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職場の人間関係

職場の人間関係

「もう!こんな職場は嫌だ!!」「やってられない!」「こんな上司にはついていけない」「部下がまじめに仕事をしない」「いう事をきかない」「職場がピリピリして嫌だ」とお感じのあなたに

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アドラー東北のアドラー心理学セミナーや勉強会には職場の人間関係がうまくいかないとか、職場の雰囲気がピリピリしてとても不愉快な気持ちで仕事をしていることが多いなど、そんなお悩みを抱えた方が多くいらしています。

こんな悩みをお持ちではありませんか?

☑「職場で仕事以外の人間関係でとても気を使って疲れる」
☑「職場の上司とうまくいかない・嫌いである」
☑「部下が思ったように動いてくれない、イライラする」
☑「同僚とうまく付き合えない」

大丈夫です。アドラー心理学の対人関係法で職場の人間関係も劇的に楽になります
職場での人間関係がうまくいかず悩んでおられる方は多いようです。
アドラー心理学の勇気づけをベースに職場での人間関係に役立つことをこのページではご紹介していきます。

アドラー心理学は働く人にこそ必要な学び

アドラー心理学では人生には主に三つの課題があると考えます。
その三つとは仕事、交友、愛のタスクです。

タスクは自分の心の中から起こるものではなく、外側から避けられない問題として起こって来るものを指します。

この中で仕事のタスクは、職場で働く人の仕事を指し、主婦にとっては「家事」や「育児」、学生にとっての「勉強」などが含まれます。

そしてもっとも取り組みやすいと言われています。

アドラー心理学は、一般の方たちが日常生活に不具合を感じた時に役立つ心理学ですので、シンプルでとてもわかり易い心理学ですが、その中でももっとも取り組みやすいのが「仕事のタスク」なのです。

ですのでもしもアドラー心理学の実践を試してみるのであれば、仕事のタスクから取り組んでみるのが入り口としては入りやすいと考えていいと思います。

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アドラー心理学の方法論を職場の問題に活かす

(1)職場の環境や人間関係は自分がどう生きるかの決定要因にならない

同じ職場にいても同じような状況を経験していても、疲れ切ってしまう人もいれば、生き生きとさらに活躍をしている人もいます。

アドラー心理学には「どんな環境に生まれようと、いようと、それだけではその人の人生を決める決定的な要因にはならない。」という考え方があります。

すなわち「同じ状況」にいてもその人生が決まるわけではないという事です。

多少の影響は受けることでしょうが、同じ状況でも鬱になるほど疲れ切ってしまう人もいれば、その状況でも生き生きと輝く人もいる。

すなわちどうするかは自分で選ぶことができるのです。

劣等性や劣等感、生育環境がどうであろうとそれだけでは人生は決まらない。その後にどう生きるかは自分で決められる。

このアドラー心理学の方法論を「自己決定性」と言います。

(2)なぜ?ではなく何のために?と問う

アドラー心理学は行動に対して今までのなぜ?という原因を探す方法ではなく、なんのために?とその目的を考える方法をとります

職場で態度の悪い新人は、上司に叱られたことがきっかけで反抗的な態度をとっているのかもしれませんが、アドラー心理学では反抗的な態度をとることで何らかの目的を達成しようとしていると考えます。

「あの上司がいるから居心地が悪い」「居心地の悪い職場で働くのは嫌だ」
すなわち「働きたくない」という目的があると考えるのです。

叱る上司は悪い態度の原因ではなく、働きたくないという目的を達成するための手段であると考えます。

明日は出社だという前の日に具合が悪くなる社員、遠足の前日に熱を出す子ども、「会社」や「遠足」に行きたくないという目的があるから具合が悪くなると考えるのです。

「人間の行動には<原因>ではなく<目的>がある」
これがアドラー心理学の目的論です。

「叱る上司がいるから」「仕事が大変な職場だから」といってその職場の人全員が「働かない」「態度が悪い」わけではありません。

(3)「できない」のではなく「やりたくない」のである

アドラー心理学では「意識」と「無意識」、「理性」と「感情」、「心」と「体」などの部分に人間はわけられないと考えます。

「お酒をやめたほうがいいのは頭ではわかっているけど、仕事上の付き合いもあるしやめられない」ではなく「お酒をやめたくない」のだと考えるのです。

つまり、「わかっているけどやめられない」のは「やめたくない」のです

また一人一人の個性が合わさって職場の雰囲気が決まっているのではありません。誰か一人のメンバーの雰囲気で職場の雰囲気が決まってしまうという事はありませんか?

部分を足しても全体にはならないのです。
これがアドラー心理学の全体論です。

(4)人は同じことを体験したり見たりしてもみな考えは違うのである

アドラー心理学では「人はそれぞれの自分独自のものの見方、考え方を通して現実に触れ意味づけ、行動している」と考えます。

同僚に悪口を言われても、「怒る」人もいれば、「落ち込む」人もいるし、時には「言い返す」人もおられるでしょう。また黙って「我慢する」人もおられるに違いありません。

このように同じ出来事に直面しても、人によって抱く感情や、実際にとる鼓動は違うのです。

こう言ったひとそれぞれの独自のものの見方考え方を認知といい、心のメガネといういい方もします。

皆がこころのメガネが違うので「意味づけ」「解釈」も違うのです。
これがアドラー心理学の基本である「認知論」です。

仕事の間違い・失敗にどう対応すれば勇気づけになるのか?

職場で仕事上の失敗や間違いは良くあることですが、どのような対応をされていますか?

「間違いを指摘し訂正させ注意を与える」という今までの対応では、

⇒やる気をなくす⇒また同じ間違いを繰り返す⇒仕事そのものに対するモチベーションを下げることになってしまいます。

「仕事を真剣にやらない」「間違いが多い」など問題を検証する際に、仕事をする人の勇気をくじく対応をしていないかも検証してみることです。

あなたが失敗した時、また間違いをしたときに「ここ!!間違ってるよね。」と指摘されたり「間違わないで!!」と叱責されたらどういう気持ちになりますか?

良い気持ちでないことは確かでしょうし、気の弱い人なら「自分は駄目な奴だ」といつまでもその叱責が耳に残り、立ち直るには時間がかかるかもしれません。

また叱ったほう、指摘や注意をしたほうも「また言わなきゃならない」「また間違えるかもしれないから気を付けないと」「何度言えばいいのか!?」と、いい気持ちはしないでしょう。

今までの方法は双方が嫌な気持ちになる方法であり、お互いに嫌な気持ちでいながら仕事が良い方向へ進む可能性はあまり高いとは言えないのではと思います。

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それではアドラー心理学をもとにした勇気づけの対応だったらどうできるのでしょう。

「注意をどう与えるか」

アドラー心理学で勇気づけする際に大事にしているのは「相互尊敬」「相互信頼」「協力」「勇気」という4つのキーワードです。
これらが欠けている状況で勇気づけをしても支配・操作になってしまいます。
4つのキーワードを意識しながら勇気づけ対応について書いておきます。

①できるならば一対一で注意すること
大勢の前で大声を出して叱っている光景はよく見られます。このやり方をすると上司からメンツをつぶされたと感じ、周囲からも冷ややかな目で見られるので部下は二重の打撃を受けることになります。
できるならば自分の席でマンツーマンで、または別室で他者の目にふれないところで、が望ましいです。

失敗はチャレンジのあかしであり学習のチャンスであるわけですので「今回の事でどんなことに気が付いたかな?」「もう一度同じ状況になったら君にできることはどんなことがあるかな?」などの声掛けができるでしょう。

また誰かの失敗が誰かの役に立っている場合があります。あらかじめ本人の承諾を受けたうえでケーススタディとして取り上げメンバーの学習の機会とし、本人の貢献にもなるでしょう。
このやり方だと失敗を次のチャンスへの糧にすることができます。

②全体の中の位置づけで一部にのみ言及すること

ミスをした場合についついやってしまいがちな対応に「どうしていつもミスをするんだ?」と言ったり「ここでミスしたんだから他もやっているに違いない」という考えに陥ったりしがちです。

これは基本的な誤り・すなわち認知の偏り「誇張」や「過度の一般化」になります。
ミスをしたのは全体のわずかの部分だからです。

そこで普段のできている仕事ぶりについて言及してからミスについて話題にします

「普段からしっかり仕事をしてくれていて助かっているよ。ところで、ここは違っているようなんだが・・。調べてくれないかな?」

自分のミスについて自分で検証してもらいます。素早く対応した場合にはさらに「速やかな対応ありがとう。」と感謝も伝えましょう。

③相手の私的論理を重視する
④注意は行為のみにとどめ人格に及ぼさない
⑤私メッセージを使う事
⑥ルールにない限り罰を与えない
⑦次のチャンスを与え中間チェックの時期を決める

今の職場が不満ーそれは今に限ったこと?

