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自分らしく生きる

自分らしく生きる

「嫌われる勇気」に端を発したアドラー心理学ブームは、なぜ起こったのでしょう。今なぜアドラーなのでしょう。
それはアドラー心理学の特異性にあると思います。
「原因ではなく目的を考える」とか「勇気づけ」「共同体感覚」「課題の分離」などの考え方が今の私たちの悩みにフィットするからに他なりません。

人の評価を気にして、嫌われることを恐れ、他者に同調し、劣等感に悩み、自分の進む方向が分からない、見つからない、そういう現代に生きる私たちに、アドラー心理学は、明快かつ優しく厳しく答えを示してくれているからです。

そして決して難しくなく、わかり易い言葉で、方法も具体的かつ実践的。
一般の人に広く解放されているのも大きな特徴です。
このページではアドラー心理学の考え方をベースに「自分らしく生きる」ためのヒントを書いていきたいと思います。

嫌われる勇気

❤「自分の捉え方を変えて自分らしく生きるために」

「他者にどう見られているか、ばかり気にする」

自分が他者からどう見られているか、気になるという方は多いでしょう。
相手が自分をどう思うか気にしないでいられたら気楽ですよね。

私たちはどうしても人と比べたり、評価することが当たり前・習慣になっています。

職場で相手の仕事ぶりを見て「あの人の仕事は段取りが悪い」とか「自分だったらこうするのに。。」といった具合に批判したり、友人が一戸建ての家を持っているのを見て「自分はマンション住まいなのに。。」と比較したりついつい比較してしまいます。

私たちが人と比較したり、相手にどう思われているかを考えるのは人間にとって自然なことかもしれません。

しかしながら頻度の問題があると思うのです。
比較ばかり、またはどう思われるかを気にしてばかりいると、それが判断基準になり、気持ちが安定することはありません。

他者が基準だからです。自分が基準でないと心穏やかに暮らすことはできません。
ありのままの自分に自信を持って自分なりの力で生きていければもっと生き易くなるでしょう。
アドラー心理学の中にその答えがあるのです。

「不完全である勇気を持つ」
アドラー心理学の中に「不完全でいる勇気」という言葉があります。
ありのままの自分をそのまま受け入れる勇気です。
不完全で欠点がある自分でもそのまま素直に受け入れることです。
これを自己受容と言います。
自己受容は安易な自己肯定やあきらめではないのです。

「他者の評価を重大に受け止めない」
人見知りで、とか他者とお話をするのが上手くないからと言う方もおられますよね。自分の不器用を嘆いたりする人もおられるでしょう。

こういった自分が欠点と思っていたことをたまたま人に指摘されたとします。傷つく人が多いでしょう。

でも傷つかなくていいのです。
「他の人の自分に対する評価は、その人の個人的な意見であり自分の評価そのものには関係しない」のです。

人は自分の経験から培われた価値観で物事を捉えます。そのため物事の捉え方はひとそれぞれです。

アドラーがいうのは「価値観の違う他者の意見」を重大に受け止めるなということ。
頑張っているのに認めてもらえない=自分が駄目
と考えるのと
頑張っているのに認めてもらえない=たまたま忙しくてそうなっているだけまたは、褒めるのが相手が苦手
と考えるのでは雲泥の差です。

「相手がどう思うかなんて自分には関係がない」ということです。

「ありのままの自分に自信が持てない」

自信が持てない自分は自分が創りだしている

私たちは日々自信を失うような出来事に遭遇します。
「仕事での失敗」「恋人にふられた」など、たくさんの失敗があるでしょう。
またはずっと自分に自信が持てないままという人もいるかもしれません。

人は自分に自信が持てないと不安になり、自分を信じられなくなります。
そして落ち込みます。
その感情はどこから来るのか考えてみましょう。

アドラーは、原因を突き止めるよりも、人がどこに向かおうとするのかに注目しました。アドラーは、何か原因になる出来事があって、悲しみや喜び、怒りなどの感情が出るのではなく、まず自分がこうなりたいという目的(未来への目標)があって、そのためにふさわしい感情を目的に沿って使っていると考えました。
これを目的論と言います。

自信を無くして不安でいる状況は目的論で見ると次のようになります。

出来事⇒「他者の同情や保護・許しを得るため」⇒「不安や落ち込みという感情を使おうと自分で決める」⇒不安になり落ち込む

自分で目的を「他者の同情や保護・許しを得る」という設定にしたため落ち込むのです。

自分に自信の持てない人は「どうせ俺は自分に自信が持てない」「この性格は変わりっこないんだ」と決めつけていることがあります。

「具体的に自信を取り戻すためにできること」

「なぜ?」を「どうする?」に変える

「なぜ失敗したのか?」と考えるのではなく目的(未来)へ向かって
「失敗しないためにできることは何か?」と考えるのです。

ネガティブな思考回路を断つこと、自信がなくなりそうになった時こそ意識的に未来へ視点を移すのです。

自分が持っている性格の使い方を変える

自信がない人から、慎重な人へ、アドラー心理学では自分の意思で決めたライフスタイルは自分で変えられると考えます。

自信がないことの回数を少しずつ減らしていく、自分のもともとの性格を良い方向へ使っていくことで自信は増えていくことでしょう。

「苦手なことからいつも逃げたくなる」

「また仕事を頼まれて引き受けちゃった」
「あの人苦手だから近寄りたくないのに同じグループに入っちゃった。」

「できれば逃げたい」こと、誰にでもあるのではないでしょうか。
これはタスクの問題です。

アドラー心理学では人生で取り組むべき課題をライフタスクと言い、三つあるとしています。
「仕事・交友・愛」のタスクです。

「仕事を頼まれて引き受けちゃった」のは仕事のタスクです。
「あの人苦手だから近寄りたくないのに同じグループに入っちゃった」のは交友のタスクになります。

それぞれの課題について苦手があるとすれば、それを克服するには「勇気」が必要になります。
自分を勇気づけることができればそれらの苦手にも向かっていくことができるのです。

アドラー心理学では「人は常にマイナスからプラスへ」行動を起こしている、と考えます。
マイナスからプラスへの過程には課題があり、人生で向き合わなければならないとしています。

逃げ出したいことを克服するときに必要な活力をアドラーは「勇気」と呼びました。自分で自分を勇気づけることができれば、それらのタスクに立ち向かっていくことができます。
それでは「勇気がある人とは?」どんな状態の人を言うのでしょう。

自己受容」が基本になります。これができていれば必要以上に自分を過小評価したり過大評価しなくなります。
自分を大事にしますので自分を信頼でき、自分が困難に立ち向かいそれを乗り越えることができる力があると信じることができます。

これは自分を勇気づける習慣から生まれますので、その方法を自分なりに毎日の生活で実践していければいいと思います。

「他者にイライラする」

他者の言動にイライラする、よくあることではないでしょうか?
人は自分にストレスを与えるものに対して過剰なまでに防衛本能が強くなり、些細なことに敏感に反応してしまう場合があります。

「相手の言葉が不愉快だ」
「むかつく」などの気持ちが結果的に怒りとなってストレスを与えた相手に向けて現れてしまうのです。

アドラー心理学では目的論でこういうイライラについても考えます。
このような場合「相手を支配するという目的のために怒りという感情を作りだして使用したのだ」と考えます。

相手に対して優位な立場に立ちたかったり、自分の正当性を示したいとき、人は感情的になると言われています。
しかしイライラしてそれを相手にぶつけてもあなたと相手の関係は決してよくなりません。

「他者の課題と自分の課題を分けてみる」

アドラー心理学ではそれは誰の課題なのか?ということを重視します。自分の課題は自分で積極的に取り組まなければなりませんし、他者の課題には踏み込まない、他者を自分の課題に踏み込ませてもいけません。

