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親と教師にできる事

親と教師にできる事

「どうしたらやる気になってくれるのだろうか?」

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親として教師として、また子どもを支援する立場にあって、子どもに日々向き合っておられるあなたはそんなことを感じておられませんか?

やる気を起こしてもらうことがいかに大事かという事は誰でも当然すぎるほどわかっているはずです。そしてそのための努力もあなたもきっとしているでしょう。

にもかかわらず結果として子どもがやる気になっているとはどうも思えないと感じておられませんか?
やる気とは本来どういう事なのでしょうか?そして今やっている方法は本当に効果のあることなのでしょうか?

「やる気を起こさせる方法」は補足的手段ではなく中心となるべき技術である。

子どもを指導する際に使っている従来からのやり方は親や先生の権力を使って子どもに報酬と罰を与える方法です。民主主義に育った子供は、権力をかさに着て、言うことを聞かせようと迫る人に対して抵抗するのが普通です。

外部から圧力をかけて子どもに好ましい行動をとらせようとしても決してうまくいきません。子どもはやらないと一旦決心したら「させる」ことはまず不可能です。

外から圧力をかけるのをやめて本人がやってみようと思うようにするのが大事なのです。

報酬と罰には残念ながらこの内側からの気持ちが湧いてきません。たとえ一時的に湧いたとしても長続きはしません。
これでは自分からやる気を起こしたことにはならないでしょう。

子どもは自らやってみようという気持ちになり、そして正しい方向に踏み出しさえすれば外側から力を加えなくてもそのまま行動を続けようとするのです。

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「子どもはなぜやるべきことをやらないのか?」

やる気を起こさせることの意義はどこにあるのか?を知っておくことは「子どもがなぜやるべきことをやらないのか?」という疑問を解き明かすカギになります。

国、地域、学校、家庭において独裁的な支配が弱まるにつれて人間は誰でも自分の事は自分で決めるようになります。この自己決定は民主主義の基本です。

子どもはどの子どももこの自己決定の権利を持っておりそれを存分に行使しています。親や教師は子供のふるまいにしばしば驚きますが、意のままに子どもを押さえつけられないことは十分にわかっているはずです。

子どもが何かをしようと決めた時、拠り所にするのは、自分の考えや自分自身や他人に対するイメージだったり、あるいは仲間から高く評価されることだったりします。

子どもは自分の望みを遂げようとしている時点で勇気をくじかれなければ割合に健全な手段をとるものです。しかし自分ではどうにもうまくやれそうもないと自信を失ってしまうと、そのことを諦めてしまい、まったく別のわき道にそれてしまうのです。

つまり自分自身と自分の能力について自信を失うことがやる気をなくす真の原因です。

今の社会にはやる気をなくす機会が数多くあることはお分かりででしょう。

それは社会にうまく適応できず、様々な問題を引き起こしている子供たちを見ればはっきりわかります
あまりにも多いので「子どもとはそういうものだ」などと言う考え方が正常なのだと思う人もいます。

親や教師が子どもに期待すること「朝は自分で間に合うように起き、夜は寝るべき時間になったら寝、きちんと食事をして、物を片付け、勉強をし、家の手伝いをして」といったことを親に言われなくてもやれる子どもはほとんどいません。
こういう子供たちは何らかの形でやる気をくじかれているのです。したがってやる気を起こさせる勇気づけが必要なのです。

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「どうやってやる気を起こさせるのか?が大事」

親も教師も子供たちに手を貸してやりたいと思っていて、一生懸命やっているのですが、やる気を起こさせる正しい方法を知らないという事がお分かりでしょう。

子どもたちを勇気づけ指導するためには何か新しい方法が必要なのにそう言う方法を身に着けている親や教師はほとんどいません。

もし現実に今やっている指導法が子どものやる気につながっていない、子どものやる気をなくしている、うまくいっていないなら、それは逆に子供の間違った方向へ進む手助けをしていることになります。

「教育の成果とは、やる気を起こさせたかどうかという観点から判断すべきである」ということがわかれば、新しい方法で子どもを指導する気持になるかもしれません。

やる気を起こさせることは子どもを指導するうえで決定的に重要なことです。その大切さを親と教師が認めさえすれば変革が起こるでしょう。

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「やる気を起こさせる三つの条件」

1.子供の考えを感じ取ること
指導の効果が上がるかどうかは、それを受け入れる子どもが「指導をどのように感じどう反応するか」にかかっています。
子どもが自分の周囲をどう見ているか、子どもの考えを敏感に感じ取れる能力を持つことがやる気を起こさせる人にとってまず第一に必要なことです。

2.子どもを信頼すること
やる気を起こさせるには子どもの能力と自発性を心から信頼しなくてはなりません。私たちはとかく子どもを信頼することを忘れがちですが、やる気をなくした子供や脱線した子どもを指導するにはこの信頼は特に大事です。
子どもの良いところを認めてやらないでやる気を起こさせようとしても無理なのです。子どもを心から信じること、これがやる気を起こさせるために必要なことです。

3.自信を持つこと
親や教師が「自分には子どもを指導する能力があるんだ」という自信を持つこと。
もし指導する側が悲観的であれば子どもにやる気を起こさせることはできません。
子どもは大人の勇気をくじく才能を生まれつき持っています。その才能にかなわないのではないかと自信を失ってしまうと子どもにやる気を起こさせることはできません。

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「子どもをやる気にさせる知識と技術を身に着ける」

勉強もせずグループにも適応できない子供が増える一方です。親も教師も一生懸命であるにもかかわらずです。
こういう子供たちは親や先生がいくら良くない点を改めさせようとしてもその努力を無にしてしまいます。

多くの母親たちは子供の事で悩んでいます。母親たちは子供の問題をもっと有効に処理する方法さえ覚えれば問題に対処できるはずです。

子どもに対する不信感と無力感の悪循環を断ち切りましょう。

親と先生、そして子供の間にある、お互いにやる気をなくしている悪循環を打破していきましょう。

「やる気を起こさせること」は覚えようとすれば誰にでもできることなのです。そしてその方法を覚えてしまえばこれまでも難問も処理できるようになっていきます。

人と子どもを理解すること

私たち人間はそもそも自ら進んで行動するものなのでしょうか?それとも他人から強制されて行動するものでしょうか?
アドラー心理学では人間はもともと自発的であり、かなり自由に自分の行動を自分で決められると考えています。

