても、君がやろうと思うなら前に進みなさい』というのがアドラーの勇気づけだった。
ハインツ・アンスバッハー&ロウェナ・アンスバッハ―

アドラーの人間観・教育・治療が勇気づけそのものでした。

アドラー心理学における勇気づけとは
勇気づけとはリスクを引き受け他者とも協力できる能力を与えること
勇気づけとは、困難を克服する活力を与えること

対人支援の鍵は「やる気」「勇気」「自信」を持ってもらう事

「アドラー心理学は万人のためにある」

嫌われる勇気の出版・ベストセラーをきっかけに、アドラー心理学に関する本が数多く出版され続けています。

他者支援に関わる人もアドラーの考え方を多く取り入れるようになってきました。

アドラーは臨床医としての実践からアドラー心理学を確立しましたが、それを一部の専門家のものとはせずに、一般の人にも広く伝えていたことは自明の事実です。

アドラー心理学の内容は子育て、教育、対人関係、人生論など多岐にわたり、前述のように家庭、夫婦、家族、子育て、子育て支援と学校にも強みがあり、日本でも子育てや教育の分野で実践されてきています。

残念ながら最高学府である大学ではアドラー心理学はまだまだ学ぶ機会がなく専門家向けではないなどの評価も根強いようですが、カウンセリングをはじめとした他者支援にアドラーを使わないのはもったいないと感じています。

なぜならアドラー東北がアドラー心理学をお伝えしている中で、自分の悩みから解放される方が多いからです。これを専門家が用いない理由がないとアドラー東北では考えています。

現在多くのカウンセラーが学校や職場や家庭を支援しています。その現実に於いてアドラーを知っており、そのどこで用いても一貫性のある、同じ感覚で使えるものはアドラーを置いて他にはないと思います。

ぜひこの臨床に有益なアドラー心理学を専門の対人支援の方にも学んで活かしていただければと思います。

「アルフレッド・アドラーの源流」

アドラーは、どのような人たちから影響を受け学んだのでしょう。
まずフロイトについてですが、アドラーがフロイトの弟子であったというようなことはありません。確かにアドラーはフロイトが主宰する精神分析学会の会長を務めたりしましたが、フロイトから精神分析を受けたことはありませんし、フロイトの方法を体得していたわけではありません。

アドラーはフロイト理論を受け入れていたわけではありませんが、精神分析理論から深い影響を受けました。特に母、子関係の重要性、6歳までの心理的発達の役割、神経症的症状の解釈、夢の分析などから深い影響を受けました。

またアドラーは当時の多くの人がそうであったように、ダーウィンやニーチェ、マルクスから影響を受けています。
また他にも多くの思想や哲学を持って自分の心理学を確立しました。

「アルフレッド・アドラーの影響」

アドラーは他の流派にも影響を与えています。
遊戯療法資格の教科書にもアドラー心理学は必須アプローチとされていますし、発達障害の子育てで定評のある本にも家族会議や論理的結末などのアドラー派の技法が使われています。

アドラー派の対人関係論は精神分析に逆輸入もされており、その一部の派閥は「新アドラー派」と言っていいほどです。

アドラーの主体論や全体論は人間派の心理学にも流れています。アドラーの教え子でもあるフランクル、マズロー、ロジャース(来談者中心療法)も研修生時代に直接アドラーから学んでいます。

認知論は、パールズ(ゲシュタルト療法)、ペック(認知療法)、バーン(交流分析)にも影響を与え、現在の認知行動療法のスタイルはアドラーに近いものです。

夫婦や家族のカウンセリングを数多くこなしてきたアドラーの対人関係論や認知論は、家族療法やブリーフセラピーにも影響を与えています。

子育て支援、力動的心理療法、人間性心理学、認知療法、家族療法、ブリーフセラピーなど、のちに登場する全く異なる流派のタイプがアドラーにはあるのです。

アドラー本人が1人でこれらを到達していたのは驚きと言えましょう。
アドラーの理論の一部が発展したのが後年の各流派なのです。アドラーの認識ポイントは各種流派のエッセンスがすでに入っていたと言えましょう。