働いていれば悩みはつきものです。「自分はこの仕事に向いていないんじゃないか」、と思うこともあるでしょう。

希望する会社に入っても自分がやりたい仕事をやれるかどうかはわからないのです。

転属で部署が変わることはあるでしょうから短いスパンで「合わない仕事」「あわない上司・部下」はあるかもしれませんが、長期ではもっと様々な変化が起こるはずです。

ですので短いスパンで自分の向き・不向きを考えてしまうのはあまりにも早計。そういう考え方では結局どの職場でも「自分は向いていないんじゃないか」と悩み続けることになりかねません。

アドラーはペスタロッチの言葉を引用して「環境が人を作る」というと同時に「人が環境を作る」と言いました。アドラー心理学では後者の言葉こそ重要なのです。

これはアドラー心理学の軸である「自己決定性」に関連して「自己決定性とは人間は過去や環境で運命が決まるのではなく、自ら運命を創造する力があるということ。

どんな環境でもしっかりと生きることはできるわけですから、与えられた場所で懸命に生きるか、後悔と挫折ばかりを感じるて生きるか。
地を這うような経験もいずれ自信となり血なり肉となり。。

いずれにしてもおかれた環境をどう捉えるかは自分が決めることなのです。

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会社とは?仕事とは?比重はどこに置く?

仕事は好きだけど人間関係が最悪・・と会社に行くのが嫌な気持ちと言うパターンは結構あるようです。

仕事が好きであれば半分は救いがあるという事になります。

組織の中で仕事をし、生活をするということは二つの軸が存在します。
生産性であり、もう一つは人間性です。

仕事も人間関係もうまくいっていればそれに越したことはありませんが
そうそうそんな状況はないでしょう。
ベストとワーストは排除して考えます。現実的ではないからです。

ではベターは?と考えると
「仕事が好きだけど人間関係はダメ」
「人間関係はいいけど仕事がダメ」
どちらがましか?という事になります。

会社、職場は何をするところか?と考えると前者の方がよりよい状況だと言えるでしょう。

会社・職場はあくまで仕事をするところであり、大学のサークルではないので楽しければそれでいいというわけにはいかないのです。

仕事をバリバリやるのと仲間と楽しく過ごすこと
どちらが社会人としての成長を促すかは明白です。

言葉の中にポジティブとネガティブが入っている場合、これを逆にすると自分がどちらに比重を置き、意識しているのか、の意識も変わります。
「仕事は好きだけど人間関係は最悪」⇒「人間関係は最悪だけど仕事は好き」PLUGIN_SIZE_USAGEと言う風にです。
対人関係論ー対人関係の悩みの解決にはベストとワーストを排除して考えてみよう。

縦の関係を横の関係に変えるのが問題解決

会社での人間関係で悩みの種になりやすいのは上司との付き合いでしょう。怒られるのが嫌でついつい委縮してしまう。そうなっては仕事はうまくいきません。

「上司が変わればいいのに」と思う方は多いのではと思いますが、それではアドラーの学びを活かしているとは言えません。

人間関係に不満のあるとき多くの人は相手を変えようとします。
または環境のせいにします。

でも期待しているだけでは何も変わりません。もっとも変化させやすいのは自分の心構えです。

怖い上司とそれに従っている自分。
これは主と奴隷的な主従関係です。
でも本来上司と部下は立場や役割が違うだけで主と奴隷の関係ではないはず。

アドラー心理学では横の対人関係が推奨されています。逆に縦の人間関係は精神的な健康を損なう最大の要因になるとされています。

もしも上司に理不尽なことを言われたらしっかり反論することが大事。そうすることで上司との関係は変わるはず。
奴隷的な関係は従う側の人間がいて成立するからです。

自分が上司を恐れるあまり何を言われても服従してしまうから相手が暴君のなってしまうこともありえます。

「攻撃的な人は恐れている人である」という言葉もあります。

「上司に反論できれば苦労しない」と思う人は客観的に考えてみてください。反論したぐらいで首になったり給料が下がったりするでしょうか?
会社が問題にするのはパワハラ上司のほうではないでしょうか?

「私たちが恐れなければいけないただ一つの事は、怖れそのものである」
アメリカ大統領ーフランクリン・ルーズベルト

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誘因か?貢献か?

会社に対する不満のひとつに給料があげられるでしょう。
こんなに働いているのにとか、同世代の友人と比べたりとか。。

こんなとき考えてみるのは組織論です。
組織論では「誘因(会社が与えてくれるもの・福利厚生・給料などの待遇)」と「貢献(自分が会社に与えるもの)」を天秤にかけます。

友人と比較するなら、誘因だけでなく貢献を比べることも必要です。
給料への不満を抱くのは誘因同士を比べるからです。
もしも貢献のほうがはるかに大きいのであれば、自分に力があることを誇っていいでしょう。

これはアドラー心理学の目指す「共同体感覚」にもつながってきます。
共同体感覚とは、共同体への所属感・共感・信頼感・貢献感を総称したものであり健康のバロメーターです。

自分の居場所をつくり、他者のことを考え、周囲の人たちを信頼して役に立とうとするのが共同体感覚。
誘因と貢献を比較してもし貢献が大きいと感じるならばそれは共同体感覚・精神的な健康へとつながっていきます。

現実的に考えても貢献が大きい人間なら、会社の中に限らず誰かが評価してくれます。転職するにしても引く手あまたになるかもしれないのです。

依存から自立へ

今アドラーが注目されているのは、人々の中で依存から自立への働きが起きているからです。
人はどうしても依存を求めてしまうものです。
他者への依存・お金への依存・スピリチュアルへの依存。

これらとは対照的にアドラー心理学では自立する力が重要視されます。自立した人間だからこそ共同体に貢献でき、そのことで共同体感覚を得ることもできるのです。

多くの人々が抱く「自立した人間になるにはどうすればいいのか」といった問いかけに答えるのがアドラー心理学だという事になります。

働いている中で転職や独立を考える時も自分が自立した人間であるかどうか、注意してみるといいでしょう。

「独立したいけど自信がないのです。」という人はまだ会社に依存していたいのです。

人のモチベーションには「外発的動機付け」と「内発的動機付け」があります。
「外発的動機付け」はアメとムチを用いた外部からの働きかけによる動機づけであり、「内発的動機付け」は、自らのビジョンや使命感をもとに目標に近づくことだと言えます。

独立したいとう人には自分のモチベーションが「外発的動機付け」なのか「内発的動機付け」なのかを考えてみることをお勧めします。

「人に雇われて働くのはこりごり」だから独立したい人は不快を避ける外発的動機付けが働いているのです。
自分の上に誰かがいる。その状態が嫌でそこから離れたいという事です。

内発的動機付けがあるなら独立してやりたいか、そのビジョンやシナリオ、ミッションが具体的に描けているはずです。そのような人は自立しているといえるでしょうし、会社から独立しても成功しやすいはずです。

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社会人としての自立を目指すなら一歩ずつ

独立を考えるという事は「会社に依存している自分」という殻を破り、自立した人間になろうという事でもあります。
「00が嫌だから独立したい」ではなく「00がやりたいから独立したい」という内発的動機づけがあり、それを実現する能力があると考えられるならどんどん独立すればいいと思います。

とはいってもやみくもに独立すればいい、独立しない人間が自立していないとは言えないと思います。

いきなり独立してもうまくいく確率はそう高くはありません。

独立するなら「ホップ・ステップ・ジャンプ」が大事になってきます。
「ホップ」は構想を練る段階
「ステップ」は人脈づくりと発信の段階
そのうえで独立という「ジャンプ」へ進むのです。

目標に向かって段階を踏むことは最終的な目標にいたるまでに段階的に課題を分けてそれを一つずつクリアにしていくという事です。
これはアドラー心理学の勇気づけにとっても有効なこと。

いきなり無謀な挑戦をするのではなく、段階を踏んで目標を実現していくのは自分自身への勇気づけを少しずつしていくという事でもあります。

「独立」に限らず、独立できるだけの人間が組織にいればその組織は間違いなく活性化します。逆に雇われ意識の人間だけではその組織は成長しません。

会社の中で自立した人間として生き生きと働きそのことで会社が活性化すれば働き甲斐はさらに増すでしょうし、会社の豊富なリソース(人・お金・物・情報)は、個人で新たに会社を立ち上げるよりあらゆる面で恵まれていると言っていいですし、それを活用することも充実した仕事をするための手段です。

勇気づけ
課題を解決していく能力があると感じることが自信を築く唯一の方法である。

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自分のほうからより早くより多く信頼する

共同体感覚を得るには、所属感・共感・信頼感・貢献感を実感しながら行動することができるようになること。逆に言えばこれらが欠けていたり実感できない状態だと共同体感覚を得ることができません。

