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生き易くなるヒント

生き易くなるヒント

生き難い・人とうまくやれない・自分が好きになれない
アドラー東北には、そんな生き難さを抱え軽減することを目指して東北各県から多くの受講生が集ってきます。
アドラー心理学を学ぶことで、なぜその生き難さが軽減されるのか?

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「他者基準から脱する」

「人からどう見られているのかが気になる」ーついつい人の顔色をうかがってしまう。
自分らしく生きたいと思っていても、もっと気楽に生きたいと思っていても、人の目が気になる。
不安を感じると確かめずにはいられない。

私たちは1人で暮らしているわけではありません。多くの人とのかかわりの中で生きています。しかしあまりにも過度に他者からどう思われているかを気にしてばかりいて、それを判断基準にしていると気持ちが安定することはありません。

どうすれば他者基準から抜け出すことができるのでしょう?
答えはアドラー心理学にあります。

アドラー心理学は「不完全である勇気」を持つことを勧める

「自分には欠点も不完全な部分もあるがあるがままの自分を認める」
私たちは完全であることはできません。これは不可能です。人間である限りどこかに不完全な部分があります。それが自然なことなのです。

「自分は完全である」もしくは「完全でなければならない」と思っていると自分にOKを出すことができません。

人とうまく話せなかったり、仕事がうまくいかなかったり、日常生活ではうまくいかない時は誰にでもあるのです。自分だけが失敗しているわけではありません。

失敗した自分を認める、自分の欠点を認めること。そしてそれでも自分が好きと言えることーこれを自己受容と言います

アドラー心理学を学ぶと自己受容というかけがえのない宝を手に入れることができます。

また他者の評価は単に他者の意見に過ぎません。

アドラーはこういっています。
「他の人の自分に対する評価は、その人の個人的な意見であり、自分の価値そのものではない。」

アドラー心理学には認知論という基本前提があります。
人は起こった出来事を自分の経験から得た価値観で判断するという事です。

同じ出来事でも別の人間であれば別の判断をする可能性があるという事です。

「仕事を失敗した」ことでも「どうしようもない」と考える人もいれば「次に頑張ろう」と思う人もいるし「そういうこともあるよね」と考える人もいる。また「自分は駄目な奴だな」と思う人もいる。
これがアドラー心理学の認知論・基本前提です。

どう意味づけするのかは相手次第という事です。ですから他者のあなたに対する評価も人が違えば全部違うはずです。
他者評価を求めて他者基準で生きるという事は、このどう意味づけされるかわからない相手に合わせるという事です。

これではあなたは疲れてしまうのも当たり前です。
他者の評価は、その人個人のあなたに対する意見に過ぎないということを知っていれば、相手の評価をそれほど気にする必要はないということがおわかりになるのではないでしょうか。

「相手の評価はその人の意見に過ぎない」のにもかかわらず相手の言葉を重大に受け止め自分を落ち込ませる必要はないのではありませんか?

またもし評価されなかったとしても「たまたま」だったかもしれませんし、「気が回らなかった」のかもしれません。

捉えかたを変えて「頑張った自分は自分が認めればいい」と自分を勇気づけることが出来ればいいのです。

自分で自分を認めることは自分にしかできないことです。これを続けていくことで他者の評価は気にならなくなっていくことでしょうし、またありのままの自分に自信が持てるようになっていくことでしょう。

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「自分に自信が持てない」

日常の中では人生において様々な自信を失うような出来事に遭遇することがあると思います。

「どうやら嫌われてしまったようだ」「仕事で大きなミスをしてしまった」

人によっては自分に自信がずっと持てないという方もおられるでしょう。

人は自信を失うと自分の事が信じられなくなり不安になります。そして落ち込みます。その感情はどこから来るのでしょう。

その際に役立つのがアドラー心理学の目的論です。

アドラーはオーストリア生まれの個人心理学の創始者です。一般にはアドラー心理学と呼ばれています。

アドラーは精神分析学者フロイトの共同研究者でした。フロイトが人の心の問題を「過去の原因」にフォーカスして分析したのに対して、アドラーは原因を突き止めることよりも人がどこに向かおうとしているのかにフォーカスしました。

原因よりも目的のほうが大事であると考えたアドラーは、のちにフロイトと対立し決別しました。

アドラーは何らかの出来事が原因となって悲しみや喜び、怒りと言った感情が出るのではなく、まず自分がこうなりたいという目的(未来への目標)があって、そのためにふさわしい感情を目的と状況に合わせて使っていると考え「目的論」を提唱しました。

自信が持てない状況について目的論で考えてみると以下のようになります。

自信を失う出来事⇒自分の自尊心が脅かされるように感じる⇒他者の同情や許しを得るため⇒不安や落ち込みという感情を使用すると決断する⇒不安になり落ち込む

向かう先の目的をネガティブに設定したために落ち込むのです。
また自分に自信の持てない人は「どうせ自分は」とか「この性格は変わらない」と決めつけていることがあります。

「アドラー心理学の目的論でネガティブな回路を断つ

自信の無さを克服するためには「なぜ?」と問うのをやめて「どうすれば?」と問うのです。

「なぜこんな失敗をしたのか?」⇒「どうしたら失敗しないか?」に発想を転換します。

未来の目的に向かう言葉を使ってネガティブな思考回路を断つのです。自信がなくなった時こそ意識的に未来に視点を移すのです。

「人はいつからでも変われる」

自分に自信がなく「どうせ自分は」と思っている方にはアドラー心理学のライフスタイル論も役に立つ考え方です。

ライフスタイルとは性格と同じ意味ですが、その人の持つ物の見方や感情の使い方、思考や行動パターンの癖の総称です。

要するに生き方の癖であり、自分で選んで自分で作り上げたものと言えます。

アドラー心理学では自分の意思で決めたライフスタイルはその気になればいつでも変えられると考えます。
アドラーはこういっています。「性格は死ぬ1~2日前まで変えられる」

この際の変えるは、性格の使い方を変えるという意味です。

「自信を無くす人」であれば「時々自信を無くす」をめざして、自信を無くす回数を減らすように努めるのです。

「変わらないのは自分で変えないという決断をしているからである」

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「苦手なことから逃げてしまう」

「何とか逃げたい」「嫌なことはやりたくない」、仕事にしても人間関係にしても私たちは苦手でもやらなければならないこと、嫌いでも付き合わなければならない人間関係があります。

一旦は覚悟を決めてやってはみても、やはり「できることなら逃げたい、避けたい」と思ってしまいます。

また自分はプレッシャーに弱くて・・という方もおられるでしょう。
どうすればこういった心理から抜け出すことができるのでしょう。

アドラー心理学でこういう状態を説明してみます。
これはアドラー心理学では「ライフタスク」の問題と考えます。

ライフタスクとは人生で向き合わなければならない課題のことで、人は常にマイナスからプラスへ向かって行動を起こしていると考えます。

「あらゆる悩みは対人関係に行きつく」とアドラー心理学では考えますので、人生の課題として「仕事のタスク」「交友のタスク」「愛のタスク」の3つに集約されると考えます。

そして人生とはこれらのタスクに向き合い取り組むことだと考えるのです。「逃げたい心理」の場合には「仕事のタスク」と「交友のタスク」に取り組む勇気が欠けていると考えます。

人には苦手なことと得意なことがそれぞれあります。ですから課題もそれぞれ違うのです。たとえば仕事のタスクはこなせていても愛のタスクはこなせていないなどがあるでしょう。

その場合には愛のタスクにその人が向き合うべき課題があると言えるでしょう

「逃げ出したい、投げ出したい」仕事があったとして、仕事のタスクとして考えてみても「自分が能力がない」と思っていたり「上司に認められないとダメ」と思っていたり、人の評価を気にしすぎてしまうなどその人なりにいろいろな課題があるのです。

「課題克服のために必要な自分への勇気づけ」

人生のこれらの課題を克服するために必要な活力をアドラーは「勇気」と呼びました。
課題から逃げたり避けようとする自分を自分で勇気づけると、困難を乗り越える力が発揮できるようになっていきます。

「勇気のある人」は自己受容しています。

勇気のある人は自分の欠点や弱さを客観的に認めて受け入れありのままの自分を受容していることが基本になります。この自己受容ができていれば自分を必要以上に過大評価したり過小評価することがありません。自分を信頼できるからです。

自分を勇気づけるための方法をいくつか書いておきます。

朝の目覚めを快適に。鏡を見て今日も一日いい日になると笑顔で微笑む
人に対する基本的な挨拶の言葉をかかさない。
夜は体と心の疲れと汚れを洗い流す。
一日頑張った自分に「ありがとう」とねぎらいの言葉をかける。