これができないと、上下関係ができたり依存関係が成り立ったりするのです。
アドラーはこういっています。
「あなたの悩んでいる問題は本当にあなたの問題なんだろうか?その問題を放置した時に困るのは誰なんだろうか?」

誰の課題であるかはとても重要です。
人は他者を変えられません。

その現実を受け入れてまずは自分に何ができるかを考えることが目的論にも沿った考え方になります。
たとえば自分の考え方の癖、起こった出来事の意味づけを変えてみる。自分の周りの人たちの課題には踏み込まないようにする。

そのうえで相手と共に解決したいことがあれば提案して協力することを目指します。これを共同の課題にするといいます。

「物事を悪く考えてしまう」

アドラーはこういっています。
「人生が困難なのではない。あなたが人生を困難にしているのだ。人生はきわめてシンプルである。」

「自分の人生さっぱりいいことがない」
「これからもうまくいきそうにない」

うまくいかないことが重なると人は悪い方へ悪い方へと思考をめぐらせ悲観的になってしまうことがあります。

そうでなくても仕事はきついし、トラブルでもあれば疲れ切り、ネットやテレビには悲観的なニュースばかり。

こんなときこそ自分を勇気づけたいものですね。
アドラーは、他人や環境の影響を受けて不運になったのではなくそれは自分の考え方ひとつで決まるものだと言っています。

わざわざ自分の人生を辛く困難にするのはやめましょう。

人の気分や感情は、起こった出来事をどのように受け止めるかによって、決まります。
同じ出来事でも「楽観的」に受け止める人と、必要以上に「深刻に」受け止める人もいて個人差があるのです。

自分を取り巻く環境は自分の選択次第で変えていくことは可能ですし、なるべく自分のためにはポジティブな意味を見つけていくことが大事でしょう。
アドラーは「楽観主義」を説いています。

楽観主義者は、世の中には良い事も悪いこともあるということを認めたうえで、今ある条件の中でできることをするということです。

なんでもかんでも「大丈夫」という気分屋のお気楽主義とは違います。

「仕事にやりがいを見つけられない」

現代ほど仕事にやりがいを見出すのは難しいと言える時代はないでしょう。
「自分なりに頑張っているのに」
「むくわれないなあ」と感じたり
「自分の能力が活かせない」
「仕事は楽しくないしやりがいが見いだせない」
そんな風に感じておられる方も多いでしょう。

「人にはやる気が備わっている」

アドラーは、こういっています。
「やる気がなくなったのではない。やる気をなくすという決断を自分でしただけだ。」

困難を克服して楽観主義に向かう努力をするようにすすめています。
アドラー心理学ではやる気がないという発想はありません。「自分でやる気をなくすという決断をしたのだ」と考えます。
この考え方はとても主体的な考え方です。

起った出来事は、その出来事をどう捉えるか(認知)を変えることで困難から「逃げない」というライフスタイルに変えることができるのです。

「自分を優先にしがちである」

自分の居場所がないなと感じている人、よく自己中だと言われる人は、自分のことを日ごろから優先しがちです。

そういう人は交友のタスクや愛のタスクに問題があると言えます。
自分だけが特別な権利を持っているわけではなく、周囲の人は自分の期待を満たすために存在するわけではありません。自分と同じように人は誰でも自分の人生の主人公なのです。

精神的に健康な人は友人を心から信頼し、仲間だと思うことができる人です。

アドラーは「幸せを実感するための3つの条件」を挙げています。

「自分だけでなく、仲間の利益を大切にすること。受け取るよりも多く、相手に与えること。幸福になる唯一の道である」

ひとつはあるがままの自分を受け入れる「自己受容」。
次に他者を信頼する「他者信頼」。
自分が誰かの役に立っていると感じる「貢献感」。

人はそれぞれ得意なこととそうでないことがありますし、社会で生きているのですから一人一人状況は違うでしょう。
それではいったい何が人生の目標であり幸福なのか。

アドラー心理学では「共同体感覚」を持つことと説いています。

「相互信頼」「所属感」
自分に対する執着を他者への関心に変えることで悩みから解放され幸せを感じることができるとされています。

まずは自分から仲間に貢献してみましょう。

その際には見返りや承認を求めず自分のできることをやっていくことです。人に関心を持ちサポートすることで受け入れられる場所ができ、居場所ができるかもしれません。
自分の事ばかり考えて支配的になり孤独な人生を歩むのか、人を受け入れて周囲からも受け入れられて協力し合える人生を歩むのか、これもあなた自身が選ぶことです。

「人と比較して劣等感を抱いてしまう」

私たちは普段自分でそれほど意識していなくても何気ない会話で劣等感を感じたりしていることがあります。

たとえば「また勉強しているの?ずいぶん勉強好きなんだね。」と嫌味を言われたり「子会社に出向になったの?」などと言われると嫌な気分になったりします。

特に男性は内心では「自分は人より優れていたい」という自尊心が強いためメンタルは実に繊細で複雑です。
人によっては劣等感を隠すために別の事でカバーしている場合もあります。

だからといってそのことを気に病む必要はないのです。

心理学の世界に「劣等感」という言葉を最初に広めたのはアドラーです。
アドラー心理学では人は誰でも生まれながらに劣等感を持ち、それがすべての根幹になると考えます。

かつて病気がちだったアドラー自身も劣等感を持っておりそれを克服すべく努力を重ねてきた人でした。

「成功者の多くは劣等感をバネにして活躍している」

アドラー心理学では「劣等性」「劣等感」「劣等コンプレックス」という言葉を明確に区別しています。
「劣等性」はハンディキャップ、「劣等感」自分が他者よりも劣っている、もしくは自分の理想より現実の自分が劣っていると感じる感覚、「劣等コンプレックス」劣等感を言い訳にして自分の課題から逃げ出すこと。

アドラーは
劣等感を抱くこと自体は不健全ではない。劣等感をどう扱うかが問われているのだ。」と言っています。
しかし劣等コンプレックスについては否定的です。

劣等感に立ち向かい努力や研鑽を重ねて偉業を成し遂げた人たちは多いのです。

ベートーベンは耳が聞こえませんでしたし、棟方志功は目が不自由でした。
野口英世はやけどした手がうまく使えませんでした。彼らは皆勇気を持って劣等感に立ち向かい克服してそれぞれの才能を発揮しました。

たとえ劣等感や劣等性を持っていたとしても、それらをバネに人並み以上の成果を出すことは不可能ではありません。

アドラーは劣等感を克服して自らの弱点を補おうとする心の働きを「補償」と呼んでいます。

劣等感を言い訳にして人生から逃げ出す弱虫は多い。しかし劣等感をバネに異業を成し遂げた物も数知れない」

劣等コンプレックスを抱えた状態を示す「どうせ」という言葉を使うのをやめ、「自分の劣っているところ」とどう付き合うかを考えましょう。

「自分のことを好きになれない」

あなたは今自分の事が好きと言えますか?それとも嫌いでしょうか。

自分に自信が持てたらいいなと思っている方は多いと思います。
仕事上や他者との付き合いでうまくいかないので自分で自分を好きになれず自己嫌悪に陥っている方は多いようです。

「自分が好きになれない」「自分が嫌い」なのはどうしてでしょう?

アドラー心理学ではいわゆる性格・ライフスタイルは決して生まれつきのものではなく、自分で選択や決定をしながら自ら作り上げてきたものだと考えます。

自分を好きになれない・嫌いなのも自分で選択していることなのです。
アドラーは、過去の原因よりも未来に向けた目的によって自分の行動を決めていると考えました。

性格を選択しながら生きてきたのですから自分が選択を変えれば自分を変えることは可能だというこの前向きな捉え方は今や現代心理学の常識になっています。

アドラー心理学が多くの人を引き付けているのは、性格も未来も変えられるというポジティブな面が多くの人を勇気づけているからに他なりません。

「見返りを求めず他者へ貢献することで自分が変わる」

自分が嫌いという心理状態はどのように克服すればいいでしょうか?