外部からの影響や遺伝子的要因だけで行動するのではありません。自発的であり自分で判断ができます。操り人形ではありません。

人間は意図を持ちその意図に添って一生懸命努力します。自分にとって意義のある行動をし、自分で決断を下し、自分で計画を立てるものなのです。

「あらゆる行動には社会的な意味がある」

アドラー心理学では「人間はもともと社会的な生き物だ」と考えています。
他の動物と人間との違いは、人間はいつも何かのグループに所属し、その中で仲間と互いに影響を与えたり与えられたりして生活してきたということです。
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人間はグループの中にいてはじめて持てる力を発揮し自分の特質を伸ばすことができるのです。一人の人間として一人前になれるかどうかは、その人の所属するグループのメンバーとしてやっていけるかどうかにかかっています。

人間の行動を理解するためには、行動そのものを見るだけでなく、その行動がとられている周囲の状況も一緒に検討するのが必要です。人柄についても行動についても、周囲の状況から切り離して考えてはなりません。

家庭では許されても学校では許されないことがあります。状況を総体的に見ることが常に必要なのです。

子どもの行動の意味を知りたかったら周囲の状況の中でその子供を見なければなりません。社会的にどんな意味がその行動にあるのかを考えなければ理解できないのです。

社会的な成果を上げようとするのは人間の生まれつきのものであり、決して強制されるものではありません。社会的に意味のあることをしたい、認められたいというのは、人間であればすべての人の根本的な目的です。

「社会的関心」は、人間の行動を理解するときに一番大切なことです。社会的関心には周囲の人たちに対するその人の心構えが反映しているからです

社会的関心の高い人は、自分の責任をとるだけでなくグループに対する責任も、グループが抱えている問題にも責任をとろうとします。
人間が精神的健康を保ち環境によく適応するためには社会的関心が十分に発達していることが大事です。

仕事や男性・女性としての役割、社会とのかかわりについて自分の責任をとることが人生の主な仕事と言っていいでしょう。いずれにしても社会的関心がよく発達していないとその責任は果たせませんこのような人生の課題を解決できない時問題が持ち上がってくるのです。

「すべての行動には意図がある」
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私たち人間の行動や活動は、ある特定の目標を目指しています。

親や教師は「なぜあの子があんな行動をするのかさっぱり理解できない」と良く言いますが、大人の考える意図や目標からは意味が解らないという事であり、その子の立場で考えると筋が通っているのです。

その子の見方、立場によればそれが自分の意図を実現するための唯一の方法と言えます。

アドラー心理学では「目標で行動を説明できること」「目標が精神的な刺激になって人々の行動を促す」と考えます。

観察力のある親や教師なら、子どもの行動からその子の目標を知ることができます。
人間を理解するには、行動観察は利用しなければなりません。理由を知るためにも心理的な動きに注目しなければなりません。

親や教師が第三の目と第三の耳の感度を高めて使いさえすれば、どの子も自分の行動を通して自分のことを大いに語ってくれます

人間の行動のすべては目標を目指す活動の一部としてみるべきなのです。人間を理解するためにはその人の過去がどうであったかというよりも、その人の将来の目標がどうであるかのほうがもっと重要です。

すなわち人は目標や方向を決めるにあたっては誰でも自由に自分で目標や方向を選択できるのだという立場に立つことができます。つまり人間は自分で自分の意思を決めてその意思に従って行動するとみるのです

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「人間は自分の考えに基づいて行動する」

アドラー心理学では人間は客観的な事実によって影響されるのではなく、その事実をその人がどう解釈したかによって影響されると考えます。

子どもの行動をいくら詳しく分析しても意味はありません。それよりもその行動をどういうつもりでやっているのかを知ることのほうがもっと重要なのです。つまりその子供の人生観を通してみればその子の行動はすべてその子なりに筋が通っています。

子どもを指導する場合にはその子なりの主観的な物の見方、つまりその子の「自分だけに通用する論理」を知っていなければなりません。

人間はどんなことも自分なりに解釈してから受け入れます。そして一人一人が現実を解釈する仕方はそれぞれ違っています。したがってその論理は世間一般に通用する常識とはきわだって違っています。

人間は自分の解釈によって物事に特有の意味づけをするものだということを知ればその行動はその人の主観に即して見なければならないという事がわかります。

その人がどんな才能を持っているかよりその才能をどう使っているかを知ることの方がずっと重要です。

その人だけに当てはまる「個別的な法則」を開発することが大切になってきます。

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「人は自分流に物を見て自分流の意味づけをする」

人は外部からの刺激とそれに対する反応の間に解釈が存在します。人は自分の見たいものだけしか見ていません。。

親や教師に必要なのは「子どもが自分が体験した出来事をどう解釈しているかを知ること」なのです。

従って子どもは大人の行動を大人の思惑通りには解釈しないことが多い。

子どもの生まれつきを知るよりもどういう風に生きてきたかを知ることの方がもっと大事です。

自分の体験についてのこうした解釈の仕方は世の中の出来事を解釈したり自分自身を評価するのにも実際に使われています。私たちは自分自身の経験に基づいて世の中のことを考え、それをあたかも真実のように考えます

こうした経験に基づいた自分の判断が他人と付き合っていくうえででの重要な指針となっているのです。

人間は誰でも自分の経験の自分なりの解釈に基づいて考え方や感情や行動を決めます。
子どもが学校に通うようになると、まず自分は他人よりも劣っていてみんなについていけないということを体験します

誰かがその子にやる気を起こさせてやらない限りその子はその後の学校生活をずっとそんな調子で過ごすことになってしまいます。

「人間の基本的な欲求・所属感」

アドラー心理学では「人間は誰かにあるいは何かに所属していたい」という欲求があると考えます。社会的制度の多くはこの欲求によって成り立っています。

ごく小さな子供でも何かと一体になりたいとか、何かに所属したいという欲求を示しますし、何かに所属していないと人間は能力を発揮したり、真の自己を実現したりすることはできません

不安になる一つの要因は自分は何にも所属していないということから起こる恐怖だという説もあります。グループの一員であるという欲求、何かに所属することによって自分の存在を認めてもらいたいという欲求、こういう欲求を手掛かりにすると人間の行動が理解しやすくなります。

他人の事が気になる人ほどグループへの適応が上手いと言えます。
また、人間には他の人に協力したいという欲求もあります。妥協するという能力は他の人と関わることによって育つものであり、社会的な環境の中でこの弾力性を身に着けた人が正常な人なのです。

「全体的な立場から人間の行動を捉える」

アドラー心理学では、人間の行動を考える場合、精神と肉体とは一体であり、人間の各要素はそれぞれ緊密に結びついて配置されていると考えています。
人間は分割不可能な統一した存在であるという事です。
人は誰でも自分という人間を行動を通して多面的に表しているというわけです。