仕事の例で当てはめると「会社に居場所がない」という感覚になるでしょう。居場所がないと仕事をしていてもうまくいかないし楽しくありません。

この場合の居場所がないとは、会社への所属感がなく周囲の人が信頼できず自分が会社に貢献しているとも思えないという心理的状況です。

心理的な所属感を得るにはまず自分から信頼すること。その信頼する人たちのために役に立つこと、すなわち貢献するという事です。

この信頼感には二種類あり、自分から信頼するか相手から信頼されるかです。この二つを兼ね備えていることが「相互信頼」といいます。

最も変えやすいのが自分であるのですから、相手が信頼してくれるのを待つのではなく、まずは自分から相手を信頼することを心がけましょう。

周囲の人が仏頂面で挨拶さえしない状況でも自分のほうからより率先して挨拶をする。状況は変わらないかもしれないし、腹の立つこともあるかもしれませんが、それでも自分から挨拶する、し続ける。つまり信頼し続けることが大事なのです。

アドラーはこう言っています。
「誰かが始めなければならない。他の人が協力的でないとしてもそれはあなたには関係がない。私の助言はこうだ。あなたが始めるべきだ。他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく」

ストレスを健全な依存で解消する

仕事のあとに一杯という方は多いでしょう。中には毎日という方、そうでないと眠れない、就職してからお酒の量が増えたという方もおられるでしょう。仕事でうまくいかないことがあったからお酒に走るというわけです。

しかしうまくいかないことがあったのは就職してからの話だけではないはずです。お酒を飲めない子どもにだってうまくいかない経験はたくさんあります。
「7つの習慣」という著書でスーティーブン・コヴィー博士は「相互依存」という言葉を使っていますが、これは互いに協力するという意味であり、依存は悪いものばかりではなくむしろ健全な依存であれば必要なこと。

誰からも何からも助けや協力を得られない生き方はどうしても苦しいものになってしまいます。
大事なのは依存する対象と習慣であり、よくないのは依存すること自体ではなく、お酒などに頼りすぎたり常に頼ってしまう事。

では目的論で「お酒を飲みすぎること」について考えてみると・・お酒を飲む目的は「ストレス解消」ということになるでしょう。
「原因論」の「仕事がうまくいかない」で考えても解決にはなりません。また仕事がうまくいかない人がみんなお酒におぼれるわけでもありません。

目的論の「ストレス解消」で考えると、お酒以外のストレス解消法を考えればいいということになり、お酒以外の可能性がたくさん見えてきます。

注意してほしいのは何かに集中的に依存しないこと。
アルコールと同様に、スピリチュアルやインターネットなど、そればかりに頼ってしまいがちになるという危険性があるもの。
お酒で言えば「耽溺してしまうこと」がまずいのです。依存は分散することが大事。

共同体感覚(ソーシャルインタレスト・社会的関心)の対義語は、セルフインタレスト・個人的関心。つまり自分本位であること。そういう人がお酒に逃げてしまうのです。

社会的関心を抱き、信頼や共感、貢献を大事にすれば、いい意味での依存もしやすくなるでしょう。

問題を直視する

物事を根本的に解決し前に進めるためには課題に直面することが大事です。
課題に直面することを避けているといつまでも「悩む」状態から抜け出せません。
そうではなく課題を解決するためにその課題に「直面」して「困る」のです。
アドラー心理学では「悩む」より「困る」ことが求められます

簡単に言うと直面してしまったほうが意外と難しいものではないということです。
ちなみにあるアメリカの研究では人間が抱く不安のうち、実に95%は実現しないものだという結論が出たそうです。

課題にしっかりと向き合いそれを解決する。そのためには困難を分割して課題に取り組む
そうやって自分を勇気づけていく
アドラー心理学を考えることで自分のやるべきことがわかり自分を変えていくことが可能なのです。

大きな仕事を任されて不安だ・・・そんなときにも「まいったなあ」と悩むのではなくまず自分がやるべきことを考えその課題を解決していきましょう。

仏教用語では、妄想は真実でないことを真実だと思い込んでしまうことだとされています。
現実になっていないことに思い悩むのは「妄想」でしかないのです。

現代の仕事においても同じことが言えるでしょう。
大きな仕事を目の前にして「もし~になったら」「~なことが起きてしまうのでは」など不安になり妄想しても仕方がありません。

考えるべきは今起きていること。自分がやるべきことなのです。

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部下や同僚とどう付き合うか?

社会人としてある程度のキャリアを積んでいくと、部下や後輩とどう接していくか、いかに円滑に仕事を進めていくかについて頭を悩ませる人も多いでしょう。
自分の感性が違う事から「今どきの若いやつらは。。」と嘆いた経験は多くの人が持っているはずです。

とはいっても上司や先輩だったあなたもかつては「今どきの若いやつ」だったはず。そこから社会で様々な経験をしたから今の自分がいるのです。

新入社員は当然ながら会社の風土や人間関係、習慣に慣れていません。社会人としてはできて当然の礼儀などもまだ学んでいる最中です。

そう考えるとできないことが多かったり社内でのわからないのも当たり前。

「仕事帰りにのみに誘っても断ってくる。部内の宴会にも顔を出さない。お酒を飲みながらコミュニケーションをとるのが大事なのに。」

そう思う人は「飲み二ケーション」が誰でも出来て当たり前と思っているのです。

若い人たちに飲み二ケーションを取る習慣がないのかもしれないし、いわゆる「宅飲み」でやっていることが多いと「お酌」などという習慣は身につきません。

つまり社会人としてある程度経験を積んだ人と新入社員では持っている文化が違うという事です。

知らない文化を強要され「こんなことも知らないのか」と怒られたり馬鹿にされたりしたら飲み会に行きたくもなくなるでしょう。

知らない人にはこちらから伝えればいいのです。
この時もあくまで上から下へ押し付けるのではなく横の人間関係で自分の意見を言うだけです。

相手がどうなのかではなく自分がやるべきことは何かを考える。それがアドラー心理学の鉄則です。

若い社員にこれまでと違う文化を伝えることは会社に対しての共同体感覚を持たせるための勇気づけといっていいでしょう。

失敗ばかりする部下は上司次第

部下の失敗にどう対応するかも上司にとっては大事な役割のひとつ。
ミスにイライラしたり頭を抱えたりという方は多いでしょう。

「あいつはいつも失敗ばかりしている。注意すると黙ってしまうから指導のしようがない。」

そんな方にはまず自分の認識を変えて欲しいのです。
本当に「いつも」「失敗ばかり」しているのだろうか?と。

一日に何度も失敗しているのならともかく、そんな人はめったにいません。せいぜい週に2~3回ではないでしょうか。
それは「失敗ばかり」と言えるのでしょうか。

誇張して捉え、レッテルを貼ってしまっているのではありませんか?
失敗という行為だけでなく人格も否定してしまうのです。

人間の行動は注目されると頻度が高くなります。すなわち指摘されるほど失敗しやすくなる。
そうして「失敗する自分」が自己イメージになる。

これでは「失敗を防ぐ」という目的からは遠ざかるばかりです。

部下に注意する際に極力避けたいのは「なぜ?」という問いかけをやめることです。問い詰めても問題の解決にはなりません。むしろ相手は心を閉ざして黙ることで上司の怒りの嵐が過ぎ去るのを待つだけです。

「なぜ?」という原因論ではなく、アドラー心理学の目的論で考えていきましょう。

仕事を成功させるのが目的なのですから、必要なのは「どうやって対処すればいいだろう」「私に協力できることは何かな」という問いかけになります。
部下は失敗して怒られることにビクビクしなくなるので、そもそもの失敗を減らすことにもつながっていくでしょう。

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叱るのではなく注意を与える

叱られると黙りこんで失敗から学ぼうとしないのは、叱られている時の目的が「これ以上ボロを出したくない」「上司から自分への攻撃を少しでも和らげたい。」となるからです。

叱られている状況を部下は怒られている、攻撃をされている、または人格を否定されていると感じるのです。
だから心を閉ざして嵐の過ぎ去るのを待つようになる。そういう人に「なぜ黙っているんだ?何とかいえ。」と怒ったらさらに逆効果です。

上司が部下を叱るには目的があります。
それは相手の不適切な行動習慣を改めてもらう事、一段上のレベルに成長してもらう事でもあります。

目的論を念頭に部下を叱るのであればその目的を相手に伝えましょう。
「君に成長してほしいんだ。」「こういう素質があるんだから、そこをもっと磨いてほしい」と伝えるのです。

その際には一対一で伝えましょう。周りに目があると相手は心を閉ざしてしまいます。

「叱る」と「注意を与える」の違いは感情的になっているか否かです。
感情的になってしまうから声を荒立てて「なぜだ」と叱ってしまうのです。

アドラー心理学では感情は何かをする目的のために使われると考えます。
怒りの感情の目的は相手を支配することや主導権争いで優位に立つこと。

自分のほうが正しいとして部下を従わせるために怒りの感情を生み出したのです。

怒りの感情は二次感情と言われ、一次感情が怒りという形をとって現れるのです。
お酒を飲みすぎるご主人に「また飲んで!」と奥さんが怒るのは「心配」や「自分の心配を理解してくれない悲しさ」が一次感情としてあるのです。