アドラーはこういっています。
「人は貢献感を感じ、自分に価値があると思える時にだけ勇気を持つことができる。」
これは共同体感覚につながります。

自分の貢献的な行動が周囲の人たちの役に立っていると感じられ、そのことで感謝されるときに幸せを感じるということです。

たとえ感謝されなくても決して役に立っていないわけではなく自分は役に立っていると感じられれば自分が価値のある存在だと思えるわけです。

どうしても自分が嫌いだと感じてしまう過度な劣等感・自虐的で間違った思考はベーシックミステイクスであり克服すべき課題です。

過度の思い込みに対しては、これまでとは違った視点から客観的に検証する必要があります。勇気を持って乗り越える努力が必要です。

「自分と違う意見を受け入れられない」

人と話している時によくあるケースとして自分の意見を否定されるとどんな風に感じるかというと、カチンとくる、ひそかにイライラする、素直に受け入れる、などがあるでしょう。

自分に自信がないと他の人からの批判や非難に敏感になり、自分の意見が批判されると相手に対しての嫌悪感すら感じてしまうのです。

反発する心理の背景には
「自分が正しいと思っていたことを否定されたことに対する純粋な怒り」があります。
自分の意見が大事にされなかったという悲しさです。
また反発を感じることもあるでしょう。

人の心は他者から高圧的に説得されていると感じた時に自分を守ろうとして反発したり抵抗を感じるのです。
防衛本能のようなものです。
ですから他者の意見を素直に受け入れるというのは大変難しい事でもあるのです。

アドラーはどういっているでしょう。
「自分と違う意見を述べる人はあなたを批判したいのではない。違いは当然であり、だからこそ意味があるのだ。」

人はそれぞれ違うのだから、違いにこそ意味があり受け入れることが他者を受け入れることにつながっていくというのです。
これはアドラー心理学の「認知論」です。

さらに他の人の意見に関心を持ちポジティブに関われる人は共同体感覚が高く自分と異なる意見を許容できる懐の深さがあると言えます。

「意見を押し付けられた」とかんがえるのではなく「あの意見には自分にはない視点があった。自分の意見が悪かったわけではない。」と受け止めてみませんか?

同様に自分も自分の意見を他者に押し付けるのを止めることです。お互いの意見を受け止め尊重し合えばどんな話し合いも建設的方向へ行けることでしょう。

アドラーはこうも言っています。
「自分の不完全さを認め受け入れなさい。相手の不完全さを認め許しなさい。」
これはアドラー心理学では「不完全でいる勇気」と言います。

勇気を持って不完全でいることをアドラー心理学では大事にしています。
人は誰でも多少なりとも欠点や短所を持っているものです。
完全であろうとすると自分が苦しいですが、不完全であることを認めて自分にできる範囲でよりよくなろうとすることは気持ちが楽になります。

自分を丸ごと受け止め自分を好きになり自分にOKを出すことができれば、相手に対しても信頼する決意をしてOKを出すことができるようになるでしょう。

自分も他者も不完全なのはお互い様。
それを受け入れることが人生を楽にしていきますし、お互い様の心での関係が大事と言えるでしょう。

「他者がうらやましくて仕方がない」

自分が上手くいっていない時、他者の充実した人生を見てうらやましいと感じることは誰にでもあることでしょう。

他者と自分の生活を比較して隣の芝生が青く見え、それをうらやんむという気持ちは悪い事ではありませんが、その中にねたみや嫉妬が入ると考え物です。

「なんであの人ばっかり」とか相手を否定したりねたんだりする感情が二次的に発生してしまう。
自分がもっていないものを他者ばかりが持っているという強い執着もあるかもしれません。

先に述べたようにアドラー心理学の認知論で考えると、私たちは自分の経験から培われた価値観を通して物事を主観的に認知するものだとして、事実を客観的に把握することは残念ながら不可能です。

「うらやましい」と感じた他者は、本当はそいう感じるべき対象ではないのかもしれません。

アドラーはこういっています。
「ピンク色のレンズのめがねをかけている人は、世界がピンク色だと勘違いをしている。自分がめがねをかけていることに気が付いていないのだ。」

私たちはそれぞれが異なる色のめがねをかけているので、同じものを見ても受け取り方は人それぞれ違う。
そこにはライフスタイルが関係してきます。

いつも誰かをねたんだり羨んだりしている人のライフスタイルは、目的論から考えると「自分は人より優れていなければならない」とか「人から良い評価を得なければならない」という人生目標を持っているかもしれません。

強すぎる思い込みは変える努力をしたほうがいいでしょう。

また「自分はうらやましがったり嫉妬しやすい性格なんだ。」と受け入れてしまうのも一つの方法です。
誰もが完全ではないのですから自分を受け入れることで気持ちに折り合いがつき、揺れ動くことが少なくなって来ることでしょう。

「途中でやめてしまう・くじける」

アドラー心理学では「理性」と「感情」は対立せず同じ目標へ向かってブレーキとアクセルの働きをすると考えます。

ですから「理性」と「感情」は対立しませんので「理性が欲望に負けたということ」は「自分のせいではない」という言い訳できる状況を作り出そうとしていると言えます。

すなわちアドラー心理学では
「無意識にやってしまった。理性が欲望に負けて、とは、自分や他者を欺くための言い訳でしかない」ということになります。

「欲望に負けて・・」は、「だから仕方がない」と、自分や周囲を納得させる、防衛したい思い、目的が表れています。

言い訳することが習慣になってしまうと、失敗することが怖くなり、本来の目的に向かうことができなくなり、人としての成長が望めなくなります。

アドラーはそのことを「自分や他者に対する言い訳」として、自分の責任回避や非を認めない態度を良しとしなかったのです。

人にどう思われているかを気にしながら人生を送るということになると、ありのままの自分の人生を送れず、他者の目を意識した人生を生きることになってしまいます。

自分の人生は自分が創るもの。
自分の人生、自分の道を切り拓くのは自分。
アドラー心理学では自己決定性を大事にします。

自分で決めるという事は、誰かのせいにしたり言い逃れをすることができないという厳しいものですが、主体性を持って力強く生きることでもあるとアドラーは伝えたいのではないでしょうか。

「人に流される・流されやすい」

ありのままの自分を認めることができない人は自分に自信が持てません。自分の中に確固たる軸がないので、物事をおのずと他人軸で捉えてしまい、困難に直面するたびに揺れ動いてしまうのです。そして他者の言動に合わせたり流されたりしてしまいます。

アドラーはそういう人たちへこんな勇気づけの言葉を残しています。
「陰口を言われても嫌われてもあなたが気にすることはない。相手があなたをどう感じるかは相手の課題なのだから」

人の思考を考えたり気にしたりせずに「自分は自分」と、分離ができるようになってくると生き易くなっていきます。
自分が今やること、やるべきことは何だろうか?と考えてみる。
それに専念することで日常生活はシンプルになっていきます。