自分と向き合い自分を大事にする、そういうことの繰り返しで習慣化し、心と体に困難に向き合い乗り越える「勇気」を蓄えて行きましょう。

「自分で自分によくやった、ありがとう」と声をかけましょう。

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「他人にイライラしてしまう」

朝せっかく自分を勇気づけたとしても日常生活の中ではイラッとしてしまうことがあるものです。

いちいち気に障る、イライラする、人は自分にストレスを与えるものに対して過剰なまでに防衛本能が強くなり些細なことにも敏感な反応をしてしまうことがあります。

「相手の行動が不愉快だ」「生意気な人にむかつく」という気持ちが結果として怒りとなり、その相手に向かってしまうのです。

アドラー心理学の目的論で考えると、このような場合には「相手を支配するために怒りという感情を作りだして利用した」と考えます。

相手に対して優位な立場に立ちたかったり自分の正当性を示したいとき人は感情的になると言われています。
しかし、イライラをする相手に怒りをぶつけたところであなたのまわりの人間関係は少しも快適になりません。

「あなたがイライラしている問題はあなたの問題なのか?」

対人関係の問題を考える時アドラーの友人であり親交が深かったアメリカの精神科医エリック・バーンはこんな言葉を言っています。
「過去と他人は変えられない。しかし今ここから始まる未来と自分は変えられる」

アドラー自身も「健全な人は相手を変えようとせず自分が変わる。不健全な人は相手を操作し変えようとする」と言っています。

イライラするとき相手の行動を変えようとするのではなく、自分の捉え方のほうを変えるために「今自分にできること」に気持ちを向けるのです。

うまく仕事ができない部下や後輩には「ちょっとしたコツ」を教えたり、口のきき方が良くない部下には「自分の昔を振り返る」などです。

そして相手の行動にイライラした時に何よりも大事なのは「課題を分離する」ということです。

アドラー心理学では「それは誰の課題なのか?」ということを重視します。自分の課題には積極的に向き合うべきですが、他人の課題には介入せず、同様に他人を自分の課題に介入させてもいけません。

これを間違うと支配するものと支配されるもののような上下関係ができてしまったり依存関係が成立してしまうからです。

アドラーもこういっています。
「あなたが悩んでいる問題は本当に<あなたの問題>だろうか。その問題を放置した場合に困るのは誰か、冷静に考えてみることだ。」
その問題が誰の問題なのか整理することはとても重要なのです。

人は他人を変えられません。その現実を受け入れてまずは自分にできることを見つけたり、自分の認知や「意味づけ」の仕方を変えてみる。
自分の周りの人たちにポジティブな意味づけをして彼らの課題には介入しないように心がけることが大切です。

そのうえで相手と共に解決したいこと、したほうがいいことがあれば提案して一緒に動くことを目指します。これを共同の課題と言います。

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「物事を悪く考えてしまう」

「どうせ頑張ったところで。。この先いい事なんてないんじゃないか」
うまく行かないことが重なると人は悪い方へ悪い方へと考えてしまいます
悲観的になりどんどんマイナス思考へと落ち込んでいきます

こんな時こそアドラーの教えに従い自分を勇気づけたいものです。
アドラーはこういっています
「人生が困難なのではない。あなたが人生を困難にしているのだ。人生はきわめてシンプルである。」

たとえば今あなたがついていないと感じているとしましょう。
しかしながらあなたの人生は他人や環境の影響を受けて不運になったのではありません。それは自分の考え方ひとつで決まるものだとアドラーは言うのです。
わざわざ自分で自分の人生を辛く苦しいものにするのはやめましょう

人の気分や感情はものごとやできごとをどう捉えるかによって左右されます。同じ出来事を楽観的に受け止める人もいれば必要以上に深刻に受け止める人もいます。個人差があるのです

コップの半分まで入った水を見て「もう半分しかない」と捉えるのと「まだ半分もある」と見るのではどちらが良い人生を歩めそうでしょう?

現状に目を向ければ今の状況を選んだのはあなたであり何も行動を起こさなかったのもあなた自身です。

だとすれば自分を取り巻く環境は自分の選択次第で変えていくことが可能であり、なるべくポジティブな意味を見つけていくべきでしょう

そのために必要な考え方が楽観主義です。

アドラーは「ここいちばんのピンチの時こそ楽観主義であれ」と説いています。この楽観主義は良く聞く楽天主義とは異なります

人が幸せに生きるためには目の前の出来事にポジティブな意味づけをすることが大事なのです。

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「やりがいがないと感じている」

仕事にやりがいを感じられない人は増えているようです。
内閣府の調査による「どのような仕事が理想的だと思うか?」という問いに対して「自分の専門知識や能力が活かせる仕事」と答えた人は40.1%と続きました。

とはいうものの現実にはやりがいのある仕事につける人ばかりかと言えばそうはいきません。仕事へのやりがいは失われがちです。

「自分なりに頑張っているのに報われない」「能力や知識が生かせない」「楽しいどころか仕事にやりがいを見いだせない」「状況がそうさせているんだから仕方がない」などあきらめモードの人も多いのではないでしょうか

人は仕方がないとあきらめてネガティブな方向へ行く方が戦うよりも楽なのです。
しかしアドラーは困難を克服して楽観主義へ向かう努力をするよう勧めています。
「やる気がなくなったのではない。やる気をなくすという決断を自分でしただけだ。」と言います。

アドラー心理学では人にはやる気が備わっていると考えます。
やる気がないのではなく「自分でやる気をなくすという決断をしたのだ」と捉えるのです。この捉え方は奇妙に思うかもしれませんがこの考え方が身につくと人生に対してとても主体的に生きることができます。

またもう一つ大事なのはライフスタイルです。
ライフスタイルはいわゆる性格でありその人特有の物の見方や感情、思考、行動パターンを示します。自分で構築してきたものなので先に述べたようにアドラーも言っていますが自分で変えることができます

ライフスタイルは次の三つの価値観の組み合わせで表されます。
「自己概念」(私は~である)
「世界像」(世の中の人々は~である)
「自己理想」(私は~であるべきだ)

やる気のある人のライフスタイルは「自己概念」-私は課題や困難に負けない、「世界像」-世の中の人はポジティブな人間を応援する、「自己理想」-仕事にやりがいを見出せなくても今できることをするべきである、という事になるでしょう。

困難に立ち向かう勇気を持てる、自分の課題から目をそらさず、ポジティブな人生の意味づけをするのがカギです。
私たちはそれぞれいろいろな課題を抱えて生きています。自分の課題にどう向き合っていくのかそのスタンスが性格を作り人生を作っていくのです

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「人は誰でもその人生の主役である」

自分が中心の考え方を持っていると、相手を怒らせたり居場所が無くなったりしていきます

そういう心理は主導権をとるのが得意なので時として手腕を発揮することもありますが、行き過ぎると疎まれたりして人が離れていきます

日ごろから自分のことを優先しがちな人は、克服しなければならない課題として「交友のタスク」や「愛のタスク」があることが推測されます。

自分だけが特別の権利を持っているのではなく周囲の人は自分の欲求を満たすために存在しているのではないことを改めて考えたいものです。自分と同じように人は誰でもその人の人生の主役であることを忘れてはいけません。

精神が健全であるという事は、友人を心から信頼し、仲間だと思う事が出来る人の事です。今のあなたを振り返ってみましょう。

「自分が自分らしく、仲間と助け合える幸福」

アドラーの教えに「幸せを実感するための三つの条件」があります。「自分だけでなく仲間の利益を大切にすること。受け取るよりも多く、相手に与えること。幸福になる唯一の道である。」という言葉があります

あるがままの自分を受け入れ自分が好きだと思える「自己受容
友人や仲間のことを信頼できる「他者信頼」
自分が誰かの役に立っていると感じられる「貢献感」

これらの三つを備えていることが人の幸せにつながるとアドラー心理学では言われています。

人はそれぞれが課題を抱えており、得意なことと不得意なことがあり、社会の一員として生きており、異なる物の見方をしているのですから、全部を備えるのはなかなか難しい事です。

究極的にはアドラー心理学では、何が人生の目的であり幸せなのかというと、「共同体感覚を持つこと」だと説いています。

これはアドラー心理学の根底を流れる思想で「他者信頼」「自己信頼」「所属感」の三つで構成されます。

「他者がどんなことに関心があるのか自分も関心を持てること」

自分に対する執着を、他者への関心に変えることで悩みから解放され幸せを感じられるという事です。

「なんだか居場所がないな」と感じたらまずは自分から他者に貢献することです。その際に見返りや承認を求めず自分の出来ることでやってみることです。
人に関心を寄せてサポートすると受け入れられて居場所ができ所属感を得られることができます。何かに所属しているという感覚は人の基本的な欲求であるためそれが満たされると幸せを感じるという事です。