怒りによって相手を叱りそうになったら自分の一次感情を伝えること
「人間の感情には、他者を結びつける感情と離反させる感情しかない」とアドラーは言っています。怒りの感情は他者を離反させるもの。

部下の失敗に対して怒りがわいたならまず自分の感情を見つめ「叱る」のではなく「注意を与え助言」しましょう。

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アメは依存を生むだけ

一般には部下への接し方には「厳しく叱る」と「褒めて伸ばす」の二つのやり方があると思われています。
厳しくは駄目で褒めるのがいいかというとそういうわけでもありません。
褒めているのにさっぱり伸びているように思えない、成長が感じられない、そういう場合も多いはずです。

アドラー心理学で言うとこれは勇気づけがうまくいっていない状態です。
勇気づけは簡単に言うと「自分でできるようになる」ことを手助けすること

でも勇気づけて終わりではないのです。
勇気づけられた、結果として自分で自分を勇気づけできるようになる
それが真の意味での勇気づけです。

そのために必要なのが「貢献感」。
助かったよ、うれしいよ。と感謝を伝えるのです。
共同体に貢献したこと、部下の存在が役に立っていることをヨコの関係から強調しましょう。

「アメとムチ」の外発的動機付けでは「怒られるからやる」「褒められるからやる」の上下関係が前提です。

アメを与え続けると、人はそのことに依存するようになります。
「もっと褒めて欲しい」という依存状態になり褒められなければ動かない人間になってしまう。
これでは成長しないし自立した人間にはなれないのです。

勇気づけは相互信頼があってこそ。
いつも皮肉ばかり言っている人にありがとうと言われても半信半疑になりますよね。

相互の信頼関係が成り立っていて勇気づけされると、アメに依存することなく自立した人間になれるのです。

甘やかしは自立と責任が育たない

組織の中には上司に対して反抗したり会社の規則に違反するようなことをしたりする人間もいます。

あからさまにさぼる。ひどい場合にはネットのアフィリエイトなど副業に勤しむなども。

上司がここでは「副業に勤しむ部下」をやめさせるという課題に直面します。

「注意をしてもやめない」というのは「一応注意をした」という言い訳であり「これぐらいならいいんだ。」「禁止されたわけじゃない」という相手には意識になってしまいます。

アドラー心理学ではこれを甘やかしといいます。甘やかされると人間は自立心と責任感を育てることが出来なくなります

会社というのは「共同体」です。
アドラー心理学では小さな共同体はより大きな共同体の一部でなければならないと考えます。

部下の副業はより大きな共同体で考えれば明確な就業規則違反です。
人事部に相談するなど大きな共同体のルールに従った指導も必要になって来るでしょう。
部下の不適切な行動を上司と部下の関係だけで考える必要はないのです。

それでは副業の「根本的な目標は何でしょう?」

会社への「権力闘争」か「復讐」でしょう。
なんらかの不満を持って仕事にやりがいがない、置かれた立場が面白くないなどの反発が「権力闘争」や「復讐」につながっているのです。

その表現方法として「副業」を選んでいるのです。
つまり勇気をくじかれた状態であるということです。

必要なのはやりがい感じさせること、そのことで共同体感覚を養う事
そうすれば副業をやろうとは思わなくなるでしょう。

勇気づけは共同体感覚に向けて行うものであり、勇気づけと共同体感覚はアドラー心理学における車の両輪なのです。

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あなたのためは誰のため?

部下を叱るのに「厳しいことを言うのはおまえのためなんだ。」といって感情的に怒っているのではないことを強調する人がいます。

「あえて嫌われ役を買って出ている」というわけです。

しかしそうやって叱ることは部下のためになっているのでしょうか?大事なのは叱ることではなく注意を与え勇気づけること。そして共同体感覚に導くことです。

いくらおまえのためといっても、その表現の仕方が「怒り」であっては意味がありません。相手は勇気をくじかれ「失敗したらまた怒られる」と委縮し結局は同じミスを繰り返したり不適切な行動をあらためないままという事になってしまいます。

「おまえのため」などと言わずに、まず一次感情。
「君がああいうことをするのは僕はとても残念なんだ。」

こういう一次感情の伝え方勇気づけにつながるのです。

「厳しいことを言うのはおまえのためなんだ。」は二重の意味で違っているのです、叱るのがその一つ。もう一つは「おまえのため」というのも疑わしいものだからです。

アドラー心理学で見ると勇気づけには三つの段階が存在します。

一つは相互尊敬・相互信頼の関係の中で行うこと。
二つ目は相手が自分自身を勇気づけられるようにすること。
三つ目は共同体の役に立つようにすること。

厳しく叱りつけながら「おまえのため」といっても説得力はありません。
相互尊敬・相互信頼がなければ単なる意見の押しつけになってしまいます。
またただ単に「優しい」のも結局はアメで、悪しきパターンの一方の例だというわけです。

振り返るべきは自分の一次感情なのです。
「怒りの感情の下にある本当の気持ち一次感情」を伝えていきましょう。

高すぎる目標は勇気をくじく

部下にどんな仕事を任せるか、それを決めるのも上司の重要な役割です。
大きな仕事を任せられないと思っても、部下からすれば「どうしてやらせてくれないのか?」と不満を持つこともあるでしょう。

また能力があると判断しても「本当にできるんだろうか?」と不安がってしまう場合もあると思います。

どんな仕事を任せるかを決める時の判断基準にも、アドラー心理学の勇気づけが参考になります。

仕事をするうえである程度の負荷を部下にかけることがあってもかまいません。その人の能力の範囲で任せていても成長にはつながらないからです。

だからと言って能力以上のことをやらせても問題があります。
アドラー心理学の言葉でいえば「高すぎる目標は勇気をくじく」のです。

いきなり倍の目標を設定するのは無理があるのです。

「倍の目標を設定してそれに向けて頑張れば仮に失敗しても従来の2~3割増しになっているはず。」

そういう考えで社員に過大な負荷をかけてしまう会社は決して少なくありません。
「こんなのできるはずがない」という心理に部下がなってしまったら結果として現状維持も難しくなってしまいます。

目標を掲げるのは大事ですし、負荷をかけるのもいい。
しかし本人の「伸びしろ」以上の結果をもとめてはいけません。
「ほどほどのギャップ」がやる気の源泉になることを忘れてはいけないのです。

勇気づけの第一段階は、相互尊敬・相互信頼のあるヨコの関係で行う事。
上から仕事を押し付けるだけ、仕事を任せたらそれっきりというだけでは勇気をくじいてしまいます。

ヨコの関係で目標を一致させ協力できることはする。お互いに納得のうえで「ほどほどのギャップ」を与える。それができれば仕事はうまくいくはずですし、成長にもつながるのです。

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上司の目標は部下の成長

部下に仕事を任せる時、もちろん仕事なりプロジェクトを成功させることも大切ですが、それで終わりというわけではありません。

勇気づけ」を使ったプロジェクトを展開する場合、相互尊敬・相互信頼に基づいて、まずは中心となる社員を主役とし指導員(上司)とサポーター(先輩や同僚)などと共通の目標を明確にします。

目標は三段階に設定。

一つ目は「当面の目標」でありチームスピリットの形成。みんなでやるんだという意識を共有することです。

二つ目は「達成目標」です。これはプロジェクトの成功を指します。

三つ目は「究極目標」の社員の人間としての成長です。

これは普段の仕事でも同じことで、上司の究極の目標は仕事を達成させることではなく部下を成長させること、すなわち共同体感覚を持った自立した人間を育てることではないでしょうか。

そのことで仕事はさらに成功しやすくなりますし、自立した人間が多くなれば会社は活性化します。

スポーツで例えるとわかり易いかもしれません。近年問題になっている体罰は結果を出すために行われるもの。結果とは「優勝」です。

それを究極目標にしてしまうと手段を間違えることになります。
怒ったり怒鳴ったりすることで恐怖を与えて人を動かそうとしてしまうのです。

「怒られないように頑張る」というのは、恐怖を用いた外発的動機付け・そこに成長はありません。

スポーツの本来の目的は体を動かすこと自体を楽しんだり、そのことで肉体や精神を成長させ、よりよい人間になることでしょう。

怒ったり怒鳴ったりしてメダルをとっても意味がないのです。最悪の場合「負けたら怒られる」と委縮して本来の力が出ないということもありえます。

仕事もどんな手段を使ってもうまくいけばいい事ではなく、その先に「成長」という目標を置くことで手段も変わってくるのです。

どんな仕事を与え、どう協力していくかは上司しか決めることはできません。部下が成長できるかどうかは勇気づけ次第なのです。

ミスをさせないための目的論

部下が失敗した時にはなぜ?と問い詰める原因論ではなく、ではどうすればいいだろう?という目的論で対応することはすでに書きました。

そのうえでミスをさせないようにすることも大事です。しかしここでのなぜは相手を追い詰めるものではなく、ここでも「ミスをしないという目的のために何をするか」という目的論で考えます。