ですから「今自分のやること」を考えるという作業が必要なのです。
できるだけ集中すること。

私たちはどうしても他者の期待に応えがちであり、そのことで悩みを創りだしているという側面もあるからです。

アドラー心理学では全体論といって「心と体は一体となって目標に向かっていく」と考えます。
息づまったときこそ「今ここ」に戻るための作業が必要なのです。

瞑想・運動・呼吸法などを取り入れ繰り返すことで気持ちが落ち着くという事もあり、試してみるというのもいいでしょう。

❤「他者関係を良好にして自分らしく生きる」

「身近に苦手な人がいる」

会社や身内、どうしても付き合わなければならない人の中にどうしても苦手な人がいる。よくあることですね。

上司だったり目上の人だったりすると会うのも気が重い。
出かけようとして不安になり行けなくなる。理由を付けてなんとか合わないようにするなどきっとあると思います。

アドラーはこう説明しています。
「不安だから行かないのではなく、行きたくないから不安を作りだしている」と。

会社の中で人間関係がうまくいっていないと仕事自体もうまくいかなくなることがきっと出てきます。

中には上司や自分の同僚との関係を良く保つために「感情を我慢しよう」とか「上の事は黙って聴こう」とか、自分を他者のために犠牲にしてしまう人もいるかもしれませんが、そのような人についてアドラーは「社会に過度に適応した人」という表現で表し警告しています。

「感情の使い方を変える」

相手のあることですから、我慢の限界を超えてつい怒ってしまい、関係が悪くなったりもあるでしょうし、自分が我慢し続けてて疲弊してしまうこともあるでしょう。

性格を変えると一口に言っても大変なことです。
でも感情の使い方だったら変えられるでしょう。

アドラーはこういっています。
「生まれ変わる必要はない。感情の使い方を変えればいいだけなのだ」

アドラー心理学において人の性格はそれほど変わりにくいものではないと考えますが、一つの自分のパターンとして捉え、あなた自身が感情の使い方を変えればいいのです。

今苦手だと感じる人が自分にとってどういう意味があるのかを考えたり、今の経験がのちになんらかの良い経験として活かせる場合もあるのです。

こういう視点で今の問題を捉えるとそれほど悲観的にならず、達観して苦手な相手にも対応でき、自分のためと捉えることもできることでしょう。

「感情的に怒鳴ってくる相手が苦手」

あなたのまわりにも感情的になり怒鳴る人がおられることでしょう。怒鳴られたほうはとても嫌な気持ちになります。
怒鳴る側としては「ついカッとなって」と言い訳をするかもしれませんが、アドラー心理学では「つい」とか自分を見失ってとかは捉えません。

怒りの感情を使えば相手は自分の思い通り動くであろうと意図して怒鳴りつけているのです。

上司だったりすると逃げられませんので怒鳴られることで嫌な気持ちで仕事をしなければならないでしょう。

本来上司は部下のお手本となる立場にあるのですが、些細なことで感情的になったり理不尽な理由で部下を怒鳴りつけたりするのは虚勢を張っているのです。
自分の強さをアピールすることで部下を思い通りに動かそうとしている場合が多いと言えます。

これをアドラー心理学では「優越コンプレックス」と言います。
もし怒鳴られている内容が正当な指摘であれば受け止める必要もありますが
、人格に及ぶようだと話は別です。

そういう場合には、相手が一度冷静になったときに自分の意見を述べて、やんわりと反省を促すことがいいでしょう。

「おまえは・・」などの「YOU」が主語になった言い方は、決めつけや人格否定的な印象を相手に与えます。
自分の意見を言う時には「わたし」を主語にした「I」メッセージを使うと穏やかに伝わります。

注意をされたときに、ミスに対して言っているので、自分の人格を否定しているのではないという風に考えることも必要です。

赤ちゃんは、言葉を話せませんので「おなかがすいた」「おむつが汚れた」といった要望を泣くという感情で訴えます。

あなたの周囲の「感情的な人」は、内面的に先ほど説明した赤ちゃんと同じであり、自分の感情を自分でコントロールできない未熟な人と言えるでしょう。
相手の未熟さは相手の問題であなたの問題ではありません。

そういう相手に対するには相手が「何」を言っているのかだけを聴くこと。
逃げられない身近にそういう人がいる場合には相手の気まぐれな感情に振り回されるのではなく「自分のやるべきこと」に思いを巡らせましょう。

職場の人間関係・部下にどう対応するかわからない」

アドラー心理学は勇気づけの心理学と言われています。
勇気づけは「罰する」とか「叱る」という行為を認めていません。
相手を否定したり攻撃したりする勇気づけとは逆の行為を勇気くじきと言います。

また「ほめること」も勧めていません。相手を自分に都合よく操作したり「縦の関係」を強くしたりしてしまうので勧めていないのです。
特に相手が大人の場合には気を付けないと相手との関係を悪くしてしまいます。

部下のミスを指摘するときにはどうしたらいいでしょう。
指摘したことで泣いてしまったりしたのでは、ほかの部下の手前困ってしまいますよね。

ミスはミスとして指摘しなければなりませんが、叱るという方法をとると相手が委縮したり、落ち込んだりするので、叱れないというケースもあると思います。

アドラーは、罰したり叱ったりする行為については否定しており、社員の奮起を促すつもりで愛のむちを入れるというケースについては特殊と言えるでしょう。
多くは愛のむちをふるう側の自己満足に終わってしまうからです。

子どもを叱ったとするとその直後にはその行動を止めることでしょうが、その方法は本当に教育的・効果的と言えるでしょうか?

アドラーは「あらゆる関係は対等でなければならない」と言っています。

それは大人同士でも同じです。
ですから勇気づけのサンドイッチをしてみること。

勇気づけ」+「ミスの助言」+「勇気づけ」という方法をとってみるのです。

相手に助言を求められたら「自分の考えた方法」を提案することもできるでしょう。

アドラーは褒める行為も勧めていません。これは「上から下への評価」であり縦の関係になります。

ですから相手の仕事ぶりを認めたいのであれば「うれしい」「助かる」「わかりやすい」「良く理解できる」などの感想を述べることで勇気づけになります。

自分が役に立っていると思うことで相手は職場で自分が役に立っていると思うことができるでしょう。
職場での貢献感を高めることが部下への最大の勇気づけになるのです。

「部下に信頼されていない」

職場で部下に対してついつい上司がやりがちな対応として、過去の間違いを何度も持ち出して笑ったり、ほかの社員の前でプライベートを持ち出して話のネタにしたり、やる気のある社員に「おまえには無理だよ。」と決めつけたり。

こういった対応をされると部下は勇気をくじかれてしまいます。
不快に感じると同時に上司への信頼はあっという間に失われてしまうのです。
またほかの社員と比較したり、そのうえで注意をしたりすると、言われた側は劣等感を感じ、さらに勇気をくじかれます。

相手を持ち上げたりしながら、結果が出なければ叱ったりする。
こういう「アメとムチ」の対応は、部下が上司の顔色を窺うようになり、健全な関係を築くことはできません。

信頼関係を築くにはどうしたらいいのか?

まずはできることとして「話をきっちり聴く」ことから。。
自分が話したい気持ちを押さえて相手の話をまず黙って聴くこと。
相手が話をしに来たら自分の仕事の手を止めて、相手の目を見てうなずきながら話を聞くこと。
曖昧な話し方をせずにきちんと話すこと、伝えること。

大事な内容であればあるほどメールではなく直接話すことで信頼関係は増します。相手の反応を見ながら修正できるからです。

アドラーはこういっています。
「相手に簡単な説明や親しみのある話し合いをするだけで十分です。信頼関係があれば相手はそれを受け入れます。」

自分に都合よく相手を支配したりコントロールしたりしようとすると、相手はこちらの意図を見抜いて心をひらかなくなります。
相手とつがなりにくい時には、仕事とは別の話をしてみて共通の話題を見つけるなどこちらから懐に飛び込むことです。

聴き上手になることで相手の話に「共感」しつつ、相手に対してこちらの考えをオープンにすることを「自己開示」といいます。
まずはこちらからより早くより深く信頼を示すことです。

「リーダーとしてやれる自信が持てない」

アドラー心理学では、組織の中で上下関係を作るのではなく対等で信頼し合える関係を築くことを求めています。役職名やシステム上の上下関係はなくならないのですから、あくまで人としての付き合い方や態度を言います。