自分の事ばかり考えて支配的になり孤独な人生を歩むのと、人を受け入れて周囲からも受け入れられて協力し合える人生、あなたの選択次第と言えます。

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「劣等感に悩まされる」

人は誰でも何かしらの劣等感を持っているのが普通です。問題になるのはその劣等感の使い方です。

普段自分ではそれほど意識はしていないかもしれませんが、何気ない会話で実はひそかに劣等感を持っていることに気付かされたことは誰でもあるのではないでしょうか。

人より優れていたいという自尊心の強い人ほどこの傾向は強くなり、人によっては劣等感を隠すために別の事でカバーしている場合もあるでしょう。

現在の自分の状況に何らかの劣等感を持っていてそれを補おうと延々と勉強し続ける人もいるかと思います。
劣等感を持っていてもそれをことさらに気に病む必要はないのです。

心理学の世界に劣等感という言葉を最初に広めたのはアドラーです。
アドラー心理学を良く知らない人には「劣等感の心理学」と呼ばれたほどでした。

アドラー心理学では、人は誰でも生まれながらに劣等感を持ち、それがすべての根幹になると考えます。かつて病気がちであったアドラー自身も劣等感を持っておりそれを克服すべくすべて努力を重ねています。

アドラー心理学では劣等感について三つに分類して区別しています。
「劣等性」客観的に見て劣等であると思われる具体的な事実
劣等感」自分が他人より劣っていると主観的に思う事、また理想の自分より現在の自分が劣っていると思う事
「劣等コンプレックス」劣等感を言い訳にして自分の課題から逃げ出すこと

アドラーは
劣等感を抱くこと自体は不健全ではない。劣等感をどう扱うかが問われているのだ。」と言っています

しかし劣等コンプレックスについては否定的です。

一方では劣等感に立ち向かい努力や研鑽を重ねて偉業を成し遂げた人もいます。勇気を持って劣等感に立ち向かい克服してそれぞれの才能を開花させたのです。たとえ劣等感や劣等性を持っていたとしてもそれをバネに人並み以上の成果を出すことは不可能ではありません

アドラーは劣等感を克服して自らの弱点を補おうとする心の働きを補償と呼んでいます

劣等感を言い訳にして人生から逃げ出す弱虫は多い。しかし劣等感をバネに偉業を成し遂げたものも数知れない」

偉業を成し遂げなくても、劣等コンプレックスを使うのをやめてみるだけでもいいと思います。
「どうせ」という言葉を使うより自分の劣っていると感じるところとどう付き合うのかを考えてみることです。

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「自分の事が好きになれない」

自分の事が好きか嫌いか、今の時代は自分に自信を持って生きることが難しい時代です。

自分で自分を受け入れることができずに苦しみ自己嫌悪に陥っている人が多く見受けられます。

「自分が嫌い」「自分が好きになれない」という心理になるのはどうしてでしょうか。

アドラー心理学でいうライフスタイル(性格)は、けっして生まれつきのものではなく自分で選択や決定をしながら自ら作り上げてきたものだと考えます。つまり自己嫌悪もあなた自身の選択によるものなのです。

アドラーは人は過去の経験による原因よりも未来に向けた目的によって自分の行動を決めていると考えました

性格を選択しながら生きてきたのだから自分が選択をし直せば未来の性格を変えることは可能だというこの捉え方は、今は現代心理学の常識にもなっています。

今日アドラー心理学が多くの人の心をひきつけているのは性格も未来も変えられるというポジティブな面が受け入れられているからでしょう。

それでは自分が嫌いという心理をどうすれば克服できるのでしょうか。
アドラーはこう述べています。
「人は貢献感を感じ自分に価値があると思える時にだけ勇気を持つことができる。」
これは共同体感覚に通じます。

共同体感覚の大事な要因として自分の貢献的な行動が周囲の人たちの役に立っていると感じられそのことで感謝されるときに幸せを感じるというものがあります。

たとえ感謝されなくても「決して役に立っていないわけではない。自分なりに役に立てている」と実感できれば自分が価値ある存在だと感じることができ、少しずつ自分の事が好きになれるはずです。
まずは小さなことからでいいので誰かの役に立つことを探し行動することから取り組んでみましょう。

それでもどうしても自分が嫌いだと感じてしまう過度な劣等感につながる自虐的で間違った思考をアドラーは「ベーシックミステイクス」(基本的な誤り)と呼んで克服すべき課題としました。

マイナスの目的を設定したために苦手だという感情を作りだしていることも考えられます。時には自分のベーシックミステイクスをチェックしてみることも必要かもしれません

過度な思い込みに関してはこれまでとは違った視点から客観的に検証することが必要です。嫌いな自分を見つめ直す作業は根気と時間が必要で、精神的に辛いことも多いかもしれませんが、勇気を持って乗り越える努力をしていきたいものです。

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「自分と違う意見を受け入れられない」

人は自分に自信がないと他の人の批判や非難から敏感になり、また自分の意見が批判されると相手に対して嫌悪感を抱くものです。

反発する心理の背景には「自分が正しいと思っていることを否定されたことに対する純粋な怒り」があります。

自分の意見が尊重されなかったという悲しさもあるでしょうし、相手の価値観や考えそのものを受け入れられず反発を感じる場合もあるかもしれません。

人の心は自分の意見や行動に対して他人から高圧的に説得されていると感じた時に自分の心を守るために反発や抵抗を生じます。
これは防衛本能のようなものです。自分が批判されていると感じると闘争心を燃やすこともあります。

アドラーは共同体感覚を高めることでこれらは解決できるとしています。

そして「自分と違う意見を述べる人はあなたを批判したいのではない。違いは当然でありだからこそ意味があるのだ」と言っています。

人はそれぞれものの捉え方や考え方が違うのだから違いにこそ意味があり、違いを受け入れることが他者を受け入れることにもつながってくるというのです。
これをアドラー心理学では認知論と言います。

「意見を押し付けられた」と考えるのではなく「自分にはない価値があった。自分の意見が悪いわけではない。」と受け止めてみませんか?

同じように自分も相手に意見を押し付けるのを止めることです。互いが互いの意見を受け止めて尊重し合えれば対話であっても会議であってもより建設的に進むはずです。

アドラーはさらに
「自分の不完全さを認め受け入れなさい。相手の不完全さを認め許しなさい」と言っています。

これをアドラー心理学では「不完全でいる勇気」と言っています。

アドラーは勇気を持って不完全でいることを重視しています。人は誰でも多少なりとも短所や欠点を持っているのです。完璧であろうとすると人生が窮屈になってしまいますし不完全であることを前向きにとらえ受け入れることで気持ちが楽になります。

自分を丸ごと受容できれば自分を好きになり今の自分にOKを出すこともできるでしょう。
また相手を信頼する決意をすること。そのことによってより良い関係を築くことができ、相手の言動を否定せずにOKが出せるようになります。

相手も自分の不完全なのはお互い様なのです

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「やる気はあるのに続かない」
無意識のうちに言い訳できる状況と正当化を試みるのが人の心の動きであると考えると「理性が欲望に負けた」という表現が出てくるようです。

アドラー心理学でいうと「理性と感情」は一見対立するように見えて同じ目標に向けて互いを補い合う関係にあります
アドラー心理学では両者は目的地に向かう「アクセル」と「ブレーキ」のように役割分担をしていると考えます。

アドラーの理論では「無意識にやってしまった・・理性が欲望に負けて・・とは、自分や相手を欺くための言い訳でしかない」ということです。

「欲望に負けて」という言葉には「だから仕方がない」と自分や周囲を納得させる防衛したい思い、目的が現れています。

「自分は悪くない、感情や欲望のせいだ」と理性に言い訳するのです。

人の心には防衛本能があり自分の失敗や不適切な言動がもとで他者から否定的な印象を持たれる恐れがある場合などにそれを正当化しようとします

しかし言い訳することが習慣になってしまうと失敗することへの怖さや本来の自分に向き合うことができなくなり人としての成長が望めなくなります。

アドラーはそのことを「自分や相手に対する言い訳」と指摘し自分で責任をとりたくなかったり、自分の非を認めたくない気持ちを隠すことをよしとしなかったのです。

人にどう思われているかを気にしながら生きてしまうとありのままの自分らしい人生ではなく他人の目を意識した人生を生きることになってしまいます。しかし、本来人生とは過去や他人の意見には左右されずに「自分自身が作りだすもの」、そんな思いからアドラー心理学では自分の道を切り拓く力を持つ自己決定性を重視しています