間違いの原因には三つあります。

①間違いが不適切な行動であることを知らない
②間違いが不適切な行動であることを知っているが、どうすれば適切な行動ができるかを知らない
③間違いが不適切な行動であることを知っており、適切な行動をしても望む結果が得られないと信じている

①の場合には不適切であると教えることが必要です。やり方がわからないのであればこれも教える。叱ってばかりいても間違いをなくすことにはつながりません。

失敗しては怒られるの経験を繰り返していると人は自分に対してイメージを持つようになります。
「俺は失敗しやすい人間なんだ」というイメージに囚われ失敗を誘発してしまうのです。

こういう経験は「自分は注意深くない」という「劣等感」をいだき、それが「だからいつも失敗する」という「劣等コンプレックス」につながっていきます。

アドラーは「劣等感」は誰でも持っているとして否定はしませんが、劣等感を言い訳にして自らの課題から逃げてしまう劣等コンプレックスになることを許しません

部下をそうしないためには「もしかしたら苦手意識があるんじゃないか?」としたうえで「自信を持って取り組むためにはどうアプローチをしたらいいか」が必要です。

間違いという現象のみならず間違いを犯す心理にもアプローチできたら一流の上司と言えるでしょう。

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誰かや何かに都合のいい人間にならない

上司と部下の横の関係と言うのは「上司が部下の位置に下りていく」という事ではありません。これだとすでに前提が上下の縦の関係です。

横の関係であるという事は部下の側からもアプローチしていくことが大切です。

しょっちゅう休日出勤を求めてくる上司に「やめてほしい」と思うだけでは事態は前に進みません。
これは上司のみならず受け入れる部下の問題でもあります。

「申し訳ありませんが今度の土日は出勤できません。仕事は平日で終わらせますので。」とはっきり言う必要があるでしょう。

会社の就業規則という「共同体のルール」、労働基準法によるルールもありますから休みを取るのは労働者の権利です。

はっきりノーを言えるようになるためには休日出勤を求める上司の背後に何があるのか、目的は何なのかを探る必要もあるでしょう。アドラー心理学の目的論です。

たとえば「仕事がはかどる」。または家にいたくないのでなど家庭の事情があるかもしれません。そのために部下を巻き込んでいる場合もあるでしょう。

こういう「背景」やら「目的」がわかると上司にノーを言い、話し合うこともしやすいはずです。

日本には「自明性」という文化があり言わなくてもわかるだろうとわけですが、本来は「言わなきゃわからない、伝わらない」のが人間なのです。

自明性に寄りかかってみんながなんとなくそうしている、という慣習があるなら誰かが壊さなければいけません。
そして「誰か」になることができるのは「自分」しかいません

何に対してもノーが言えない人には「5回に1回」という法則をお勧めします。

休日出勤には5回に一回は応じる。飲み会もしかり。
恋愛関係ではいつも相手の言うことをきいていたら「便利な女(男)」になってしまうでしょう。こちらは5回に一回は断る。

いつも応えていればそれが普通の事になってしまいます。
相手にとって便利であるという事は、同調圧力に屈しやすく価値の低い人間であるという事
時には断らないことで「ありがたみ」も増すことでしょう。

部下を育てる

職場でキャリアを積んでいくとどうしても立場や待遇で徐々に差が出てきます。
仕事の速さなどもありますから場合によっては年上の部下を持つこともあるでしょう。

「年下の上司」に対して不満を持ち問題社員になってしまう人も出てくるでしょう。
牢名主やお局さま、批判勢力です。

気にせず放っておく、そういう方法もあるかと思うのですが、仕事をうまく進めるために問題社員に向き合わなければいけない時もあります。

その第一の方法が「勇気づけ」です。牢名主やお局様を「勇気がくじかれた状態」とし、勇気づけによって共同体感覚を取り戻させるのです。

最終的に「対決」という場面を迎えることもあるでしょう。しかしそれを避けて「なあなあ」にしてはいけません。

対決を避けると「上司だけど年下だから何もこない。」と問題行動に拍車をかけることになります。

問題のある人には正面から向き合うことが大事。
しかしここで忘れてはならないのは目的です。
人を育てることが目的であり、相手を屈服させることが目的ではありません

部下の抱える問題は本来は部下の課題。
アドラー心理学ではこれを課題の分離と呼び、個人の課題にむやみに踏み込むことを良しとしません。

しかしその問題を良好な関係のもとに共同の課題として考え協力し合うことは可能です。

何が問題なのかを把握し事実を確認する。それを変えるのに何ができるかを一緒に考える
それをアドラー心理学では「エレガントな対決」と呼びます。

その前提になるのは横の関係です。年上の部下が煩わしかったり、年下の上司に劣等感を抱くのは縦の関係で考えているから。

上司であろうと部下であろうと、年上であろうと年下であろうと、役割が違うだけで尊厳には違いがないのです。

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嫌な相手も自分の課題

SNSが普及している現在、SNSの人間関係で悩む人や仲間の行動で自分が知らなかったことで仲間外れにされた気がしてしまうという「SNS疲れ」を感じている人も多いはずです。

またプライベートと仕事を分けたいという人も多いはず。
恋人との時間や食事のことなどを会社の人間に知られるのはちょっと・・という方もおられるでしょう。
「仕事の愚痴も書けない」ということもあるかもしれません。

上司から友人申請されて友達になったらなったで「いいね!」しないと気を悪くするんじゃないか、などと考えるとプレッシャーを感じたりもあるかもしれません。

もしそんな場合には友人申請もいいね!の強要も基本的にハラスメントだということ。
またSNSで知った部下のことを会社でからかったりするのはパワーハラスメントだということです。

すなわち会社のコンプライアンス窓口に相談すればいい事なのです。

重要なのは、嫌なことがあるならば自分で解決するしかないということ。アドラー心理学でいえばそれはあなたの課題なのであり他の誰の課題でもありません。

「まいったな~。」と悩みながら課題をスルーするのではなく「こういう時はどうすればいいだろう?」と課題に直面して困り、解決する方法を考えるのです。そして行動する。アドラー心理学ではそれが求められています。
1人で不安ならば他の仲間と共同の課題にしてもいいでしょう。
パワハラは他の人にもしているはずで、部下という立場は弱いものであるかもしれませんが、3人集まればそれは「勢力」になります。

権利と責任はコインの裏表

残業が当たり前で疲れ切っているという人は多いでしょう。
もちろん仕事は終わらせなければいけませんが必要以上に働く必要はありません。

しかし日本人には忙しい事や長時間働くことに酔ってしまいがちな傾向があるような気がします。

同時にいい顔をし過ぎるという傾向も。
「認められたい」という承認欲求が強く「空気を読まなきゃ」という同調圧力に屈しやすいのです。

アサーション権利という権利が認められており、人から尊重され大切にしてもらう権利であり、また人からの期待に応えなくても良いのだとするもの。
相手からの要求を理由を言わずに断ってもいいという権利でもあります。

プライベートは用事があって帰りたいときに理由を説明するのは面倒で残業を受け入れる必要はないのです。

デートが理由の場合セクハラになりかねませんが、説明せずに拒否していいのです。

どちらにしても根本にある問題は上司が自分の言動について把握できていないという事。「そんなにたいしたことではないだろう」と思い込んでしまっていること。

セクハラパワハラは受け取り手次第。
あなたが嫌だと感じたらそれはハラスメントなのです。

権利のない責任はなく 責任のない権利もない
ここにこそ快適な生活がある、そう考えるのがアドラー心理学です。

権利と責任は個人の問題ではなく、自分と他者の関係も権利と責任の裏表なのです。
人には幸せになる権利があり他者はそれを認め受け入れる責任があります。
部下には「できません。」という権利があり上司にはそれを認める権利があるのです。

もちろん自分にも他者に断られたときそれを認める権利はあります。
双方の権利と責任をしっかりと把握することで社内での生き方もより快適なものになるのは間違いがありません。

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上司との関係も自分次第

仕事を押し付けておいてあとは放っておく上司もいます。このタイプも人によっては嫌な上司ということになるでしょう。

おそらく二つのどちらかでしょう。

①信頼して任せてくれる。部下の能力を信じ、個性に合わせたやり方を尊重してくれている。
②会社の中で自分が「上がり」になったとあきらめている。定年まで無事に過ごせればいいと思っている。

