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生き辛さの克服

生き辛さの克服

あなたは日々生き辛さを抱えて過ごしていませんか?

「どうして自分は人とうまくいかないのだろう。」
「なぜ人とぶつかってしまうのだろう。」
「がんばっているのになぜ自分は孤立するのだろう。。」
「人といると疲れてしまう。一人のほうが楽だけど付き合わないわけにはいかないし。」
「言いたいことを言えなくてまた我慢してしまった」

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アドラー心理学にその答えがあります

もしかしたら方法が違うのかもしれません。
もしかしたら自分の行動の動機が他者の期待を満たすことになっているのかもしれません。
もしかしたら人の上に立とうとしているのかもしれません
もしかしたら自分基準ではなく他者基準で行動したり生きているのかもしれません。
もしかしたら「自分なんか・・」「どうせ・・」と思っているのかもしれません。

アドラー東北ではアドラー心理学をベースに様々なケースに対応できるプログラムをご用意し、多くの皆様に自分の問題について気づいていただき、緩やかなる人間関係の改善に取り組んでいただいております。

「もしかしたら方法が違うのかもしれません。」
あなたの周りの人を思い浮かべてみてください。苦手な人にはどんな特徴がありますか?

「すぐ感情的になりむきになる」
「言葉をさえぎって自分の意見を言う」
「他者の意見を聞かない」
「張り合おうとする」
「嫌味な言い方をする」
「決めつけがひどい」
「プライベートにずかずかと踏み込んでくる」
「嫌なことも我慢して何も言わないでしまう」

いずれもその人自身が・・というよりも対人関係の方法がうまくないと言えるでしょう。
アドラー心理学の対人関係法を学ぶとこれらの特性がどう変わるのでしょう。

「すぐ感情的になりむきになる」⇒「感情がコントロールできるようになる」
アドラー心理学では感情は目的があって使われると考えますので、他者との関係を引き離すような使い方をしなくなります。
感情は人を行動に促すガソリンですから、たとえネガティブな感情でも、どう使うのかその方法を学べばいいのです。

「言葉をさえぎって自分の意見を言う」⇒「相手の話を黙って聴ける聴き上手」
自分が話している時に間に割り込んで自分の話を始めるようでは他者関係はうまくいきません。あなたはどういう人に自分の話を聴いてもらいたいと思いますか?黙ってあなたの言うことを聞いてくれて受け止めてくれる人に話したいと思うでしょう。話し方教室はありますが聴き方教室はありません。
相手の話を聴ける人は他者に好かれるのです。

「他者の意見を聞かない」⇒「他者との違いを認めるようになる」
自分と違う意見を批判と取ったり、まったく他者の意見を聞かないようでは相手は「話しても無駄」と感じて意見を言ってくれなくなります。
アドラー心理学には「認知論」という理論があり、人は一人一人違うメガネをかけて物事を見ているという方法論があります。
このことを知っていると、自分のメガネがこの世で絶対唯一とは思わなくなりますし、相手のメガネだとそう見えるのかと考えることができ、違う意見を批判とは取らなくなります。

「張り合おうとする」⇒「ヨコの関係を築ける」
常に自分の上に立とうとする人をあなたはきっと好きになれないでしょう。アドラー心理学では、立場や役割が違うだけで人は皆人としての価値は同じと考えヨコの関係を目指します。
上下関係がありませんので、上からの物言いをされて嫌な思いをしたりすることはなくなります。人の上に立とうとする人は対人関係でうまくいかないのです。

「嫌味な言い方をする」⇒「さわやかに主張できる」
嫌味だなと感じる言い方を自分の個性であると勘違いして他者に使っている人は多いようです。個性的なことは悪い事ではありませんが言い方ひとつで人間関係は全く別のものになります。アドラー東北ではさわやかに主張できることを学ぶことで対人関係は劇的に変わります。

「決めつけがひどい」⇒「柔軟な発想ができる」
先に述べた認知論に関係しますが、出来事を極端にとらえたりゆがんだ考え方があまりにも許容範囲を超えている場合にはこれをベーシックミステイクスと呼び、他者関係がうまくいかないだけでなく自分自身も生き辛いことになります。アドラー心理学ではこの認知の問題を勇気づけという方法でしゅせいしていきことを目指していきます。
自分の考えが違うかもしれないと思えることは寛容な他者関係につながります。