社員が皆会社に対して貢献できていることに注目して勇気づけ合う関係を作るのです。
一人一人の能力を最大限に生かすことで業績も上がっていくことでしょう。

アドラーは
「大切なことは何が与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである」と言っています。

あなた自身があなたという道具をどう使うかなのです。

「性格が暗い」としてもその特性をどう活かすか。。
「暗い」上司がいきなり「明るい」上司にはなれませんし、それは自分の特性を活かすことではなく、ないものねだりです。

「暗い」という特性は別の角度から見ると「口を出すことなく見守る上司」「物静かで穏やかな上司」という事になるでしょう。
自分の特性を別の方向で活かすことで組織内の人間関係も変わってくるかもしれません。

親にありがちですが、親の価値観を押し付ける、自分がこうなってもらいたいという人間関係を押し付けたり特別であることを要求するなどをしがちです。

けれどもそれはあるがままの子供でいることを否定することになり、本来の子供にはない人に変われと言っているのと同じことになります。

アドラー心理学では「他人の評価に左右されてはならない。ありのままの自分を受け止めて不完全さを認める勇気を持つこと」を大事にしています。

自分をありのままに認め周りの人を信頼できることこそ幸福です。
人から受けた勇気づけを他の人に与えていくことにより自分の身近な人の人生と自分の人生を調和させていくことができます。

人に貢献することは特別なことではありません。自分の存在が役に立っている、貢献できていると考えられればいいのです。
そうすることで自分にも自信がついていくことでしょう。

「妬み・僻みは劣等感

同僚が自分よりも先に昇進してしまった、営業の成績が良いなどの理由で、自分がみじめに思え劣等感を抱いた、そんな経験はありませんか?

嫉妬心が湧き、わざと無関心を装ったり感じないようにすればするほど気持ちが苦しくなっていく。

アドラーはこういっています。
「優れていようとすることは誰にでも見られる普遍的な欲求である。そして劣等感は誰にでもある。」

劣等感は一般的には誰かと比較して劣っていることと考えられていますが、アドラー心理学では自分自身の目標と現実のギャップにより感じるネガティブな感情として定義します。

「優れた自分でなければならない」「自分が一番でなければならない」など誰かがそれを実現していると嫉妬や劣等感を感じたりします。

アドラーはまたこう言っています。
「すべての人は劣等感を持っています。しかし劣等感は病気ではありません。むしろ健康で正常な努力と成長への刺激です。」と言う風に肯定的にとらえています。

みじめだと感じたり劣等感で嫌な気持ちになったら、「自分の成長へのバネにしよう」と言った風にプラスのセルフトークに置き換えることです。

自分に自分で勇気づけのセルフトークをするのです。
習慣化することでポジティブな考え方が自然に身につくでしょう。
自分への肯定的な意味づけはまさに自分への勇気づけに他なりません。

アドラー心理学では職場での人間関係を含めた課題を「仕事のタスク」と言います。
仕事のタスクに於いてどうしてもみじめだと感じたり劣等感や妬みを感じたりしたら、自分の気持ちを受け止め気持ちの切り替えをしましょう。

ありのままとは現状の全肯定ではありません。とりあえず現実を認めたうえで変えたほうがいいところは変える勇気を持つこと。

その中で大事なことは自分の人生の目標が本当にそれでいいのかを見極めること。劣等感は目標によって変わってくるのです。

誰かとの比較で自分の人生を決めるのはとても生き辛い。それよりも今の自分にできることを考えたほうが妬みなどに苦しめられることが少ない。

他者と比べて自分が優位でなければならないというのは、その根底に劣等感があるから。
みじめさや劣等感は、ありのままの自分を受け入れることで他者の評価を気にせず生きていけることにつながることでしょう。

「違う意見を受け入れられない」

もし自分が~~したら、相手は多分~~と思うだろう。
自分の考えの及ぶ範囲で推測はできても、その通りになるかどうかは誰にもわかりません。

人の気持ちが読めたとしたら対人関係はうまくいくでしょうが、実際には無理なことです。
アドラーは
「悩みをゼロにするには宇宙でたった一人きりになるしかない」と言っています。
人は一人では生きられないのですから、対人関係の悩みから解放されることはありません。

人の気持ちを考えるときに起きる問題点は自分の気持ちをわかってもらいたいように相手も自分の気持ちをわかってもらいたいと考えていることです。
自分の気持ちがわかってもらえないと感じると不満を感じてしまうのです。

人の心を読む心理学と言ったものもありますが、自分勝手な操作になってしまうこともあり、アドラー心理学では警告しています。

自分とは違う価値観を持った相手には無理に相手の気持ちを読み取ろうとせずに、語られた言葉だけを判断材料とし、自分は自分で気持ちをはっきりと言葉にする。

相手の挑発に乗らないことも対人関係を円滑にさせる方法です。
あなたの意見にある人が異論を唱えたとしましょう。

その発言に対して一瞬ムッとするかもしれません。しかしそこは感情に流されることなく、まず異論を唱えた人の意見を冷静に受け止めます。
そして相手の意見をまず聞きます。そしてお礼を述べるのです。

こういう流れで対応できるようになると摩擦は避けられます。
他人と自分は考え方も感じ方も違うのですから、相手が自分と同じように感じるはずだと思い込んでいると、面倒なトラブルが起きます。

思い込みをしないようにすることが大事です。

その人なりの考え方やものの見方を「私的論理」といい、誰でも持っています。ところがその私的論理が絶対的に正しいと思って「~~でなければならない」と言っている人がいます。こういう人は周囲の人と打ち解けることはできません。

自分の思い込みにこだわりすぎずに広い視点で物事を考えて人と接してみましょう。

「友人がなかなかできない」

「自分は人から愛されている」と思っている人は、自分は人から愛されているからと人の中に入ろうとします。
ところが「自分は人から嫌われている」と思っている人は人を避けようとします。

「じぶんさえよければ」という利己的な考え方を持っている人は自分にとって都合のいい情報だけを取り入れて解釈をねじ曲げ「やっぱり自分は正しい」と納得しています。
そうすることで自分の中にいる不安を和らげているのです。

あなたの周囲には幸せそうに見える人がいるでしょう。
いつも笑顔で「きっと悩みなんかないんだろうな」とうらやましく思うかもしれません。
しかし辛い事や悲しいことがない人はいません。

辛そうに見えないのは悲しい感情をありのままに受け止めポジティブな感情や言動をしているのかもしれません。

アドラー心理学では勇気づける人にはユーモアのセンスがあるといいます。
ある哲学者は、「にもかかわらず笑う力」だと言いました。

どんな辛い状況でもそこに笑える力を見つけることはとても大切です。
笑いは自律神経の働きを整え、全身の組織を活性化させ心身の健康にはとてもいいのです。

笑いの中にユーモアがあれば聴いた人はもちろん発した側にも元気や勇気が生まれます。
人に笑いやユーモアを与えるという事は自分や相手を勇気づけるという事です。
そういうあなたであれば、あなたのまわりには楽しさやポジティブさに魅かれて人が集まってきます。
無理に親しい友人を作ろうとしなくても自然に人が集まってくるのです。

「共感が大事」

人として人生を歩む以上、なんらかの組織に所属し他者とコミュニケーションをとらずにはいられません。

自分と他者の関係を良好にするにはアドラー心理学の勇気づけが大切です。

共感とは相手の関心に対してこちらが関心を持つことです。

アドラーは共感についてこういっています。
「共感とは相手の目で見、相手の耳で聞き、相手の心で感じること」
これを心がけて実践すると自分を取り巻く世界が今までとは違って見え、聞こえわかってきます。
相手の言うことを素直に受け入れられたりよりよいコミュニケーションをとれるようになるでしょう。