反面自分で決めるという事は誰かのせいにしたり言い逃れをすることができないというかなりハードな側面があります。
しかしそのことでよりいっそう「主体性」をもって力強く生きることができるとアドラーは伝えたいに違いありません

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「人に流されやすい」

現代は自分に自信を持てない、将来に明るい見通しを持てないでいる人が多い時代です。
難しい背景を抱えていると言えるでしょう
そんないまこそ「ありのままの自分で大丈夫」と思える自己肯定感を自分で培うことが大切であると言えます。

自己肯定感が低い人は自分に自信を持つことが難しい状態にあると言えます。自分の中に確固たる軸が持てず物事をおのずと他人軸で捉えてしまうので何か起る度にぶれたりぐらついたりして他人の言動に流されやすくなってしまうのです

そんなときこそアドラーの言葉が大いに勇気づけになります
「悪口を言われても嫌われてもあなたが気にすることはない。相手があなたをどう感じるかは相手の課題なのだから」

人の思惑や考えを気にせず「自分は自分」と他人と自分を分離して考えることができるようになってくると生き易い人生に一歩近づきます。
自分が今やるべき課題は何だろうかと考えてみて、その課題に専念することで日々の生活はシンプルに変わっていきます。

「今自分がすべきことは何だろう」と考える作業が必要になります。そしてその際過去のできごとに囚われたり、あるかどうかわからない未来の心配をするのではなく「今やるべきこと」にできるだけ集中することが大切になってきます。

私たちは常に他者の期待に応えようとしがちでそのことで悩みを作りだしているのです。

だからこそ立ち止まって今やるべきことを自分の課題についてきちんと考えることが必要です。
アドラー心理学の全体論では心と体はひとつになって目標に向かっていくと考えます。心が煮詰まったときには一息入れるなど、自分を見つめ直し心も体も休息をとりながら進んで行くことも大事です。

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「不安に流されてしまうことが多い」

朝学校や会社に行こうとすると急に不安になって行けなくなる、という事例はご相談を受けていると結構あります。
アドラーはこういったことについて以下のように分析しています。
「不安だから外出できないのではない。外出したくないから不安を作り出しているのだ。」

つまり不安だから学校や会社に行けないのではなく外出したくないから不安を作り出しているということです。

たとえば不安の原因が上司にあるとしましょう。たとえ嫌な上司がいても仕事はしなければなりません。
上司がコロコロと態度を相手に寄って変えるなど嫌な面も目についてしまうこともあるでしょう。
そんな上司に対して苦手だとか嫌いだという理由で仕事をしないわけにはいかないのですから会社を辞めたくなったりするかもしれません。

また無理に上司に合わせて自分の感情を押し殺したり、黙って上司のいう事をきくなど自分を他人のために犠牲にしてしまう人もいるかもしれません。

アドラーはこういう人を「社会に過度に適応した人」として警告をしています。

上司とあなたの関係が双方感情的になってしまっているのではないか検証してみることも必要でしょう。もし相手ばかりでなくあなたも感情的になっているとすれば関係がうまく行くはずはないからです。

ところがアドラーは「生まれ変わる必要はない。感情の使い方を変えればいいだけなのだ。」と言っています。

アドラー心理学において人の性格(ライフスタイル)は、それほど変わりにくいものではないのです。ライフスタイルは一つの型と考えることができます。あなた自身で自分の型、すなわち考え方と感情をパターンを変えようと決断してみましょう。

「感情的になる相手には。。」

学校でも職場でも感情的に怒鳴る教師や上司はいるものです。室内に響き渡るような声で怒鳴ります。

相手に言わせると「ついカッとなって自分を見失ってしまった」ということになるのですが、アドラー心理学でいえば「自分を見失ったのではなく」怒りの感情をぶつければ部下や生徒などの周りの人が自分の思い通りに動くだろうと意図して怒鳴りつけたというわけです。

本来上司や教師は、部下や生徒の言動の責任を負いお手本となるべき言動をする立場にあります。
それなのにささいなことで感情的になったり理不尽な理由で部下をどなりつけたりするのは虚勢を張っているのであり、自分の強さをアピールすることで部下を思い通りに動かそうとしている場合が多いのです。

これをアドラー心理学では優越コンプレックスと言います。

もし怒鳴られている内容が仕事に関する正当な指摘なら部下としてしっかりと受け止めなければなりませんが、あなたの人格を否定するような発言をしてくるような場合には別です。

相手が冷静になった時を見計らって意見やこれからの決意を述べる必要があるかもしれません。やんわりと反省を促すのがいいでしょう。

なお「おまえは00だ」と言ったような言い方はYOUメッセージといって人格否定的な印象を相手に与えます。
一方自分の意思を伝える時はIメッセージが穏やかに伝わってよいとされています。
「私は~と思います。」とか「私はあなたの00を~したほうが良いと思います。」というような言い方です。

これらはアドラー心理学のカウンセリングでもよく使われるアドバイスです。

部下や生徒がミスをした場合に上司や教師は当然注意をしますが、理不尽であったり感情的な物言いであったりしても上司はミスに対して注意をしているのであって部下や生徒の人格を否定しているのではないと考えることも必要です

もしもあなたの周りに感情的な表現で物事を自分の思い通りにしようとする人がいたらその人の内面は子供と同じであり、自分の感情を自分でコントロールできない精神的に未熟な人だと言えます。

しかし相手の未熟さはあなたの問題ではありません
そんなあなたにできることは何でしょうか?

感情的になっている相手の「感情」ではなく「何を」言っているのかに注目することです。
ただ集中して「何を」を言っているのかを聴くのが大切です。

会社にしろ学校にしろ組織の中にいれば、上司や教師を取り換えてもらうわけにはいかないのです。それなら相手の気まぐれに振り回されるのではなく「自分のやるべきことは何だろうか」と思いを巡らせてみましょう。相手の感情に振り回されることなくやるべきことが見えてくるかもしれません。

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「うまく指導できない」

アドラー心理学は勇気づけの心理学と言われています。勇気づけでは「罰する、叱る」行為を認めていません。相手を否定したり攻撃したりする勇気づけの反対の行為を「勇気くじき」と言います。

また褒めることも相手を過度に操作しようとしたり「縦の関係」を強化してしまう弊害があり勧めていません。特に思春期を過ぎた人との関係には気を付けないといけません。

部下や生徒がミスをした時、叱ることによって相手が落ち込んだり委縮したりするのを恐れて叱ることをためらうことはあることでしょう。だからといってミスを放置するわけにもいきません
どういう指導が好ましいとアドラー心理学では考えるのでしょう。

アドラーは罰したり叱ったりする行為を否定しています。厳しくすることで相手が奮起することも稀にあるかもしれませんがこれは双方に強い信頼関係が成立していて成果というような共通目標(アドラー心理学では共同の課題)が共有されている場合にはあるかもしれません。多くは厳しくする方の自己満足に終わってしまいます。

褒めたり叱ったりすることで相手をコントロールすることは相手の活力を奪う事でありそれは本来の目的とはかけ離れています。
アドラーは「あらゆる関係は対等でなければならない」と言っています。

学校でも職場でも同じことが言えます。生徒や部下が知識・経験が不足していることから失敗したとしてもそれに対して教師や上司は注意しなければなりません。けれども必要以上に叱ったりとがめたりしなくてもいいのです。
この場合には勇気づけをしながら助言していくことが大事です。

叱れないことを悩む必要はありません
相手に「自分は無能だ」と思わせなければいいのです

最初に相手がやっているところで勇気づけをします。それからそのやり方では駄目な部分に言及します。
どうしたらいいか、と相手がたずねてきたら話し合いましょう。あなたが何かアイデアがあればそれを伝えればいいし、原因や指摘をせず問題の解決のみにフォーカスすればいいのです。

さらにアドラーは「褒める」ことも勧めていません。褒めることも上から下への目線で対等な関係ではないのです。

ですから「よくやった、やればできるじゃないか。」と褒めるのではなく「助かったよ、これからが楽しみだ。ありがとう」と感謝を述べることで相手を勇気づけることができます

相手は自分が役に立ったと貢献感を持つことができます
「助かった」と伝えることで所属するグループ全体に貢献できたと実感してもらうのが生徒や部下への勇気づけになるのです

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「何度も同じ失敗を繰り返す」

生徒や部下の失敗に対してダメ出しをしたりやるべきことを「もういいから」と取り上げることは典型的な勇気くじきになります。あとから「言い過ぎたかな?」と思っても取り返しがつきません。