普通は①が良くて②が悪いと思っていることでしょう。

でも部下を信頼しているにせよ、出世をあきらめているにせよ行動としては「部下に仕事を任せきりにする。」という点では同じではないでしょうか。

どちらも部下が活躍する舞台を作ってくれて、変に邪魔したり足を引っ張ったりすることもないという事

考え様によってはこれは素晴らしい環境です。
なぜかと言えば自分の思い通りに自分の能力をフルに発揮して仕事を進めることができるからです。

確かに上司の態度は気に入らないかもしれませんが、大事なのは自分にとっての仕事のやりがい。上司の態度はトリビアルなこと

アドラー心理学でいえば、仕事を丸投げしてくる上司が良いか悪いか決めるのは自分次第です。

仕事に対してやる気に満ちているのかいやいやしているのか、丸投げをどう意味づけるのかは、上司の問題ではなくあなたの自己決定の問題なのです。

すべては自分の意味づけ次第

同僚や上司との関係ではどうしても「合う・合わない」が出てきます。
しかしそれは当たり前の事でありいわば前提です。

目的論で考えると「性格が合わないから仕事がうまくいかない」というのは「仕事がうまくいかなくても自分の問題ではない」と思いたいがために「上司と性格が合わない」という理由を用意しているということ。

「合わない上司の下でどう仕事をうまく進めるか」ということを考え行動することが大事なのです。

性格が合わないことをどう捉えるかも大事です。「重箱の隅をつつく」は他の視点から見ると「チェックが上手い人」なのかもしれません。

同じ客観的事実を見ても人によって悪く解釈する人もいれば良く解釈する人もいる。自分流の主観的な意味づけを通して物事を把握するしかないのです。

自分にとって重箱のつつくようだと感じても、場合によっては重要な部分であったということもあるのです。
その可能性を常に意識してください。

物事にはエッセンシャル(本質的)なものとトリビアル(些細)なものがあるのです。その「重箱の隅」がエッセンシャルなものかどうか常に判断し振り返るのです。

仮にトリビアルだったとしても、その程度の事は譲ってしまってかまわないと考えることもできるでしょう。
局地戦に負けても全体の戦いに勝てばいい。
上司の基準に合わせたからといって自分を否定することにはなりません。

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自分のほうからより早くより多く信頼する

仕事に限らず何か不満がある場合人間は自分の外に理由を求めがちです。
自分の上司がいかに駄目か、それにどれだけ苦労させられているのかを語るのです。
「上司がもっとこうしてくれたら。」という人もいますし、「上司がセミナーを受けてくれたらいいのに。」というものもありました。

上司に不満がある。ではあなたはその上司を信頼していますか?

上司を不信の目で見ていたり懐に入ろうとしているでしょうか?
自分のことを信頼してくれていない部下を信頼するわけがありません。

アドラー心理学では横の関係が推奨されています。
どちらからも与えるし与えられる。それが相互尊敬であり相互信頼です
目的論でいうなら「上司が信頼してくれない」とやる気を失っているあなたは、それをやる気を出さない口実に使っていることになります。

自分から先により多く信頼してこそ相手からも信頼が返ってくるというものです。

アドラーの言葉を再び引用しましょう。
「誰かが始めなければならない。他の人が協力的でないとしても、それはあなたには関係がない。私の助言はこうだ。あなたが始めるべきだ。他の協力的であるかどうかなど考えることなく」

この言葉は自己変革なくして組織変革なしと言えるでしょう。
人間の行動は変えられます。そしてもっとも変えやすいのはほかのだれかではなく自分自身です。
先に決意した人間から行動を起こすのです。

自分はいつからでも変えられる

「自分は周りの同僚に比べて上司からの扱いが悪いんじゃないか。差別されているんじゃないか。その理由はきっと自分が引っ込み思案だからだ。」

不満の原因を自分の外側に求めてしまうと自分自身のことを見失ってしまうかもしれません。

しかし周囲の人が本当にあなたが引っ込み思案だと思っているかどうかはわかりません。
もしそうだとしても差別されているかどうかはわからないのです。
差別されているとしても、その理由が引っ込み思案かどうかも分からないのです。

人のせいにする。自分の性格を決めつける。そこには大きな危険があるという事です。

もし不満があるなら上司に直接聞いてみることです。
それが自分を変える第一歩だということ。
話し合うことができるのであれば、誰もあなたを引っ込み思案だとは思わなくなるでしょう。

もちろん「それができるならだれも苦労はしない。」という人もおられるかもしれません。
こういうタイプの人は気持ちを自分の中にため込んでしまう傾向があります。&deco(u,,,){限界までため込んでしまうから気持ちは重たくなりうまく吐き出せなくなるのです。
};最悪の場合には気持ちを爆発させてしまったりするでしょう。

マイナスの感情は少しずつ小出しに吐き出しておくこと
そうしておくと自分の気持ちが軽くなりますし悪い方向へ向かっても軌道修正しやすいのです。

また自分を引っ込み思案に見せないちょっとしたテクニックもあります。
それは少しだけ顔を上げること。
会議の時など少し離れたテーブルの向こうの人に話すのです。自然と顔も上がりますし声も大きくなります。

何より重要なのは人間の性格は生まれつきのものではなく自分で決めているという事。
あなたは引っ込み思案だから意見を言えないのではなく、意見を言うのが面倒くさい、言って拒否されるのが嫌だから引っ込み思案になっているのです。

アドラーは性格という言葉を使わずライフスタイルという言葉を使って、それは生まれつき決まっているものではなく自分の意思で決めたもので変えようと思えばいつでも変えられるといいました。

ライフスタイルを変えるのに手おくれはいつか?と問われて「死ぬ2~3日前かな。」とアドラーは答えたそうです。

正論はほどほどに

不満や問題を解決するのに自分を振り返るのは難しいかもしれませんが、やはり人間は「自分が正しい」と思ってしまいがち、そう思いたいのです。

しかし状況を変えるには最初に手をつけるべきなのは自分です。

他者を変えるより自分を変えるほうが効果的、そのためにどうするかをアドラー心理学から学んでほしいのです。

上司や同僚が悪い、そう考えるのは「自分が正しい」と思っているからかもしれません。
正しいことをいうのは大事ですが、それが本当に正しいのか振り返ることも大事ですし、正しいからと言って相手に押しつけていいことにはならないということなのです。

正論にはある特性が伴います
それは「I am OK. You are not OK.」という態度です。

正論を言っていると自負している人は言われた側からすると「あなたは間違っている」と攻撃的になっていることが多いのです。

正論にはこういう態度が付きまといがちで、だから押しつけがましく、鼻持ちならないものに見えてしまいます。

言っていることがどんなに正論でもこれでは仕事も人間関係もうまくいきません。

アドラー心理学で、大事なのは相互信頼であり「まず自分から」。
人の考えを認め受け入れる。それを相手に期待するのではなく自分からする。
自分の正論を100%認めさせるのではなく「あなたの意見を参考にここを修正してみました。」といえば合意と協力が得られる。

それをしたとしてもあなたのエッセンシャルな要素は消えないはず。相手の考えを取り入れるのは妥協ではないのです。

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そもそも仕事とは?で考えてみる

自分が正しいとばかりに思いこまないこと。自分が正しいとしても100%それを押し通そうとせずに相手の意見を受け入れること。
それが相互尊敬・相互信頼をベースにした関係をつくり共同体感覚に近づくことになります。

忘れてはいけないのは「そもそも目的は何か?」ということです。

「正論を聴いてくれない」「差別しているんじゃないか」など上司を責める人には仕事が不振の時「上司が~だから仕事がうまくいかない。」と原因論で考えているのです。

アドラー心理学では、そういう人は「仕事がうまくいかなくても自分のせいではないと予防線をはる」目的のために上司を持ち出していると考えます。
アドラーは「人は人生の敗北を避けるためにあらゆるものを利用する」と言いました。

正論を押し通さず相手の意見を受け入れることは、仕事をうまく進めるという全体の目的があるからです。

正論を曲げたくない、相手の意見を受け入れたくないという人は、仕事本来の目的を間違えている、もしくは目的が変わってしまっていると考えることができます。

つまり「上司を打ち負かしたい、屈服させて自分のいう事をきかせたい」ということが目的になっているのです。

アドラー心理学の不適切な行動4段階のうちの2段階目ー「権力闘争」の段階に入っており、会議などで部下と上司がやりあうなどはこれにあたります。

正論を押し通すことで上司に勝ったと思いたい。自分のほうが能力は上なんだと思いたい。それが権力闘争であり、そのために行動するのはアドラー心理学では不適切とされるのです。

しかし本来の目的は仕事の成功です。会社で権力を持っている上司と権力闘争をしても勝てるわけがありません。正論を押し通そうとするその先には敗北しかありません。
自分にメリットのないやり方をあえてする必要はありません

「補足」-不適切な行動の四段階
1注目を得る 2権力闘争 3復讐 4無気力

「内輪のルール」「暗黙の了解」に流されない

相手の意見を受け入れることも必要である一方で、上司の言っていること、やっていることが明らかにおかしい、理不尽だという時にははっきり拒否しなければなりません。

そのためには「受け入れる」「受け入れない」という判断の基準を持っておくことも必要です。

その判断基準をアドラー心理学に基づいて考えると「共同体の利益」になるかならないかということになるでしょう。

たとえばある会社が、他の規制の緩い国で操業し、公害をまき散らしているとします。
その国の法律の範囲内であるかどうかが問題ではなく、住民を苦しめていることの方が問題です。

この会社の従業員にアドラー心理学は「告発せよ。」と求めます。

会社という共同体を超えて、世界という共同体の枠で考えれば、その会社の公害をストップしなければならないのです。

上司に対しても同じことが言えます。上司に理不尽だとは言いにくい。けれどそれが部署全体に迷惑をかけているかもしれません。

部署ではよくても会社全体では?地域社会では?国では?世界では?