常に自分の関心を相手に押しつけてはいないか自分に問うことで共感したつもりになることを防ぎましょう。
大切なのは相手の置かれている状況や考え方、感情、意図などを相手と同じ視点で見ることです。

「人生で一番困難な愛の課題に取り組めない」・恋愛&結婚

[出会いがないから結婚できない」
「仕事がいそがしくて結婚できない」
という考えをよく聞きます。
アドラー心理学では「本当は結婚したくない」と解釈します。

結婚するという課題に直面することを避けていると解釈できます。結婚に限らず人生において愛の課題を私たちは避けて通ることはできません。

アドラーは
「あらゆる人生の悩みは対人関係に集約され、仕事のタスク・交友のタスク・愛のタスクの三つに分類される」とし、これらを総称してライフタスクと呼びました。

さらにアドラーは「愛のタスク」について
「異性との付き合いや夫婦関係の事である。人生で一番困難な課題であるがゆえに、解決できれば深いやすらぎが訪れるであろう」と語っています。

相手を大切にし、年齢、性別、役割、職業などの違いはあっても礼節を持って接する。相手に何を与えられるか、相手をいかに喜ばせるかを考えて実行する。

ただしこの課題は「自分が正しくて相手が間違っている」と思っている限りうまくいきません。なぜなら互いの関係を平等にとらえていないからです。

アドラー心理学の「愛のタスク」では、男女が平等であることが大前提です。あくまでも二人は平等でありお互いを大切にすることで幸せになれるのです。

もしあなたが愛を強要すれば相手はあなたから離れていくでしょう。
相手の気持ちを自分に向けさせようとして「自分はあなたを愛しているんだから、あなたも私を愛しなさい」と無理強いするのは逆効果であり、愛のタスクは成立しません。相手は嫌気がさして離れていくことでしょう。

「仕事より難しい交友と愛のタスク」

仕事上のやり取りは問題がないけれど、交友や愛のタスクとなると途端にうまくできなくなる人は多いようです。

アドラー心理学では、仕事<交友<愛と順に難しくなると考えます。
仕事よりも他者との距離が近いからです。

アドラーは著書の中で「幸せ」について言及していますが、影響するものとして仕事と交友、そして異性への愛情を挙げています。

中でも「愛と結婚こそ幸福の最高の形だ」と述べています。

さらにこうアドラーは続けます。
「相手を勇気づけようとする意欲と、相手の立場に立って考える能力があれば、通常の障害は乗り越えることができる」「結婚という状況は、ほかの人に関心を持ち、自分自身を他の人の立場に置く能力を要求するのです。」

アドラーは結婚という形で説明していますが、愛のタスクになりうる親密な関係なら、どのような形でも当てはまります。

それに加えて「感情」についても述べており、人は冷静な判断だけでは行動には移れず、感情を使うことで弾みをつける。そのため感情は弾みをつけるために使われます。

一方「感情」はブレーキになることもあります。「なんとなく嫌な気分がしてやめた」とか「気分が乗らない」などの理由で予定を取りやめたり、きっかけになるのです。

いずれにしてもどうすべきかは自分の感情が知っており、自分の中の感情を大事にすることで目標に向かって行けると言えます。

「子育ての最終目標」

アドラー心理学の子育て・教育の考え方は罰を与えることではなく、結末を体験させて気づかせることと、適切な行動に注目して勇気づけること。

アドラーは、教育による人類の救済を目指しました。そのアドラーの中心的位置づけは育児・教育です。

親が子どもと言い争いをしているうちはいつまでたっても親子関係は変わりません。

アドラー心理学では「子育ての最終目標は、子どもが親から自立する」こと。
子どもの自立は時期もやり方も子供自身が決めること。親は子どもが自力で解決するために援助をすればよいのです。

親を反面教師にして、より良い人生を選択する子どももおり、今の子供の性格を作ったのは子ども自身です。

アドラーは
「世界はバラ色であると言ったり、世界を悲観的な言葉で描写することを避け、子どもたちに楽観主義を教えることが大切」と言っています。

人生では様々な災難や事故が起こるかもしれませんが、その時に辛い思いをしたとしても「とりあえず起こったことには意味があり」と楽観的に考え、これからどうしたらいいのか、何を学ぶのか、親の役割はそのための援助をしてあげることだと言えるでしょう。

「いい人になってしまう」

あなたにとっていい人とはどんな人でしょう?
「頼みごとをしても断らずに要求を呑んでくれる人」
「自分を犠牲にしてでも人のために尽くす人」

こういう人は裏を返すと「人から嫌われたくない」「否定されたくない」という気持ちが極端に強く、自分に自信が持てず、相手に合せて生きている人ともいえるでしょう。

また「相手の立場を思いやり共感でき優しく親しみやすい人」は「自己主張できず相手の要求を断れず後悔してしまう人」という見方もできます。

アドラー心理学では
「縦の関係は精神的な健康を損なうもっとも大きな要因である」と縦の関係を否定しており、ヨコの関係になってこそ対等な人間関係が築けると考えます。

勇気づけ

アドラー心理学の基本的な考え方に勇気づけがあります。勇気とは困難を克服する活力、勇気づけとは困難を克服する活力を与えること。

自分自身を勇気づけることが大事ですが、いつも誰かの言いなりになってしまうことは自分への勇気くじきになります。
断れない自分には「相手との関係」を見直すことが大事で「この人とどういう関係を自分が築きたいのか」を自分に問い、どうするかを決断することが必要です。

人は対人関係の中でしか生きていけませんので「自分の考えや感情を抑え他人に合せて生きる」のではなく自分の意思や考えで自分の人生を生きていきたいものです。

自分の人生を変えることができるのは自分だけです。自分の言動が変われば相手も変わってくる可能性は高いです。

それでもなお周りに流される自分を変えられないのであれば「決断」-「イメージ」-「行動」というパターンを使ってトレーニングすることができます。
アドラーは
「性格は遺伝子や環境などによって決められたのではなく、自分で決めた」と言っています。

アドラー心理学では「人は自分を変えないように努力している」と考えます。
つまり人は基本的に自分を変えたくなく、多少の不具合があっても今までのパターンにしがみつくものなのです。
「今変わらなければ」と「変わろう」と決断する。
決断と実行の繰り返しがきっとあなたの背中を押してくれるでしょう。

「一度の失敗を引きずっている」

「大事な仕事の場面で失敗してしまった」それ以来人前に立つのが怖い。
「恋人に振られてそれ以来恋愛が怖くなった」

一度大きな挫折を経験すると新しい一歩はなかなか踏み出せないということは誰にでもあることだと思います。

ですが、いつまでも過去の失敗に囚われていてもいいことは何もありません。
せっかくのチャンスを逃してしまうことだってあるのです。
また自分の意思ではどうにもならないこともあります。

家が裕福ではなかったので大学に行けなかった。
びっこなので運動部には入れなかった。
でもこれですら自分の意思ではどうにもならないことだからこそ、囚われていては前に進めません。

アドラーはこういっています。
劣等感を言い訳にして人生から逃げ出す弱虫は多い。しかし、劣等感をバネに偉業を成し遂げた者も多い」

ハンディがあればあるほど、劣等感が強ければ強いほど、それに反発して頑張れることもあるのです。これをアドラーは「補償」といいました。

もし自分がマイナスの要素を抱えているとしても、それを言い訳にせずに、努力するためのチャンスだと割り切ったほうがいいでしょう。そうすればマイナスはプラスへのエネルギーとして活かせます。

「楽観的であれ。過去を悔やむのではなく、未来を不安視するのではなく、今現在のここだけを見るのだ。」
とアドラーは言っています。

過去の失敗に囚われていてはいつまでたっても次の行動が起こせません。
ですからいまここの瞬間だけを考え、そこでできることに一生懸命になればいいのです。そうすれば自然と状況は改善していくはずです。