「プライベートにずかずかと踏み込んでくる」⇒「課題の分離ですっきり」
踏み込んでほしくないことにまで首を突っ込み口を出す人はいるものです。
そんな時私たちはとても不愉快に感じます。踏み込まれたらアドラー心理学の課題の分離を使って対応します。
自分の課題に人を踏み込ませないことで快適な人間関係を築くことができます。また自分も他者の課題に踏み込まないようにします、これにより抱え込みも減ります。前述のさわやか主張を使い「心配してくれるのはうれしいけれどこれ以上の介入はしないでほしい」と伝えればいいのです。
また「誰の課題か?」を考えることで他者の課題に踏み込むことはなくなり、人間関係がすっきりと整理されていきます。

「言いたいことを言わずに我慢してしまう」⇒「さわやかに自己主張できるようになる」

言いたいことを飲み込んでしまう人は、その習慣を変えていくことが必要です。アドラー心理学を学ぶと自分の要求や自分が言いたい事、意見、自分が断りたいこと、などを相手を不愉快にせずにはっきり言えるようになります。

「私たちは他者の期待を満たすために生きているのではない」

「他者基準・他者評価から解放されよう」

人目が気になったり、怖いと思う人は多いです。
「人目なんか気にするな」と言われても、気にしないようにしようと意識することがかえって人目を気にすることになってしまいます。どうすれば人目から解放されるか考えて見ましょう。

人目というのは、言い換えれば「人が下す評価」です。人からどう評価されるのかというのは、当然よく評価されることもありますが、私たちが気にしがちなのは「よく評価されないこと」についてです。

仮に本当に自分のことを悪くいっている人がいるとしても、そのことはどうすることもできません。
私たちにできるのは、私たちを悪く言う人とどう関わっていくかを決めることだけです。相手がどう自分を評価するかは相手の課題であり、われわれの課題ではないのです。

したがってそのような人やその人が下す評価を変えることはできない。自分ではどうすることもできないことをくよくよと思い煩っても仕方がないのです。

相手自身や相手が下す評価を変えようとするとどうなるか、考えてみればわかりますが、相手が自分について期待するイメージに自分を合わせようとします。

そもそも他者が自分について持っているイメージに合わせようとすることは大きな負担になります。しかもこの「他者が自分について持っているイメージ」でさえ、私たちが想像しているだけかもしれません。

私たちは他者の期待を満たすために生きているのではありません。それゆえ人目を気にして実際以上に自分を良く見せる必要はないですし、そのようなことをしなくても今の自分をありのままで受け止めてくれる人はいるはずです。

誰も自分に期待していないとまで思うことはありませんが、他者が自分をどう思うかということから自由になる必要があるでしょう。
そのためにはありのままの自分を見せなければならないのです。

今の自分とは違う自分になる努力が、他の人からの評価を恐れ、他の人に合せるためのものであれば、たとえ努力して変わることができたとしても、自分が自分でなくなってしまうのです

人に合せない、あるいは人の期待に応えるような生き方をやめてみるだけでも、気持ちが楽になるはずです。

他の人に評価されることを恐れる必要はありません。
相手の評価より大切なのは、自分が今しようとしていることに対して自分自身がイエスと言えるかどうかなのです。

生き難い、人間関係に入っていくのが苦痛だ、人とうまくいかないのが辛い、そんな自分がとても嫌だ

アドラー心理学にはこれらに対する答えがあります。
アドラー東北では主にこの「生き辛さの克服・軽減」に取り組んでいます

「アドラー東北に足を運んでくださった方が初回とは別人のような晴れやかな顔をして2度目のご訪問をしてくださるのはなぜなのか・・。」

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その答えがアドラー心理学にあるのです。

人から認められたいという「承認欲求」
物事をことさら大きく捉える「誇張」
物事を自分のメガネで歪んで捉える「ベーシックミステイクス
気になると止められない「固執」

ひとそれぞれ人間関係で不具合を起こしている要因は違いますが、
アドラー心理学の自己決定性で言えば、自分の今は自分が選んだことになります。すなわち自分で選んだのであれば、これからどう生きるかも自分で選ぶことができるのです。

今の自分が選んできた生き方が「生きにくい」のであれば、これからの生き方は「生き易い」生き方を選ぶことができるのです

人生や世界についての見方を変えたり、自分について今までの見方から脱却しなければなりませんが、具体的に何が大事なのかをアドラー心理学で考えていきます。

私たちを悩ませる人間関係

「人間の悩みはすべて人間関係」
アドラー心理学では人間の悩みをこう捉えています。

仕事がうまくいかないから悩むー仕事上の人間関係の摩擦・軋轢が原因の事もあります。また他者と比較して自分の能力が劣っていると感じるからということもあるでしょう。
恋愛の悩みも友人関係の悩みも子育ての悩み人間関係の悩みに他なりません。