そうやって共同体の枠を広げながら考えることで判断することが大事なのです。

共同体の利益にならないものには応じてはいけません。
友人に「悪いことをしている人」がいたらあなたは止めるはず。
友人としてヨコの関係であればそれをしなければなりません。

「このままにしておくと将来どうなるか」
友人としての態度で未来を考えて接する。理不尽な上司にはこのような対応が望ましいのです。

好き嫌いは本人の問題

会社の中には様々な問題がありどのように向き合うかで頭を悩ませている人は多いようです。

だた基本的に日本人は承認欲求と同調圧力に弱すぎるようです。
「認められなかったらどうしよう。」
「みんなと同じでなくてはならない」

こうした気持ちを克服することが必要ではないかと思うのです。

「同じ部署の同僚に嫌われているようだ。どうしたらいいだろう?」
そういうことで悩んでいる人には「それで何が問題なのか?」と自問自答してもらいたいのです。

そもそも嫌っているようだということは本当なのかどうか、わかりません。
あなたの勝手な妄想かもしれません。
もし仮に嫌われているとして、その人があなたを嫌うかどうかは相手の自由です。あなたが干渉すべきことではありません。

人間には好き嫌いがあるのが当たり前ですし、あなたもそうであるはずです。
自分は好き嫌いがあるけれど、周りの人には全員に好かれたいのは虫のいい考え方です。

アドラー心理学における人間関係をまとめると以下の二つが基本になります。

みんなに好かれた人は歴史上存在しない
みんなに嫌われた人も同様である

「他人はあなたが気にしているほどあなたに関心がない。自分のことで精いっぱい。」

課題の分離から言っても「誰を好きか嫌いか」で悩むのはその人の課題であって、あなたが踏み込む領域ではないのです。

職場での最大の目的は仕事をうまく進め成功させること。同僚と仲良くする必要があればそれは仕事のための手段です。決して目的ではありません。

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嫉妬にどう向き合うか

基本的には職場では仕事がうまくいけばいいので、同僚に好かれようが嫌われようが課題の分離に反して踏み込むことはできません。

しかし仕事に支障をきたすようでは対処が必要になります。
やたらと自分に突っかかってくる人にはどうしたらいいでしょうか?

相手の目的は何でしょう?
自分の発言や邪魔したり否定することで何を達成したいのかということです。

考えられるのはあなたの足を引っ張りたいと思っていること。
根本にはあなたの仕事ぶりや能力への嫉妬です。
これ以上突出した存在にならないよう足を引っ張るのです。

そういう場合には「足を引っ張られないぐらいまでとびぬける」ことが理想です。出過ぎた杭は打たれない。

飛びぬけようとすれば足を引っ張るような人を気にするのではなく、自分に必要な人たち、すなわち自分がもっと上に行くために協力してくれる人たちとの関係を密にするほうがよほど大事です。

また突っかかってくる相手とは心理的な「かわす」方法をとることも必要。
正面から向き合わないこと。
会議の時などには前に座らない、横に座る。

横に座るのは親密なポジションになります。
ななめ前は協力のポジション。

大事なのは相手と真っ向から戦わないこと。相手と「権力闘争」になってしまうからです。

権力闘争になったら「逃げよ」というのがアドラー心理学の基本です。
力に力で対抗する必要はありません。
身を引くのも重要なのです。なぜなら職場での目的は仕事の成功であり相手に勝つことではないからです。

自慢は劣等感の裏返し

「寝てない」「忙しい」自慢は「俺は仕事ができるんだ。」「頑張ってるんだ。」アピールが入っています。

そういう自慢を聴いていて「自分は頑張ってないみたいで気が引ける」と感じる人もいるはずです。

ではなぜことさらに「忙しい」という人がいるのでしょう。

アドラー心理学ではこういう人を「優越コンプレックス」にあるとみなします

劣等感と劣等コンプレックスをアドラー心理学では明確に区分をしています。劣等感は主観的に劣等を感じるもの。
''&deco(u,,,){劣等コンプレックスは「どうせ自分は駄目な人間だからできないんだ。」
「学歴が低いせいで僕は失敗した。」などの劣等感を言い訳にして自分の課題から逃れること};''。

優越コンプレックスは「どうせ自分は」の代わりに虚栄心に満ちた態度をとることを言います。
自分の忙しさや仕事ができることを自慢して自分の劣等感を埋め合わせ他者に劣等感を抱かせようとしているのです。

家族自慢や人脈誇示も優越コンプレックスです。

劣等感は悪いことではないのですし、今より高いところに目標を置いているのであれば劣等感は持っていて当然でしょう。
しかしそれを理由に人生の課題から逃げてはいけません。
劣等コンプレックスであれ優越コンプレックスであれどちらも逃げの一手なのです。

同僚がやたらと寝ていない、忙しいというのは自慢にすぎず、その自慢は劣等感の埋め合わせでしかない。
相手が劣等感からそういっているのがわかればイライラしたり、自分は頑張っていないなど気に病んだりすることもなくなるはずです。

忙しいと言いながらよく観察してみたらさほど大量の仕事をしているわけではなかったりします。
相手があなたに向けて言っているとすれば、あなたをライバル視して互角または負けていると感じていて、せめて「忙しさ」では勝っているとアピールしたいのです。
いずれにしてもこういう人に向き合う必要はありません。
劣等感でそうしていること、自分に負けていると感じていることと思えば腹も立たなくなるのではないでしょうか。

言わなければ伝わらないが基本

職場における働き方はひとそれぞれ、働くことに対する考え方も違います。
何より仕事優先の人にとっては子どもの行事等で頻繁に休んだり、早退したりすることを迷惑と感じるかもしれません。

「休むのはいいけどしわ寄せはこっちだよ。」というわけですが、独身者と既婚者が対立するようでは困りものです。

就業規則で認められているのであれば子供の用事で会社を休むことはその人の権利です。周囲にはそれを認める責任があります。

ただ権利と責任はワンセット
休むことで周囲に負担が生じるのであればそれを最小限にすることも大事です。

「明日は休みます」「途中で帰ります。」などといきなり言われたら周りへのしわ寄せは大きくなる。
急病ならともかく行事などはあらかじめわかっているのですから、周囲につたえて仕事がうまく運ぶようにする準備をしておかなければなりません。
公共の秩序に反する行為はアドラーがもっともしてはいけないことのひとつだとしています。
ここで問われているのは共同体の中の共感能力です。

急に休みを取る人には自分の行動によって周りへのしわ寄せがあるかもしれないということを察知する能力が欠けているという事。

一方でしわ寄せを受ける側にも仕事にしわ寄せが来ることを避けるように要求する権利もある、すなわち責任もある。

しわ寄せで仕事がうまく進まない状況を放置しているという意味では迷惑をかけられている側も同じなのです。その状況を改善しようという責任を放置していると言えます。

休む側はできるだけ早くその旨を伝え、準備をしておく。周囲はそうしてほしいことをしっかり伝える
双方が責任を果たせば休む方も引け目を感じず、周囲はイライラから解消されるでしょう

こうした問題解決に向かわずに中途半端な状況でイライラしたり引け目を感じたりするのは日本人の特性でしょう。
「いわなくてもわかるだろう。」という甘えがあるのです。

他の国では「言わなければわからない。」が基本。
アドラー心理学でも「他人の事はわからない。」が前提になります。
だからこそ分かり合うために言葉を使ってしっかりと伝える必要があるのです。

悩みを解決する気があるのかどうかが問題

職場では、やたらと自慢をしてくる人もいれば突っかかってくる人がいる一方で相談ばかりしてくる人もいます。

いつも相談にのっているけれど毎日ではかなわない。つまらないことで相談しないでほしい、そんな風に感じられる方もおられるでしょう。

ただ相談ばかりされることを面倒に感じるのであれば、それは半分以上相談を受ける側に問題があるのです。
自分が相談にのるから向こうは相談してくるのです。

あるカウンセラーが、夫を自殺で亡くした相手に無料で相談を受けていました。可愛そうだからと受けていたら絶え間なく電話やメールが来るようになったそうです。

絶え間なく相談されることで気が重くなったり動揺しているというのはカウンセリング能力を超えているということ。
その際にはそのことを相手に伝えなければなりません。

時間を区切る、有料にする、他のカウンセラーに引き継ぐなどです。

日本人の7割は、好きなテレビ番組を見ている時に友人から電話が来るとそのまま話し続けてしまうそうです。

たいしたことのない話で好きな番組を見逃し後から愚痴を言う。

たいしたことのない話なら電話を切ればいいのです。「あとでかけ直すね。」と言えばいい。

なぜそれができないのかというと「嫌われたくない」という思いを過剰に抱いてしまっているから。

その場で対応しなければならないエッセンシャルな問題などはそうそうありません。
うざったいと感じるのであればそれは重要ではないということ。

あるときアドラーは喧嘩している子供を見て「どうしたいんだい?」と尋ねたそうです。理由も目的もなかったそうで、単にじゃれあいたかっただけなのです。

これは大人にも言えること。
悩みを相談するというのは形だけで実際には愚痴を言って共感してもらいたいというだけなのかもしれません。言ってみれば根本的な解決を求めていないと言えるでしょう。