ただ一つ気を付けることとしては「なんとかなるだろう」と放置しておくこと、考えもなしに突き進むこと、無謀と楽観的は違うのです。

きちんと準備をし、努力を重ねて行く。
「どうせだめだろう」と思いながら努力を重ねるより「きっとうまくいく」と信じて努力するほうが自分にとってもためになることは確かだと言えます。

「自分の将来について不安になる」

「人の心理は物理学とは違う。問題の原因を指摘しても勇気を奪うだけ。解決法と可能性に集中すべきなのだ」とアドラー心理学では考えます。

問題の原因探しにやっきとなると勇気を失ってしまいます。
原因探しは「悪者探し」「犯人捜し」になるからです。

本当に必要なのは自分の将来に希望を持てるよう解決法と可能性を追求することなのです。

将来をただ不安視しているというのは「将来のための努力を放棄」しているのと一緒です。ただ楽をしているだけ。

人は誰でも楽な方に流されやすいので現在の問題点を言い訳にしがちです。

たとえば「親との関係がよくないから、大人になっても人を信じられない」とか「家が貧しくて大学に行けなかったからいい会社に入れなかった」とか。
現状を言い訳にして将来への努力も放棄しがちです。

しかしアドラーは
「遺伝もトラウマもあなたを支配してはいない。どんな過去であれ未来は、いまここにいるあなた、がつくるのだ」と。

未来を良くするのも悪くするのもあなたの努力次第だということです。
どんなに今が悪くても、将来が暗くてもそれは誰のせいにもできない。

逆言えば「誰にでも未来を良くするチャンスはある」ということ。
誰のせいにもせず、今ここにいるあなたがこの瞬間から勇気もって一歩踏み出すことでしか明るい未来は開かれないと言えるでしょう。

「自分がどう生きたらいいのかわからない」

私たちは人生の中で様々な選択を迫られます。
「進学」「就職」「転職」「結婚」などの具体的な選択もありますし、もっと漠然として人生をどう生きるかといったこともあるでしょう。

それらに正解はありません。どういう選択をしたとしてもうまくいくかどうかは誰にもわからないのです。
だからこそ答えは自分で出すしかない。

アドラーはこういっています。
「人間は自分の人生を描く画家である。あなたをつくったのはあなた。これからの人生を決めるのもあなた。」

誰かの助言に従って人生を決めたとしても、うまくいかなかったからと言って誰も責任は取ってくれません。助言を受け入れたのは自分だからです。
ですから最初から自分で決めたほうがいいのです。

人生とは?という問いに対してアドラーは
「一般的な人生の意味はない。人生の意味はあなたが自分自身に与えるものだ。」と答えています。

ある人にとって大事なことが別の人にとって大事だとは限りません。
ですから自分の人生の意味は自分で見つけなければなりません。

それでも迷った時には集団の利益を優先します。
それは
「判断に迷った時にはより大きな集団の利益を優先することだ。自分よりも仲間たち、仲間よりも社会全体。そうすれば判断を間違わないだろう。」

アドラーは
「人は孤立した個人ではなく全体の一部であるという実感を得られている時にこそ心が安定し幸せを感じられる」とし、それを「共同体感覚」と名付けました。
「私は他者とつながっている。」
「私は共同体の一部だ」と
感じられることが生きていくうえで大事だということです。

ただこの場合に注意したいのは、たとえば自分の所属した共同体の利益にはなるが、より大きな国や世界と言った視野からすると好ましくない場合には従う必要がない事、また「自分の意思」が明確である場合にはその声に従うことが大事です。

選択に迷った時には「あなたを作ったのはあなた、これからの人生を決めるのもあなた」というアドラーの言葉を思い出したいものです。

「生きるのがつらい」

普通に暮らしていても人生は困難がたくさんあると感じてしまうことはあるでしょう。
しかしアドラーはこういっています。
「人生が困難なのではない。あなたが人生を困難にしているのだ。人生はきわめてシンプルである。」

人生が困難だと感じている人は狭い戸口をそのまま通ろうとしているからかもしれません。
他の方法で通ることを考えましょう。

人間関係もうまくいかないのは自分の思い込みかもしれないのです。
大事なのは無駄な努力をしないこと。
あなた自身の工夫をしてみることです。

何度もうまくいかないことを繰り返していると勇気をくじかれ問題を回避するようになります。

これについてアドラーは
「勇気とは困難を克服する活力の事だ。勇気のない人が困難に出会うと、人生のダークサイドに落ちて行ってしまうだろう」と警告しています。

「不完全でいる勇気」や「退く勇気」を持つことが大事であるとも言えるでしょう。

「自分は孤独だと思う」

共同体感覚は幸せへの道である。
自分の所属しているグループ・共同体(家庭・職場・地域)などで「自分の居場所がある」とか「自分は必要とされている」と考えられる人は幸せです。

アドラーはそのような感覚を「共同体感覚」といい、人が生きていくうえでもっとも大切な考えとしています。

共同体感覚は次の三つの要素で成り立っています。
「他者は私を援助してくれる」(他者信頼)
「私は他者に貢献できる」(自己信頼)
「私は仲間の一員である」(所属感)

この三つは連動し合っており深く関係し合っています。
困っている時に周りの人が助けてくれると思うからこそ、自分も困っている人がいれば助けようと思う。
自分の存在が誰かの助けになると思うからこそ人も自分を助けてくれると思う。
その結果として自分が仲間の一員であると実感できるようになっていくからです。
これがもしも誰も自分を助けてくれないと感じているのであれば自分も誰かを助けようとは思わないでしょう。
また自分が人の役に立てていると思えなければいざという時誰かが自分を助けてくれるという事も信じられることができないでしょう。
その結果として深い孤独感にさいなまれ、それはとても不幸な状態だと言えます。

日々の暮らしの中で誰かから必要とされているとか、自分の居場所があるということを実感できない時にはどうしたらいいでしょう。

アドラーはこういっています。
「誰かがはじめなくてはならない。見返りが一切なくても、誰も認めてくれなくてもあなたから始めるのだ」

「自分が仲間から外れている」とか「どうせ誰も自分のことを助けてなんてくれないんだ」と感じているのであればまず自分から勇気を出して人の役に立とうとすればいいのです。

あなたが役に立とうとすることは最初は周囲に受け入れられないかもしれません。変な人と思われるかもしれません。それでも誰かの役に立つ行動を繰り返していればいつしか周囲はあなたのことを認めてくれるようになります。
そして周りの人たちもきっとあなたを助けてくれるようになるに違いありません。
その時あなたは自分が孤独ではなく仲間の一員であると感じるようになっていくでしょう。

自分から人の役に立とうとするとき、大事なのは「見返りを求めない」ということ。

アドラー心理学では
「自分が役立っていると実感するのに相手から感謝されることや褒められることは不要である。貢献感は自己満足でいいのだ」と考えます。

これはなかなか難しいことですが、打算的な姿勢でいる限りいつまでたっても仲間の一員にはなれないでしょう。

「今の生活が楽しくない」

「失敗しない人生は完全であるが最悪である」
耐えられないほどつらい思いをしているわけではないが、熱中できるわけでもなく心から楽しいと思えるような時間もないという人は意外に多いのではないでしょうか?