これは逆に言えば「人間関係が楽になれば悩みは少なくなる」ということです。

人間関係は四つの要素があります。
「自分」「他者」「関係」「環境」
「自分」は自分をどうとらえているか
「他者」は相手が自分をどうとらえているか
「環境」は自分が置かれている場面であり「関係」はその場面における
他者との関係です。

「悩んだときにどれを変えるのか?」

私たちが悩んだときにはこの四つのうちどれかを変えていけばいいのです。
「環境」は変えることが可能ですが、変えてもよくなる保証はありません。
「関係」は上司と部下の関係を変えたりといったことですが、実際には難しいでしょう。
「相手」を変えるのは本当に難しいです。ああしてほしいこうしてほしい、相手にのぞむことはおおいですが、容易ではありません。

最後に残るのは「自分」です。
アドラー心理学では「自分を変えること」が最も簡単で確実な方法であると考えています。

自分には価値があると思えること

「あなたは自分に価値があると思えていますか?」

アドラーは次のように言っています。
「私は自分に価値があると思える時にだけ、勇気を持てる」

自分に価値があると思えるためにはどうしたらいいのでしょう?

①短所は長所である

まずはありのままの自分を認めることと、短所は長所であることを知りましょう。
短所が長所?と思われるかもしれませんね。

「自分の気持ちが伝えられない」「言葉足らずである」「上手に話せない」

日本人であればこういう悩みを持っておられる方は多いかもしれません。
なぜうまく話せないのでしょう。

それは「こんなことを言ったら相手がどう思うだろう?」「嫌われるんじゃないか。」「相手を傷つけてしまうかもしれない」など他者を視野に入れた相手への配慮からでてこないのではないかと思います。

もしも相手に対して無頓着であれば何でも言えるでしょう。言葉がうまくでてこないのは相手に対する意識が働いているから。

これは他者を思いやる「優しさ」と言い換えられるのではないでしょうか?
自分が短所と思っていたことは実は長所でもあるのです。自分の特性をどう使うかもアドラー心理学の実践には大変重要なカギです。

ご自分で嫌だなと思っているあなたの短所も別の視点から見ると長所なのだということを知っておきましょう。

アドラー東北ではELMやSMILEなどのプログラムでこのトレーニングを行っています。最初は気が付くこと考えることから始めますので、コツをつかんで慣れると楽に長所を短所に変えることができます。

自分の長所が多く見えるようになると他者の良いところも見えるようになります。すなわち自分と他者に対する視点が変わること。

自分が好きと思え他者を好きと思えることが人間関係の改善になります。
あなたを好きと思ってくれる人をあなたはきっと好ましく思うことでしょう。それは相手にも伝わります。

②貢献で価値を感じる

自分に価値のあると思える方法としてアドラーの次の言葉を考えてみます。
「私に価値があると思えるのは、私の行動が共同体にとって有益である時だけである。」

「生き辛さ」を感じておられる方はおおむね自分が誰かや何かに役立っているという感じを持てていません。

人は誰でも何らかの形で所属している組織やグループの中で貢献できていると思える時価値があると感じられるのです。

それは行動に限りません。存在そのものが有益であるのです。

たとえば生まれたばかりの赤ちゃんは何もできません。それでもその存在はいるだけで家族や周りの人たちを和ませ笑顔にさせます。
これも貢献と言えるでしょう。

あなたが気が付いていなくても「あなたがいること」それだけで「ありがたい」と思っている人は必ずいるはずです。
人は誰でも存在そのもの、生きていることで貢献することができているのです。

普通であることの勇気

人は存在するだけで価値がある
あなたは自分が何もできなくても存在だけで価値があると考えていますか?

ありのままの自分で価値があると思え、自分を受け入れていることができないと良くも悪くも「特別」であろうとします。

「普通であることの勇気」を持つことが大事です。
(この場合には普通というのは平凡という事ではなく、ありのままの自分ということです。)

自分が普通の勇気を持てていると、他者に対して過剰な期待を持たず、あるいは自分にとっての都合のいい理想を見たりせず、現実の人と向き合い、他者について細かいことを気にせず多様性を受け入れることができるのです。

「ありがとう」
「助かる」
という言葉は言われた側が貢献感を持つことができるので他者に対する勇気づけの言葉になりますが、他者からその言葉をかけられることは期待できません。

褒められて育つと大人になっても人から何らかの形で承認を強く求める人が多いのです。

「承認欲求から自由になる」

「ありがとう」という言葉を期待して他者の承認を求めていませんか?