勇気をくじかれた瞬間、生徒も部下も自分の無能と劣等を思い知らされます。その結果、それ以降、困難を克服する力を失ってしまいます。

教師や上司はたとえ生徒や部下がミスを繰り返したとしても能力が不足していることと人としての価値は何の関係もない事を認識する必要があります。

子どもは何かの失敗に直面すると自分には能力がないと思います。そんな時大人が「もう一度やってごらん。今度はきっとうまくいくよ。」と言葉かけをします。これが勇気づけです。

職場であっても同じことが言えます。発するほうが今自分が言おうとしている言葉が勇気くじきになるのか、勇気づけになるのかを考えていう事が大事です。

アドラー心理学の教育的実践においては「結末を体験させる」ことを重視しています。これを「自然の結末」と言います。人は失敗から学ぶ生き物であるという考えから多少のリスクがあっても部下に仕事をどんどん任せることが大事だと言えます。

部下を育てる上司としては失敗をすると処理や手間が増えますから、失敗しないように先回りして口出し手出しをしがちです。事前にミスが防げるからです。けれども仕事ができるようになってから任せるのではなく部下を信頼して独り立ちする前から仕事を任せているうちに結果的にできるようになるという心持でいることが重要です。
なぜなら数回の失敗を恐れて部下に何もさせないと部下の成長を妨げるからです。

いつでも誰かが助けてくれる状況で育った子供や部下は誰かに依存することに慣れきって「自分は何でもできる」とか「誰かが助けてくれる」と過信して大きな失敗が生まれる原因にもなります。失敗してもその結果をしっかりと体験させたうえで再チャレンジしながら自分の能力と限界を理解し本当の自信を育てることが大事です。

失敗を目の当たりにした時に「なぜ?」と言ってしまいがちですが、そんな時こそ一呼吸おいて「今後どうするか?」に置き換えたいものです。

怒りの感情に駆られたときこそそれは必要です。上司や教師の怒りがストレートに伝わらず相手は批判されたととりません。頭ごなしに否定せず相手は最善を尽くしたのだと認めるようにしましょう。「達成できているところを認める」のは勇気づけの重要なポイントでもあります。

失敗は再チャレンジのチャンスであり学習させるチャンスでもあります。

部下の失敗に対して「なぜ?」と言ってしまうと詰問になりがちです。
「自分を安全圏に置いて部下だけに責任を転嫁」したり「人格を否定する印象」までもったり相手にそういう印象を与えがちです。

生徒や部下に対して「失敗が未来への教訓」になるような対応をしたいものです。

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「リーダーとしての自信を持つ 」
大切なことは自分の与えられているものをどう使うか。
「道具としてどう自分を使いこなすか」

''なんらかのグループやチームのリーダーは、様々な資質を求められます。
ざっと上げただけでも、物の考え方や決定を下す際の直観力判断力、決断力などがあります。''
そんな資質の中でも特にチームワークに重きを置く必要があります。どんなに頑張ったとしても人ひとりの能力は限られているからです。チーム内の問題が大きければ大きいほど、多ければ多いほど1人で解決するのは困難です。

アドラー心理学では組織内に上下関係を作るのではなく対等で信頼し合える関係を築くことを求めています。もちろんシステムとして役割としての上下関係はあってもいいわけですが、人としての付き合い方、心の態度の事です。

チーム内の社員がチーム全体で業務について貢献できていることに注目しましょう。たとえば部下から何か教えてもらえることがあれば「助かったよ、ありがとう。」と伝えます。

あなたのこういう感謝を伝えることは勇気づけになります。それがもし新人であれば自分の仕事にますます自信を持ち能力を伸ばしていくことでしょう。チームを構成するそれぞれが能力をアップすることでチームの業績を底上げすることにつながります。

さらにアドラーが「大切なことは何が与えられているかではなく、与えられているものをどう使うかである」と言い残しているようにチームのリーダーであるあなたがあなたという道具をどう使うかを考える必要があります。

「性格の暗い上司」であるならば、「明るく楽しい上司」を目指すのは現実的とは言えません。こんなとき「暗い性格」という自分の持っている道具をどう使うかを考えるのです。
「暗い」のではなく「人を傷つけないよういつも相手のことを考えて慎重に対応している上司」として行動すればいいのです。そうすれば自分の特性を活かせますし「優しい気遣いをしてくれる上司」として部下の目も変わってくるでしょう。

「調和と貢献」

子どもを教育するとき「大人になったら成功しなさい」「あの人のように偉い人になりなさい」など望ましい人間像を押し付けたり何か特別なものになることを要求する親がいます。
けれどもそのような人間像は虚像であり、今存在しているのは「ありのままの自分」だけです
本来の自分にはない自分になろうとしても不幸になるだけでしょう

アドラー心理学では「他人の評価に左右されてはならない。ありのままの自分を受け止め不完全さを受け止める勇気を持つことだ」と言っています。自分を信じてありのままの自分を受け止め周りの人を信頼できてこそ幸福であることができるのです。チームの仲間を信頼できてこそチームリーダーとしての立場が成り立ちます。

人に貢献することは特別なことではありません。自分の存在そのものが役に立っている、貢献できていると自分が考えられればいいのです。少しずつ自分と自分の周りの人たちとを調和させ信頼関係を築いていくことで自分の中に自信がついて来るのです。

劣等感をどう使う」

劣等感は努力と成長のへの刺激になる

職場の同僚が力を発揮する、売り上げを上げたり成績を順調に伸ばしている、その成果を上司に褒められている。
それを見て自分がみじめに思え劣等感を持つ。そういう経験は誰にでもあるでしょう。

嫉妬心が湧いて「あんなやつのことは興味がない」と自分に言い聞かせたりすることもあるでしょう。

あなたの中に湧き上がってきた同僚に対する妬みなどは無関心を装い感じないようにすればするほど気持ちが苦しくなっていくものです。

アドラーは「優れていようとすることは誰にでも見られる普遍的な欲求である。そして劣等感も誰にでもある。」と述べています。

一般的に劣等感とは自分以外の誰かおり劣っていると感じることですが、アドラー心理学では自分が作った目標と現実の落差を知った時に感じるネガティブな感情と定義します。

「優れた自分でなければならない」とか「いちばんにならなければならない」といったような目標を持っている人は誰かがそれを実現できているのを見ると嫉妬や劣等感を感じるのです。

アドラーはこう言っています
「すべての人は劣等感を持っています。しかし劣等感は病気ではありません。むしろ健康で正常な努力と成長への刺激」と劣等感を肯定的にとらえています

みじめさは自分自身の存在が小さく思える心理状態の事。そして劣等感は目標を持ちよりよく生きようと考える時に生まれる感情です。これらは時として自分を高める原動力になります

もし、自分にみじめさや劣等感などの嫌な感情が湧いてきたら「大丈夫、きっと乗り越えられる」「他人と比べるな」など自分で自分に肯定的な言葉をかけて勇気づけましょう。これをセルフトークと言います。

自分に対してうまく肯定的なセルフトークをかけることができればポジティブな思考が自然に入ってきてよいイメージを作ることができます。自分に対する肯定的な意識付けはまさに自分への勇気づけに他なりません。

「気持ちを切り替える勇気を持つ」

そもそも同僚との仕事上の付き合いでは交友関係とは違い仕事上という限られた目的のための関係です。職場を離れてまで付き合う必要はなく仕事関係とプライベートな交友関係を区別して付き合っていけばいいのです
これをアドラー心理学では仕事のタスクと言います。

それでもなお職場でどうしてもみじめさや劣等感、ねたみが消えない時は「自分のねたみ」をしっかりと受け止めましょう
そして「人からどう思われているかは関係がない」「自分は自分、ありのままでいいのだ」という気持ちに切り替えていきます。

よく間違えられますが「ありのまま」は現状の肯定とは違います。正しくはとりあえず現実を認めたうえで変えたほうがよいところは変える勇気を持つことです

中でも自分の人生目標が本当にそれでいいのかを検討してみることです。劣等感は目標設定の仕方によって変わってくるからです。

誰かとの比較で自分の価値を決めてしまうのはいつまでも不自由な生き方を強いられることになるでしょう。今自分にできることは何かを考えたほうが比較対象が自分自身であるためねたみなどのネガティブな感情に苦しめられることは少なくなっていくはずです

他者と比べて自分が特別優れていなければならないと考えるのはその根底に自分は劣っているという思いがあるからです。

みじめさや劣等感、嫉妬はあえて気にしたり、逆に無理に克服しようとしたりせず、ありのままの自分であることに自信を持ちましょう。そうすればみじめさや劣等感といった気持ちは消えて他人の評価が気にならなくなるでしょう