臨床心理学以外にもアドラーの劣等感は現代の心理学でいう自己効力感に、ライフスタイルはパーソナリティのビッグファイブに、共同体感覚は向社会性行動や市民性教育に該当しますし、さらに現代のポジティブ心理学や幸福研究の萌芽であると言えます。

アドラーの思想は時代の先を行っていたものであり、アドラー本人も半世紀後には時代が追いつくだろうと予見していました。
昔のアドラーを学んでさえその有益さは生きており、活用できる技法がたくさんあると言えるでしょう。

「アドラーの理論」

アドラー心理学は目的論、対人関係論、認知論、全体論、主体論というそれぞれの思想の統合になっています。
人は対人関係の中で自分が認知し創造したライフスタイルを使いながら自分の立てた目標に向かっている統一的存在であるということです。

ランディンはアドラーの見解をまとめて他の人が良くなることを願う共同体感覚、人生目標に向かうライフスタイル、優越になろうとする動機付け、全体論的に人格を理解するすることを挙げています。

スウィーニーはアドラーのアプローチを社会的目的的分析と呼び7つの中心概念を挙げています。

「人は社会的存在であり人生に対して自己決定的、目的的、創造的に自らの場を作っていく」
「個人に関しては主観的視点から機能を全体的(ホリスティック)に理解する。」
ライフスタイルとは自己と人生の他者についてのその人独自の確信のセットであるーそれは5つの基本タスクに対処するときの指針、もしくは地図である。ライフスタイルは6~8歳に形成され通常は吟味されずかつ変更されずに残っている」
「ライフタスクへの対処の失敗は勇気が損なわれていることのしるしである。くじかれた勇気は若いほど克服しやすいが個人が克服することを選択すればいつでも可能である。」
「共同体感覚は人間の質の概念化である。人間が人類の一員として責任があり、共同的であり創造的であろうとする傾向である。共同体感覚が高い人は自身と他者と人生を楽しみ好む。けれども共同体感覚は育成されなければならない。さもなければ個人の誤った自己認識は勇気が損なわれる結果や事故敗北的行動をもたらすことになる。
「アドレリアンは市民が根本的に対等であるとする社会の君主制に基づく価値観を述べる傾向にある。このアプローチは教育的で予防的な性質のものではあるが、治療や危機介入も行う。」
「増大する多元的で多文化的な文化においてアドラー心理学はカウンセリングの基礎となるのに最適な理論であり、民主的と社会的な平等に基づいて、男性と女性、人工的なマジョリティとマイノリティ、異なる世代、虐げられている人々の現実に対して、社会的な平等を声を大にして提唱してきている。」

「アドラーの実践」

アドラー心理学は適応範囲が広く支援形態も多彩です。
アドラーは社会的文脈の視点を持っていたのでその臨床は診察室のみには限定されませんでした。
個人を含む「面」としての関係性を見ていくエコロジカル・アプローチだったわけです。

そのため世界で初めて児童相談所をドイツ国内に多数設立する働きかけをして地域や教育にまで広がりを見せました。それらは治療や予防という医療的概念を超えたいわば「生き方」や「人間知」と言えます。

社会階層の違いが明確なヨーロッパでアドラーのもとを訪れる人々がこれだけ均等なのは多様性や汎用性があったことになるでしょう。

もともとアドラーは医師になったときから軍隊や無料診療所で幅広く民衆と接してきました。特定の問題や特定の階層だけに特化することより、いろいろな人々に関心が向いていたと言えます。それだからこそあらゆる人に開かれた現代の臨床心理学の先駆けになれたといえます。

「アドラー派のカウンセリング

アドラー派のカウンセリングはクライアントとカウンセラーの対等性、クライアントの選択の自由や自己決定などを尊重した関係づくりになります。

主にアドラー派が行うのは「ライフスタイルの解明」と「再方向付け」がアドラー派のカウンセリングの作業です。

「ライフスタイルの解明」にはライフスタイル診断と言われるものを使います。
アセスメントに当たりますが、「出生順位」「家族布置」「早期回想」などを問うことでライフスタイルを査定します。