承認されるとうれしいと感じる人は多いかもしれませんが、あなたは他者から承認されるために生きているわけではありません

たとえ他者の期待を満たしたとしても、それは他者の人生を生きていることになり自分の人生を生きているとは言えないのです。

こういう承認欲求から自由になれない人は、誰かから認められないと適切な行動をしようとはしません。

誰にでもあるかもしれない承認欲求ですが、これは絶対的に必要なことではありません。誰にでもあるからと言って正しいとは限らないのです。

「承認欲求は貢献感があれば消える」

自分の行動や存在が他者の役に立っていると思えれば承認欲求は消えます。貢献できていると思っていれば誰からも認められなくても気にならないのです。
そのためには他者を仲間だと思っていなければなりません。
他者を敵だと思っている場合には貢献は「自己犠牲感」が伴い偽善になってしまいます。

ライフスタイルの一要因である世界観がここでは大事になってきます。

「承認欲求は他者依存」

貢献感は他者に依存しないですが、承認欲求は他者に依存します。
誰かに認められなくても貢献はできるからです。

あなたは他者の期待を満たすために生きているのではないのですから、同様に他者もあなたの期待を満たすために生きているのではありません。

ですから何かしてもお礼も言われないからと言って腹を立てる必要なないのです。

承認されたいと思うと他者の価値基準に自分を合わせなければなりません。他者が自分をどう見るかということばかり気を取られることになるので不自由な生き方を強いられることになるのです。

また承認すること、褒めることは、能力のある人が能力のない人に下す評価であり、それは縦の関係です。

上司や親に認められようとすることは、自分で対人関係の下に立とうとしてるのです。

勇気を持つ

「失敗する勇気」

アドラーは困難に直面した時にいくつかの勇気を持つことの大事さについて述べています。

何度も何度も同じ失敗を繰り返すという事は問題がありますが、誰でも一度も失敗がないという事はありません。

成功からは何も学ぶことはありませんが、実は失敗こそ多くのことを学び成長するチャンスなのです。

私たちは「失敗からしか学べない」と言っていいと思います。

アドラー東北にいらっしゃる方は私を含めできていないところを突かれ叱られて育っているので、失敗すると叱られるという多くの経験をしています。

その経験により「失敗」は「悪」であり、「失敗は指摘しなければならない」と思っています。
こう思っているうちは「失敗する勇気」は持てません。
「失敗するぐらいなら新しい事、できそうなことでもやらないでおこう。」と考えてしまいます。

この経験から学んだ公式を翻すのがアドラー心理学のSMILEで学習する「失敗」はチャレンジの証という定義です。

チャレンジしたからこそ失敗があるという考え方です。

失敗は勇気をくじくものではなく、勇気を持ってチャレンジをしたからこその失敗なのです。

大切なのは失敗した後にどうするかということです。

具体的には失敗によって失われたもの、壊れたものがあれば可能な限り現状に戻すこと。
同じ失敗をしないために今後どうするかを検討することが必要です。
もしも人を傷つけるというようなことがあれば謝罪することも失敗の責任をとることになるでしょう。

失敗した時に何もしなければ同じことは繰り返され失敗から学ぶことはできないでしょう。

時には失敗したことそれ自体を認めたくないので、失敗した事実が隠ぺいされることがあります。また失敗を恐れる人、失敗を隠そうとする人は、課題そのものには関心がなく、むしろ課題を取り巻く対人関係にのみ興味があり、失敗をすればどう思われるか、評判を落とすのではないかというようなことを恐れて課題を放棄することがあるかもしれません。

この場合には、関心は自分にのみ向いている自己中心的な考え方と言えるでしょう。

大切なことは失敗した時に他の人からどう思われるかを気にせずに、失敗を挽回すべく、再挑戦することなのです。

「不完全である勇気」

これはもしかしたら失敗するかもしれないということを認める勇気です。

このとき失敗してはいけない、または悪い事と思い込んでいる人は少しでも失敗することが予想されると課題に取り組むことすらしなくなる可能性があります。
スポーツはどうしても他者と競争しなければならないわけですが、勝てないとわかったとたんに挑戦を諦めるというのは問題であることはご理解いただけることでしょう。

どんな人でも必ずいい成績をとれるとは限らないですし、たとえその課題を達成できないとしても少しずつでもできることから始めること。

なぜなら課題に取り組まなければ何も変わらないからです。

これは勇気そのものであり、それをアドラーは「不完全である勇気」と呼びました。

アドラーは、課題の達成が困難な時に、そこから逃げ出そうとするライフスタイルのことを「すべてか無か」という言葉で説明しています。

たとえ半分しか達成できなくても何もしないよりははるかに望ましいと言えるのではないでしょうか。

「普通であることの勇気」

普通というのは平凡という意味ではなく、自分が存在するだけで他者に貢献できると思えることを意味します。

何かをした時にだけ貢献できるというのであれば、何もできない人は貢献感を持てなくなってしまいます。

身体が元気なうちは何かをすることで貢献できても、老いとともにあるいは若くても病気になれば、何かをすることで貢献できなくなるのは誰でも同じです。その時でもなお自分に価値があると思えることには勇気がいるでしょう。