人間の行動は他の人との関係として見てはじめて意味があるのであって、その人一人だけの精神の問題として見たのでは理解できません。

人間の行動はその人とその人とを取り巻く関係として見なければなりませんし、また人と人との関係全体を一つのパターンとして解釈しなければ人間の行動は理解できません。

人間の行動を支配しているのは目標であり、その目標が回りまわって現在の行動に活気を与えます。人間の行動とは生きた人間が自分の属する社会の中で自分を主張する働きなのです。

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「人それぞれの生き方には型がある」

子どもは自分を取り巻く環境や自分の家族との接触によって、経験をどう解釈したらうまく生きていけるのかを覚えていきます。
その経験と解釈を繰り返すことで、その子特有の反応の仕方を身に付けて行きます

この反応の型がその人の生き方と言われるものです。その人の基本的な信念と考え方がわかって初めてその人を全体として理解できるようになるのです。

子どもは親や兄弟姉妹と否応なくつきあいますから、家族はその子にとって非常に重要な役割を担っています。
子どは自分が出会った様々なこと、あるいはそれに対して自分なりに下した判断をもとにして、自分なりの行動の仕方というものを作りだします。そして一生そのやり方に従って行動します。

子どもがある経験をした時にその経験をその子がどのように受け取ったかを知ることが子どもを指導するうえで非常に大切なのです。その子が経験した具体的内容そのものはそれほど重要ではありません。

子どもは自分だけにしかないものを示せるような行動をするための信念といったものを絶えず探し求めています。いったんその信念が出来上がってしまうとすべてのものをその信念に基づいてみようとします。したがって偏った理解の仕方をすることになります。

その子の生き方が間違った考えによるものであったとしても、あるいは周囲の状況に合わないものであったとしても、様々な判断をする場合にはその型に当てはめてしまうものなのです。

この偏った見方というのは人間は誰しも持っていて、そして何かしら間違った行いをした時それを正当化するための手段に使っています

人生における困難な問題の多くは、この根本的に間違った信念から起こります。間違った先入観によって自分がぶつかった問題を自分なりに作り替えているのです

人間の行いを支配しているのは、その人独自の考え方です。その人がどんな行いをするかはその人の主観的で心理的なもので決まると言えますし、私たちを取り巻く環境というものは客観的に見えても主観的な要素が非常に強いものだと言えます。

「人間の感情には目的がある」

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アドラー心理学では人間の感情についても目的があって使っていると考えます。人間が何かをしようとするときに役立つものとして捉えています。
人間の感情にははっきりした目標や方向があり、何かをしようとしたときそれを実現するために感情は使われると考えるのです。

自分で感情を作りだしたり生み出したりします。そしてそれを時と場合によって使い分けているのです。

感情はなくてはならないもので、その目標が受け入れられるものであろうとそうでなかろうと、その達成のためにはなくてはならないものなのです。

したがってその人の行動を理解するためには、表面に現れた感情だけに目を向けても、その人を理解することはできません。

人間の感情は相手に勝つために使われることが多いようです。人間が癇癪を起すのは人の注意を引きたいときとか、あるいは自分の力を出し切りたいと言った時です。癇癪は相手がいないと成功しません。

人間の感情は相手に近づきたい、相手から遠ざかりたいという気持ちの現れ、あるいは合図と考えられます。

「怒る」と言った感情は人間を人間から引き離す意味合いを持った感情です。怒ることで相手に勝とうとしているのです。これでは人は離れていくばかりです。

「悲しい」という感情は自分が今置かれている状況を改善し、都合の良いものにしようとする努力です。嘆き悲しんでいると周囲の人が面倒を見てくれたり勇気づけてくれるというのはよくあることです。

こうして悲しむことから人間はマイナスからプラスに転じ、劣等感から抜け出し、周囲の状況に適応していくことができるようになります。

子どもは物心つくと、感情を自分の有利に使うことを覚えます。子どもの行動をよく観察するとそういう感情の動きがよくわかります。
つまり子どもは感情の赴くままに行動しているのではなく、感情を上手に使って自分の目標を実現しようとしているのです。

「自分を守るためにする行動」

人間は生きていくうえで自分を守るために様々なことをします。それは社会的にどのような意味があるのかを見て見ます。

人間がこうした行動をとるのは自分が所属しているグループの中で一人前に扱ってもらいたいと望んでいるからです。つまりそういう行動をとることによってグループへの所属感が持てるのです。

「合理化」自分の欠点に対して本当の理由ではなく、一見筋の通ったもっともらしい理屈を挙げる。
自分の考えを自分に受け入れられやすくするため。理由をつけるときは社会一般に認められている理由とぴたりと一致するようにします。そうすれば自分の敗北を勝利に変えることができます。

「投影」自分のよくない点は他人の物であるとし、自分のものとは認めない。そうすることによって自分を守る。
自分が所属しているグループの人たちと比べてある人をけなすことです。自分が属しているグループ以外の人を非難することによってそのグループへ属している気持ちを強く持てるようになるのです。

「同一化」他人が持っている素質を自分のものと見、その人の失敗ではなくその人の成功のほうを強調する。
社会的に非常に尊敬されている人に対して行うのが普通です。その人と自分を同一化することによって、グループの中の自分の地位がどうなるかを考えます。つまり同一化をすることによって自分の目標を達成しようとするわけです。グループにおける自分の地位を好ましい方向に持って行きたいと思えば、そういう影響力のある人と同一化しようとします。そのグループの属したくないと思えば影響力のない人と同一化しようとします。

「抑圧」自分のやりたいことや考えを強く否定する。

「補償」自分の悪いところを良いところで埋め合わせる。
あることを上手にできない人がこれを補うために、何かほかの事で優れようとする心理的な動きです。こういう人は補償として役立つようなことをやることによって他の人に認められグループの仲間に入れてもらおうとするのです。

人間は時と場所によってこれらの行動を使い分けています。いずれにしても人間はグループに属したい、ほかの人に認めてもらいたい、あるいは重要な人になりたい、といった欲求によって方向づけられています。そしてどの人も自分独自の目で環境を捉え自分独自の方法で自分の欲求を実現しようとしているのです。

子どもの生き方を理解する

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子どもは生まれると同時に社会の一員となり、その社会のルールや、やってはいけないことなどを覚えていかなければなりません。つまり生まれた子供が加入する社会はすでにはっきりとその慣習・ルールが決まっている社会です。

子どもは生まれてすぐに、周囲の人たちに影響を与えると同時に、逆に周囲の人たちからも影響を受けます。

まず自分の家族が最初に出逢う社会であり、その人たちに従うことを学びます。家族の人と接しながらやがて世の中の人たちについてどういう見方をしたらいいのか、あるいはどういう接し方をしたらいいのか、といったことを学んでいきます。