またそれらによって判明したライフスタイルを吟味して、再検討し、修正を加えていくのが再方向付けになります。

ライフスタイルを明確にしたらそれが現実にどのような影響を与えているかを検証してもらうのです。

子どもの頃に作られたライフスタイルは大人になってまったく合わなくなっていることも考えられるからです。

そもそもライフスタイル自体が不適切な場合もあり、そのことをクライアントが自覚していく作業です。
アドラー派は、現実にクライアントに直面してもらい、どうするかを他の選択肢も加味して話し合い、決断してもらうようにします。

さらに変える場合にどのように変えるかも考えます。その際に指針となるのが「共同体感覚」です。

アドラー心理学でのカウンセリングは使える技法は何でも使いますので、折衷的柔軟さがあるのです。理論的スタンスが確固としてあるのでどんな技法を使ってもぶれないのです。

対人支援に活かすアドラー心理学」

対人支援にアドラー心理学を生かそうという場合には、「身近な人のお役に立ちたい」「問題解決のお手伝いをしたい」「所属するグループ・共同体のメンバーにやる気を起こしてもらえるよう支援したい」などが考えられるでしょう。

「身近な人のお役に立ちたい」「問題解決のお手伝いをしたい」という場合にはアドラー東北でコミュニティカウンセラーの資格をとったり、勇気づけリーダーの資格を取って活動するという方法があるかと思います。

実際に家庭や学校、そして職場で関わる人のやる気を引き出すことが求められるでしょう。

「自らの課題に取り組まない人への治療としての勇気づけ

対人支援の中でアドラー心理学を生かそうとする場合、勇気づけて相手のやる気を起こさせることは、その相手の欠点を直そうとするときには有効です。

アドラーは、この方法について神経症の患者たちの治療の中からヒントを得たに違いありません。
その時明らかだったのは、不適応(病気への逃避とか、障害や失敗)はたいていその人たちがやる気をなくしたために起ったという事です。

そして彼らの人格形成を歪めている欠陥は、そのすべてが子供の時代に早くもやる気をくじかれたことに由来するということです。

どんな人でも自分はグループの一員として認められているという自信、あるいはまたグループでの生活を立派にやっていく方法も心得ているという自信をくじかれることがなければ、自分から人生の道を反社会的な方向へそらすわけがありません。

アドラー派は、人の不適切な行動、社会への不適応の問題についてこのように考えます。

「どうしたらやる気を起こさせることができるのか」

子どもでも大人でも対人支援に関わる人たちの多くは「やる気を起こさせること」がどれほど大事かという事を知っています。

でもどのようにしたらやる気を起こせるのかについてはほとんど知らないと言っていいでしょう。

それにはタイミングとやり方があり、それを外しているので結局失敗に終わります。
またやる気を起こさせるための技術・方法を知らないことに気が付いていないという事もあります。
そのために実際には相手のやる気を失わせているといった場合も少なくありません。

指導する際にこの「やる気を起こさせること」が単に補足的手段としてしか考えられていないという事もあるでしょう。
本当はこの「やる気を起こさせる技術」こそ対人支援の中心にならなければならないほど重要であり、またそれほど簡単にできることではないということです。

対人指導する際に使っている従来からのやり方は親や先生、指導者の権力を使って報酬と罰を与えるやり方ではないでしょうか。

民主主義社会に育った子どもは、権力をかさに着ていう事をきかせようと迫る人に対しては抵抗するのが普通です。

外部から圧力をかけて相手に好ましい行動をとらせようとしても決してうまくいかないということです。相手がいったんしないと決心したら何かをさせることはまず不可能です。

外部からの圧力をかけるのをやめて当人がやってみようと思い立つように仕向けるのが大切なのです。
報酬と罰とではこの内側からの気持ちが湧いてきません。

相手が自らやってみようという気持ちになり、そして正しい方向に踏み出しさえすれば外部からの力などは必要なく、そのまま行動を続けようとするでしょう。

「人はなぜ間違った方向へ進むのか」

国家・地域社会・学校・家庭に至るまで独裁的な支配が弱まるにつれ、人間は誰でも自分の事は自分で決めるようになります。この自己決定はみんしゅ主義の基本なのです。

今の子供はどの子もこの自己決定の権利を持っており、またそれを存分に行使しています。
子どもが何かをしようとしたときに主に拠り所にするのは、自分の考えであったりあるいは自分自身や他人についてのイメージであったり、あるいは仲間から高く評価されるためにはどうすればいいかといったことです。