その人の問題はその人にしか解決できませんので、あなたの課題でないものを踏み込んで相談にのる必要もないのです。

本人が課題を解決しようとしていないので、それに対してアドバイスをしても「勇気づけ」にも何にもならないのです。

支援には手続きが必要

何も相談してこないけれど何か抱えているようだという人はいます。それが仕事にも支障をきたしているようだし、そんな人をどうにかして助けたいと思うものです。

しかしそういう場合にも勇気づけ」の援助を行うには手順が必要。言い方を変えれば段階を踏むということです。

「何か助けることはあるかい?」と聴くこと。

NOであれば助ける必要はありません。
助ける必要のない人の世話を焼いたり、やたらと相談してくる人の相手をし続けるのは「課題の分離」に反します

アドラーは世話好きな人を指して
「自分がその世話を焼く相手にとって重要な人物であることを証明しようとしている」と指摘しています。

手を伸ばしてもいないのに他人の課題に土足で踏み込むのはトラブルのもとになります。

「ニーズなきところにサプライなし」

それが手助けするときの鉄則です。

ニーズにもさまざまなパターンがあり、潜在ニーズと顕在ニーズがあります。顕在ニーズはアドバイスしやすいけれど、隠れている潜在ニーズは難しい。

何かに苦しんでいるように見えるがそれが何かはわからない。もしかするとその人自身さえ気が付いていないこともある。
それが潜在ニーズなのです。
潜在ニーズを明らかにしていくのも手続きによってのみです。

アドラー心理学のカウンセリングでは「もしかして」という言葉を良く使います。
「もしかして~な悩みを抱えていませんか?」と探っていく手続きを経ることで潜在ニーズを明らかにしていくのです。
こうした手続きを踏むことによってニーズが明らかになったときのみ「勇気づけ」に基づく援助が効果的になるのです。

叱るのはスタンドプレー

同僚が上司に叱られているとまわりにいる自分たちも気がめいるもの。しかし組織というものはスケープゴートを作りがちです。
いわゆる「叱られ役」がいることで組織が前進しやすくなるでしょう。
叱られても笑っていられるタイプの人ならばそれも時にはいいかもしれません。

デメリットが少ない形で「叱られ役」を作るならともかく、周囲の士気を下げてしまうならかんがえもの。
仕事をうまく進めるという目的のために何かアプローチをしなければならないでしょう。
そのアプローチには二つのやり方があります。一つは上司へのアプローチ。もう一つは叱られ役となっている人へのアプローチ。

上司にアプローチで気を付けたいのは、叱っている最中ではなく、他の状況で懐に入ること

アドラー心理学で使われる方法として落ち着いて話ができるときに「~さんには叱るよりも~~の方法のほうが効果があるようですよ。」と伝える形があります。

その上司には叱ることで自分の力を見せつけているという部分もあるはず。
また上司が叱る状況をよく見ているとさらにその上の上司がいるときだけ叱るという場合もあります。

こういった場合には「自分はしっかり仕事をしています。」というその上司への歪んだアピールがあります。
いずれにしてもことさらに部下を叱るのは一種のショーでありスタンドプレー。

意味なく職場の雰囲気を悪くする行為はやめてもらうにこしたことはありません。

また「叱られ役」の部下も黙っていることで主従関係に甘んじ奴隷であることを受け入れているといえます。

「主」を主たらしめているのは「従」の存在
こういう人には自分たちが味方であることを伝え対策も教えるといいでしょう。

「いいかげんにやめてください。」「やめて!」と大げさに反応する。そうすることで上司はひるみます
もともとスタンドプレーで確固たる意志を持ってやっているわけではないので、反撃されればすぐにやめるのではないでしょうか。

受動から能動へ

会社の人とうまくコミュニケーションが取れているか、いい関係が築けているかを仕事の達成ではなく他の事で測ろうとしている人はめずらしくありません。

同僚と友達関係になれているか、プライベートでも付き合いがあるかどうかをバロメーターにしてしまうのです。

同僚が飲み会に誘ってくれないという人には、それのどこが問題なのですか?と問いかけたいと思います。

プライベートの誘いをしてくれなくても職場の「仕事をうまく進める」という最大の目標とは別物ではないでしょうか?

仕事がうまくいっているなら職場とプライベートを分けてもまったく問題はないはずです。
むしろ自分の時間を持つことができて好都合かもしれない。

飲みに誘われても行きたくない時もあるでしょうから誘われないのはむしろ好都合だと思っていいでしょう。
まして自分の世界を会社にだけ限定するのはバランスが悪い。

自分の友達になるのは会社の同僚だけではありません。
それでも同僚と飲んで親睦を深めたいなら、必要なのは「自分から」の法則です。

誘われないと嘆くより自分から誘って飲み会を開くことの方が簡単なはず。動くのは自分でありそれを決めるのもまた自分なのです。

アドラーは神経症や不眠に悩む人へのアドバイスとして他の人をよろこばせることを勧めました。

自分から誘えばいい。フォロア―になるのではなくリーダーになればいい。
同僚との関係であなたが受け身的になっているとすれば、あなたが能動的になることが大切なのです。

[添付]

出世はあなたの人格とは無関係

組織の中で働く多くの人にとって最大の関心事は組織からの評価、すなわち給料や出世かもしれません。

「同期が出世して上司になってしまった。」という人もおられるでしょう。こうした差は組織で働いていればいずれは出てくること。

アドラー心理学で考えるとそれらは気に病む必要がありません。
出世というのはその人の人格には関係がないからです。
上司と部下の違いは役割の違いに他なりません。

アドラー心理学での人間関係はヨコの関係です。
上司と部下の役割の違いがあっても人格はあくまで等価。

リーダーシップの効果を高めるのはフォロア―シップなのです。

もしも同期が上司になってしまったらフォロア―シップを発揮してどんどん出世させればいい。もっと出世させてしまえばその差が気にならなくなります。

出世する人にはそうなるだけの能力や魅力があるものです。それを認めることから始めましょう。自分にないものを持っている人から学ぶ度量、気構えを持ってほしいものです。

アドラーには年上年下という考え方がありませんでした。子供のころ飛び級も経験していますから年齢や先輩・後輩の関係を意識することもなかったのでしょう。

年齢や年次にこだわるのは日本人だけです。外国の企業に同期会なんてのはありません。
「同期に先を越された」というのは、日本にいる人たちだけが興味を持っていること。日本の外から見たらどうでもいいことなのです。

自分の状況をどう意味づけするかは自分次第

人間はどうしても他者との比較をしてしまいがちです。
「隣の芝生は青く見える」というわけで他者の環境をうらやんでしまう。

しかし会社が違ったり同じ会社の中でも部署が違えばそれぞれ求められる仕事の内容が違いますから、それを比較しても仕方がない事。

仕事のやりがいがあるように見える同僚と比較してうらやましいと感じていることもあるでしょう。しかし逆もあるのです。

「いつも遅くまで仕事をして身も心もボロボロだ。それに比べて定時に帰れるなんてうらやましい。」と相手は思っているかもしれません。

結局のところ仕事に良い悪いはなくて、アドラー心理学でいえば与えられた環境をどのような気持ちで受け取りどう意味づけするかは、その人自身に委ねられているのです。

自分と他者を比較するときそこには劣等感の心理が働きます
自分のマイナスと他者のプラスを比較するのですから勝ち目はありません
それはする必要のない事なのです。

また他者との比較はあくまでも「今」が基準
考えるべきは今の状況が未来の自分にどんな影響を与えるか、自分の成長にどうつながるかではないでしょうか。
この先何十年もその状況が続くと考えることがそもそもの間違い。

回り道にもメリットは必ずあります。
ここで大切なのは仕事の課題に直面した時に、より長期的により広い視野で捉えることです。

「今の仕事が自分にとって長期的にどういう意味があるのか。」
「今の仕事が組織全体にとってどういう意味があり、そのことに自分がどう貢献できるか。」

アドラーの
「あらゆる課題は人間社会の枠組みの中で、人間の幸福を促進する仕方で克服されなければならない。人生の意味は貢献である。と理解する人だけが、勇気と成功の好機を持って困難に対処することができる。」の言葉をかみしめたいものです

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