どうすれば周囲の人たちとうまくやっていけるのかを、子どもは様々な観察や様々なやり取りを何度も繰り返すことによって身に付けて行きます。こうして身に着けた心がまえや信念がその子の生き方の基本となります。したがってその子を理解するにはまずその子の生き方を知ることが第一です。

「社会生活をしていくうえではしてよいことと悪い事のけじめが非常に大切である」ということを両親は子どもに教えます。そして人間関係のお手本を子どもに示します。
子どもはその両親のやり方をみて人間関係においてどういう態度をとればいいかを覚えていきます。
つまり父親と母親の人間関係がその家庭内の人間関係のもとになるわけです。
これを家族の雰囲気と言いますが、子供の行動に決定的な影響を与えるものではありません。家族の雰囲気とはまったく逆の行動をとる子供もいるからです。

「家庭内における子どもの立場」

子どもの家族の中における立場は、一人一人が基本的に違っています。したがって家庭で起こる出来事に対して一人一人がそれぞれの子特有の受け止め方をします。

兄姉なのか、長男長女なのか、あるいは末っ子なのかによって、その子の性格は大きく変わってきます。
また兄弟姉妹間に競争があるかないかといったことも、その人の人間性に大きな影響を与えます。

競争意識がある場合は、一方の子が勝つと、もう一方の子はがっかりしてやる気をなくしてしまうことが起こります。これと対照的に兄弟姉妹の仲が良いと興味や性格や気性が似てくることがあります。

大切なことは生まれた順番ではなくて「子どもが家庭内における自分の地位をどのように考えているか」なのです。

「長子の特徴」
長子は次子が生まれる間一人っ子の立場に立たされ、一人っ子としてちやほやされます。ところが次子が生まれることによって実際その地位から引きずり降ろされたことに気が付きます。母親の愛を自分から奪ったと思われるものと付き合わなければならなくなります。そして王座から降ろされた不利を取り戻そうとします。自分が兄弟姉妹の中で一番になりたいのだが、一番になれないとわかると、そのことに興味をなくしてあきらめてしまいます。また自分の長子としての地位を守ろうといつも必死になっています。

「次子の特徴」
次子は何事によらず自分よりも一枚上手の兄姉と向かい合っています。つまり長子ほど能力はないのです。したがって次子は自分の得意とするものは別にあるんだ、といった振る舞いをすることが多いようです。
次子は常に長子に追いつき追い越さねばならないと思っています。たいていは長子にはない面を強く打ち出すようになります。たとえば長子よりも積極的になるとか、または消極的になるとか、あるいはまた自立心を高めるとか、逆に依頼心を強めるとかいったことになります。

「中間子の特徴」
中間子の子どもは長子の権利も末っ子の特権もともに持ち合わせていないのが普通です。世の中を自分で押しわけて通らなければなりません。そしていつも世の中から押しつぶされてしまうような圧迫感を感じ、やがて世の中は不公平だと思うようになりがちです。そうかと思えば、上下両方を押しのけて長に君臨するようなこともあります。

このように子供の生まれた順位によってその子の行動の仕方が変わってくるのは確かなことです。しかしそれで機械的にわかるわけではありません。

子どもの年齢、性別、特別な性格、または特殊な病気を持っているかどうかということを確かめてみる必要があります。あるいはまたその子が両親をどう見ているか、ということも十分に考えてみる必要があるのです。

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子どもの年齢に開きがある場合には、それぞれの子供が育てられた家庭の社会的あるいは経済状況がそれぞれ違っていることも考慮に入れなければなりません。また女の子ばかりの家庭に男の子が生まれたような場合は、その男の子は格別の扱いを受けることになります。

子どもを育てる場合、年齢の違いを重視して育てた場合と男か女かの違いを重視して育てた場合とでは、子どもの性格に大きな違いが出てきます。

両親の年齢の差も大切な要素です。年若い親は、中年や年配の親と比べると、子どもを育てる場合、どちらかというと子供の生まれた順序を重視するようです。したがって両親に年齢差があると家庭の中で子供の地位が二本立てになることになります。

子どもの性格はその子の行動の仕方に現れます。

従ってその子が家庭内でどんな行動をとるかを見ればその子の性格はある程度判断できます。子どもは自分の置かれている立場を自分だけに通用する理論で主観的に受け止めます。つまり子どもは自分の置かれている立場を相当に偏った見方で理解することになります。
子どもを理解する場合には表面的な姿だけを見るのではなく、子どもが自分の置かれている立場をどのように解釈しているのかも併せて考慮しなければなりません。

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「子どもの生き方の基本」

子どもにとって最初の社会は家庭です。家族の全員がその子にとっては社会であり、これらの人々に順応することをまず覚えなければなりません。

自分の置かれている環境の中でどうすれば他の人々とうまくやって行けるかを覚え自分なりの結論を出します。
これがその子の生き方に対する心構えです。
この心構えに従って生きていくうちに自分の生き方そのものを作り上げていくことになります。生き方を理解することが子どもを理解するうえでもっとも大切なことです。

子どもを注意深く観察すると子供なりの意図を持って行動していることがわかります。自分と自分を取り巻く社会とを自分なりに評価し、その評価に基づいて作り上げた生き方に従っていつも行動していると言えます。

子どもは自分の都合のいい方向に大人の気持ちを方向転換させることを知っています。自分が泣いたり笑ったりすると大人がどのように反応するのかを素早く見てとっています。

子どものすべての行動はその子の生き方の一部であり、生き方がその子の性格を作り上げているということを理解することが子どもを理解する基本と言えます。

知恵がつき成長するにつれやがて自分の考え方と一致するものだけを受け入れるようになります。つまり自分が見聞したものを自分だけに通用する偏った論理に合わせて理解しようとします。成長するにつれてこのような偏った見方をするようになるので自分の生き方に合わないものからは何も学ぶことが出来なくなってしまうのです。

子どもの生き方はその子がある問題を解決しようとしたときに実行してみて効果があったものをもとにして作られます。したがって子どもは成長するにつれ自分の行動を正当化する理論を見つけ出し無意識のうちにそれに支配されるようになります。

このように人間は誰でも自分の生き方に基づいて行動し生きているのです。
子どもの良くない点を直そうとするときにはそのこの生き方を知ることから入っていくのが一番良い方法だということになります。

子どもはいつも次のようなことを考えています。

「私はどういう人間なのだろうか」
「私は何をすればいいのだろうか」
「私には才能があるのだろうか」
「私の進むべき道はどこにあるのだろうか」

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子どもの生き方の基礎になっているものは次のようなものが考えられます。