自分を受け入れたり人生の目標がわからない、しんどいという方は、アドラー心理学を身に着けたカウンセラーのカウンセリングを受けてみることをお勧めします

「価値観の違いが認められない」

自分の思っている通りに相手も考えているとは限らない

職場や家庭で相手が何を考えているのかわからず対応に困ることはありませんか?「相手はきっとこう思っているだろう」と推測はできますが、自分の思った通りに相手も考えているとは思いません。

もし人の気持ちが読めたら対人関係はうまくいくでしょう。しかし実際には聴いてみないとわからないというのが本当ではないでしょうか。

アドラーもこう言っています
「悩みをゼロにするには宇宙でたったひとりきりになるしかない」人は一人では生きられないのですから対人関係の悩みからは解放されることはないのです。

自分が相手に分かってもらいたいように相手も自分のことをわかってもらいたいと思っています。けれども実際にはそう簡単にはいきません。わかってもらえないと相手に対して不満を持ってしまう可能性もあります

現在様々な心理学・心理療法を学ばれる方が増えていますが単に相手の心を読んだり人の操作になってしまうこともあり、アドラー心理学ではそれを警告しています。

自分とは違う価値観を持った相手には無理に相手の気持ちを読むよりも、相手の言葉をきき、そして自分からは考えていることをはっきり伝える、言葉にする方がいいのです。

「性格は決められたのではなく自分で決めている」

人の誘いを断れずいい顔をしてしまう、いい人になってしまう。本当は嫌なのに。。

あなたにとっていい人とはどんな人ですか?「何かを頼んだら絶対に断らずに要求をのんでくれる人」でしょうか?それとも「自分を犠牲にしてまで人のために尽くす人」でしょうか?

これらの人はいい人と言えるかもしれませんが裏を返せば「人から嫌われたくない拒否されたくない」という気持ちが極端に強く、自分に自信が持てず自分を勇気づけすることができていないとも言えます。

「相手の立場を思いやって共感できる、優しく親しみやすい人」は「自己主張できす相手の要求を断れず、後悔してしまう人」という見方もできます。

アドラー心理学では「縦の関係は精神的な健康を損なうもっとも大きな要因である」と、縦の人間関係を否定しており、ヨコの関係になってこそ対等な人間関係が築けると説いています。

「強い信念が背中を押す」

アドラー心理学の基本的な考え方に勇気づけがあります。この場合の勇気とは困難を克服する活力、エネルギーのことです。

まず自分自身を勇気づけるようにしましょう。次に「いつも言いなりになってしまう」といった自分の勇気をくじくことをやめ、断れない自分に対し「自分は何をしたいのか、この状況でこの人とどんな関係でいたいのか」を問いかけ、やるべきことを決断することです。

人は対人関係の中で生きています。自分の考えや他人に合せて生きるのではなく自分の意思や考えで自分の人生を生きていきましょう。自分の人生を変えられるのは自分だけです。

自分の言動が変われば相手も変わってくる可能性は十分にあります。

それでもなお自分の思ったことをなかなか口に出せず周りの意見や状況に流されてしまう自分を変えられないと思ったらまずは次の方法を試してみましょう。

「自分は周りの意見や状況に流されない」⇒断言
「納得できないことにきっぱりとNOを言っている自分を具体的にイメージする」⇒イメージ化
「断言したことを行動に移す」⇒アクション
「やってみてうまく行ったら自分を褒め、できなかったところは課題とする」⇒振り返り

断言⇒イメージ化⇒アクション⇒振り返り

「性格は遺伝子や環境などによって決められたのではなく自分で決めた」とアドラーも言葉を残しています。

自分を変えることは自分自身にストレスがかかります。アドラー心理学では「人は自分を変えないように努力している」と考えます。つまり人は基本的に保守的で多少具合が悪くても古いパターンにしがみつくものなのです。けれども自分をありのままに受け入れてポジティブでいるほうが楽な気持ちで自分を保てます

「今変わらなければ」と思い、「変わろうと決心する」-この決心があなたの背中を押してくれるのです。一度や二度の失敗にくじけず決断と実行を続けましょう。

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「嫌な出来事を忘れられない」

「仕事上大事なところで失敗してしまい積極的になれなくなってしまった」
「長年付き合っていた友人に突然絶交を言われて人が怖くなってしまった」
「結婚を考えていた彼女に振られてしまい、それ以降女性と付き合えなくなってしまった」

人生にはこんな経験があるものです。手厳しい挫折を味わうとなかなか新しい一歩が踏み出せなくなるのは当然の事です。ですが過去の失敗にいつまでも囚われているといいことは何もありません。

仕事に積極的になれなければ社内においてあなたの評価は下がる一方ですし、友達がいない孤独は寂しいですし、素敵な異性に出会っても通り過ぎていくだけになるでしょう。

こういう取り返しのつく挫折のほかに、もっと根本的なところでの挫折もあるでしょう。

家が経済的に貧しくて大学に行けなかったとか、身長が低くて部活でレギュラーになれなかったなど、確かに本人の意思ではどうにもならないことは辛いものです。
ですが、自分の意思でどうにもならないことだからこそ囚われていてはいけないのです

アドラーは「劣等感を言い訳にして人生から逃げ出す弱虫は多い。しかし劣等感をバネに偉業を成し遂げた者も数知れない。」と言っています

ハンディがあればあるほど、劣等感が強ければ強いほどそれに反発して頑張れることもあるのです。これをアドラーは補償と名付けました。
最初から恵まれている人は努力の必要性に気づけないので最終的には成果を得られないことも多いものです。

もし自分がマイナスの要素を抱えているのだとしたらそれを言い訳にするのではなく努力するためのチャンスだと割り切ったほうがいいでしょう。
そうすればいつしかマイナスがプラスに変わっていくのです。

「楽観的であれ。過去を悔やむのではなく、未来を不安視するのでもなく、今現在のここだけを見るのだ。」とアドラーは述べています。

今自分にできることを一生懸命になるのです。そうすれば自然と状況は改善していきます

ただ一つ注意しておかなければならないのはなんとかなるだろうと考えもなしに進むのはただの無謀です。
きちんと準備をし、努力を重ねて行けばその結果「きっとうまく行くはずだ」と信じるという事です。

「どうせだめだろう」と思いながら努力するより「きっとうまく行く」と信じて努力することの方が自分のためになることはいうまでもありません。

「過去の出来事に支配されない」

他国に比べて日本の若者は将来が明るいとは思えない、自分に長所があるとは思えない、自分に満足していないと感じているという調査結果が出ています。

様々な社会的背景からしてそう思うのはわからないでもありません。しかし基本的には他の国の状況も変わらないはずです。なぜ日本の若者だけが悲観的なのでしょうか。自信がないのでしょう。

もしかしたら日本人はまじめすぎるのかもしれません。問題の原因を考え過ぎているのかもしれません。
要するに問題探しばかりしていて結果について分析しすぎているのかもしれません。

問題点を放置しているよりはいいかもしれませんが、問題点を並べ立てるだけでは気持ちが暗くなるだけで少しも事態は好転しません。

「人の心理は物理学とは違う。問題の原因を指摘しても勇気を奪うだけ。解決策と可能性に集中すべきなのだ。」というアドラーの考えからすれば、日本の若者たちは問題の原因探しに一生懸命になりすぎて勇気を失っているのかもしれません。

今本当にやるべきことは自分の将来を明るくするための解決法と可能性を追求することなのです。

「自分の未来を決めるのは自分」

将来をただ悲観しているだけというのは「将来をよくするための努力」を放置しているいうことでもあるので、ある意味楽と言えば楽な状態です。人は誰でも楽な方に流されやすいものですから現在の問題点を言い訳にして将来のための努力を放棄しさらに現在の問題に対しては過去に原因を探してそれを言い訳にしがちなのです。

たとえば「親が愛してくれなかったから大人になってもうまく人間関係が築けないのだ」とか、「家が貧しかったからいい大学に行けずいい会社にも入れなかった」などと過去の境遇を言い訳にして現在の自分が置かれている状況を正当化してしまう人もいます。

そういう人はさらに「人間関係をうまく作れない自分は結婚もできない」とか「いい会社に入れなかったから、生活は不安定なままだろう」など現状を言い訳にして将来への努力も放棄しやすいのです。

しかしアドラーは「遺伝もトラウマもあなたを支配していない。どんな過去であれ未来は今ここにいるあなたがつくるのだ。」と言っています。

これは「未来を良くするのも悪くするのもあなたの努力と意思次第」ということですから実は厳しいことを言っているのです。
どんなに今悪い状態でも、あるいは将来が暗くてもそれは誰のせいにもできないと言っているのです。

ですがこれは同時に「誰にでも未来を良くするためのチャンスはある」ということでもあります。
誰のせいにもせず、誰にも頼らず、ここにいるあなた自身が今日この瞬間から勇気を持って一歩踏み出すことでしか明るい未来は開けないでしょう。