子どもは自分の望みをとげようとしている途中でやる気をくじかれるようなことがなければ割合に健全な手段をとるものです。
しかし自分にはどうやらうまくやれそうがないと自信を無くしてしまいそうなことがあればそのことを諦めてしまい、まったく別のわき道にそれてしまうものです。

自分自身と自分の能力に対して自信を失うことがやる気をなくす原因なのです。

今の社会にはやる気をなくす機会が数多くはびこっています。それは社会にうまく適応できず様々な問題を引き起こしている人々の姿を見ればはっきりわかります。
親にがみがみ言われないで自分のやることを自分でやれる子どもはほとんどいません。
こういった人たちはみな何かの形でやる気をくじかれているのです。
従って木に水が必要なように相手にもやる気を起こさせる勇気づけが必要なのです。
勇気づけがなければせっかくの相手の潜在能力もまずます枯れてしまいます。

「やる気を起こさせる三つの条件」

相手の考えを感じ取ること
「指導の効果うんぬんは、受け取る側がどう指導を意味づけし反応するか」にかかっています。
従って支援される側自身が自分の課題をどう見ているか、相手の反応を敏感に感じ取れる能力が支援する側には求められます。

相手を信頼すること
やる気を起こさせるには相手の能力と自発性を心から信頼することがまず大事です。私たちは相手を信頼することをとかく忘れがちになります。やる気をなくした相手を指導する場合にはこの信頼が欠かせないのです。
指導する側は自分たちがいくら相手に一生懸命になっても、あまりにも失敗することが多いので自分たちの意に背いた相手を信じなさいと言われても無理だと思うかもしれません。しかし相手の良いところを認めてやらないでやる気を起こさせようとしてもそれは無理です。相手を心から信じること、これがやる気を起こさせるには不可欠なのです。

支援する側が自信を持つこと
支援する側が自分には相手を指導する力があるんだと自信を持つことです。もし支援する側が「自分の能力では成果があがるまい」と悲観的であれば相手にやる気を起こさせることはできません。
相手は善意の支援する側の勇気をくじくという才能を生まれつき持っています。支援する側がいくら相手を失意から立ち直らせようと努力してもなかなかうまくいかないのではないか、この相手の才能にはとてもかなわないのではないかと思うかもしれませんが、必ず道はあると自分の力を信じることが大事です。

「支援する側と支援を受ける側の悪循環を断つ」
やる気をなくした相手の支援を毎日しながら自分も失意の中にある支援者をこれ以上相手に痛めつけられないようにするにはどうしたらいいのでしょうか。

自分のやることもせず社会にも適応できない人が増加する一方の中、優れた対人支援の仕事の方たちがそれに一生懸命取り組んではいるもののなかなか思うようにいかず敗北感と挫折感が広がるばかりではないでしょうか。

こういう相手は支援する側がいくら良くない点を改めようと力を尽くしてもその努力を無にしてしまいます。

親子関係で見て見ると多くの母親たちが子供の事で悩んでいます。母親自身の情緒的不適応を直すことがまず先決という意見もありますが、これは間違いです。
母親は子どもの問題をもっと上手に処理する能力を覚えれば、無力感は消え去り問題を上手に処理できるようになるはずです。

先生が生徒を指導する際でいえば、知識と技術を身に着け生徒の扱い方や指導の仕方が上手くいくようになれば自分の能力に対する自己嫌悪はなくなるはずです。それと同時にどうしてもうまくいかないと感じている生徒がこちらの努力に応えてくれるようになるので子どもに対する不信感も消え去ります。
言い換えれば支援する側が先生たちに問題児に対する有効な専門的技術を提供できれば先生と生徒がお互いにやる気をなくしあっている悪循環は打破できるのではないでしょうか。

「やる気を起こさせる方法」は覚えようとすれば誰にでもできることなのです。そしてその方法を覚えればこれまで教室で途方にくれたり手こずったりしたような難問も処理できるようになります。

「他者理解の基本原則」

私たちは他者を理解することから始めなければなりません。そもそも人間とはどういうものであるか、自分で進んで行動するものであるのか、または他者から強制されて行動するものであるのか。