自分が自分をどう思っているのか
「私は・・です。」「私は・・が好きです。」「私は・・をします。」
自分がなってみたいとあこがれているもの
自分を取り巻く環境をどうとらえているか
人間としてやっていけないことは何か

現実の自分と理想とする自分の間の開きが大きすぎると劣等感を生むことになります。人間としてはこうあらねばならないのだが、現実の自分はその反対であるということになると、罪悪感を生むことになります。

いずれにしても四つのことを一つにしたものがその子の生き方を形作っているわけです。
そして成長するにつれて自分自身や社会に対して多かれ少なかれ根拠のない誤った考えを持つようになります。それは自分の考え方にどこかに欠陥があるからです。

一般的にアドラー心理学で考えられている間違った考えをいくつか例に挙げてみます。

私は駄目な人間だ。
自分は特別えらい人間だ
自分は人間としてやるべきことをやれない人間だ
この世は危険だらけだ
他の人を信用してはならない

自分自身について、あるいは自分を取り巻く社会について、あるいは自分の行動に対して、あるいは自分の目標に対して、考え方のどこかにひずみがあるとゆがんだ結論を出してしまうという事になるのです

他者理解のためにはその人の持っているその人特有の独自の考え方を手掛かりにしなければならないのですが、特殊な生き方をしている人が今の社会には多くみられます。それは以下の通りです。

「私は私を受け入れてくれる人としかうまくやっていけない」
「私はグループを完全に支配している」
「私は他の人より優れているので正しい判断が下せる」
「私は誰かほかの人に面倒を見てもらわなければ生きていけない」
「私は他の人より正しい行いをしなければならない」
「私は自分を苦しめる人を軽蔑できる人間になりたい」

「子どもの社会的関心」

子どもの社会的関心とは、ほかの人々と同じ仲間でありたいという気持ちであり、ほかの人々とともに幸福でありたいという気持ちです。社会的関心は子供が成長して立派な社会人となるためにはなくてはならないものです。

社会的関心があってこそ社会に本当に参加できますし、ほかの人への関心も生まれるのです。

他の人と協力することは子どもにもっとも大切なことです。子どもがどのくらい甘やかされて育てられたかを知るには、その子が世の中の決まりやほかの人の要求をどれぐらい無視するかを見ればわかります。社会的関心とは、ほかの人と協力するために譲り合う能力の事です。

人間の社会的関心を見るには二つの方法があります。
ひとつは他の人に協力する能力があるかどうかを見ること
もう一つは社会のルールに従うと自分にとっては不利だとわかっていてもそのルールに従う意思があるかどうかということです。

幼いころ親や先生にさからう子どもは大きくなっても何事によらず反対する態度をとるようになることは良く知っておかなければなりません。

「育て方で人間性が変わる」

子どもの人間性を作るうえで大切なことは家庭内の雰囲気とその子の家族の中に占める位置、そして子どもを育てる方法です

どの子どもも意識的にしろ成り行きや思いつきでなされたものであろうと違った育てられ方をするので、子どもの人間性はその育てられ方によって大きく変わってくるからです。

先生と生徒との関係は民主的であることが大事です。民主的関係というのは教えるものと教わる子供の両方がお互いに相手に敬意を払うという事です。そのためには教える先生は生徒に対しては厳しく、しかも親切でなければなりません。

子どもを甘やかしたり過保護にしたり心配し過ぎたりすることはどうしても避けねばなりません。子どもは甘やかされると自分の能力や長所を発揮してみる機会をなくしてしまいます

子どもを鍛えるには秩序を徹底させ無意味な競争をやめさせ、やる気を起こさせるように気を配ってやることが必要です。

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「親が首尾一貫していること」

家庭や集団の秩序を保つには、家庭やグループに秩序を尊重する雰囲気がなければなりません。

親が身を持って示すことももちろん大事ですが、周囲の人が子どもにどんな行動をとるのかを期待していることを子ども自身がはっきりと知っていなければなりません。またどんなことがあっても必ず実行しなければならないことは何なのか?も子ども自身が十分に呑み込んでいる必要があります

家庭や集団の秩序を守るカギは何事に対しても首尾一貫させることです。

子どもが不始末をした場合には、その結果がどうなるかを身を持って体験させれば秩序を守ることはどうしても必要なのだという気持ちが自然に出てきます

子どもの教育効果を上げるには子どもと衝突することだけはどうしても避けなければなりません。そうしないと子どもは大人に対して協力するどころか反抗的になりかねません。

衝突を繰り返すと子どもは相手をやっつけてやろうという気持ちの方が強くなってしまうのです。

子どもとの衝突を避けるのであれば自分の気持ちをコントロールすることが大事ですし、子どもの行動に対しても柔軟性を持って対処することが必要になります。

子どもにやる気を起こさせるためにも、子どもが何か面倒を起こすのは勇気をくじかれて自信が持てないでいるのでやることなすことが上手くいかないでいるのだという事を理解することが必要です。

「子どもが悪いことをする目的」

子どもにとって一番の願いは仲間の中で一人前の扱いをしてもらうことです。すなわち仲間の一人として認めてもらいたいと思っているのです。

子どもが悪いことをするのはこのことと関係しています。悪いことをすること自体が目当てではなく悪いことをすることによって自分を目立たせることができると信じているのです。

何のために目だたせたいと考えるのでしょうか?目的は様々ですが子どもが目指す目的がなんであれ仲間の中で生きていくにはこうすることが一番良いのだと信じてやっていることだけは確かです。

アドラー心理学では子どもが悪いことをする場合の目的として次の四つに集約して考えます。

1.仲間の注目を集めるため
2.自分が強いことを示すため
3.何らかの仕返しをするため
4.自分の無力を示すため

何かほかの人の注目を引くことをやるのはごく幼い子どもに見られることです。ごく幼いころの子どもは集団の役に立つことは何であるのかわかりませんから集団に役立つことをやって集団の一員として認めてもらうなどということはわかりません

そこで他の人の注目を得ようとしたり愛情を得ようとすることによって自分を認めさせグループの一員として認めてもらおうとします

まず最初は誰もがやっているようなことで注目を得ようとしますが、その方法が効果がないとわかるとほかの人に注目される方法ならなんでもやってみようとします。子どもは他人から無視されるぐらいならむしろ罰を受けてでも注目を引こうとします

どちらが強いかを競うような場合には、子どもは自分が支配しているのを見せつけようとします。また自分がやりたいことだけをやり命令されたことなどは決してやろうとしません

命令されたことをやるとか禁じられていることをその通り守るなどということは子どもにとっては我慢のならないことなのです。
大人のほうから強いことを見せつけられると子どもは強いことは素晴らしい事なのだと信じ込んでしまい、この次にはきっと勝って見せると強い決心を固めることになります。