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「人生の選択を決められるのは自分だけ」

生きていれば様々な選択を迫られることがあります。「会社を辞めようか」とか「このまま残ろうか」「今付き合っている人と結婚するべきか」「別の人を探すべきか」など具体的な迷いもあるでしょうし、もっと漠然と自分がこれからどうやって生きて行けばいいのかで悩んでいるかもしれません。

結論から言えばそういった悩みに絶対の正解はありません。転職や結婚がうまく行くかどうかは誰にもわかりませんし、あなたがどう生きたらいいのかなど、なおさら他の人にわかるわけがありません。

だからこそ答えは自分で出すしかありません。

「人間は自分の人生を描く画家である。あなたをつくったのはあなた。これからの人生を決めるのもあなた。」という言葉をアドラーは残しています。

もしも誰かのアドバイスに従って人生の方向性を決めたとしたら、うまく行った場合はいいでしょうが、失敗したとしても誰も責任をとってくれるわけではありません。アドバイスを受け入れたのは自分ですから誰かを責めるわけにもいきません。だったら最初から自分で決めたほうが納得がいくはずです。

「人生の意味とはなんですか?」ときかれた問いに対してアドラーは「一般的な人生の意味はない。人生の意味はあなたが自分自身に与えるものだ」と答えています。

誰かにとって大事なことが他の人にとって大事なこととは限らないのです。つまり誰にでも共通するような「人生の意味」などと言うものはないのです。
あなたはあなただけの「人生の意味」を自分で見つけなければならないのです。参考にするために他の人の意見をきくことはいいでしょう。

「判断に困ったら集団の利益を優先する」

それでもどうしても悩むこともあるかもしれません。そんな時のヒントもアドラーは示しています。
「判断に困った時はより大きな集団の利益を優先することだ。自分よりも仲間たち、仲間たちよりも社会全体、そうすれば判断を間違えないだろう。」

アドラーは「人は孤立した個人ではなく全体の一部であるという実感を得られている時こそ、心が安定し幸せを感じられる。」と考えそれを「共同体感覚」と名付けました。まとめると「私は他の人とつながっている」「私は共同体の一員である」と感じられることが生きていくうえで大事だという事です。

ただ共同体感覚についてはいくつか注意しなければならないことがあります。「より大きな集団の利益を優先する」といっても理不尽な命令には従う必要がないのです。そんなときは、もっと大きな集団にとってそれが本当に正しい事なのか考える必要があります

すなわち理不尽を強要されることが普通にまかり通る社会でいいのかということです。

それからもう一つ、アドラーは常に個人よりも集団の利益を優先させろとは言っていません。「判断に迷った時は」という前提があることを忘れてはいけません。
もし「自分はこうしたい」ということがはっきりしているのであれば、その心の声に従うべきです。先に紹介した「あなたをつくったのはあなた、これからの人生を作るのもあなた」というアドラーの考えを忘れないようにしましょう。あなたの人生の主役はあなたなのです。

「生きているのが辛いことがある」

常に仕事が順調で人間関係にいっさい問題などないということのほうが難しいのが人生です。普通に暮らしているだけで人生は困難に満ちていると感じてしまうのも無理はありません。

しかしアドラーはその考えを否定して「人生が困難なのではない。あなたが人生を困難にしているのだ。人生はきわめてシンプルである。」と、人生の困難さを次のようなたとえで説明しました。

高さが決まっている戸口を通り抜ける方法は二つあり、一つはまっすぐ歩くことであり二つ目は背中をまげること。最初の方法ではぶつかるだけである。-つまり人生が困難だと感じている人は狭い戸口なのに背中を曲げずにそのまま渡ろうとするから頭をぶつけてしまい、辛い思いをしているのだという事です。

いまやっていることがうまく行かないなら、これまでとは違う方法を取り入れるのがいいでしょう。そうすれば意外と簡単に道は開けるかもしれません。あるいはそれが単にあなたに向いていないのかもしれません。別の事に取り掛かればもっとあなたの良さが活かせるかもしれません。

人間関係がうまく行かないというのもあなたの思い込みかもしれません。「どうせ自分は好かれていない」と思い込んでいるからうまくいかないだけで、あなたから笑顔で話しかければすんなり受け入れてもらうことも多いものです。

もちろん誰とでも仲良くなれるわけではないので、あなたが笑顔で話しかけてもうまくいかないことはあるでしょう。そんな時はきっぱりとあきらめて別の場所で良好な関係を築けばいいだけです。

大事なのは狭い戸口に正面からぶつかろうとしないこと、戸口そのものを大きくしようなどと無駄な努力をしないこと。あなたが背中を曲げることでしか問題は解決しないのです。

「勇気を失う前に。。。」

あまりに何度も戸口に頭をぶつけていくとだんだんと人は嫌気がさしてきて困難を解決しようとする「勇気」そのものが失われていきます。

そして勇気を失った人が困難にぶつかると犯罪に走ったり依存症になったりします。要するに問題から逃避しようとするのです。

これについてアドラーは「勇気とは困難を克服する活力の事だ。勇気のない人が困難に出会うと人生のダークサイドへ落ちて行ってしまうだろう」と警告しています。

しかしよほど精神の強い人間でもない限り困難に立ち向かう勇気を無限に持ち続けるのは難しい事です。どこかで勇気も尽きてしまうかもしれません。

そうなる前に正面から戸口にぶつかるのではなく背中を曲げる工夫をしなければなりません。「不完全である勇気」や「退く勇気」をもつことでかえって困難を克服できたというのはよくあることです。

「自分は孤独だと感じてしまう」

自分は必要とされている、自分の居場所がある、と実感できている人は幸せです。アドラーはそういう感覚を「共同体感覚」と呼び、人が生きていくうえでもっとも大切な考えとしています。

他者は私を援助してくれる(他者信頼)、私は他者に貢献できる(自己信頼)、私は仲間の一員である(所属感)。

この三つは深く関係し合っています。困った時に周囲の人が自分を助けてくれると信じているからこそ自分も困った人がいれば助けてあげようと思いますし、自分の存在が人の助けになると信じているからこそ人も自分を助けてあげようと思えます。その結果として仲間の一員であることを実感できるのです。

「貢献感は自己満足でいい」

日々の暮らしの中で誰かから必要とされているとか自分の居場所があることを実感できないとき、アドラーはこんなことを言っています。

「誰かが始めなくてはならない。見返りが一切なくても、誰も認めてくれなくても、あなたから始めるのだ。」

つまり自分は仲間外れになっているとか、どうせ自分の事は誰も助けてくれないと感じているのだとしたら、まず自分から勇気を出して人の役に立つことをすればいいのです。

あなたの親切は最初は周囲に受け入れられないかもしれません。善意が気づかれないかもしれませんし、変な奴だと思われる可能性もあります。それでも誰かの役に立つ行動を繰り返していればいつしか周囲はあなたのことを認めてくれるようになります。そして周りの人たちもきっとあなたを助けてくれるようになります。

そのときあなたは自分が孤独ではなく、仲間の一員であることを実感できるようになっていくでしょう。

自分から人の役に立とうとするとき大事なのは「見返りを一切求めない」ということです。アドラー心理学では「自分は役立っていると実感するのに、相手から感謝されることや褒められることは不要である。貢献感は自己満足でいいのだ。」としています。

「~してあげたのに」「ほめてくれ」という姿勢で居たらせっかくのあなたの好意もっ誰も素直に受け取ってくれなくなります。

ですから最初から見返りなどを期待せずに自分は役に立っているという自己満足だけで行動しなければなりません。打算的な姿勢でいる限りいつまでたっても仲間の一員にはなれないでしょう。

「今の生活が楽しくない」

「会社に行ってもつまらない」「週末に家族と遊んでいてもつまらない」「1人でいてもつまらない」-我慢できないほどつらいワケではないけど心から楽しいと思えるような時間もないという人は意外と多いはずです。

もし過去の経験で「あの時は楽しかったな」と言うものがあるなら、それをもう一度追い求めてみるのもいいでしょう。しかしもしかしたら何をしてもつまらないと感じてしまう人は「自分はそういう性格だ」と思っているのではないでしょうか。

「性格」のことをアドラーは「ライフスタイル」と言い換えています。両者はほぼ同じ意味ですが、わざわざ言い換えているのは性格というともって生まれたもので変えることができないというイメージがあるからです。

アドラー心理学のライフスタイルは自分で選び取った生き方の事です。いくらでも変化させていくことができます。この考え方はアドラーの「ライフスタイル(性格)とは、人生の設計図であり、人生という舞台の脚本である。ライフスタイルが変われば人生はガラリと変わるだろう」という言葉に現れています。