アドラー心理学では、人間はもともと自発的でありかなり自由に自分の行動を自分で決めらると考えます。人間は外部からの影響や遺伝的要因だけで行動するのではありません。

人間は自発的でありしかも自分で判断ができるのです。外からの力で動く人形ではありません。
人間は意図を持ちその意図にそって一生懸命努力します。自分にとって意義のある行動をし、自分で決断し自分で計画を立てるのです。

「人間の行動の背景にある社会的意味」

アドラー心理学では人間はもともと社会的な生き物であると考えます。動物には見られないこの特性は人間がいつも何らかのグループに所属しその中で仲間と互いに影響を与えたり与えられたりして生活してきた証拠です。

人間はグループの中にいて初めて持てる力を発揮し、自分の特徴を伸ばすことができるのです。一人前の人間になれるかどうかは、その人が属するグループのメンバーとしてうまくやっていけるかどうかにかかっています。

人間の行動を理解するには行動そのものを見るだけでなく、その行動がとられている周囲の状況も一緒に検討するのが一番確実です。人柄についても行動についても周囲の状況から切り離して考えてはなりません。

たとえば家でやるには良い事でもそれを学校でやったら良くないという事はあることです。状況を総体的に見ることが常に重要なのです。
その行動が社会的にどんな意味があるのか考えて見なければ理解はできないのです。

社会的に意味があることをしたい、社会的に認められたいというのは、大人と言わず子どもと言わず、すべての人の基本的な目的です。

他の人となんらかの関係を持たずには人間は実際には生きていけません。その人が社会の中で果たす役割とその人が社会から与えられた刺激に対する反応とがその人の人間性を形作ります。

子どもも同じです。周囲から切り離された状況で子どもは生きているのではありません。周囲とお互いに関係を持ちながら生きていると見なければなりません。

問題が起こるのは他者との争いが原因です。
人間の欲求を理解したければ、その人の社会的な関係と絡めて考えなければなりません。人間の欲求というのはその人の所属するグループとメンバーとの関係が自分の思うようになった時に満たされるのです。

人間の欲求を理解するのであれば、その人の社会的関係を絡めて考えます。欲求は、その人が所属するグループや、グループのメンバーとの関係が自分の思うようになった時満たされるのです。

社会的な関心は所属感よりももっと広い感情であり、それが人間理解には一番大切です。

社会的関心の豊かな人は、自分の事に責任をとるだけでなくグループに対する責任も、またグループが抱えている問題にも責任をとろうとします。

人間が精神的健康を保ち環境によく適応するには社会的関心が発達していることが必要なのです。

子どもに関していえば、甘やかしたりかまわないでおくと社会的関心を向ける幅が非常に狭くなってしまいます。

口を出し過ぎても、出さな過ぎても、結果として「周囲との協力関係には気を遣わなくていいんだ」と思うようになります。こうして甘やかしと放任という二つの似ているとは思えない行動が劣等感や不適応を増すことになりかねないのです。

子どもは他者の扶養や保護を受ける時間が長くあります。自分が弱くて劣っているという劣等感に打ち勝とうとしていていろいろと試行錯誤します。大人であれば社会の中で下の地位から上の地位になんとかして上がろうと奮闘する姿がいたるところで見られます。

仕事や男女の役割、社会とのかかわりについて自分の責任をとることが人生の主な仕事と言っていいでしょう。いずれの場合にも社会的関心が発達していることが大事で、そうでないと責任が果たせません。人生の課題を解決できないと問題が持ち上がってくると言えるでしょう。

「行動の意図を見る」ーアドラー心理学の目的論

人間の行動や活動はある特定の目標を目指しています。これがまず第一に必要です。

先生や親がよく子供の行動に対して「わけがわからない」という事があります。
しかしこれは大人の考える意図や目標からはわからないというだけの事です。その子の立場に添って考えれば意味が通っているのです。その子にとってはそれが自分の意図を実現するための唯一の方法なのです。