相手に対して激しい敵意を持つと仕返しをしようとします。子どもはこのような場合、グループの一員であるなら自分を憎まれっ子にする以外方法がないのです。注目を引いたり強さを誇ってももはや効果がないとわかると、悪者になったり乱暴することでグループの一員になろうとします。

無力であることを目標にしている子供もいます。そのような子は失敗することだけを待ち望んでいます。仲間付き合いをしたくないために体の具合が悪いとか、理由にならない理由を持ち出して嘘をついたりします。

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やる気をなくすとはどういうことか

「やる気をなくすとはどういうことか?」

やる気をなくしてしまうことについては二つの側面から考える必要があると思います。
「やる気をなくしている状態とはどういうことか?」
「人間はどのような経過を経てやる気をなくしていくのか?」

「やる気をなくしている状態」とはもともとやる気がないか、またはやる気を起こすのを抑えられているかのどちらかです。

「やる気がある場合」から考えてみると、人は何事にも不安がなく自由に積極的に行動している時、その人はやる気のある人だとか、やる気のある行動であるとか言います。やる気のある人はやる気のない人がやりたがらないようなことを積極的にやります。

やる気のない人は心になんらかの不安を持っている人であり、やる気のある人は心に何の不安も持っていない人と言えるでしょう

「やる気とは?」

やる気の第一条件は何事にも不安を持っていないこと。不安がなければ危険があってもそういうことに影響されないで自信に満ちた行動がとれます。

やる気のある人は危険やおそれといったものを心配することがなくどうしたら問題を解決できるかという見方をしますしたがってためらうことなく行動でき自信を持って自分を主張し、一歩も退かず前進することができるのです。

無鉄砲と違うのは、状況を正しく判断できているかどうかということ。無鉄砲は失敗することを期待しており、細心の注意を払うことをしませんから当然その結果は失敗に終わります。

やる気のある人はどういう素質や性格を持っているのでしょう。

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人の行動を見るとその人がどういう考えあるいは信念を持っているのかがわかります。そしてその信念や考えはある特別な感情によって支配されていることもあればそうでない場合もあります。

不安を持っている人は感情的なものに支配されますが、勇気ある人は感情的なものに支配されることはありません

不安を持っている人にしても勇気ある人にしても自分を取り巻く状況を認識して自分の考えに基づいて行動している点では同じです。

不安を持っていることはマイナスの性質のものであり、何かを目指しているというよりも物事に背を向けていると言えます。不安を持っている人には強い感情的な支えが必要ですし、不安が高まった場合の言い訳が必要になってきます。

やる気のある人にはこういった感情の支えや言い訳は必要ありません。
やる気のある人は常に率直で気取ることなく客観的です。
そして理性的で内から湧き出る力を無駄なくつかいます。

やる気のある人には自分自身に対する自信とどんな状況に直面してもそれを乗り切ってやるのだという確信があります。この確信は自分は人生のすべての問題を解決できるといった確信ではありません。

もしそうした確信を持っている人がいるとすればそれはまったく現実を無視した向う見ずな人です。私たちにはすべての問題を解決できる力などないのは明らかです。

やる気のある人が持てる確信は、自分は問題の解決を求めてあくまでも努力するという確信であり、どんな苦境に直面してもそれには対処できるという確信です。自分は誠実な人間であるからどんなことが起きようとも必ず乗り切れると信じているのです。

どんな境遇に陥っても敗北感を持たず絶望することなく、対処しようとする意志と能力。これがやる気のある人の特色です。

「やる気をなくした人の気持ち」

やる気をなくした人の心には今までとは違った逆の確信が潜んでいます。つまり問題が解決できそうだとか、解決策はあるはずだといった可能性を見て取ることができないのです。

やる気をなくした人は自分の能力にも自分の人生にも確信を持っていません。自分には何の可能性もないと決め込んでいます。

やる気のない人も決して実行しないのではありません。実行はするのですが、気持ちが前向きでないためにうまくいかないのです。

やってもおそらく駄目だろうと思い込んでいるため、いくら努力してもチャンスを逃してしまう場合が多いのです。そしてそのことに気が付いていないのです。

やる気をなくした人の一番良くない点は自分はどうしようもなく無力な落伍者だと決め込んでしまう事です。

地位や名声を気にし、それを守ることばかりに気を使い、こんなことをしたら地位や名声に傷がつくのではないか、あるいは失くしてしまうのではないかという心配ばかりしているのがやる気をなくした人の特色です。

私たちは自分の地位や名声に敏感になっています。自分を本当に高く評価していいものかどうか、自信がなくなることはしばしばあるからです。

しかもそういった地位や名声はごく狭い範囲のものであり、もっと広い社会の一員なのだということを忘れてしまうことがしばしばあります。

現在の社会はいわばやる気をなくすような規律や価値観に基づいて成り立っているので自分の良さや自分の能力に自信を持つことが難しいことも確かです。したがって社会を支配しているこうした規律や価値観にとらわれない人間になってみようとする人は非常に少ないのです。

しかし自分はこの程度の人間なのだ、あるいは自分は無力なのだと思っているだけでは、やる気をなくしたことにはなりません。それどころか自分の置かれている立場やハンディキャップを考えての事であればこの考えが刺激になって苦境を克服しようとする気にもなります。それを実際に実行していく人も珍しくありません。

自分が不完全であることにくよくよしない人は、自分の欠点や失敗を素直に受け取れる人です。こうした勇気は人間に生まれつき備わっているものです。そしてやる気をなくそうとする気持ちを救ってくれるものです。

自分を取り巻く状況がどんなに厳しく不愉快で危険であっても、常にそこから出発して前進していく力を持っている、これが勇気ある人の特徴です。

完全にやる気をなくした子供は自分は欠点だらけだという事を親や先生に印象付けようとしますそうすれば自分は期待もされなければ要求もされないだろうと思っているのです。

子どもがこんなことをするのは自分の本当の欠点(思い過ごしに過ぎないのですが)、今以上にあからさまになって辛い思いをしたくないと願っているからなのです。

やる気をなくすのはあれこれやった挙句に最後にたどり着いた結果です。つまり絶望のあまりあきらめきってたどり着いた状態、これがやる気をなくした状態といえます。

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仕事でやる気をなくす場合も、人生そのものにやる気をなくす場合もあります。その状況判断を間違うと目の前のチャンスも改善に役立つ努力も目に映らなくなります。

やる気をなくした人の多くは自分と自分の置かれている状況を間違ってとらえています。そしてそのことに気が付いていません。自分の判断が正しいと信じ込んでいるのです。
自分が下した判断だけを自分に納得させようとしてあれこれと頭を働かせるのです。自分が作った自分だけに通用する論理はその人には説得力がありますからその人はますます自分の判断を正しいと信じ込んでいます。