たとえば「人といても楽しいと感じられない」という人は生まれつき「人が苦手」なわけではありません。「自分は好かれないであろう」「他人は信用できない」という認識や信念、つまり自分の選び取ったライフスタイルのために楽しめないのです。この概念をアドラー心理学では「自己イメージ」(自己概念)、他者については「他者イメージ」と呼ぶことがあります。
この自己イメージや他者イメージを「自分は好かれることもあるかもしれない」とか「信用できる人もいる」と変えられれば「人生はガラリと変わる」でしょう。

「マイナスを恐れてはいつまでも楽しめない」

今の生活が楽しくないのは単に勇気がないだけの可能性もあります。「本当は誰もが羨むような人と付き合ってみたい」「仕事で思いきったチャレンジをしてみたい」-でも失敗するのが怖いから何もしないようにしている。それではこころの底で本当に望んでいることから逃げているだけですからいつまでたっても心が満たされるわけはなく、生活が楽しいわけがありません。

アドラー的にはそのような人間の心理について少々皮肉っぽい言葉があります。

「仕事で敗北しませんでした。働かなかったからです。人間関係で失敗しませんでした。人の輪に入らなかったからです。」-「彼の人生は完全で、そして最悪だった。」

働かなければ仕事でミスをして怒られることもないでしょう。告白しなければフラれみじめな思いをすることもありません。そういう意味では何もしない方が安全です。だからといってそんな無味乾燥な人生に何の意味があるでしょうか。
完全に人生からマイナスの要素を排除しようとすればそもそも生まれなかったらよかったということになってしまいかねません。

「何に対しても興味を持てない」

人は年齢を重ねるほど次第に新しいことをするのが億劫になっていきます。たとえば将来のために何か資格をとったりしたほうがいいかと思っても、日々の忙しさを言い訳にしていつまでも先送りにしてしまったり、若いころだったらほっと休みがあれば、映画やコンサートなどに出かけていたのに、休日は一日ゴロゴロして終わってしまったり、大勢の人がいるところに出向いて今までとは違う人間関係を作ることをめんどうくさいと感じるようになったり。

それでも毎日それなりに楽しく暮らしているのであれば特に問題はないでしょう。ですが何に対しても積極的になれず興味を持てない自分は怠け者の駄目な人間ではないかと自分を責めて悩んでいる人もいるかもしれません

そんな人は「身近な人を喜ばせること」から始めて見てはどうでしょうか
アドラーもこういっています
「苦しみから抜け出す方法はたったひとつ。ほかの人を喜ばせることだ。自分に何ができるかを考えそれを実行すればよい。」

もしあなたのしたことで誰かが喜ぶ顔を見ることができればきっと今までにない充実感を得られるはずです。

「やる気は強制されても出てこない」

もしもあなたに部下がいたらその部下に対してやる気が感じられないということもあるでしょう。いらだつこともあるかもしれません。自分より若い部下と話していて仕事についてどう考えているのか、今一つわからないという声もよく聞かれます。

これは会社のみならず思春期の子供と親、部活の先輩と後輩の間でも良くある話です。

しかしそんな時に上の立場にあるあなたが強引にはっぱをかけてやる気にさせようとしたり積極性を引き出そうとしたりしても、決してうまくはいかないはずです。それどころか相手は反発してあなたが望むのとは反対の行動をする可能性もあります。

アドラーは「相手の権利に土足で踏み込んではならない。権利を尊重し自分で決めさせるようにすれば、人は自分を信じ、他人を信じるようになるだろう。」と言っています。

母親からいつもガミガミ言われている子供は反発してよけいその行動を増長させるようになったりします。だから上から強制するのではなく自分で考えさせ決めさせなければならないのです。

いつも叱られ強制されている人は劣等感を持つようになり自己信頼が弱くなってしまいます。同時に強制してくる相手を敵視するようになり他者信頼もなくなります。その結果居場所を失ってしまうのです。そうならないためには相手の自主性が発揮されるのをゆっくり待つ余裕も必要なのです。

「自分にとっての幸せが分らない」

「あなたは幸せになりたいですか?」ときかれてあなたはどう答えますか?
「幸せになりたくない」と答える人はそういないだろうと思います。また「幸せって何でしょう?」ときかれてすぐに答えられる人も少ないだろうと思います。

たくさんお金をかせいで良い暮らしをすることが幸せでしょうか?それで幸せを感じる人もいるかもしれませんが、こういうことは決して長続きしないでしょう。なぜなら金銭的物質的なものに支えられている幸せはいつしかそれらを失う不安にさらされてしまうものだからです。

アドラーの定義する幸せは物質的なものではありません。自分が他人に必要とされている実感。いざというときに他人が自分を助けてくれるという実感、そして自分は孤独ではなく仲間と共にいるという実感。そういった「共同体感覚」をもてることこそが人の幸福である、としています。

共同体感覚を得るために必要なのは他人の幸福を優先することです。アドラーの言葉に「自分だけでなく仲間の利益を大切にすること。受け取るよりも多く相手に与えること。幸福になる唯一の道である。」という言葉があります。

金銭的な成功を収めようと思うのであれば自分の利益を優先し与えるよりも受け取るほうを少しでも多くするための努力をしたほうがいいでしょう。しかしそれではいつまでたっても本当の幸福を得ることはできないのです。

「幸福な人のライフスタイル」

アドラーは幸福をつかみやすい人のライフスタイル、つかみにくい人のライフスタイルがあると捉えて「幸福な人のライフスタイルは、かならずコモンセンスと一致している。歪んだ私的論理に基づく性格では幸せになることはできないだろう」と説明しています。

コモンセンスとは普通は常識と訳されますが、アドラー心理学では共通感覚と訳します。要するにみんなに受け入れてもらえるような価値観、倫理観ということになります

確かに他人がどんなにひどい目にあっても自分だけ幸せならいいといったライフスタイルを持つ人はいずれ周囲から人がいなくなるので最終的に幸せにはならないでしょう。そのようなライフスタイルはコモンセンスに反しているのです。
ただ勘違いしてはならないのは、コモンセンスと一致していると言っても空気を読めとか、いつも周りの意見に従えと言っているのではありません。

コモンセンス自体、本当に存在するとか常にどこでも正しいものという意味ではありません。「自分はこう思うけれど社会や他人はどう思うだろうか?」と自分に問うことが大切です。

家庭の中では通用するが世の中では通用しない、会社の中では通用するが世の中のためにならない、などより大きな視点から見た時に間違っていると思えば勇気を持って自分の信じる道を進まなければなりません。「自分は間違っていると思うけれどとりあえずみんなの意見に従っておこう」といった態度ではけっして幸福は得られないでしょう。

「どういう人生を送りたいか」

毎日会社へ勤めながらも「本当は自分で事業をやりたい」とか「本当は別の道に進みたい」といった夢を抱いている人も多いかもしれません。

あくまで自分の夢を実現することを目指すべきか、それとも安定した現実をとるべきかという選択を迫られることは一度や二度はあるものです。そして大方の人は安定した道のほうを選びます。
夢の実現には数多くの困難が待ち受けているでしょうし目指してみたら最初に思っていたのとだいぶ違っていたということがいくらでもあります。

また現実的な方を選択したとしても困難はいくらでもあります。
あくまで自分の意思で自分のことを選択していくことでしか自分の人生を歩むことはできないのです。
「自分の人生を自分の意思で設計していく」というのはアドラー心理学の基本的な考え方のひとつです。

「アドラー心理学の柔らかい決定論」

アドラー以前の心理学では「人間の一生は遺伝と環境によって決定されている」という考え方が支配的でした。また心理学や自己啓発系の本では「願えばどんなこともかなう」と主張していたりします。

アドラー心理学はその中間の立場をとります。アドラーは影響をある程度は認めつつもそれだけで人の性格や一生が決まるのではなく、当人の意思によって変えられるものだと考えました。

前者を固い決定論、後者を柔らかい決定論と言います。そして現在ではアドラーの唱えた柔らかい決定論のほうが支持されています。

ある人の性格や一生を説明するとき、フロイトなどの精神分析心理学者は「00という原因からそういう性格になり、そういう一生を送った」と分析してきました。
アドラーは「その人が00という目標を持っていたからそういう性格になりそういう一生を送った」と分析したのです。

つまりその人がどういう自分になりたいか、どういう人生を送りたいと考えていたかといった目標によって性格や一生が決まるとアドラーは考えました。大事なのは「原因」ではなく「目標」なのです。だからこそあなたの立てた目標次第であなたの人生はいくらでも変わっていくのです。

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