原因論とは違って目的論で物を見ると、目標が精神的な刺激となり人々の行動を刺激すると言えます。

子どもの行動を理解するには意図があることを知ることです。
行動は一つの手段です。

そのためには「観察」が必要で、私たちが観察の感度を高めてみれば、子どもは多くのことを語ってくれています。

人間は誰でも自由に自分で目標や方向を選択でき、自分の意思で決めてその意思に従って行動するとみるのです。

「人間は自分の考えに基づいて行動する」ーアドラー心理学の認知論

人間の行動はその人自身が直接に知っており、また体験している世界と関連させて初めて理解できます。

人間は事実によって影響されるのでなくその事実をどう解釈したかによって影響されているのです。これをアドラー心理学では認知論として大事な方法論として捉えます。

子どものすることをいくら具体的に分析しても意味がありません。それよりもその子供がそのことをどういうつもりでやっているのかを知ることの方がもっと重要なのです。

その子の人生観を通してみればその子の行動はすべてその子なりに立派に筋が通っています。

子どもを支援しようと思うのであれば、子どもの主観的な物の見方、つまりその子の「自分だけに通用する理論」を知っていなければなりません。

人間はどんな出来事も自分なりに解釈してから受け入れます。そして一人一人が現実を解釈する仕方はほんの少しずつではありますがそれぞれ違っています。
したがって自分だけに通用する論理というものは世間一般に通用する常識とは際立って違っています。

人間は自分の解釈によって物事に特有の意味づけをするものだという事を知れば、その人の行動は客観的に見るのではなく、その人の主観に即して見なければならないという事を理解できます。

過去の経験の大切さは、その人が経験をどんな具合に見ているかによって違ってきます。その見方を知ることがその人の行動を理解したり、改善したりするためにどうしても重要なことです。その人がどんな才能を持っているかを知るよりも、その才能をどう使っているかを知ることの方がずっと重要です。

私たちが問題を処理する場合、一般論を当てはめようとしてもなかなかうまく解決できません。
人間は主観的に行動するのであるという見地に立てば「一般的な法則」ではなく、その人だけに当てはまる「個別的な法則」を開発することが大切になってきます。

「人は自分流に物を見て、自分流の意味づけをする」

子どもは外からの刺激を受け取るだけの生活をしているのではなく、身の回りに起こるすべてのことを自分流に解釈したり自分流に意味づけする力を持っているのです。
こう考えると人間の行動に新しい意義と新しい説明をすることができます。

人間の行動は外部からの刺激に対する単なる反応ではありません。外部からの刺激とそれに対する反応との間に何かが存在します。それはその人が経験したことをその人自身がどう解釈してるかです。

その人の生き方とかその人の行動パターンを理解していれば、その人の次の行動はかなり的確に予測できます。

私たちは自分の見たいものだけしか見ていません。私たちがそれぞれユニークであるのは、表面的にとらえた外部に対する意識と、自分の個人的な解釈で捉えた意識とを統合して、外部の物事をはっきりと意味あるものとしてとらえる捉え方が、一人一人それぞれ違うからです。

一人一人が物事を自分で選ぶことができるのが人間の特徴です。

子どもを表面的にしか見ない人は、こどものある種の経験を過保護とか虐待の結果と解釈し、いろいろな名前を付けて分類しています。これは見当違いです。

私たちに必要なのは、子どもが自分の体験した出来事をどう解釈しているかを知ることなのです。子どもは大人の行動を大人の思惑通りに解釈しないことが多い。ということを頭に入れておかなければなりません。

子どもは物事を自分の意思で選択し、そして選択した通り実行します。欲求のおもむくままや衝動のおもむくままに行動するのではありません。

遺伝や環境は子供が自分の解釈を生み出す刺激として利用されており、そういう意味で重要です。子供の生まれつきは必要ではありますが、その子がどういう風に生きてきたかを知ることの方がより一層重要なのです。

自分の体験についての解釈は、世の中の出来事を解釈したり自分自身を評価するのにも実際に使われています。私たちはそれを自分の経験に基づいていろいろ考え、あたかも真実のように考えます。

子どもが学校に通うようになって、まず体験するのは自分は他人より劣っていてみんなについていけないと考えること。
となれば、誰かがその子にやる気を起こさせてやらない限り、その子はその後の学校生活をずっとそんなそんな調子で過ごすことになってしまいます。

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