問題はその人が自分をどういう人間だと思い込んでいるかです。その人の行動のもとになるものはまさにこれしかないのです。

私たちはあることをいったん信じ込むとその確信を強化するために様々なことをやってみたり自分の仮説と一致するものだけを取り入れようとします。自分の考えと矛盾するものはすべて無視してしまうという傾向があります。

やる気を起こさせるのが難しいのはこのためです。その考えを変えることはなかなか大変なことであるのです。

「やる気をなくしていく過程」

人に今までとは違う行動をさせようと思うのであるならば、その人が持っている考えや信念、あるいは期待や予想を別のものと取り換えてあげればいいのです。そしてその際に最も大切なことは新しい期待を持たせるという事です。

予想や期待というものは、人間を行動に駆り立てる動機のうちでもっとも強力なものといえます。人間は楽しいことをする場合でも、不愉快なことをする場合でも、あるいは良い事をする場合でも、悪いことをする場合でも、こうしたらたぶんこうなるだろうと期待を持って行動しています。
しかしいつもその期待通りに行くわけではありません。本人以外の他の力が働いて妨害されるからです。

いずれにせよ私たちは自分の期待するものの方に向かって進んで行くのです。その期待は自分の好きな期待の場合もあれば、嫌いな期待の場合もあれば、あるいは不安な期待の場合もあります。

しかし自分の期待するものが不愉快なものであったり有害なものであったりすると無意識のうちに自分をだます場合があります。自分の期待するものが本当はあまり人間に役立つものではないのですが、人間に役立つまじめなものだと無意識のうちに自分に信じさせて、行動している場合があるのです。

人間に今までとは違う期待を持たせることができれば、その人は今までとは違う行動をするようになります。人間の期待というものは過去の様々な経験、あるいはその人の素質などよりももっと強いものです。

もちろん私たちの過去の経験は現在の意見や確信、あるいは期待をもたらすのに大きな役割を果たしています。しかし過去の経験だけでは現在の行動を別の新しい行動に変えることはできません。

人間がやる気をなくす課程は、やる気を起こす課程とまったく同じです。自分は物事をもっとたくさん上手にやることができるという気になりさえすればやる気は起ってきます。逆に自分は何事も上手にできそうもない、という不安が高まればやる気をなくしていきます。

今の時代はあまりにもやる気をなくすものが多すぎます。現代の人はお互いにやる気を起こしあっているのではなく、やる気をなくしあっていると言っていいかもしれません。

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「人間が持つ弱さ」

現在私たちが生きている世界は厳しい競争に明け暮れており、自分は社会の一員としての能力があるというふうにはとても考えられなくなります。

私たちはいつも人生の問題を果たして上手に処理できるのだろうか、困難や危険を克服して生きて行けるのだろうかといった不安を持ちながら生きています。

人間は同じ他の動物と比べると体力的には劣っており、集団を作ったり武器をつくることによりそれを補ってきました。しかしそうした知恵が発達したばかりに人間は新しい種類の不安や劣等感を味わっています。

つまり人間はあまりにも小さすぎると感じることや避けることのできない死を意識するようになったのです。

こうした劣等感を克服しようとする人間の努力は人間を成長させることに大いに役立つようにも思われます。

自分が他の人より劣っているという気持ちは、自分とほかの人とを結びつけるものではなく自分と他の人を対抗させる働きをします

末子は両親やほかの大人たち、兄弟の体の大きさやその能力と比べて自分がはるかに劣っていることを身を持って体験します。したがって、育て方を間違えるとその子の劣等感を強めることがあります。

社会的劣等感について言えば、自由社会になりその人に能力さえあれば誰でも社会的地位を得ることができるようになりましたが、つまり自分の地位がいつも安泰だとは言えなくなりました。

どんなに高い地位にいる人でもいつ落ちるかわからなくなったのです。その不安におびえる気持ちを静めようとして、ほかの人を見下したり、ほかの人のやる気をなくするようなことをせざるを得なくなったのです

「家庭内の競争がもたらす悪影響」

お互いのやる気をくじきあうという勝負をするのに家庭というところは非常に都合のいい場所です。家庭以外の場所では他の人を見下してやりたいと思ってもほどほどに押さえておかなければなりません。そうしなければ仕事はうまくいきませんし、社会生活を続けることはできなくなります。

私たちは自分の感情や意見をあまりあからさまに表面に出さないように心得ています。そうすることによって表面的調和をある程度保っているわけです。

しかし家庭内に置いてはそういうわけにはいきません。今や核家族の当たり前となった家庭内では競争や衝突が起こらないようにする歯止めは何もないのです。

民主主義の発達によって、社会の各メンバーは平等で、自分の事は自分で決めるという思想を持つことになったにも関わらず、困ったことは他のメンバーと対等に付き合う訓練がなされていないという事です。

今の子供たちは民主主義の発達の結果として自由と平等を勝ち取っていますが、そのことが子どもたちの不適応や非行の大きな原因となっています

それは家庭や学校を中心とした教育制度がその役割を果たしていないのです。最近の家庭や学校では、すすんで協力したり行儀をよくしたり、言いつけをよく守ったりする子どもだけが歓迎され、そのほかの子どもはあまりかまってもらえないという状態になっています。

子どもたちがいう事をきかなくなると親や先生はその子を叱るだけです。したがって衝突はエスカレートします。
私たちには対等の立場で生活を共にする伝統がないのです。したがって衝突が持ち上がってもそれを手際よく上手に処理することができないのです

最近の子どもたちへの対応を見ていると子どものやる気をなくすようなことばかりしているように思えてなりません。

私たちは子どもを対等なものとして扱わないので過保護や子供の自尊心を傷つけることになってしまうのです。

今の家庭では子どもに手伝いをさせたりしてどのくらいみんなのためになるかを試みさせるようなことをほとんどしていません。あるいは大人や年上の者は年下の者に対して自分のやるべきことは最後まで自分でやるように仕向けたり自分の事は自分で始末させるようなことをしているでしょうか

「まだ小さいから」といって特別扱いをしたり、幼いという事を過大評価しているのではないでしょうか。

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兄弟姉妹間の足の引っ張り合いもよく見かけます。ほんの少しでも他のものが何かに恵まれていたり優れていたりするとそのことを妬み、自分が上に出ようとして競争します。