もしあの時楽しかったという経験があるのであれば、それをまたやってみるのもいいでしょう。
でも何をしてもつまらないと感じてしまう人は「自分はそういう性格だから」と思っているのではないでしょうか。

性格のことをアドラーはライフスタイルと言い換えています。性格という言葉には持って生まれたもので変えることができないというイメージがあるので、わざわざ言い換えているのです。

アドラーはこういっています。
ライフスタイルとは、人生の設計図であり、人生という舞台の台本である。ライフスタイルが変われば人生はガラリと変わるだろう。」

たとえば人といても楽しいと感じられない人は生まれつき「人が苦手」なわけではなく「自分は好かれない」「他人は信用できない」という認識や信念、つまり自分が選んだライフスタイルのために楽しめないのです。

このような考えをアドラー心理学では「自己イメージ」(自己概念)、他者については「他者イメージ」と呼ぶことがあります。

これらのイメージを「自分は好かれることがあるかもしれない」とか「信用できる人もいる」という風に変えることができれば「人生はガラリと変わる」でしょう。

「マイナスを恐れていると楽しめない」
今の生活を楽しくないと感じているのは単に勇気が持てないからかもしれません。
「本当は誰もがうらやむような美女(美男)と付き合ってみたい」「仕事でも思いきったチャレンジをしてみたい」-でも失敗するのが怖いから何もしないようにしている。

それでは望んでいることから逃げているのでいつまでたっても生活が楽しいわけではありません。
アドラー的にはそのような人間関係の心理についてこういう表現をしています。
「仕事で敗北しませんでした。働かなかったからです。人間関係で失敗しませんでした。人の輪に入らなかったからです。」-彼の人生は完全で、そして最悪だった。

何もしない方が安全です。だからといってそんな無味乾燥の人生に何の楽しみがあるでしょうか。

「何をしても興味が続かない・もてない」

人はだんだん新しいことをするのが億劫になっていきます。将来のために資格を取ったほうがいいと思っていても日々の忙しさにかまけていつまでも先送りしてしまったり、大勢の人の中に入ることがめんどくさいと感じるようになったり。
毎日楽しく暮らしているならいいのですが、何もできず興味も持てない自分は怠け者のダメ人間ではないかと自分を責めて悩む人もいるかもしれません。

そんな人にアドラーはこういいます。
「苦しみから抜け出す方法はたった一つ。ほかの人を喜ばせることだ。自分に何ができるか考えてそれを実行すればいい。」

もしあなたがしたことで誰かが喜ぶ顔を見ればきっと今までにない充実感を得られるはずです。

こうした行動を日々やっていることであなた自身も幸福になれますし、周囲の人たちも幸福になれます。またどうすれば相手が喜ぶかを真剣に考えることは自分にとって大切な人たちとの関係を見つめ直すいい機会になります。

「やる気は強制されても出てこない」

あなたのまわりの人の中には「さっぱりやる気がない」とか「何を考えているのかわからない」など思われる人もいることでしょう。
会社に限らず子どもに対してもそう思われる方はおられるのではないでしょうか。

自分がはっぱをかけてみたところで、やる気は出てきません。それどころか相手は反発してあなたが望むものとは反対の行動をとるかもしれません。
また面従腹背を決め込み、表面上従うという事もありえます。

アドラーは
「相手の権利に土足で踏み込んではならない。権利を尊重し自分で決めさせるようにすれば、人は自分を信じ他人を信じるようになるだろう。」

親や教師や上司にいつもガミガミ言われている人は劣等感を持つようになり自己信頼が弱くなってしまいます。
同時に強制してくる相手を敵視するようになり他者信頼も失います。
結果として居場所を失ってしまうのです。
そうならないためには相手の自主性をゆっくり待つことも必要と言えるでしょう。

「自分の幸せが何かわからない」

「幸せになりたいですか?」
「あなたの幸せは何ですか?」
幸せになりたい人は多いでしょうが、何かと言われて答えられる人はすくないのではないでしょうか。

お金をたくさん持っていることが幸せでしょうか?
物をたくさん持っていることが幸せでしょうか?
これらのように物質的なものによってもたらされる幸せはいつか失う可能性があるものです。

アドラーの提唱する幸せは「自分が他者に必要とされているという実感、他者は自分を助けてくれるという実感、孤独ではなく仲間と共にいるという実感」すなわち「共同体感覚」を持てていることが人の幸福であるとしています。

アドラーはさらにこう言っています。
「自分だけでなく仲間の利益を大切にすること。受け取るよりも多く相手に与えること。幸福になる唯一の道である。」

自分の利益を優先するよりも少しでも受け取るほうの利益を多くした方がいいでしょう。

アドラーはライフスタイルをもとに次のように言ってもいます。
「幸福な人生を歩む人のライフスタイルは、かならずコモンセンスと一致している。歪んだ私的論理に基づく性格では幸せになることはできないだろう。」

コモンセンスとは、いわゆる常識とは違ってアドラー心理学では「共通感覚」と言います。

要するにみんなに受け入れてもらえるような価値観や倫理観ということになります。他人がどんなにひどい状態にあっても自分さえよければというライフスタイルではいずれ周囲から人がいなくなるでしょう。

コモンセンスは常にどこでも正しいものではないので、空気を読んだり周りの意見に従う事ではありません。

「自分はこう思うけれど、社会や他人はどう思うだろうか?」と問うことが大事です。

自分の所属する共同体のコモンセンスにはあっているが、より大きい共同体という視点から見ると間違っている場合もあり、その際にはより大きい共同体の利益を優先するべきです。

そうやってより大きな視点から見た時に間違っていると思えば、勇気を持って自分の信じる道を進まなければなりません。

「自分は間違っていると思うけれど、とりあえず周りに従っておこう」という考えでは幸福への道は閉ざされてしまいます。
より大きな共同体の声を聴くためにもアドラーの言っている共同体感覚を持てているかどうかを常に見極めていきたいものです。

「どういう人生を送りたいか」

勤めを辞めて自分で商売を始めたい、本当は絵の道に進みたいといった夢を持つことは誰にでもあります。
それでもそれを実現しようとまではなかなか考えないものです。

あくまで夢の実現を目指すべきか、それとも安定した収入を目指すべきか。
そういう選択を迫られたり悩むことは誰の人生にもあることです。

そして多くの場合、人は安定した仕事を選ぶことでしょう。
それが悪いわけではありません。夢を現実にするためには困難は計り知れませんし、実際目指してみたら考えていた、想像していたのとは違ったというのはあることです。

しかし現実のほうを選択したとしても実際のところはそれほど変わらないのです。務めていても困難はありますし、就職していざ仕事をしてみたら大変なことばかりということはざらにあります。

さらに安定しているという問題も比較の問題に過ぎません。今は銀行も大会社もつぶれる時代だからです。
リストラもあるでしょう。

このようにどちらを選んだとしても大変なのでもし夢を捨てきれないのであればその実現に向けて踏み出すのも悪い事ではないと思います。

夢に向けて努力を重ねていくうちにあなた自身も気づかなかった能力が発揮される場合もあるでしょう。いずれにしてもあなたの意思がすべてを決めてあなたの覚悟でしか始まらないのです。

「自分の意思で自分の人生を設計していく」のは
アドラー心理学のひとつの考え方です。

アドラー以前の心理学では「人の性格は環境や遺伝によって一生決定されている」と言う考え方がほとんどでした。
また「願えばどんなこともかなう」という心理学や自己啓発もあります。

アドラー心理学はその中間の思想をとります。アドラーは、環境の影響をある程度は認めつつも、それだけで人の性格や一生が決まるのではなく、本人の意思で変えられるものだと考えました。

変えられないとするものは「固い決定論」、アドラーのほうは「柔らかい決定論」と言います。現在ではアドラーの唱えた柔らかい決定論のほうが支持されています。

1人の人の性格や一生を説明する際に、フロイトなどの精神分析派は「~~という原因からそういう性格になり、そういう一生を送った。」と分析します。
アドラーは
「その人が~~という目標を持っていたから、そういう性格になり、そういう人生を送った。」と分析したのです。

すなわちその人が「どういう自分になりたいか」「どういう人生を送りたいと考えていたか」といった目標によって性格や一生が決まるとアドラーは考えました。
だからこそあなたの立てた目標次第であなたの人生はいくらでも変わっていくのだと考えるのです。

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