アドラーは、父親が救護院に預けるしかないと思っていたほど大きな問題行動を起こしていた少年のケースをあげ、ある時その少年が股関節結節になり、一年にわたり寝たきりになった事例を挙げています。

するとそれまでは自分は誰からも少しも大切にされず、親からも冷遇されていると思い込んでいた少年は、誰かが絶えず自分の事に関わり尽力しているという事実を目の当たりにすることになります。

そこで自分は間違っていた、自分は愛されていると知った少年は、退院して復学後はそれまでとは打って変わって非常に愛すべき人になったということです。

人は今の自分がそのままでいいのだと自分について基本的な信頼感を持てなければ、特別よくなろうとします。そうすることができなければ、特別悪くなろうとするでしょう。

特別に良くなろうと思わず、特別悪くなろうと思わず、まず出発点としての普通であることの勇気を持ちたいものです。

「誤っていることを認める勇気」

自分が誤っていることは自分自身でわかることもあれば、他の人から指摘されて初めてわかることもあります。他の人に失敗を指摘されることをよしとしない人もおられるでしょう。

教職についている方は間違えるのは学生だけではないということはおわかりでしょう。

学生の何倍もの時間をかけ入念な準備をして授業に臨んでも、文法の説明をするときや訳を付ける時に稀に間違う時はあるものです。

そのようなことを教師の指導力の欠如に関わると嫌がる人がおられますが、学生が力をつけることが重要なので、体面や面目を保つことに汲々とするのはちょっと違うのではないでしょうか。

学生よりも先に学び始めたので教師が学生より知識があるのは当然であり、確かに誤らないのが最善なのであり、そのためには教師は不断に学び続ける必要があるでしょう。

でも人間である限り間違いはあります
もしも、自分の誤りが学生の前で明らかになってもそのことを恥ずかしいことだと思う必要はないのではないでしょうか

むしろ、学生が教師の間違いを指摘できるほど力がついたことを喜びたいものです。

言葉に出して伝える

「さわやかに主張できること」

人間関係がうまくいかない人は「主張」が苦手であったり、「主張」そのものをしない傾向があります。

主張が苦手という事について言えば、相手を不愉快にさせてしまう方法をつかっていたり、自分の意見や要求、断りを言わないでしまう事が多いです。

上手に自己主張できることは「生き易さ」につながります。

日本人特有の文化として「主張する人間を嫌う」ということがあるでしょう。非主張的であることを美徳であるかのように言う傾向があります。

言わないという事にもアドラー心理学で考えると目的があり、黙っていることことで安全を確保していたり、黙っていることで問題の解決を先送りしたり、誰かに解決してもらおうと思っていたりとライフスタイル上の習慣があると考えられます。

「言わなくてもわかって欲しい」もあるでしょう。これは依存的であり、「阿吽の呼吸」とか「気配りができる」とかの文化的なこともあり「私が何も言わなくても相手は自分の要求をわかってくれて、それを黙ってやってくれて当然」と思っている、そういうライフスタイルを持っているという事になるでしょう。

ところが言葉に出して主張しなくても、非主張的であっても多くの場合にはボディランゲージなどの、いわゆる態度やそぶり、雰囲気などで自分の主張を出してはいるのです。

「不機嫌な態度」などはそのいい例です。「近寄らないでくれ」「話しかけないでくれ」などその態度を周りは察してそうします。
ですから主張しないのではなく、意識的に態度でそうすることも結構あります。

相手がもしもそれを察しなければ相手は攻撃してくるかもしれません。「私がこんなに機嫌が悪いのにどうしてわからないのか」というわけです。

また「困っている様子」を見せて他者の援助を得ようとするのもそうでしょう。それに周りが応えないと「こんなに困っているのになぜ助けないのか」と言い出すこともあるでしょう。

こういった対応はアドラー心理学の考える健康的なライフスタイルからは出てきません。

アドラー心理学では「自分のしてほしいことをはっきり言葉に出して相手に伝える」ということを学んでいきます。たとえ日本的な文化背景がどうであろうと、そこから脱却していかなければなりません。

劣等感をバネに生きよう

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