これは日常茶飯事になっているので正常なことで子供には避けられない行動なのだと思っている方もおられますが、これは間違った考え方です。

子どもの喧嘩を上手にやめさせてみるとこのことははっきりします。子どもたちはお互いに仲良くやっていくことを覚えることができるからです。

最近の兄弟姉妹間の激しい競争は子ども一人一人の成長によくない影響を与えています。しかしそのことはあまり問題にされません。

競争のほうは目に見えないところで誰にもわからないように上手に行われるので私たちは見逃してしまいます。
子どもは自分のほうが相手よりも上だとはっきりさせようとして競争意識を駆り立てます。

家庭の中で大人も子供も、あるいは男も女もみな同格なのだという意識が欠けているものですから、子どもも、他の子より優れているか劣っているかという目で見られます

もちろん他の子より劣っていると言われて喜ぶ子はいません
したがって子どもはみんな他の子より少しでも優位に立とうとして相手の弱点を見つけることに必死になるのです。

「相手の性格」「相手の才能」「相手の興味」など、あらゆるものが子どもの競争の的となります。相手がやって失敗したことを自分が成功させようと懸命に努力します。そういった競争に負けた子供は敗北感と無力感とを味合されるだけなのです。

家庭内の子供の競争は主に第一子と第二子の間でおこなわれるようです。したがって性格の違いが一番大きく現れてくるのははじめの二人の子である場合が多いようです。

親はどうして子どもが性格が違うのか良く知らないものですから、競争でできた性格の違いをさらに大きくするようなことを無意識にやっています

これが子どものやる気をなくす原因のひとつです。こうして出来上がった性格はなかなか変わるものではありません。

もし子供が「他の子にはできて自分にはできない」と堅く信じいていることがあるとすればその子供は他の子ができることには決して身を入れて努力しなくなります。一人の成功は常に他の者の犠牲の上に成り立っているのです。

また競争で運よく成功を収めたような子でも何らかの傷あとを持っていることに注意しなければなりません。自分がまかした相手に自分が及ばない点があると気にする場合があるからです。その及ばない点がどんなに些細なことでも、あるいはまた社会的にあまり望ましくないことであっても、その子にとってはどうでもいいことなのです。その子にとっては「相手の子に及ばなかった」ことだけが心に強く残り気にかかるものなのです。

「子どもを悪の道に走らせる傾向」

出来の良い兄弟姉妹と絶えず顔を突き合わせて生活している子供は、自分の弱点は直しようがなく、まったくだめな人間だと信じ込むようになるのは予想できることです。
その子は本当は駄目な人間ではないのに自分は駄目な人間だと決めてかかっている場合もあります。そして大人がそれに気が付いていないこともあるのです。

私たちがそういったことに気づきにくいのは、その子が自分はできが悪いと頭から信じ込みわざと負け犬のような行動をとって親や先生を上手にだましているからです。
他の人より優れようとすればそれだけに失敗も必ずついて回るのだということを私たちはもっと知る必要があります。

出来の良い子どもほど傷つきやすいのです。子どもがよく勉強するのは、勉強が好きだからではなく他の子より優れていたいからするのです。

自分が相手に勝てないと思えば今までの努力をまったくあきらめ、あまり好ましくない方向へ転換します。悪者になることによって満足を得ようとするわけです。

成績の悪い子供の多くは実際には地位や名声を手に入れたいという野心があるのですが、いくら努力してもそれが手に入らないので努力するのを止めている、と考えて差支えないと思います。

子どもが自ら努力したり勉強したり協力したりするのは野心以外にないと思います。

いわゆる非行少年のような子どもたちは野心過剰な若者たちなのです。
やる気をくじかれているので法律を破ったり大人に反抗することで穴埋めをし自分を満足させようとしているだけなのです。

他の子より優れたものになろうとする努力は家庭の中から始まり、その後隣近所や学校などにおいて続けられます。
親や教師は他の子より優れた子になるよう子どもの尻を叩いています。

成績がほどほどである大多数の子は「今のような成績では駄目だ!もっとしっかり勉強しなさい。」と口やかましく言われるし、成績の良い子は良い子で「勉強ばかりではいけません。運動もしなさい。」と言われます。

つまり「今のお前で十分なのだと言われる子はいない」のです。そういわれたとしてもその子自身はもっとよくなければならないと信じるでしょうから今の自分に満足することはないのです。

「もっと勉強しろ」「もっと成績を上げろ」「もっと努力しろ」と子どもを駆り立てる今の風潮が続く限り子どもがやる気をくじかれる傾向はなくならないでしょう。

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「悪事は伝染する」

悪事はやる気をなくした子供にとってとても魅力的です。なぜかというと悪いことをすれば特別な名声や権力とかが簡単に手に入るのです。

大人の期待をくじき、大人の言いつけに背きさえすればそれだけで特別な人間扱いをされ仲間から尊敬されひとかどの人物になった気分が味わえ仲間に一目置かれる地位が手に入るのです。

一方たいていの子は勝ち目がないとわかるとすぐに身を引いてしまいます。子どもは負けた時でも一時的なものと感じていれば努力を止めたりはしませんが、成功する望みが完全に断ち切られたと感じた時にはまったくやる気をなくしてしまいます

非常に大切なことは、子どもが何らかのことで努力を投げ出してしまうとそのことが生涯を通じてその子供の弱みになって残るという事です。

親や子どもあるいは教育に携わる人、誰もがこのことを理解する必要があります。やる気をくじかれたらすぐにそれを救い出してやらないとその子は一生やる気をなくした子どもとして育てられることになります。

やる気をなくした瞬間その子の性格は歪むのです。たとえどんな小さなことでもやる気をくじかれたとなると子どもの心は傷つきます。そして臆病で怖がり屋の人間になってしまいます。

どんなことであろうと子どものやる気を奪うという事はその子供から勇気を奪うことになります。

やる気をくじかれると自尊心や誠実さといったものがだんだん薄れていきます。そして最後には言い訳を言ってみたり心配や不安に陥ったりします。もっとも厄介なことはやる気をなくすのは伝染するという事です。

やる気をなくした子供は自分には能力がないと信じ切っているので、そのやる気を起こさせようとする人の気力をいとも簡単にくじいてしまうのです。
こうなるとお互いにやる気をくじきあうことになり親や先生はあまりにもあっさりとやる気を起こさせることを諦めてしまいます。

子どもが自分は駄目な人間なのだということを先生に信じ込ませるのが実に巧みだという事が言えます。先生や親が現代の子どもにやる気を起こさせる方法や技術を知らないということもあり、子どもの置かれている状況をさらに悪くしてしまっていると言えます。

やる気をなくした子供を勇気づける技術はそれほど難しいものでありませんが、これを身に着け実行できる人は「自分は絶対にやる気をくじかれたりしないぞ」という強い信念を持った人に限られると言えます

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